旅は道連れ世は情け

〜日光観光編〜

10

 

結果、サクモさんは案外蕎麦が気に入ったようで安心した。蕎麦屋で蕎麦が食えなかったら、他に食うものないからな。(うどんもあるみたいだったけど)
蕎麦の値段も割と良心的で、ソフトドリンクも観光地にしてはとても安かった。
ホテルのメシが高いので、余計リーズナブルに感じる。
ああ、時間に追われずに、ゆっくりぶらぶら出来るのって、いいな。団体旅行なんかだと、どうしても時間が決められていて行動が分刻みになりがちなんだが。
蕎麦屋を出てからホテルへ戻りしな、いかにも観光地っつー感じのでかい土産物屋を見てみたり。自分達のペースで好きに動けるのが個人旅行のいい所だ。
「午後、どうします?」
と訊くと、教授は「そうだねえ」と顎を撫でた。
「せっかくこういう土地にいるんだから、温泉に入りに行くとか?」
眼を輝かせたのはイルカだ。
「それ、いいですね! ここらにも、立ち寄り湯が出来る所があるはずですし」
うんうん、お前は食いつくと思ったよ。
教授は首を半分曲げて、サクモさんを振り返った。
「サクモさんは、どうです? 大きい風呂に、知らない人達と一緒に入浴する事に抵抗はありませんか?」
サクモさんは小さく首を振る。
「…いや、あの…私は、水着は持ってきませんでしたから………」
あ、そっか。…ヨーロッパって、温泉に入る時は、プールみたいに水着を着るのが主流だったっけか?
「父さん、日本の温泉は水着では入らないんですよ。……その、素裸で入るんです。お風呂ですから」
 それを聞いたサクモさんは、明らかに怯んだ顔をした。
「そ………そうなんですか。見ず知らずの方達と、一緒に入浴………ですか。う……ん、そうですね………すみません、私は遠慮しておきます。ホテルでテレビでも見ていますから、皆さんは温泉を楽しんできてください」
………やっぱり? 日本のものにはなるべく挑戦するつもりなんだろうけど、無理なものもあるよね。
日本人でも、他人と一緒の風呂なんて絶対にイヤだって人もいるって聞いた事あるもん。
教授も、無理にはすすめなかった。
「わかりました。…カカシ君は?」
何となく、サクモさんを一人にするのは嫌だな、とオレは思った。
「オレも今日は温泉、いいです」
「ん。…じゃあ、僕とイルカ君は温泉入りに行くね。夕飯の時間までに戻るから、カカシ君は夕食何処で食べるか考えておいて」
「はーい」
教授とイルカはガイドブックを見て、立ち寄り湯が出来る旅館を見つけると、「じゃあ、後で」とさっさと行ってしまった。タオルなんかは向こうでレンタルしてくれるから、手ぶらでOKなんですと。
その二人の背中を見送り、サクモさんは気遣わしげな眼をする。
「………良かったんですか? 彼らと一緒に行かなくて」
「ええ。オレはイルカほど温泉好きってわけじゃないですから」
オレはサクモさんを安心させようと、ニッコリ微笑んで見せた。
「それに、父さんとゆっくり話もしたかったし。…ホテルでお茶にしませんか?」
「あ、はい。………ああ、そういえば昨夜、ホテルのロビーで紅茶のセルフサービスがあったんですよ。君達が紅さんを送って行った後に」
「へえ。そういう事もするんですね、あのホテル」
何か、朝飯があんな感じだったから(まだ言うか、オレ)そういう無料サービス的なもんには期待してなかったんだけど、少しはやるんだ。
「お茶だけだったんですか? お菓子とかは?」
「ハハ、お茶だけですよ。でも、ミナトがポケットからビスケットを出してくれたんです。非常食だとか言って。…本当に面白い人ですね、彼」
「………そ、そうですね」
彼の行動と性格は、ユニークという一言で片付けられない気もするけど………確かに教授は『面白い人』だ。
「日本の事もよく知っていて。ホテルの部屋にキモノ、置いてあったでしょう。あれはユカタ、と言うのだそうですね。あれの着方とか、教えてもらいました」
そういやあ、前に一緒に泊まった九州のホテルは浴衣じゃなくて、なんかストンとした手術着? みたいな寝巻きしか置いてなかったんだっけ。
「もしかして、浴衣で寝たんですか? 父さん」
オレは浴衣で寝るのは苦手だから、使わなかったけど。あれ着て寝ると、朝には大方脱げちゃってるんだよね。
サクモさんはちょっと恥ずかしそうに笑った。
「ええ。せっかくだから試してみました。…でも、あれは寝ているうちに裾が絡まってしまいますね。ナイトウェアとしては、その…私にはちょっと使いにくいかな、と。…お風呂の後にバスローブとして着ている分には、いいものだと思います」
「そういう使い方でいいと思いますよ。浴衣で寝るかどうかは、その人次第です。……日本の旅館は、宿泊客に浴衣を貸してくれるのが普通だから、ああいう洋風のホテルでも浴衣なんでしょうね。………そうだ。今度旅行の機会があったら、オーソドックスな温泉旅館に泊まってみましょうか。畳の上に、フトン敷いて寝るような。今回のホテルとは、だいぶ趣きが違うと思いますよ」
そういうのも、教授は好きそうだよな。何でも面白がる御仁だから。
「タタミにフトン、ですか。…日本の資料映像で見た事があります。ぜひ、体験してみたいですね」
「でね、温泉旅館といえばピンポンなんですよー。旅館の遊戯室で浴衣着たまま、ピンポンで遊ぶんです」
 サクモさんは首を傾げた。
「………ピンポン?」
「卓球のことですよ。いつから温泉旅館には卓球、になったのかは知りませんけど」
クアハウスなんかじゃ、卓球じゃなくてエアホッケーだったり、ただのゲーセンしかない所も多いみたいだけどね。
「卓球は結構全身を使う運動ですから、いいレクリエーションになるのかもしれませんね。……そういえばホテル、卓球台は無かったですが、ビリヤード台ならありましたよ」
「え? ビリヤード台? 飾りじゃなくて、使えるヤツですか?」
「ええ。…カカシはビリヤードやりますか?」
「いいえ、やった事ないです。…父さんは? そういうの、やるんですか?」
サクモさんは「ええ」と頷いた。
「学生時代は、友人とよく遊びました。今でも、たまにやります」
サクモさんの、学生時代。うわあ、そういう話、初めて聞いた!
「オレ、ちょっとやってみたいです。父さん、教えてくれませんか? ビリヤード」
サクモさんは、すっごく嬉しそうに「喜んで」と頷いてくれた。





