Cocktail−2
(注:カカシさんが女性です。バリバリのくノ一さんです。)
翌日。 紅の予想通り、カカシの『せんせーの大嘘つき』発言は尾ひれのついた噂となって流れていた。 噂は当然、イルカの耳にも入る。 イルカがカカシと付き合っている事を知っている者は、彼と親しいごく少数の人間だったのだが。 そんな彼らが次々と、まるで我が事のように深刻そうな顔つきで、イルカに忠告しに来たからだ。 「お前、カカシ上忍を裏切ったんだって? マズイよ、それは」 はあ? とイルカは眉を訝しげに顰めた。 「何の話だ、そりゃ」 「何って、もー結構な噂になってるぜ? カカシ上忍が、彼氏に裏切られたって話。なんでも、彼氏と結婚の約束をしたのに、それを反故にされて、酒場でヤケ酒飲んで泣いていたらしいぞ」 そう聞かされても、イルカには「何の話だ」としか思えなかった。 反故も何も、まだ求婚すらしていない。 カカシとの間で、結婚の話が出た事は無いのだから。 例の一件で、カカシに『責任とってオレの男になれ』と言われてから、彼女とお付き合いはしている。 イルカにしてみれば、ラッキーなタナボタ。断る理由も無かったからだ。 カカシが『手の届かない高嶺の花』から、信じられないような奇跡で自分とベッドを共にしてくれるような『彼女』になってくれてから、早数ヶ月。 いざ付き合ってみれば、元暗部の雌豹と囁かれている彼女は、そこらの普通の女の子よりも余程純情で、可愛い人だった。 あの容姿で、あのウブさ。 元々、カカシの顔や姿、物言いまでがすべてイルカの好みド真ん中の『タイプ』だったのだが、そういうギャップが余計にイルカのツボを刺激した。 付き合えば付き合うほど、可愛くて愛しくて。 イルカは、どんどん彼女に惹かれていく。 その一方、イルカは心のどこかで彼女に溺れそうな自分を抑制していた。 彼女が『高嶺の花』だった事を忘れてはいけない。 イルカとの付き合いも、もしかしたら一時の気まぐれかもしれないのだから。 イルカが、飛魂術を使える血統だったが故に、彼女はその血の管理と、イルカ本人の監視の意味合いも兼ねて、付き合っているのだという事もあり得る。 寝てくれたからといって、いい気になれるはずがない。 臆病者だと、自分でも思う。 だが、本来の階級差を思えば、臆病になっても当然だ。 とてもではないが、結婚話など出来るはずもなかった。 「………それ、俺の事じゃないよ。…俺、カカシさんとそんな話した事ないし。…たぶん、別の人じゃないかな」 「お…おい、彼女、お前の他にも男がいるのか? お前、それ知ってて………」 いや、とイルカは首を振った。 「カカシさんが複数の男と付き合っているかどうかなんて、俺にはわからない。疑った事も無いしな。………ただ、彼女と結婚の約束をしたのは俺じゃない。…それだけだ」 そう。自分ではない。 だけれども、カカシが『結婚の約束を反故にされた』事までは否定出来ない。 カカシには、自分よりも真剣に付き合っている―――結婚の約束までするような男がいるのかも――― そう思った途端、胸にどす黒い嫌なもやが渦巻いてきて、イルカの気分を悪くしていった。 ―――そして彼は、嫌な夢を見るようになる。 ◆ 「…イルカ先生?」 ハッとイルカは物思いから引き戻された。 カフェのテーブルの向かい側で、カカシが心配そうにイルカを見ている。 「もしかして、疲れている? いいんだよ、無理してオレとデートしなくても」 いいえ、とイルカは笑みを浮かべて見せた。 十日ばかりの任務から戻ったカカシが、『逢いたい』と連絡をしてきた時、イルカは素直に喜んだ。 彼女が無事に帰還したこと、帰還してすぐに自分に逢いたがってくれたことが嬉しかった。 だから、カカシの言う通り少々疲れてはいたが、デートに応じたのだ。 正直に言えば、例の噂が心のどこかに引っ掛かっている。 もしかしたら、彼女には別の男がいるのかもしれないという疑念がつきまとって離れない。 だが、カカシに逢いたい、声が聞きたい、彼女に触れたい、という気持ちの方が勝った。 「失礼致しました。…アカデミーの方で検討中の事案がありましてね。つい、思考がそちらにいってしまいました。せっかく貴方と一緒にいるのに、何をバカなことをしているんでしょうね、俺は。もったいない」 「大丈夫、なの?」 カカシは尚も気遣わしげに、手をイルカの手に重ねた。 