旅は道連れ世は情け

〜日光観光編〜

 

そこでようやく猿飛先生はオレとイルカの存在に気づき、気まずそうな顔になる。
「………いたのか」
イルカさんが唇を引き結んで険悪そーなツラをしてたので、仕方なくオレが口を開いた。
「お久し振りです、猿飛先生。…姉ちゃんとは昼間、東照宮の近くで偶然出会ったんですよ。せっかくだからって一緒に夕飯食って、ここまで送ってきたんです」
「………そうだったのか………」
チラッとイルカさんを見ると、相変わらずムッとしたままだ。しゃあねえなあ、オレが訊くしかないのか。
「あの、先生。………今のはな…」
話は本当ですか、と最後まで言い終わらないうちに、オレは背後にいた姉ちゃんの絞め技をくらっていた。
「……お黙り、カカシ!」
ギ……ッ…ギブギブッ! 苦しい、姉ちゃん!
ジタバタしているオレを、イルカが助けてくれた。
「やめろって、姉ちゃん。………今更俺達の耳を塞ごうとしたって、遅いよ。聞いちまったんだから」
イルカは、冷静な眼で猿飛先生を見た。
「………先生。ここまで紅姉ちゃんを追いかけてきたって事は、何か彼女に言いたい事があるのでしょう? 恋人同士のケンカに口を挟むのもヤボな話ですけど。…さっき先生は、聞き捨てならないことを仰いましたから。………先生を信用しないわけじゃないですが、仲の良かった男女が口論になった挙句にカッとなって……なんて、よく聞く話です。俺は、彼女の身の安全を確かめるまでこの場から去ることは出来ません」
猿飛先生は、渋いカオでガリガリと頭をかく。
「む………ま、お前さんの言う事ももっともだな」
姉ちゃんは………あー、不機嫌そう。
オレは、周囲の眼を慮って提案した。
「ね、ねえ。…ホテルの真ン前でってのは迷惑じゃない? 場所、移そうよ」
 姉ちゃんは即座にオレの提案を蹴った。
「必要無いわ! 私にはこの男とする話なんて無いから。…ったく、せっかくイイ男達と老舗のホテルで美味しいフルコース食べて、凄くいい気分だったのに、台無しだわ」
猿飛先生は訝しそうな顔でオレ達を見た。……失礼だな。
でもま、姉ちゃんがオレらを『イイ男達』なんて言ったら、そらびっくりするわな。普段の彼女は、従弟とそのツレであるオレの事は徹底して弟扱いだから。
「オレ達が老舗ホテルのフルコースなんて奢れるワケないでしょ? ファイアライト教授が一緒にいらしているんです。…オレの、父も」
猿飛先生は納得の表情になった。
「あー、あの金髪の色男か………」
オレの入院中しょっちゅう来ていた教授は、看護士さん達のミーハー魂をいたく刺激し、彼が来ると彼女らが浮ついてしまうのでお医者さん達には頭痛のタネだったらしい。
でも、愛想が良かったってだけで、看護士さんに手を出したわけでもない男を悪し様に言ったら、それはただのやっかみ。男を下げるだけだものな。
猿飛先生も、それ以上は言わなかったし、彼女の浮気を疑うようなバカな発言をしなかったのは幸いだ。
姉ちゃんは眼を眇めて猿飛先生を睨みつけ、フンッと鼻を鳴らして回れ右。
「…ってわけだから、私疲れていてもう眠いの。じゃあね、イルカにカカシちゃん。おやすみ。あんまり遅くならないうちにホテルに戻りなさい」
ガーッとホテルの自動ドアが開き、姉ちゃんはスタスタと中に入って行こうとした。
その姉ちゃんの腕を、がっしと先生が掴む。
「おいっ紅!」
「うっさい! 何よ! どうせあんたなんか、私のこと全然信用していないんでしょ!」
「どうしてそうなるっ」
「―――『バカな』って言ったじゃない!」
一瞬、虚を突かれたように猿飛先生は立ちすくみ、姉ちゃんは彼の手を振りほどきざま、バッグを振り上げた。
先生の胸元に、姉ちゃんのバッグ(のカド)がモロに入る。あ、結構痛そう。
「子供が出来たかもって言ったら、あんた『そんなバカな』って!」
あ………第一声がソレだったわけ? そりゃちょっと………失敗だったかもね〜………猿飛せんせ。
「バカなって何よ! あり得ないって意味? 私が妊娠するのはバカな事なわけね!」
大柄なクマは、オロオロとする。
「い、いや…そんな意味じゃ………」
「俺の子のわけはないって、私にはそう聞こえたわ!」
「違う、紅。………俺は………」
姉ちゃんの眼から、いきなりポロポロッと涙がこぼれた。
「アスマのバカッ!」
そう叫ぶなり、身を翻して紅姉ちゃんはホテルに走り込んでしまった。
「304の夕日よ! キイ! 早く!」
フロント係から殆どキイを奪うように引ったくり、姉ちゃんはエレベーターに乗り込む。
「あんた達、ついてきたらマジで警察呼ぶからねっ!」
エレベーターのドアが閉まるのを、オレ達は呆然と見ていた。
「………せんせぇ………」
オレ達の非難の眼差しを受け、クマはガクリと肩を落とした。
その肩を、イルカはガッシとつかむ。
「………事情、聞かせて頂けますよね………? 先生」
その声の響きは氷点下。
あ〜………イルカさん、怒ってるわ………
 


