cross-over 1

 

雷鳴が遠くで鳴っている。
音はだんだん近づいているから、すぐにここにもやってくるだろう。
いるかは室内を見回し、そして廊下に出てかかしの姿を捜した。厨房の方まで見てみたが、
彼女の姿は無い。
(……外に出たのか? 雨が降りそうなのに)
厨房の勝手口が開き、飲料水用のポリタンクを下げたカカシが入ってくる。
「カカシさん。彼女見ませんでしたか?」
「え? あー、そういや今日は朝メシの後くらいから見てないなあ。…退屈して身体でも
動かしに行ったのかな。でも、それならアンタに言って行くよねえ」
いるかは微かに首を傾げた。
「……ええまあ…でも、ちょっと表に出るくらいなら言わないかも……すぐ戻るつもりで
出たならば」
ゴトンと重そうな音をたててタンクを所定の位置に置いたカカシも首を傾げる。
「…珍しいね。アンタからあまり離れないのにねえ、あのコ」
「……ちょっと、そこら見てきます。空模様がおかしいし」
「ん、わかった。気をつけて」
いるかの後姿を見送りながら、カカシはそっと苦笑を浮かべた。
姿はもちろん立ち居振舞い、話し方。
自分の恋人と生き写しの男に、カカシは時々錯覚しそうになる。
その眼がひたむきなまでに彼の大切な妻しか見ていないから、一瞬の錯覚はすぐに霧散す
るのだが。
(それでいいんだけどね。…ホント、あのコの旦那がいるか先生で良かったよ。彼ならこ
れからもずっと彼女を大切にする。オレのイルカ先生はそういう男だからな。彼だって同
じハズだ。…安心して、彼女を任せられる)
そこでカカシは肩を竦めた。
(何だろうねえ、オレは。…すっかり彼女の兄貴気分かよ)
任せるも何も、基本的に自分はただの他人で、彼女はとうに彼を選び、愛して子までなし
ているのだ。今更自分がとやかく口を挟む余地もなければ立場でもない。
「……バカだね、オレも」




 
一方のかかしと言えば。
実は捜し物をしに露天風呂まで来ていた。
昨夜ここの風呂を使った後、別荘に戻ってから自分が指輪をはめていないのに気づいた。
入浴中に抜けてしまったのだ。
大事な指輪なのに。
いるかが選んで贈ってくれた、大事な大事な指輪なのに。
すぐに捜しに行きたかったが、朝明るくなってからの方が見つけやすいだろうと我慢した。
そして朝食を終えるやいなや、いるかにも何も告げずに別荘を抜けだしたのである。
「風呂に入るまではしていたんだもの。…絶対、風呂場で落としたんだ……ああ、どうし
よ……」
見つからなかったら、どうしよう。
脱衣所から、自分が昨日歩いた場所を重点的に捜しまわる。
細くて小さなリングはお湯で簡単に流されてしまうかもしれない。
かかしは半泣きで下を見て回った。
「……どうしたんですか? かかしさん」
ふいに後ろから掛けられた声にかかしは飛び上がった。探し物に没頭するあまり、いるか
の気配にも気づかなかったとは。
かかしは狼狽して立ち上がった。
「い、いるか先生……」
「急に姿が見えなくなったから心配しましたよ。…どうしました?」
かかしは泣きそうな顔で俯く。もし本当になくしてしまった場合、彼に黙っているわけに
はいかないだろう。知られたくはなかったけれど、嘘はつけない。
「…………指輪………」
「指輪?」
かかしは右手で自分の左手を覆った。
「……昨夜……お風呂で…抜けちゃったみたいで……オ、オレ、すぐに気づかなくて……」
いるかは事の成り行きを察した。
「…指輪、捜しに来たんですね。わかりました。俺も一緒に捜しますから。……さあ、そ
んな顔をしないで」
いるかは彼女の左手を手に取り、痛ましそうに眉を寄せる。
「……可哀想に。指が痩せてしまったんですよ……貴女の所為じゃないのだから、もしも
見つからなくても気に病んではいけませんよ」
この世界に飛ばされてしまったのは、精神的苦痛に対する訓練を積んでいるはずの彼女に
も多大なストレスだったらしい。ここ数日でかかしは指輪が緩くなって回ってしまうほど
痩せてきていたのだ。
結婚指輪をなくしてしまった自分の迂闊を責めない彼の優しさに、かかしはかえって申し
訳なさでいっぱいになってしまった。華奢で細いリングだったが、材質はとてもいい物だ
った。あれを買うのは彼にとって大変だったはずなのに。
「いるか先生……ごめんなさい…」
いるかは振り返って彼女の額にキスした。
「謝らない! ほら、捜しましょう。天気が崩れそうですよ。……もし降ってきたら、今
日は諦めましょう」
「……はい」
かかしは自分に気合を入れ、指輪捜しを再開した。いるかの優しさに甘えてはいけない。
頑張って見つけ出さなくては。
いるかも腰を屈め、どこかに金属の光が見えないか眼を凝らしていた。
彼は、もしも見つけ出せなかったらもう一度同じ物を誂えればいいと思っていた。
あの細い指輪が自分達を繋ぐ唯一のものという訳ではない。
でも、あの指輪を贈った時の彼女の顔を覚えているから。
とても嬉しそうに微笑んで、何度も何度も御礼を言ってくれた。まるで世界に一つの宝物
のように喜んでくれたのだ。
なくしてしまったと気づいた時、彼女はどんな思いをしただろう。きっと、ショックだっ
たに違いない。
あんなに泣きそうな顔で一生懸命捜している。
捜しだして、もう一度あの指にはめてあげなくては。