「ね………休みの日に寝ていたかったら、そう言って? オレ…オレの為にイルカ先生が身体を壊したりしたら……その方が辛いよ」 細い銀の眉を心配そうに顰めるカカシの言葉に、嘘偽りは無いだろう。 彼女は心からイルカの体調を案じている。 「ありがとうございます。…身体は大丈夫、ですけれども。………もし、俺が寝ていたいと言ったら、添い寝してくださるんですか?」 少しおどけた口調でイルカが訊ねると、カカシはふわっと頬を赤く染めた。 「そ、その方がいいって………イルカ先生が言うなら………オレは構わないよ…?」 可愛い、とイルカは思った。 そして、そう思うそばから、彼女がこんな可愛い顔を見せているのは果たして自分だけになのかと。 そんな風に考えてしまう自分に嫌気が差す。 今まで、こんな―――嫉妬めいた感情にかられた事など無かったのに。 自分の気持ちを打ち消すかのように軽く頭を振り、イルカは彼女の手を握り返した。 「………では、オレの部屋にいらっしゃいませんか?」 カカシはますますはにかむように顔を赤らめ、黙って頷いた。 逢瀬に宿を使うのは、カカシが嫌がる。何処の誰がそういう事に使ったかわからないベッドで、イルカに抱かれるのは嫌だと。 だから、寝たい、と思う時はどちらかの自宅を使った。 イルカがカカシの部屋を訪ねるよりも、カカシがイルカの部屋に来る方が多い。 イルカが過去に、そのベッドで誰か別の彼女を抱いていたかどうかについては、カカシは関心を示さなかった。 それを言ったら、イルカと寝ること自体出来なくなってしまうからだろう。 カカシが紅に言った通り、いつもイルカは彼女を大事に扱い、優しく抱いてくれる。 時には、天女を崇めるがごとく恭しく接し、カカシを恥ずかしがらせた。 だが、それは決してカカシにとって不快ではない。恥ずかしいけれど、嬉しかったのだ。 彼に、愛されていると思えたので。 今日も、イルカはいつもと同じにカカシを気遣い、優しく抱いてくれた。時々、何か言いたそうな眼でカカシを見つめる以外は。 だが、カカシが聞いても、イルカは首を振って答えない。 そしてやはり疲れていたのか、すぐに眠ってしまったイルカの顔を、カカシはじっと見つめる。 デートをしている最中に彼が上の空になる事など、今まで無かった。 (………どうしたんだろ……やっぱり、疲れているのかな) 若いと言っても、疲労しないわけではない。 むしろ、アカデミーでは若さゆえに上の人間達にこき使われて、どうしても疲れは溜まってしまう。 しかも、自分とのデートでは彼は気が休まるどころか、精神的にはかえって疲れるのではなかろうか、とカカシは気づいていた。 だが、気を遣うなと言ったところで、彼の態度は変わったりはしないだろう。そういう男だ。 (オレといたら疲れる? 無理してる? …でも…オレ、イルカ先生と一緒にいたいの。……ごめんね………) カカシは、そっとチャクラを練り、手をイルカの額にかざした。 医療忍者に教えてもらった、癒しの術だ。これで少しは、体力回復の助けになる。 実はカカシは、例の噂を聞いていなかったのだ。 紅と飲みに行った次の日には任務に出てしまい、十日間、里には戻っていなかった。 噂を知っていたら、イルカに逢うなり噂を聞いたかどうか確かめていただろう。そして、彼が聞いていたら――― うう、とイルカが呻いた。 「イルカ先生…?」 何か、嫌な夢でも見ているのだろうか。苦しげに眉根を寄せ、うなされている。 眠らせてあげたいが、このままにしておくのも苦しそうだ。 カカシはそっと、イルカを揺すった。 「先生、イルカ先生。…どうしたの? 起きて、先生」 イルカはガバッと飛び起きた。 蒼褪め、冷や汗すらかいている。 その眼は、薄暗くなった部屋の壁を見つめていた。 「………大丈夫? イルカ先生。うなされていたよ」 イルカはようやく、視線をカカシに向けた。 「………………カカシ………さん」 はあっと大きくイルカは息を吐いた。 「………よ、かった………夢で………」 カカシが、男と仲睦まじく笑っている。 白い裸体が、その見も知らぬ男に絡みつき、彼女は可愛い、蕩けるような笑顔を相手に向けていた。 そんな顔を俺以外の男にも見せるのか。俺以外の、男とも寝るのか。 俺とはただの遊びで、結婚を前提に真剣に付き合っている男が他にいたんだな。 それは、恐ろしいほどの嫉妬心だった。 気がつけば、イルカはカカシの相手の男を殺し、彼女をも手に掛けてしまっている。 ―――イルカを苛む、絶望と、後悔。 