近場に気の利いたカフェなんてあるわけないから。
仕方なくオレらは、ホテルのバーに行った。喫茶室はもう閉まる時間だったのだ。
注文した飲み物が揃うなり、イルカは口を開く。
「………で。先程彼女が言ったことは、本当ですか?」
水割りのグラスを持ち上げた先生は、それに口をつける事なくテーブルに戻し、頷いた。
「ここでシラを切っても仕方ねえ。……そういう反応をしちまったのは、事実だ。………アイツを、そんなに傷つけてしまったなんて………悪かったと思っている」
あのぅ、とオレはそろそろと手を挙げた。
「ちょっと聞いていいですか? こっちには、お二人でいらしてたんですか?」
先生は首を振った。
「いや、そもそもは新宿で逢ってたんだ。久々のデートだったんだぞ? …俺だって、ちょいと洒落たレストランの予約なんぞして、張り切ってたんだ。アイツを、喜ばせたくて」
あ……そうだったんだ。新宿ね………何となく、見えて来た。
「そして、ケンカしたんですか|
ああ、イルカさんの声がまだ低い。
「………ケンカと言うのはちょっと違うかな。お前さんたちもその…聞いたとおり、俺がマズイ反応をしたもんで、アイツは怒って一人で駅に走って行っちまって。……俺は追いかけたんだが、その…俺は普段の移動は車だから、電車のICカードを持ってなくてな。モタモタしているうち、アイツは鬼怒川行きの特急に乗って行っちまった。………すぐに追いかけたかったんだが、新宿発のこっち方面の特急は本数が少なくて」
いや、むしろよく彼女を見失わず、乗った電車までわかったもんだと思う。新宿駅って、ややこしいのに。
でも本当に姉ちゃんってば発作的に目に付いた電車に飛び乗ってきたんだな。特急券とか指定席は乗ってから買ったんだろう、きっと。
「そんなで、よくこのホテルがわかりましたね」
「いや…その、アイツは結構目立つグラマー美人だろ? そんなのが一人で歩いてたら、覚えている野郎の一人や二人、いるものさ。携帯の写真を見せて聞きまくったら、大体の足取りは追えた。…女が飛び込みで温泉宿ってのも考えにくい。このホテルの雰囲気ならたぶん、アイツが泊まる所としては許容範囲だろうと踏んで、周囲を捜していたんだ。…ホテルに聞いても、個人情報うんたらとかぬかして、チェックインしている客の事を教えてくれなくてな」
それはもしかすると、姉ちゃんがフロントに『誰かが捜しに来ても教えるな』って口止めしていたのかもしれないけどね。
で、とイルカは相変わらず厳しい声で話の先を促した。
「先生は、どういうおつもりで彼女を追っていらしたんです?」
猿飛先生は手で顔を覆い、ため息をついた。
「……………俺が『そんなバカな』って言ったのは………彼女が受け取った意味とは違うんだ。……俺は今日、紅にプロポーズするつもりだった。………洒落たレストランを予約したのも、アイツはそういう演出が好きだと思ったからで…ちゃんと、指輪だって用意してたんだぞ? ………もうお前さん達も子供じゃないから言うが、俺はきちんと避妊していたつもりだ。アイツの郷里が、割と保守的な所だって聞いていたから、結婚するまで妊娠はまずかろうと思っていたんだ。………デキ婚なんてしたら、向こうの親戚達にアイツが悪く思われそうじゃないか………」
あ………うん、確かに。
田舎だからね。そういった風潮はあると思う。
姉ちゃんは見かけがゴージャスな女だから、余計に色眼鏡で見られがちだし。きちんと堅い商社に勤務しているのに、まるでお水の女みたいに言うヤツいたもんな。
それで、デキ婚なんてしたら………『やっぱりな。そういう事をやると思った』なーんて言われそう。
オレはさ、デキ婚自体が悪いとは思わないけど。二人の間に愛情と、男にちゃんと責任を取る気持ちさえあれば。
でも、頭がカタイおっちゃんおばちゃんらは、いい顔しないだろうなー………
「それで、『そんなバカな』だったんですか………」
あ、イルカさんの声がちょっと和らいだ。
「これは、姉ちゃんの方の気持ちもちゃんと聞いた方がいいですね」
と、そこでイルカはテーブルの陰から携帯を持ち上げた。
「………姉ちゃん、聞こえたろう? ホテルのバーにいるから、来て話をしなよ」
あら。イルカったら、今の会話を携帯電話でずっと姉ちゃんに実況中継してたんだ。
「え? よく聞こえなかった? …じゃあ、尚更来て話をした方がいいよ。姉ちゃんの誤解みたいだから」
プツ、とイルカは通話を切った。
「………まあ、後は先生次第ってところですね。頑張ってください。頑張らないと、彼女をカカシのお父さんに取られてしまいますよ?」
は? と猿飛先生は眼を丸くした。
「な…っ…何だ、それは」
オレは慌ててパタパタと手を振って否定した。
