旅は道連れ世は情け

〜日光観光編〜

 

「へええ。で、カカシ君達は紅さんの婚約の立会人になったわけ」
「立会人って言うんですかねえ。………なんか成り行きで、他人様のプロポーズを見守るハメになっちゃいました」
日光のホテルに帰りついた時は、もう夜の十一時過ぎだった。
途中、少し遅くなると教授の携帯にメールは入れておいたんだけど。何故遅くなるかは詳しく書けなかったので、サクモさん達を心配させてしまったらしい。
ホテルに帰り着いて教授達の部屋のドアをノックし、頼まれていた買い物を渡してオヤスミナサイを言おうとしたら、何かあったのかと訊かれ、仕方なくオレ達は事の顛末を話したのだった。
紅姉ちゃんの妊娠の件については、軽々しく触れまわることじゃないからボカして、彼女達が相手の言葉を誤解してケンカしたのだ、とだけ説明した。
サクモさんは、赤の他人のことなのにホッとしたように微笑んだ。
「……でも、誤解が解けて良かったですね」
「サクモさん、紅さんの元気が無いように見えたけど、何か悩み事でもあるんじゃないかって、心配なさっていましたものね」
「ミナトだって、心配していたでしょう? 女性が発作的に一人で遠い土地に来るなんて、何か思いつめているんじゃないかって」
あ………さすが。わかってたんだ、二人とも。姉ちゃんの様子で、彼女が普通の状態じゃなかったんだって。
「彼女は明るく振舞っていましたが、時々フッと眼が虚空を彷徨うような表情を見せていましたので。…ドクター猿飛が、逃げた恋人をここまで追いかけてくるような行動的な人で良かっ………」
と、教授はハッと口に手をやって、恐る恐るサクモさんを見た。
その教授の恐々とした視線に、サクモさんは苦笑する。
「………気にすることないですよ、ミナト」
「い、いえっ! すみません! 僕は決して、貴方に行動力が無いなんて思ってません! …貴方は、チドリさんを追いかけたくても追いかけようがなかったんですから!」
「いや、ですから。…私は気にしていませんから、貴方も気にしないでください」
それからの二人のやり取りは、何故か早口のドイツ語になってしまってオレには殆どわからんかった………(涙)
教授ったら。四人でいる時の会話は英語、のルールはどうした、こら。
そこでオレは、預かり物があることを思い出す。
「あ、先生。忘れるところでした。…タクシーの運転手さんが、これじゃ貰い過ぎだから、お金返しておいてくださいって。預かってきました。…端数のお釣りは、ありがたく頂きますって」
教授は眼を丸くしてこちらを振り返った。
「え? …チップ、返してきたの…? 貰い過ぎだって?」
「そういう性格の方だったようです」
ハイ、とオレは万札を二枚ポケットから出す。
教授はナニやら感慨深げにしげしげと万札を眺めた。
「そうかぁ。…ん、わかった。そういう真面目な人もいるんだね。その運転手さんも真面目だけど、カカシ君も真面目だねえ。………じゃあ、これは君達のお小遣いにしなさい。二枚あるから、ちょうどいい」
と、出したお札がやんわりと押し戻される。
「ちょ………っ…先生、そんな………」
「遠慮は無しね。ちょっとしたご褒美だと思っておきなさい。……二人とも、ご苦労様だったね」
ここで『そんなの要りませんよ』って言ったら、教授に気まずい思いをさせるんだろうなあ。
―――と、そこにひょいっと二枚、お札が追加される。
「そういう事なら、私からもご褒美です。…彼女を、放っておかなかった君達の優しさへの」
うああ、お、お父さん………っ……… そうか。教授がオレ達にお小遣いを渡すのを、貴方が黙って見ているわけがなかった………のデスね。
これはますます断れなくなってしまった。
ここは、素直に喜んで頂戴しよう! するしかない。
オレはペコンと頭を下げて、お札を押し頂いた。
「………すみません。…では、ありがたく頂戴します。…イルカも、はい」
オレに万札を渡されたイルカは、戸惑ったようにソレを受け取る。
「え………いいんでしょうか、俺まで。……ありがとうございます」
保護者どもは、にこにこしている。………ま、いっか。
そのうちにまとめて返せば、な。
今度こそオヤスミナサイ、を言って、オレ達は向かいの部屋に引きあげた。
はあ、とイルカがため息をつく。
「………ま、確かにちょいと疲れたな。…悪いなカカシ。つきあって貰って」
「え? だって、紅姉ちゃんのことはオレも心配だったもん。別にお前が悪いなんて思わなくていいんだよ」
「…ん、まあでも………やっぱ、俺の身内の事だし………」
オレはパン、とイルカの肩を叩いた。
「何言ってんだよ。姉ちゃんには昔っから可愛がってもらってるし、猿飛先生にはオレも世話になったしさ。…あの二人、お似合いじゃない。上手くいって欲しいなって、オレずっと思ってた。…良かったな、イルカ。姉ちゃんきっと、幸せになるよ」
うん、とイルカは頷いた。
「うん…そうだな」
お互い、可愛がってもらったことよりも、こき使われた記憶の方が多かったとしてもだ。
オレ達は、あの気っ風のいい姐御の笑顔を愛している。彼女の涙は見たくないんだ。
「………それよりも、これだよ」
と、イルカはさっき貰ったお小遣いをヒラヒラと振る。
「お前はな。教授に貰うのはボーナスと考えてもいいし、サクモさんに貰うのは親孝行のうちだけど、俺はなあ……」
オレは慌てて首を振る。
「いや、オレだってこれは何だか妙だと思っているよ? …でも、あの二人が一度出したお金を引っ込めると思う? 変だと思っても、ここは諦めて受け取っておくしかないよ」
イルカは深々とため息をついた。
「………そうか。だぁよなー……… 小遣いをもらって、文句言うなんて、罰当たりだしな」
オレはポンと手を打った。
「お前は、返す方法あるよ。…帰ったら、ここで食ったのを参考にして、美味いカレー作って教授達にご馳走するんだよ」
イルカさん、唸りながら腕組み。
「うーん………そうだな。実際、それぐらいしか俺には出来そうもないかもな………」
オレは苦笑するしかなかった。
教授もサクモさんも、まさかオレ達が小遣いもらったことでかえって困惑しているなんて、思ってもいないだろうなぁ。
「とにかくさ、もう寝ようぜ。…疲れたわ」
交替でシャワーを浴びて、スプリングの効いたベッドに寝っ転がって、おやすみの軽いキスだけをする。
………ドア二枚と廊下を隔ててるとは言え、十メートル以内に親がいるかもとか思ったら、これ以上のことは出来ない。
尤も、今夜はもうバテバテでナニをする気にもなれないけどね。


