cross-over 6
かかしの銀髪によく映える綺麗なプラチナの細い指輪。 風呂に入る時に指輪を外す習慣がかかしにはなかった。 結婚指輪としているかに贈られたそれは日常生活にも仕事にも差し支えは無いのでずっと 指にはめたままだったのだ。忍服を着ている時の彼女は革グローブの手甲を外す事はまず ないので、誰かに見られる心配など無かったから。 だが、きらりと真昼の陽光を弾いた輝きを見逃すサクラではない。 普段隠れてしまう指に―――それも、左の薬指にシンプルな指輪をしていれば、それの意 味する所はひとつだ。 恋人か、夫。 そういう大切なパートナーから贈られた指輪と言う事になる。 「ねえ、違います? 結婚指輪でしょう? それ」 「……あ……」 カカシの白い頬がさあっと桜色に染まった。 「わ、やっぱりそうなんですねー! 綺麗な指輪ですね。ステキだな〜…ねえ、誰なんで すか? 旦那様! 私にわかる人? あ、こっちにもいる人かな」 サクラは純粋な好奇心で眼をキラキラさせていた。 その眼で、『いるか先生のお嫁さん』見たさに大胆にも火影の屋敷に忍び込んだ自分の世界 のサクラを思い出したかかしは、下手に隠してもムダだと悟る。 恋愛とか、結婚とか。『サクラ』という女の子はそういう事柄への関心が強いのだろう。 ここで誤魔化しても、しつこく知ろうとするに違いない。 「………うん……何故かしている………あの、ここだけの話…にしてくれる? 皆には内 緒に」 サクラは勢い込んで頷いた。 「うんっ! 他の人には言わないですからっ」 「………いるか先生……」 サクラはキョト、とした。 「え?」 「あの…だから、いるか…先生……と…」 パクパクとするだけで言葉を発しないサクラの口が、彼女の動揺を示していた。 「そ…そんなにおかしい……?」 赤くなったかかしは恥ずかしそうに下を向いた。 「……そうだよね…やっぱり、似合わないよね……いるか先生にふさわしいお嫁さんじゃ ないって…オレもわかってるんだけど……」 えええっとサクラは慌てた。 「ちっ違いますよぉ! ちょっと意外だって思っちゃったけど! …むしろ、そちらのい るか先生、凄いなーって。よくかかしさんみたいな凄い人、お嫁さんに出来たなーって。 だって、かかしさんだって上忍…でしょう?」 「う…うん」 ほう、とサクラは息を吐いた。 「……やっぱ、凄いですよぉ…」 ふふ、と笑いを洩らしたのは紅だった。 「…サクラちゃん。男女の仲なんて、中忍も上忍もないわよ。ま、このかかしちゃんをゲ ットしたって点で、あのいるか先生の男振りもわかるってモンだけど。…甲斐性あるわよ ね〜…結構ヤルじゃないってカンジ」 それよりね、と紅は真顔になる。 「……かかしちゃん。……もしかしてアンタ、……子供、いるんじゃない? …それも、 まだ乳呑み児。……赤ん坊が」 サクラは眼を大きく見開いた。 「えーッ? わ、わかるんですか? 紅先生」 「そりゃね……胸見りゃわかるわよ。子供を産んでいるかどうか…なんて。……まして今 乳呑み児がいれば、お乳の張り方違うし」 両腕で乳房を隠し、ぶくぶくと耳までお湯に浸かってしまったかかしを、サクラは眼を見 開いたまま見ていた。 「…かかしさん……」 赤くなった彼女の目許が潤んだ。 眼の淵に浮かんだ涙珠がぽろりとこぼれる。 「…あ……」 かかしは慌てて涙を指先でぬぐった。 紅は涙をこぼしたかかしの頭を抱き寄せ、髪を撫でた。 「そう…やっぱり、いるのね……」 かかしは微かに頷いた。なるべく身体は見せないようにはしていたが、紅も上忍だ。彼女 に見られてしまったのなら、もう誤魔化しはきかない。 「男の子?」 かかしはまた頷いた。 「まだ赤ちゃんなのね……離れ離れになって…心配だったでしょうに…黙って我慢してた のね……」 またポロリとかかしの眼から涙がこぼれる。 サクラも、子供の事を訊かれて泣いてしまったかかしの胸の内を思い、目を潤ませた。 まだまだ自分自身が子供のサクラでも、かかしの辛さが想像出来るのだ。 「………ごめん……オレ、泣くつもりじゃ……心配しなくても大丈夫だって…ちゃんと… 信用出来る人に預けてきたからって……彼、言ってくれたのに……オレも…信じるって… その人の事も、あの子の事も……ちゃんといい子で待っててくれるって…信じて、戻れる まで頑張るって決めたのに…っ…」 よしよし、と紅は彼女の髪を撫でてやる。 「いいのよ。…お母さんなんだもの。一晩離れていただけでも心配になるわよね。当然だ わ。……ごめんね、私こそ…余計な事を訊いちゃったわね。……大丈夫よ。アンタと、い るか先生の子供なんでしょう? 強いに決まってるわ」 「うん……ありがと…」 それから、バシャ、と顔を洗うとかかしは笑って見せた。 