Cocktail−1
(注:カカシさんが女性です。バリバリのくノ一さんです。)
「いらっしゃいませー」 店のドアを開けて入って来た二人連れの女性客を見て、バーテンダーは思わず顔を綻ばせた。 黒髪の美女と、銀髪のこれまた極上の美女。 今日はいい日だ、と彼は心の中で呟く。 彼は生粋の里人ではない。木ノ葉には、三ヶ月前に来たのだ。 忍の里の中にあるバーで働くのは勇気が要った。 世話になっている知人の紹介でなければ、おそらく遠慮したはずの就職先。 忍者とは無縁の一般人にとって、隠れ里という存在は得体の知れないものでしかなく、出来ればあまり関わりたくない場所だったからだ。 何故と言われれば、理由はひとつだけ。 忍者が怖い。 それだけだった。 自分達は、忍者には絶対に敵わない。魔法のような忍術を使い、動物を使役し、戦いを生業とする彼ら。 そんな彼らがいてくれるからこそ、火の国は大国として栄えているし自分達は安穏と暮らしていられる、というのはわかっているのだが。 怖いものは怖いのだ。 自分とは種類の違う人間だとしか思えなかった。 だが、しばらく里の中で働くうちに、だんだんとその先入観は薄らいでいった。 彼ら忍者も、人間には違いない。 仕事の帰りに酒場に寄って。飲んで、笑って、憂さを晴らす。 里の外の男達と何の変わりもなかったのだ。 ただ、忍は男性が多い所為か、ここへ来る客も圧倒的に男性が多い。 里の中には、自分と同じように忍者ではない人間もたくさん住んでいるのだと此処へ来てから知ったのだが、やはり比率で言うと男の方が多かった。 今入って来た美女達など、滅多にお目にかかれない客だ。 眼福、というのはこういう事を言うのだろうな、とバーテンダーの心は浮き立つ。 二人はどちらもすらりと背が高く、スタイルも抜群だ。 まるで女優かモデルのように、立ち居振る舞いも美しい。 この二人連れが入ってきた時、店の中は一気に華やいだ。 カウンターに座った彼女達をその内側で間近に眺められるのは、バーテンダーの役得。 彼は、美女達が優雅にグラスを空ける様にうっとりと酔っていた。 自分の手を経たものが彼女達の口に入る、と思っただけで彼の胸は高鳴ってしまう。 オーナーの目を盗んで、皿にちょっぴり多めにおつまみのチーズやハムを載せて、彼女達が美味しい、と喜ぶのを見て彼もまた幸せになった。 客の会話に聞き耳をたてるのは感心したことではないが、カウンターを隔てただけの彼女達の会話は、聞くともなしに彼の耳に入ってくる。 「………で、アンタ最近、彼氏とはどうなのよ」 黒髪の美女が、朱唇に笑みを浮かべて連れを見た。 銀髪の方の美女は、ポッと頬を染めた。 「ど、どうって…? 普通だよ。フツーにおつきあいしています」 何だ、やっぱり男がいるのか、とバーテンダーは落胆した。 これだけの美人に恋人がいないわけがない、ましてや自分を振り返ってくれるはずもない、とわかっていても、何となくガッカリしてしまう。 「まさかね。アンタが年下の男とつきあうとは思わなかったわ。てっきり年上好みだと思ってた。…ねえ、彼氏、いい?」 「どーゆー意味だよ、もー。紅ちゃんのスケベ。……あ、お兄さん、バカルディお願い」 「はい、ただ今」 バーテンダーは気を取り直し、カクテルを作り始める。 黒髪の美女の名前が『紅』だという事もしっかりと聞き取っていた。彼女のイメージに合う名前だ。 「あぁら、誰がえっちのコト訊いたのよ。いい? って言っただけじゃない。…ま、ソッチも興味あるけど〜?」 銀髪の方が目許を染めたまま、フン、とグラスを傾けた。綺麗な色のカクテルが、彼女の唇と咽喉を通り過ぎていく。 「で、どーなの? カカシ」 銀髪美人の名前が、ようやく紅の口から出た。 もう少しバーテンダーが里の事や忍者に詳しければ、それが木ノ葉きっての上忍の名前だとわかったはずだが、彼は少し変わった名前だとしか思わなかった。 彼女にはもっと綺麗な名前がふさわしいのに、と。 カカシはグラスを置いて、トロンとした眼を細めた。 「………いいよォ。…オレのこと、すっごく大事にしてくれるの。優しいし。…年下だけどねえ、包容力あるのよ。………ふふ、若いから体力あるしね〜」 アラご馳走様〜、と紅がチロリと舌を出す。 「まあ、若いってのは結構ポイントかもね。………それに引きかえ、アスマったら最近オッサンくさくて、もう。仕草がイチイチおっさんよ。した後すぐに煙草吸うのもやめて欲しいのに、聞きやしない」 「あのクマはいつでもどこでも吸ってるじゃないよ。ケムリ吸ってないと身体動かないんじゃない? ………迷惑な話だけど」 「…そういや、アンタは最近吸わないのね。…やめたの? 煙草」 うん、とカカシは頷いた。 「彼がねえ、身体に悪いからやめた方がいいって。煙草吸う女は、あまり好きじゃないみたいなんだー………」 紅は目を見開いた。 「………そ、それでスッパリやめたの………?」 「そーだよぉ。………彼が嫌いなことはしたくないもの」 可愛いな、とバーテンダーはこっそり微笑んだ。 つきあっている男に言われただけで、煙草をやめてしまうなんて。 きっと、その男の事がとても好きなのだろう。 彼氏に嫌われるようなことはしたくないなんて、華やかな見かけによらずいじらしい人だ。 