ゴロゴロゴロ、と先程より近くなった雷の音にいるかは空を見上げた。
「………そろそろ来るかな…」
かかしはまだ熱心に捜していた。彼女には気の毒だが、また昨日のような激しい雷雨にな
ったら、もう見つけ出すのは難しいだろう。
「……かかしさん。…もう…」
その時、彼女が「アッ」と声を上げた。
「囲いの中じゃないかもしれない! そうだ、髪を拭きながら歩いたりしたから!」
慌てて露天風呂の囲いから出て行くかかしを追っているかも外へ出る。
彼女は慎重に地面の上を捜していた。
いるかは彼女が歩いただろう場所をぐるっと見回してみた。何かのはずみで抜けて飛んで
しまったとしたら、すぐ下ではなく少し外れた場所かもしれない。
(草や石の間に入っちまってないといいんだが……………おっ?)
数メートル離れた木の下、草陰で何かが光った気がした。
(もしかしたら……いや、でも……)
指輪ではなくて缶ジュースのプルトップかもしれないのだ。かかしにぬか喜びさせたくな
いと思ったいるかは、黙って目を凝らしながら近づく。
そして、心の中で快哉を叫んだ。
(指輪だ! 間違いない!)
急いで木の下に駆けより、指輪を拾い上げたその時。
頭上に閃光が走った。
「いるか先生!」
かかしの悲鳴が聞こえ、上忍ならではの速さで彼女が飛び込んでくる。
落雷だ、といるかが悟ったのは一瞬後。
いるかが駆け寄った木に雷が落ち。
飛び込んできたかかしを抱きとめたいるかは、その勢いのまま宙に投げ出された。
そして、闇の中に落ちていく。

この感覚は覚えがある。
あの時と同じだ。
そうか、これが『揺り返し』というやつだ。―――やっと、やっと来た。

いるかはかかしをしっかりと抱き締める。
この人を放してはいけない。たとえまた、別の世界に飛ばされようとも二人でいれば。
必ず帰れるのだから。
闇の中で意識を失う刹那、いるかはもう一人の自分に心の中で別れを告げた。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
落雷の音はもちろん別荘まで響いていた。
「…落ちたか! ……近いな」
カカシは二人を案じて外に出た。
「どこまで行っちゃったんだ? 二人とも……」
雷が落ちたのは露天風呂の方向だ。カカシは急いでそちらに向かう。
「かかしちゃ〜ん? いるの? いるか先生ー?」
露天風呂を覗いてみたが、二人の姿は無い。
雷が落ちたと思しき木の所まで来たカカシは、僅かに残された足跡を見てハッと眼を見開
き、踵を返した。
「そうか…もしかして……!」
解呪の反発で異世界に飛ばされ、そして向こうのガス爆発で戻れた自分達。
起爆符の爆発がキッカケでこちらに飛ばされた彼女等が、今の落雷に遭っていたとしたら。
カカシは急いで別荘に戻り、かかしが使っていた部屋に飛び込んだ。
胴衣の隠しから手紙を取り出し、彼女が張った術式の中にそっと滑り込ませる。
「……無事に戻れよ……」
一時間後。
祈るようにカカシが見つめる中、術式の中の袋と手紙が空気に溶けるように消えていった。
 
 

      



 

思い出話。
私はもうちょっとで小指にはめていたピンキーリングを、旅行先でなくすところでした。オリンピアの遺跡を見学した後、借りたトイレで。(笑)
トイレ出ようと、ふと床を見たら何やら見覚えのある金の小さなリング。・・・き、気づいて良かった・・・
服を直している時に抜けたんでしょう。小指って節らしい節も無いし、抜けやすいのかも。
落とした時点で気づかなければ、自分がいつ指輪をなくしたのかもわからなかったでしょうね。 ・・・ってゆーか、落ちたのが比較的綺麗な床の上で良かった・・・トイレの『中』だったら拾えないってばよ。(笑)

さて、やっと『揺り返し』がきました。
後、1話・・・かな?

 

NEXT

BACK