「まずは、キューの握り方ですね。グリップのこの辺りを親指と中指で握って…そう、他の指は添える感じで。力を入れ過ぎてはいけませんよ。………そう、いい感じです。それから、もう片方の手でキューを支えるブリッジを作ります。基本的には、こんな形です」
と、サクモさんはテーブルに手を置いてやって見せた。
ああいうポーズをすると指が長いのが際立って見えるな。
「えっと…こう、かな?」
見よう見真似で、キューを構えてみる。
「ブリッジが安定していないと、ストロークの時にぶれます。………そう、いいですよ、綺麗な形です。そのまま、左足を少し前に。右足を引いて斜めに開いて。身体は曲げないで、そのまま上半身を倒す。はい、顎を上げて。………ブリッジを固定したまま、キューを前後に動かしてみてください」
オレは素直に言われた通りキューを前後に動かしてみた。
「肩に力が入り過ぎています。もっと、柔らかく。…ブリッジで、キューを押さえつけないように気をつけて。……ストロークは、キューの軌道を確認する作業です。何度か、ストロークの練習をしてみてください。自分の思うようにキューを動かせるように」
「はい」
………やってみると、結構難しいな………これ。
「基本的には、この白い手球を撞いて、番号のついているボールを弾いてポケットに落としていくだけのゲームですから。ナインボールの場合、なるべく番号の小さい順に落としていって、9番を先に落とした方が勝ちです。途中でミスやファウルをしたら相手の人と交代です」
「ミスって?」
「球を撞いても何も落とせなかったり、手球をポケットに落としてしまったりした時です。ファウルは色々ありますけど、それはやっていくうちに教えてあげます」
「………ん? ミスしたら交代って………もし、先に撞き始めた方がミスしなかったらどうなるんですか?」
サクモさんは苦笑した。
「ずーっと交代なしですね。運が良ければ、対戦相手に一度も手球を撞くチャンスを与えることなく、勝てます」
……うわあ。そんなんもアリなんだ。すげえゲームだな。
「とにかく、やってみましょうか。…力加減とか、角度の計算とかは、初めは考えなくてもいいです。とにかく、手球を撞くことに慣れましょう」
「えーっと、父さん、まずお手本見せてくれませんか?」
「わかりました。実際に見た方がわかりやすいですね」
サクモさんはボールをセットした。
「ゲーム開始のショットを、ブレイクショットといいます」
スッと、構える。
おー、やっぱサマになってるねー。カッコイイや。
ブレイクショットでボールが弾け、てんでにテーブルの上を滑っていく。と、滑って行ったボールが二つ、立て続けにポケットに吸い込まれる。
サクモさんは黙ってキューを構え直し、コンッと白い手球を撞く。
へええ、面白い。何でそんなボール狙うの? と思ったのに、ボールはテーブルのフチで跳ね返り、他のボールに当たってソイツをポケットに落とす。
次のショットでは一度に二つのボールがイン。
これでもう、テーブルには四つの色球しか残っていない。
それもサクモさんは簡単そうにやっつけてしまった。………コレって、ノーミス?
さっき言ってた、相手に一度もショットのチャンスをやらないで勝っちゃうっていうのを今やったの?
………すっげー。
オレは思わずパチパチと拍手をした。
「うわあ、父さん、上手なんですねー!」
サクモさんはフ、と息をついてから照れたように微笑む。
「ありがとう。…久し振りなので、自信は無かったんですけど。……ここのキューが結構私に合っていたみたいで、上手くいきました」
「そんなに上手いんだったら、プロになれたんじゃ………」
いいえ、とサクモさんは首を振った。
「今ミスショットが無かったのは、単に運が良かっただけですよ。それに、試合はやはり別物で……精神力の勝負になりますから、厳しいです。…私は、ビリヤードは遊びとして楽しむのがいいです」
ふうん、そっかー。ハスラーってカッコイイし何だかもったいないけど、サクモさんはキューよりもタクトを振る方がいいんだな。
それからオレは、サクモさんの指導の下、人生初のビリヤードに挑戦した。