そんな夢を、ここ数日、何度も見る。 夢の中とはいえ、カカシを殺めてしまった自分が信じられなかった。 カカシが、タオルで優しくイルカの汗を拭う。 「嫌な夢、見たんだね。…でも、大丈夫だよ。夢は、ただの夢。………アナタはもう、あの術の制御方法も身につけているし。無意識に魂を飛ばしてしまうことも無いから」 イルカはぎょっとした顔でカカシを見た。 そうだ。 飛魂の術の事を失念していた。 前の時はカカシの夢に侵入し、彼女を抱いてしまった。 それは、イルカが強く彼女を求めていたからだ。 恋しい、触れたい、抱きたい。 そのイルカの強い想いが、彼の魂を彼女の夢に運んだ。 その後、きちんと術について調べ、基本的なところから修行をした。 今のイルカは、場所さえ具体的に特定できれば、千里先でも精神体だけを飛ばす事が出来る。制御方法はしっかりと身につけたはずだ。 だが、本当にもう暴走はしないだろうか。 無意識に魂を飛ばし、知らぬうちにカカシに手を掛けるような事は絶対に無いと、言い切れるか? ―――イルカはその可能性に気づいて、愕然とする。 カカシを殺したいなどとは、露ほども思っていないのに。 むしろ、その逆だ。カカシを守りたい。 自分の手で彼女を守れるならば、それこそ命も惜しくないと思う。 だが、理性で制御しきれぬ夢の中で、勝手に嫉妬した挙句に芽生えた殺意が、暴走したら? 「イルカ先生、本当に顔色が悪いね。…気分は? 何か飲む?」 カカシに優しくされればされるほど、イルカの心は軋む。 カカシに、自分の他に男がいるかいないか、確かめたい。 本当にいなければ、それでいい。 もしもいたら―――彼女とは別れる。 自分は、それと知りつつ彼女と付き合えるほど、割り切ったものの考えは出来ない。 嫉妬で、気が狂いそうになるだろう。 だから、彼女とは別れて。 そして、自分勝手な悋気で彼女を殺したりしないように、火影様に頼んで飛魂の術は封印してもらうのだ。 カラカラに干上がった咽喉で、イルカは声を絞り出す。 「………カカシ、さん」 「何? 何が欲しいの?」 いいえ、とイルカは首を振った。 敷布の上で半身を起こし、自分を覗き込んでいたカカシと向かい合う。 「そうじゃなくて。………俺、貴方に確かめたい…事が」 カカシは小首を傾げた。 「なーに?」 「…ご無礼を承知で、お伺いします。お前には関係ないだろう、と思ったらそうお答えになってくださっても構いません」 カカシは黙ってイルカの言葉を待った。 イルカは、思い切って訊ねる。 「………貴方には、俺の他に誰か…付き合っていらっしゃる方が………いるのですか?」 カカシが、びっくりしたように眼を見開いた。 「………え?」 「ですから、俺の他に恋人がいるのか、お伺いしています」 カカシの顔が、すうっと蒼褪めた。 「………………何、ソレ」 カカシは唇を戦慄かせる。 「イルカ先生………オレが、二股かけるような女だと、思っているわけ?」 「いえ、カカシさん、その………」 そうではない。そうではないが、そう疑ったも同然の発言だった。 「………思っているんだ。そう。…そうなの。…どうせ、オレはこんな見掛けだからね。…知ってるよ。みんなが、どんな風にオレのこと言ってんのか。派手に遊んでいるアバズレみたいに思われているんだって。………でも、イルカ先生まで………」 「カカシさん…」 カカシは、キッとイルカを睨みつけた。 「イルカ先生までそんな風に思っていたなんてっ!」 カカシはそう叫ぶと、ベッドから飛び降りた。 椅子に掛けてあった上着をつかみ、部屋から出て行こうとする。 イルカは慌ててカカシの後を追い、腕をつかんで引き止めようとするが、上忍が簡単に捕まるわけがなかった。 「触るな! バカッ!」 パン、とイルカの頬が高い音を立てて鳴る。 「カカシさん!」 それでもめげずに伸ばしたイルカの指先で、彼女の姿はかき消えた。 部屋に一人残されたイルカは、呆然となり―――そして、自分が何をしてしまったのかをようやく悟る。 カカシを、傷つけてしまった。 あんな質問自体が彼女の心を傷つけるのだと、どうして思わなかったのだろう。 彼女が笑って、「何を言っているの。そんな人、アナタ以外にいるワケないでしょ」と言ってくれるとでも思っていたのか。 イルカは唇を噛んだ。 「何て…バカなんだ、俺は」 |
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