:::


朝食は、イングリッシュ・ブレックファストと呼ぶには料理の量も種類もちょいと少なめに思えるものだった。
ジュースに卵料理(調理方法は選べる)、ベーコン、ハム、ソーセージからの三択、温野菜、パン(+バターとジャム)、それにコーヒーか紅茶が選べるようになっている。
ホテルの朝メシが高いのは仕方ないが、これで二千円以上って…オレの感覚じゃボッタクリだな。
バイキング形式で、好きなだけ取ってこられるって言うなら話は別だが。
シリアルもチーズもヨーグルトも果物もねーよ、ここ。……ちょっと、寂しい。
いや、家でも朝からそんなに食うわけじゃないけどさ。
ホテルで二千円以上払う朝メシなら、それくらい期待してもいいのではないかと思うわけだ。庶民としては。
六千円前後で泊まれるビジネスホテルでも、朝ごはんが無料で食えるご時勢なのに。
実際、オレが以前泊まったとこでも、味噌汁とおにぎりとコーヒーとパンと、ソーセージとポテトサラダが全部お代わり自由の食い放題だったもん。あれは結構美味かったし、ありがたかった。
教授、こんなんで足りるのかな。
と、教授を見ると、彼は窓の外を見ていた。
「………雨だ」
え? こんなに明るいのに? と、外を見ると本当に細かい雨が降っていた。
お天気雨だ。これならすぐ止むだろう。
ポットからお代わりの紅茶を注ぎ、教授は呟いた。
「こういう天気、日本じゃ『狐の嫁入り』って言うのだったよね」
「あ、そうです。やっぱりよくご存知ですね、教授」
情報の出所はおそらく自来也先生だろう。
自来也先生はこの人に、猫を殺したら七代祟る、とか迷信としか思えないことまで色々と吹き込んだらしいから。
「キツネノ………?」
教授は『狐の嫁入り』の部分を日本語で言ったので、サクモさんには意味不明な単語に聞こえたのだろう。
どう説明しよう、と思っていたら、教授が説明してくれた。
「『狐の嫁入り』は、日本の俗信です。天気がいいのに雨が降っている気象状態を指します。日本では昔から、狐は人間を化かす、と言われているらしいんです。不思議な存在ってことですね。その狐が結婚式をする時、天気雨になると言われているようです」
なるほど、とサクモさんは頷いた。
「晴れの日に雨が降るのは、奇妙な感じですものね」
イルカが顔を上げた。
「狐といえば、日光駅の近くに稲荷町ってところがあるみたいですよ。大きなお稲荷さんがあるのかもしれませんね」
さっさとメシを食い終わっていたイルカは、さっきからガイドブックの地図を見ていたのだ。イルカは、『お稲荷さん』について説明した。
「日本には色々な神様がいるんですけど。お稲荷さん、というのは稲荷神という神様を祀っている神社のことです。稲荷神は豊穣の神様なので、日本各地にたくさん稲荷神社があります。それこそ、大小数え切れないほど。……で、狐は稲荷神のお使いと言われています。狐の像がある神社は、稲荷神社ですよ」
サクモさんは胸ポケットから小さな手帳を取り出して何やら書き付けた。
「オイナリサンは豊穣の神で、その神様のお使いが狐。…で、合ってますか?」
そうです、と教授は微笑んだ。
「勉強熱心ですね、サクモさん」
「あ………いえ。書いておかないと、忘れそうなので。聞き慣れない言葉ですから……」
教授はオレ達の方に確認するような視線を寄越した。
「ねえ。…確か、日本じゃ狐の好物は油揚げなんだよね」