「へ〜え、変われば変わるもんだわねーえ。ま、今までずっと特定の男なんて作んないできたアンタが、惚れた相手ですものねー。逃がしたくはないわよねえ」 「ん〜………なのかな〜………」 カカシの白い頬が桜色に色づいている。 唇からは、ため息のような熱い吐息をもらし、瞳もかなり潤んでいた。 この時点で、紅は気づくべきだったのだ。 カカシが、既にかなり酔っていることに。 口当たりのいい酒は、後で酔いが回ってくる。 紅とカカシの飲んだ量はさほど変わらなかったが、ザルを通り越してワクだと言われる紅に対し、カカシは彼女ほどアルコールに強くない。 「じゃあさ、彼が仕事は辞めて嫁に来てくれって言ったらどうするの?」 「………………ヨメ…………?」 紅の問い掛けに、深い意味は無かった。 ただ、会話の流れで何となく訊いてみただけだったのだ。 だが。 「ヨメ…ヨメ…」と口の中で呟いていたカカシは、いきなりガン、とカウンターにグラスを叩きつけたのである。 バーテンダーと紅は思わずビクッと身を竦ませる。 店の中にいた客達も、その音に驚いて何事かとカウンターを振り返った。 ううう、とカカシは唸る。 「………せんせーの、バカ………」 「…………え? ちょっと、カカシ………?」 紅は慌てた。 まさか、結婚問題でカカシとあの男の間に何かあったのだろうか。 だとしたら、まずい。 酒の上の他愛のないヨタ話ではなくなってしまう。 非常にデリケートな問題だ。 こんな、他人の耳目のある場所で話す話題ではない。 「あの…私、悪いこと訊いた…? ゴメンね、あの………」 おろおろと紅はカカシを宥めようとして―――そして、その時やっと、彼女がすっかり酔っ払っていることに気づいた。 これはますますまずい、と紅が危機感を抱いた時はもう遅かった。 カカシはワッとカウンターに突っ伏し、そして―――爆弾を落としたのである。 「せんせーの、大嘘つきーっ! オレをお嫁さんにしてくれるって言ったのにーっ!」 うわ、と紅は手で顔を覆う。 店内には、何人もの同業者がいた。きっと、カカシの顔を知っている者も少なからずいるだろう。 これは明日、噂になってしまうに違いない。 紅は、カウンターの中にいるバーテンダーに鋭い視線を向けた。 「ちょっと」 「…は、はい何でしょうか」 「今の話、聞いてた? 聞いたわよね」 聞いたも何も、あれだけの大きな声が聞こえないわけはない。 「は…はあ………」 「…わかってるとは思うけど、誰かに何か訊かれても余計な事をしゃべるんじゃないわよ。……一番近くで聞いてたアンタに、詳しい話を聞きたがって来るヤツがいるかもしれないからね」 自分がしゃべらなくとも、店内にいた客は聞いているのだが。 しかし、バーテンダーはそう言い返す事も出来ず、ただコクコクと頷いた。 「…まったく。迂闊だったわ。こんなに酔うまで飲ませるんじゃなかった。…って、ちょっと、アンタそれ以上飲んじゃダメ!」 紅は、カカシが飲もうとしていたグラスを横から取り上げる。 「アン、大丈夫よお、紅ちゃーん………オレ、酔ってないから〜………」 酔っ払いは総じて自分は酔ってない、と主張するものである。 「ハイハイ、わかったから。飲むなら水にしてちょうだい」 「んー、水? わかったぁ〜〜…おにーさーん、水割りちょーだい〜」 「コラッ! 水割りじゃなくて、水よ、水! ああ、アンタも律儀に水割り作らなくていいから! このコの言う事聞かないで!」 彼女は慌ててバーテンダーに手を振って、水割りを作ろうとしていた彼を止めた。 「…よろしいんですか? お客さん」 「よっくなーい! ねえ、作って。…水割り」 うふ、とカカシが妖艶に微笑みかけると、バーテンダーの顔はしまりなく緩む。 「ねえったらぁ………お兄さん」 「あ、はい、ただいま!」 イソイソとカカシの注文に応じようとしたバーテンダーの鼻先を何かが掠める。 「だーから、この酔っ払いの言うことは聞くなって言ってんのよ、タコ!」 ボトルが並んでいる棚の桟に、クナイが突き立っているのに気づいたバーテンダーの顔から、一気に血の気が引いた。 彼女達が私服だった為に、気づかなかったのだ。 (も、もしかして………にににっ………忍者? …………くノ一か〜っ?) 「も、申し訳、ゴザイません…っ…お、お水、ですね?」 「…そうよ。そう言っているでしょう」 ああん、とカカシが紅の肩にしな垂れかかる。 「紅ちゃんの意地悪〜ぅ」 「誰が意地悪よ! アンタの為を思って言ってるの! ちょっと、水、早く寄越しなさい!」 「ハイッ!」 急いでグラスに冷たい水を注ぎながら、バーテンダーは内心冷や汗と涙を流していた。 ああ、やはり忍者はおっかない。 というか、隠れ里はやはり怖いところだ。 こんな美女達までが、忍者だなんて。 ―――もう、郷里に帰ろうかと思うバーテンダーだった。 |
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『Nightmare =ナイトメア
=』の続編。 妙な特技(?)を持っている中忍イルカ先生と、元暗部の雌豹と名高いくノ一(笑)・写輪眼のカカシさんのその後。 同人誌『Nightmare』(08/05/04発行)に書き下ろしたものです。 |