「ゴメン。…もう、大丈夫。……永遠の別れじゃあるまいし。ちょっと離れているだけだ から」 ええ、と紅は頷く。 「ウチのカカシが遭遇した『神隠し』の報告、私も知っているけどね。彼が『揺り返し』 って書いていた現象は絶対あるはずだわ。この異常な状態から、自然に元に戻ろうと働く 力の事ね。……アイツらは何だか他所の世界に飛ばされても暢気にやってたみたいだけど。 …アンタみたいに気掛かりなものを残して来なかったからなんでしょうね……」 紅に連れて行かれてしまったかかしを追いかける訳にもいかず、いるかは仕方なく厨房の 掃除でもしていようと腰を上げた。 さすがに水道は無く、水場は建物の裏手に作られているポンプ式の井戸だけであった。 よいしょ、とポンプを漕ぐと数回で綺麗な水が出てくる。 「それにしても凄いな…井戸まで自分で掘っちまったなんて……」 バケツに水を汲んでいると、背後から呆れた声が掛かった。 「何してんですか? まったく、働き者ですねえ…『イルカ』ってそういう人種? オレ、 休めって言いませんでしたっけ?」 「カカシさん……」 いるかはまるで疚しい事をしている所を見つかったような顔で振り返った。 「……いや、何かしていないと落ちつかなくて……そんな、安静にしていなきゃいけない 怪我でも…」 カカシはスゥ、と目を細めた。 「……血の匂いがします。アンタ、ずっと嗅いでいた所為でちょいと鼻が血臭に慣れてし まったようですね。腕か脚のどちらか…両方かもしれませんが、たぶんまた出血していま すよ。傷口が開いたのかもしれない。……中に入って、傷を見せて下さい」 「あの…でも…」 「掃除は、子供らがやります。…あいつらの仕事ですから。子供の仕事を取っちゃいけま せんよ、先生」 にこりと微笑むカカシに、いるかは頷いた。 「…わかりました。すみません、お願いします」 「素直でよろしい。…アンタ、実は腕が上がらないんでしょう。髪をそんな低い位置で結 っているのってその所為じゃ?」 いるかは一瞬カカシの顔を凝視した。 確かに、そうなのだ。いつもの位置で髪を結う為には結構腕を上げなくてはいけない。そ れが出来なくて、いるかは仕方なく項で髪を括った。 まさか、それを見抜かれていたとは。 「………違った?」 「いえ……ご推察の通りです」 「肩も痛めているかもね…夕べはとにかく目立つ傷だけを手当てしたって聞いている。も う一度、ちゃんと診ましょう」 「すみません」 カカシはいるかを居間の椅子に座らせた。 「いや、オレが気になるんですよ。アンタときたら、本当にウチのイルカ先生にソックリ なんだもん。自分の事よりも他人の事優先で。………もうちょっと自分を大事に…って… ああ、これはオレが彼によく言われる言葉だけど」 いるかは静かに微笑んだ。 「…でしょうね……」 いるかも人の事は言えないのだが、彼の知る『かかし』はギリギリまで己を酷使する傾向 がある。しかも、かかし自身は自分が無茶をしているという自覚に乏しい。彼女にとって は、当たり前の事だから。 おそらくはこのカカシという男もそうなのだろうという事は想像に難くない。 カカシは夕べイルカの巻いた包帯をくるくると外していった。 「…うわ」 「あれ…」 途中から滲み出し、最後の方は綿布にべったりと貼りつく程に包帯は血で染まっていた。 当然綿布も殆ど変色している。 「あれ、じゃないでしょ…あーあ、やっぱ縫った方がいいかもなあ……でも、オレ縫うの 苦手だし……仕方ないな、もう一度薬を傷口に塗り込んで押さえておきましょう。で、必 要そうならイルカ先生が来てから縫ってもらいましょ」 「…はい…」 かかしも縫い物は苦手なのだが、やはりこのカカシも縫い物は苦手らしい。 手当て云々より、その事が可笑しくているかは口許を綻ばせた。 「やっぱり手は吊っておいた方がいいね。心臓より高い位置で固定した方が血も止まる。 アンタもついうっかり怪我している手を使わずに済むでしょう」 「あ、そうですね…」 腕を吊ったりすると大げさに見えるので本当ならしたくはないのだが、また出血が激しく なると困る。いるかは大人しく言う事を聞く事にした。 「えーと、他の場所は? ちょっとアンタ、ズボンも脱いで見せて」 「え? いや、大丈夫……」 「じゃないでしょー、いいから脱ぎなさいって」 カカシがいるかのズボンに手を掛けた時。 「………いるか先生の手当ならオレがやる」 幾らか不機嫌そうな声がカカシの背中に掛かった。カカシは戸口を振り返り、複雑そうな 顔でこちらを睨んでいるかかしにニッと笑って見せる。 「おかえり。どうだった? 温泉」 かかしは少し戸口で躊躇った後、部屋の中に入ってきた。 