「あー……はい、そう言いますね。だから、油揚げの入っているうどんを、きつねうどんって言うんですから」
本当に狐が油揚げ好きなのかは、謎だけど。
サクモさんのペンが止まった。
「アブラアゲとは、何ですか?」
サクモさんはオレを見てそう訊いた…ってことは、オレが答えなきゃいけないんだよな。
「えっと、豆腐を油でフライにしたもの………です」
「………トーフの原材料は確か、豆…でしたね。では、アブラアゲも豆なんですか」
「そうなりますね」
サクモさんは感心したように呟いた。
「……また、豆。…本当に日本の人は、豆を加工するのが好きなのですね………」
そっか。今まで見慣れぬ食べ物の説明を聞くと、大抵が豆の加工品だったもんなー………
イルカはパタ、と本を閉じる。
「そうですね。…じゃあ、今日のお昼か夕食は、湯葉料理を出してくれるところに行ってみましょうか」
「そうそう、昨日、オレ達でちょっと下見に行ったんですけど、東照宮の周辺って、結構歩くんですよ。日程にゆとりがあるなら、急いで今日見に行かなくてもいいかなって話していたんです」
教授が首を傾げる。
「じゃあ、今日はどうするつもりだい?」
イルカが再びガイドブックを開いて見せた。
「ここから歩いて十五分程度のところに、今の天皇陛下の祖父にあたる大正天皇がお使いになっていたお屋敷があって、今は文化遺産として見学が出来るらしいんです。静かそうだし、そういう所を見てみるのもいいかも、と思ったのですけど、どうでしょう」
じゃあ今日はそこに行ってみよう、ということになり。
雨の上がった川沿いの道を、みんなで散歩がてら歩いて行った。
御用邸は、綺麗に保存されていた。思っていたよりも、広い。まるで時が止まったように穏やかな空間だ。
長い廊下と、見通しのいい部屋。凝った装飾を施した建具。何だか、時代劇の世界みたいだ。
一応順路があり、それに従って見学していく。
と、何するトコロかよくわからない部屋が。
説明を読むと、風呂場だった。
「………ここが、風呂場? 湯船が無いけど」
思わず日本語で言ってしまったオレに、御用邸内のあちらこちらにいるおじさん(きっと、邸内の見張り係り兼ガイドといった役割なんだと思う)が答えてくれた。
「天皇陛下の湯浴みは、湯着のままお湯をかぶるだけのものだったのです。そこに椅子を置いて、近習の方がお湯をお掛けしたのでしょう。床に細い溝があるでしょう? そこが排水溝です」
「………背中、流してさしあげたりとかは、しなかったんでしょうか」
「陛下の玉体には畏れ多くて触れられない、とされていましたから」
……ギョクタイって、天皇陛下の身体の事か。
うわあ、何だかお気の毒。そういうもんだ、と慣れれば何とも無いのだろうか。
オレだったら、たっぷりの湯に浸かる心地よさとか、ゴシゴシと身体を洗う快感が風呂で味わえないなんて嫌だけどな。
イルカも同じ様に思ったらしい。
「俺だったら耐えられん…」と、ボソッと呟いた。
…うん。こいつ、風呂スキーだもんな。
今泊まっているホテルに大浴場が無い事を、残念に思っているに違いない。日光鬼怒川といえば温泉なのに、と。……ま、ここはスポンサーのご意向に従うしかないけどね。
サクモさんは、古風な日本建築を興味深そうに熱心に見ている。
ここを見学場所に選んで良かった。
オレ達以外にも見学者はいたが、チラホラといる程度だし、屋内だから紫外線も雨も当たらないし、涼しい。
とてもリラックス出来る施設だ。

