Cocktail−3

(注:カカシさんが女性です。バリバリのくノ一さんです。)

 


一方、イルカの部屋を飛び出したカカシは、怒りと哀しみのないまぜになった感情を持て余しながら、行く当てもなく夕闇の中を歩いていた。
(…ひどいよ、イルカ先生。オレの事、全然信じていないんだ。二股かけるような不実な女だって、思ってたの…?)
確かに、容姿が派手な所為で、カカシをよく知らない人間には誤解されがちだった。
自分の見てくれが、清楚で大人しいとは言い難いことも承知している。
だが、イルカならば本当の自分を見てくれていると、思っていたのに。
(………やっぱり、最初がいけなかったのかな。いくら理由があったからって………いきなり、キスしてくれなんて頼んだり………胸を触らせたりしたもんな。…軽い女だって、思われちゃったのかなあ………責任とって、オレの男になれって言い方もマズかったかも。……遊び慣れているみたいに聞こえたのかな………)
はあっと、カカシはため息をつく。
顔を上げると、見覚えのある店のドアが目に入った。
先日、紅と飲みに行った店だ。
(………こんな時は、酒だ)


 

バーテンダーは、眼のやり場に困っていた。
十日程前に来てくれた美女が、今日は一人でカウンターに座っている。
大きく襟ぐりが開いたワンピースの胸元が、立って仕事をしている彼からはよく見えてしまうのだ。
ワンピースの上から羽織っている上着では、その胸元を隠しきれていない。白い肌に、ポツポツと赤く浮き出しているのは、どう見てもキスマークである。生々しいその色は、情事の直後のようにも見えてしまう。
さっきから彼女は、泣きそうな顔で酒を飲んでいた。
あんな顔で酒を飲んで、美味しいわけがない。
彼氏と、ベッドでケンカにでもなったのだろうか。
バーテンダーは、余計な真似をしている、と思いつつ、カカシがオーダーもしていないおつまみを作って、彼女の前に置いた。
「………頼んでないけど、これ」
「いえ、あの………ちょっと、おつまみを研究中なんです。良かったら召し上がって、感想を聞かせてください。チーズ、お嫌いでなければ」
「………うん。じゃあ、遠慮なく頂くね。…ん、いける。このチーズ、クラッカーと合っているし、オリーブをスライスして乗っけてあるのも美味しいよ」
やっと少し微笑んだカカシに、バーテンダーもにっこりと笑った。
「ありがとうございます。こちらも、どうぞ。珍しいハーブを使ったソーセージなんです」
「へえ、お酒と合いそうだね」
カカシは、勧められるまま、おつまみと酒を口に運ぶ。
「ん………美味し」
良かった、とバーテンダーは胸を撫で下ろした。
せっかくまたこの店に来てくれたのだから、美味しかった、と思ってもらいたい。
「………ねえ」
「何ですか? お客さん」
「………………アンタさあ、オレ見てどー思う?」
は? とバーテンダーは眼を丸くした。
「ど、どうって……仰られましても。…お、お美しい方だな、と………」
カカシはグラスを振った。カラン、と氷が音を立てる。
「おじょーず。………さすが客商売」
くすくすくす、とカカシは笑った。ちっとも楽しそうには見えない笑顔で。
バーテンダーは生真面目に応える。
「お世辞抜きですよ。お客さんみたいな美人、滅多にお目にかかれませんから」
「そーお? じゃあ、一応御礼言っとくわ。………でも、遊んでるっぽく見えるでしょ。………違う?」
そう言われれば、そういう風にも見えなくも無い。こんな魅力的な美人、周囲が放っておかないだろう。
男達は彼女に群がり、一夜でいいから自分のものになってくれと懇願する。
そういう光景が眼に見えるようだ。
「………おモテになるだろうな、とは思います」
そう言ってからバーテンダーは、彼女の憂い顔の原因はそれか、と気づいた。
「貴方の恋人は、さぞ気がもめるでしょうね」
驚いたように顔を上げたカカシの表情に、彼は自分の勘が当った事を知った。
「………どう、いうこと?」
「…おそらくは、貴方はどこにいらしても男性の視線を集めてしまうでしょう。………貴方の恋人さんは、自分以外の男が貴方を見る視線に心穏やかではいられないのではないかな、と思っただけです。…申し訳ありません、余計なことを言ってしまって」
カカシは数秒、バーテンダーの顔を見つめた。
ふいに、カカシの眼から涙がこぼれる。
「でもオレ、浮気なんてしてない! 二股もかけてない!」