最初は真っ直ぐ撞くのも難しかった(ストロークがヘタで、ボールがバウンドしちゃったりね)が、やっているうちにだんだんコツがわかってくる。
三回に一回くらいはポケットにボールを落とせるようになると欲が出てきて、どうやれば効率的に落とせるのか、イッちょ前に計算してみたり。
うーん、ビリヤードって結構面白いじゃないか。何か、ハマリそう。
「カカシは、飲み込みが早いですね。…きっと、すぐに上手くなりますよ」
「父さんの教え方が上手いんですよ」
………そうか。考えてみれば、これって、父さんに遊んでもらってるんだ、オレ。………生まれて初めて。
もっと小さな時に逢えていたら、色々と遊んでもらえたのにな、と思っていたけど。大人になってからだってこうして一緒に遊べるし、オレの知らない事を教えてもらえるんだ。そう思ったら、何だか凄く嬉しかった。
キューを構え、黄色のボールを狙ってショット!―――したんだけど………外した。違う球に当たって連鎖反応でボールがヨロヨロと転がり変な場所で固まって、どうしたらいいのかわからない状態になってしまう。
今この状態を作ったのはオレだけど、実際に誰かとゲームしたらこういう酷い配置で自分の撞く番になることもある……わけだよな?
困ったオレは、サクモさんに助けを求めた。
「………父さん、こんな時はどうすればいいんでしょう」
「そうですね。…上手くやれば邪魔なボールを飛び越す事も出来ますが。手球が微妙な位置にいるので、あの隙間を狙ってクッションに当てて、それをもう一度右の壁に当てて軌道を変え、あの緑の球を弾けば、それが赤に当たって左のコーナーに落とせるかと思います」
カンタンそーに言うけど、今のオレにはそんな芸当、不可能に近い。先ず、あの隙間を狙って手球を壁に当てるのが至難の業っぽい。
「………無理です。初心者にそんな器用なショット、出来ません」
サクモさんは笑った。
「自分の手に負えない、と判断したら形だけ撞いて、難しい配置を相手に回してしまうという作戦もありますよ」
そう言いながら、彼はキューを構えた。
幾度かストロークをして、角度を微調整。
さら、と髪が一房、肩から前へすべり落ちる。
オレは息を止めて見入った。
鋭い撞き。
白い手球が、それ自身が意思を持っているかのようにカラーボールの横を滑りぬけ、彼の言った通りの手順で跳ね返り、赤と緑のボールを両方ともポケットに沈めた。
―――と、きゃあっと女の子の歓声。
驚いて振り向くと、高校生くらいの女の子達が慌てて口を手で押さえている所だった。
………いつの間にやら、ちらほらギャラリーが。………何、このコ達。…泊り客にしては、ちょいとこのホテルの客層と違う感じがするけど。ケーキでも食いに来たのか?
彼女らは、こちらを慮ってか声を落としてヒソヒソと話している。
「すっごぉい、…カッコイー」
「やっぱ外人さんがやるとサマになってるねー」
たぶん、オレ等を日本語のわからない外人だと思ってるな? ま、こっちもずっと英語で話していたからな。
「よく似てるね〜、兄弟かな? 弟、ステキ」
「え〜? あたし髪の長いお兄さんの方がいいな〜。優しそうだよー」
「弟もいいってば。すっげスタイルいいじゃん。お尻、カッコイイよ」
………いかん。噴き出しそうだ。ここは、日本語わかんないフリを貫こう。
サクモさんも、少しは彼女達の会話を理解しているだろうに、知らん振りをしている。
「カカシ、後ひとつです。やれますか?」
「ん………と、たぶん。こっち側から、球の右側に当てれば左のコーナーに入りますよね?」
「ええ。その通りです」
オレは慎重にキューを構え、残り一つになったカラーボールを何とか落とした。
「良く出来ました。…初めてとは思えないくらい、上手ですよ」
「やー………やっぱり、難しいです」
サクモさんは、チラッと女の子達を見た。
「一つしかない台を独占してはいけませんね。…もう、お終いにしましょう」
………いや、おとーさん。あのコ達はビリヤードしに来たんじゃないと………思いますけど。ま、いいや。
「そうですね。面白かったです。あの…明日もまた教えてもらえますか?」
サクモさんは、ええ、と頷いた。
「また、やりましょう。………では、お茶を飲みに行きましょうか」


 

 



 

NEXT

BACK