御用邸の中と庭をゆっくりと見学して回ると、結構時間が掛かった。
時計を見ると、既にお昼を過ぎている。
近くに蕎麦の美味しい店があると聞き、ランチはそこで取る事になった。
「あ、でも…父さん、日本蕎麦、食べた事ありましたっけ…?」
「ありません。…でも、旅先では初めての料理に挑戦するのも楽しみの一つですから。試してみてダメだったら、ミナトがいますし」
………は? とオレが訝ると、教授がハハハ、と笑った。
「僕は色んな国で色んなモノ食べているからね〜。大抵のものは食べられるんだよ。だから、僕と一緒にいる時は安心して初めての食べ物に挑戦してくださいって言ったの。一口食べてダメだったら、残りは僕が引き受けますって」
あー………浅草で、ぬれおかきの串を黙って教授にパスしたのって、それだったのか。
でも、『旅先だから』ってだけじゃないんだろうな、たぶん。サクモさんは、早く日本の食べ物に慣れようとして、頑張っているんだと思う。
そんなに頑張らなくてもいいのに。
日本は雑食な国だもの。
元々が色んな神様がいるのが当たり前、の国の所為か、食べ物文化も色んな国のものを受け入れて(日本流にカスタマイズしちゃってはいるけど)いるから、ドイツやオーストリアの料理だって食べたい時にに食べられるんだから。
無理はしないで下さいね、と言ったら、サクモさんは黙って柔らかく微笑んだ。

 

 



 

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