「………気持ちよかったよ。温度、ちょうど良くて……」 「そりゃ良かった。じゃあ、ここから先の手当ては任せるよ」 かかしに傷薬を手渡しながら、彼は苦笑した。 「悪かったね。紅のワガママに付きあわせちゃったみたいで」 かかしは驚いて首を振る。 「ううん。……そんな事ない……」 「あ、右腕は吊っておいた方がいいみたいよ。三角巾、そこにあるから。…さあて、そろ そろガキ共が掃除を始める頃かな。オレ、監督に行くから後よろしくね。…そうだ、その 紅は?」 かかしは肩を竦めた。 「…彼女は猛スピードで里に戻ったよ。お風呂上りのお肌ケア用品一式、忘れてきちゃっ たんだって」 あー、なるほどね〜と納得しかけたカカシは、はたと彼女に向き直った。 「アンタは? そういうので要るもんないの?」 かかしはプルプル首を振った。 「だってオレ普段から化粧しないし。化粧水もつける習慣ないから。…ええと、でも着替 えとか…要りそうな物は彼女が持ってきてくれるって」 少し汚れてしまった晒しを風呂上りにもまた巻いているかかしを見て、紅は代わりの新し い晒しを調達してこようと言ってくれたのだ。 「ならいいけど。…ま、要るものあったら遠慮なく言ってね。ウチの奴らもお使いくらい は出来るからさ」 「…ありがと」 カカシはヒラ、と手を振ると部屋を出て行った。 かかしはその後姿を見送ってから、申し訳なさそうな目を夫に向けた。 「……いるか先生…また血が?」 「ああ、夕べ山越えしたりしたからですよ。大丈夫、そんな顔しないで。…知ってるでし ょう? 俺、頑丈ですから」 はあ、とかかしはため息をついた。 「……わかってるけど…でも、心配する権利はオレに下さい……」 いるかは無事な方の腕を上げて、かかしの頬を撫でた。 「それはお互い様です。貴女の心配もオレが一番にしたい。……何かありましたか?」 え? とかかしは蒼い眼を瞠る。 「……ここに戻ってきた時。ちょっと不機嫌だったでしょう、貴女。……何かあったのか もと思ったんですが……違ってましたか」 かかしは見る見る頬に血を昇らせた。 「………あ…やだ…わかっちゃった? やだなあ、恥ずかしい……ええと、聞いても笑い ません?」 「? 笑いませんよ?」 かかしは上目遣いにいるかを見上げ、恥ずかしそうに告白した。 「…あのね……さっき、彼が……アナタのズボン脱がしかけてたでしょ…すぐに手当てを しているだけだってわかったんですけど……それでもオレ、『オレの亭主に何してやがる』 ってな心地になりまして〜……その……」 いるかは軽く目を瞠った後、小さくプ、と噴き出した。 「ああっひどいっ! 笑わないって言ったのに笑ったあっ!」 赤くなって憤慨するかかしの耳の辺りをいるかはスルリと撫でた。 「すみません。笑うつもりじゃなかったんですが……いや、でもやっぱり可笑しいです。 笑っちゃいますよ。……だって、それって昨日俺が思った事だから」 かかしはキョトンとした。 「え?」 「『俺の女房に何しやがる』ってね。……彼、昨日貴女を抱き締めたでしょ」 「………あ……そういや……」 いるかもまた少々決まり悪げに告白する。 「彼は貴女とよく似ているから兄妹の抱擁にも見えましたし、彼にも異性を抱いていると いう意識はないように見えましたから、俺のヤキモチはきっと見当違いなものでしょうけ どね。……貴女は大人しく抱かれてるし。亭主としては複雑でした」 驚いたような顔でその告白を聞いていたかかしは、苦笑を浮かべた。 「………そうだったんですか…ゴメンナサイ。気づかなくて……ホント、オレも鈍いよね」 でもね、とかかしは続けた。 「オレのヤキモチはちょこっと根拠あるんですよね。……彼、やっぱりイルカ先生が好き なんですって。……こっちのイルカ先生とアナタ、そっくりでしょう? ……彼としては 混同している気はないでしょうけど……」 いるかは眉を顰めた。 「………そうですか……やはり、彼等は恋人同士なんでしょうかね?」 いるかは、カカシが混同しているかどうかという点よりもこちらの『彼等』の関係が気に なったようだった。 「……ええ、そう…言ってました」 いるかは目を伏せ、口の中で「そうですか…」と呟いた。 そうして、改めているかは子供の事は彼等には伏せておこうと心に決めた。 「いるか先生?」 心配げに見上げてくるかかしが可愛くて、愛しい。 「…何でもありませんよ」 いるかは彼女を引き寄せ、接吻した。 |
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なんだかずるずると長くなってきちゃいましたね。 すみません。 でもまだ書きたいんですけど〜・・・ よろしいでしょーか・・・^^; |