「せんせ、冗談ですよ。…あの、オレの父、息子のオレが言うのもなんですけど割と男前なんで、女性にはモテるみたいですけど。…でも、姉ちゃんにモーションなんか掛けてないし………」
「………黙って微笑んでいるだけで、オチる女はオチそうだよな、彼」
オレは横目でイルカを睨んだ。
イルカってば、姉ちゃんの誤解みたいだから、なんて言った割に、せんせーに意地悪じゃね?
オレはゴホン、と咳払いをした。
「………ヒトの親、女ったらしみたいに言わんでくれる? イルカ」
「悪い。そんな意味じゃないんだけどな。…でも実際のとこ、姉ちゃん随分とお前の親父さん、気に入っていたみたいだからさ。初対面でポッと頬赤らめてたし」
こら! 何で波風立てようとしてんだ。お前は姉ちゃんと先生を仲直りさせる気が無いのかよ!
「あのな、父さんや教授を見てポッとなるの、紅姉ちゃんだけじゃねえから。アンコは父さんと会って桃みたいにピンク色になってたし、伯母さんは教授に挨拶した時、声上擦ってたんだぜ? 姉ちゃんの反応は普通の範疇だよ」
「え、でもお前に『お母さん欲しくない?』って訊いてたじゃないか。あれって、そういう意味だろ?」
うわあ、イルカさんッ! 何てことバラすかな。
「あれは姉ちゃんがオレをからかっただけだよ!」
猿飛先生はボソッと呟いた。
「………んな、いい男なのか。お前さんの親父殿」
「上品で柔らかな物腰の紳士よ、誰かさんと違って」
―――うおっ………っ…姉ちゃん、早…っ
「………紅………」
ツン、と澄まして姉ちゃんはイルカの隣に腰を下ろした。
「………早かったね、姉ちゃん………」
「別に。急いで来たわけじゃないわよ。……寝る前に一杯飲もうと思って、ちょうどバーに向かっていたところだったの。そしたら、あんたが電話してくるじゃない。一応出てみたら、みんなの話し声が聞こえてきたから………あんたが何をしてくれているのかわかったんで、バーの外で話を聞いていたのよ」
それで、と姉ちゃんは足を組んで胸を反らせた。
「……私に言いたい事があるなら聞いてあげるわ、アスマ」
猿飛先生は、オレの父さん問題についてはひとまず横に置いておく気になったようだ。
ぐっと真剣な顔で、問い質す。
「………怒らないで聞いてくれ。先ず、確かめたい。……お前、病院には行ったのか? 子供は何週目だ」
姉ちゃんは、無表情に見返す。
「その前に。………アンタ、子供は自分の子だって、認めるわけ?」
先生は、心外そうな表情で「当たり前だ」と言った。
「お前の胎に子供がいるなら、それは俺の子供だろう。…お前は、華やかで派手な印象を他人に与える女だが、中味は古風で一途だ。俺とつきあっているのに、他の男と寝るような不実で軽い女じゃない、と俺は思っている」
姉ちゃんは、その言葉をかみしめるように数拍黙っていた。そして、詰めていた息をフッと吐き出す。
「………………病院には、行ってないわ。………私………月のもの、遅れたことなんてなかったから………もしかして妊娠したのかもって思ったのよ。…私は嬉しかったわ。赤ちゃんが出来たのかもって思った時。………でもね、同時にアンタの反応が怖かった。…アンタ、私が結婚の事を匂わせても、いっつもはぐらかしていたし。………これで、わかると思った。………アンタの、気持ちが」
ああ。
『子供が出来た』と聞かされた先生の反応で、自分に対する気持ちもハッキリするって…そう思ったんだね、姉ちゃん。それで、『そんなバカな』はショックだったよなー、きっと。
『本当か?』って、驚きながらも喜んでくれる。………そう、期待していたのだろうに。
「………そうか。…すまん、紅。…俺はその………入念な計画が失敗したみたいな気持ちになっちまって、つい。………悪かった。…実を言えば、俺は子供はたくさん欲しい。………嬉しいよ」
「………本当?」
先生は大きく頷いた。
「本当だ」
姉ちゃんは、きちんと座り直した。
「…………………さっき、イルカの電話越しに聞こえた話も………本当?」
「…え? ああ、プ、プロポーズの話か? ………ええっと、その………うん。…そのつもりだった」
大男は、持っていたショルダーバッグから、ゴソゴソと小さな包みを取り出す。有名なジュエリーショップの袋だった。
「………これが証拠だ」
そろそろ、オレ達がここにいる意味がなくなってきたな。
イルカの方にチラッと視線を投げると、イルカもコクッと頷いた。
「何か、お邪魔虫っぽくなってきたから、俺達は失礼するよ。…な、カカシ」
「うん。じゃあ、オレ達は向こうのホテルに戻るね」
姉ちゃんは、イルカのシャツを握って「ダメ」と言った。
「あんた達、もう少しだけここにいなさい。………証人になってもらうわ」
 

 



 

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