ああ、とバーテンダーは内心嘆息した。
可哀想に。
きっと、彼氏に浮気を疑われてしまったのだ、この人は。
この人の恋人である、その男の気持ちもわかる気がする。
ふと、不安にかられる事もあるだろう。
余程の自信家でなければ、彼女がずっと自分の方を向いていてくれると思うのは、難しいかもしれない。
それは、彼女の貞節を疑うとか、そういう問題ではないのだ。
それでも、一度した結婚の約束を、そんな邪推じみた理由で反故にして、こんな可愛くて綺麗な人を泣かせるなんて。酷い男だ。
何と言って彼女を慰めようか。
バーテンダーが言葉を捜しながら視線を上げると、彼女の背後にいつの間にか男が立っていた。
「………すみません。貴方が、浮気していると疑ったわけではないんです」
静かな男の声に、彼女の肩が揺れる。
「………じゃあ、何」
「貴方を殺したくないだけ。………と言ったら、信じて頂けますか?」
ぎょっとしたのは、バーテンダーだった。
忍の里の恋人達は、言う事も過激だ。
「…わかんない。…何、それ。………アナタにオレが殺せるの?」
イルカは、苦笑をもらした。
「普通に考えれば、無理ですね。…貴方の方が俺よりも強いし、たとえ任務で貴方を殺めろという指令を受けたとしても、俺には出来ません。…貴方を殺すくらいなら、自分が死んだ方がマシです」
カカシは黙って首を微かに振る。
「………だから、俺が怖いのは、無意識です」
カカシの表情が強張った。
「俺のあの術は、無意識でも片鱗が発動する可能性がある事は、ご存知でしょう。俺が抱いている強い感情に触発されて、理性が働かない睡眠中に、何をしてしまうかわからない。………俺は、それが怖い」
カカシは、酷く不機嫌そうな声で唸った。
「…無意識下で、オレを殺したいと思う…思ってしまう程の強い感情をアナタに起こさせる理由が………オレの浮気なわけ?」
「浮気と言うか………俺が、浮気の相手と言うか」
「…はあ?」
「あの!」
と、いきなり声を上げたのはバーテンダーだった。
「あの………お客さんのプライベートに嘴を突っ込むのはタブーだし………お、俺がこんな口を挟むのはものすごく失礼なんですが………」
イルカとカカシは、一瞬キョトンとして彼の顔を眺めた。ややあって、イルカが応える。
「………えっと………何でしょうか………?」
「貴方が、この方に煙草をやめさせたっていう彼氏さんですか? …すみません。この間、この方が黒髪のお連れ様とそういう話をなさっていたの、聞いてしまって………」
やめさせた覚えは無いが、忠告した覚えのあるイルカは曖昧に頷いた。
「そうかも…しれませんが」
カカシの方も、違う、とは訂正しなかった。
「煙草って、やめるのは結構大変な事なんです! 俺の父ちゃ…いえ、父が禁煙する時、もうすっごく大変そうでした。やめようと思っても、やめられない人が多いんですよ。でも、この方は、貴方が嫌がることはしたくないって……それだけの理由で、煙草をやめたんです。俺、すごいなって思いました。可愛いなって。…きっと、とてもその人の事が好きなんだろうなって………羨ましくなりましたよ」
バーテンダーは思い切ったように言葉を続けた。
「そんなに彼女に好かれている貴方が、彼女の浮気を疑って婚約を反故にするなんて、あんまりです。いくら、この方が魅力的で、モテるだろうからって。…ちゃんと、浮気の証拠でもあるって言うのですか?」
今度はイルカが「はあ?」と声を上げた。
カカシまでが、「何言ってるの? この人」といった顔をしている。
「………す、すみません。話が半分ほど見えないというか、違うと言うか。………俺はこの人と婚約はしていませんよ。その、彼女を振ったって言う婚約者は俺じゃないんです」
「…貴方じゃ、ない?」
バーテンダーはまじまじとカカシを見た。
彼女に禁煙させた『彼氏』と、彼女を振った『婚約者』が別人だとすると。
バーテンダーとイルカの視線に、カカシは慌てた。
「ち、ちょっと待ってよ。…何、その眼。…っていうか、オレ、そんな話知らないってば。婚約者って何よ。何がどうしてそんな話になんの?」
イルカとバーテンダーは顔を見合わせる。
「………でも、お客さん。…この間、仰ってましたよ?」
「何て?」
「『せんせーの、バカ』って。先生って、この人の事じゃないんですか?」
 

 



 

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