旅は道連れ世は情け

〜日光観光編〜

 

紅姉ちゃんを駅まで送る為にフロントでタクシーを呼んでもらい、オレ達は車が来るのをみんなで待っていた。
「あ、タクシー来たよ」
紅姉ちゃんは、教授とサクモさんに丁寧に頭を下げる。
「今夜は、本当に楽しかったですわ。ありがとうございました」
本当に、どこの貴婦人だと感心するほどのおしとやかさだ。
「こちらこそ。とても楽しい夜でした。イルカ君のお従姉さんなら、またお会いする機会があるかもしれませんね。その時はまた、お食事でもご一緒しましょう」
「まあ。嬉しいですわ」
教授は終始微笑を絶やさず、姉ちゃんを淑女として扱ってくれた。
こういう扱いを受ければ、どんな女でもそれなりに淑女っぽい振る舞いが出来るようになるものなのかな。
ま、姉ちゃんに猫かぶりの才能があり、また自分がある程度男を振り返らせられる美女だという自信があるからこその『演技』なのかもしれないけど。
「姉ちゃん、ホテルまで送るよ」
彼女一人をポンと車に乗せて「じゃあオヤスミ」なんて言えるわけ、ないよな。何だかんだ言っても、やっぱりイルカは従姉が心配なんだ。
姉ちゃんは、車内に身体を滑り込ませながら、従弟の申し出をやんわりと断る。
「平気よ。向こうのホテル、駅に近いもの」
その時、スッと教授が動いて、タクシーの運転席の窓をコツコツと指で叩いた。
「はい、何でしょうか」
窓を開けて顔を覗かせた運転手に、教授は折りたたんだ紙幣を渡す。
「お釣りはいりません。このお嬢さんを、駅ではなく鬼怒川のホテルまで送り届けてください」
運転手は紙幣を受け取り、愛想よく頷く。
「はい、承知しました」
そのやりとりを後部座席から見ていた姉ちゃんは、慌てて声を上げた。
「ファイアライトさん! そこまでして頂かなくても…」
「本当なら、僕の車で送って差し上げたいところなのですが、ここではそれが出来ませんので。せめて、これくらいはさせてください」
姉ちゃんは、タクシーの中で恐縮したように頭を下げた。
「………すみません。ありがとうございます」
教授は、ニコッと微笑む。
「お気をつけて」
「姉ちゃん、奥に詰めて」と、イルカさん。
「ちょっと………」
姉ちゃんの抗議っぽい声なんか、無視。
イルカは、サッサとタクシーに乗り込んだ。
「ホテルに入るのを見届けなきゃ、送ったことにならない」
じゃ、オレも行こっと。オレは先生とサクモさんに手を振った。
「オレも一緒に姉ちゃん送ってきますねー。何か要るもんあったら、コンビニ寄って買ってきますけど」
教授はにこやかに手を振り返してくれた。
「はい、いってらっしゃーい。じゃ、コーラとポテトチップス頼むねー。あと、ミネラルウォーターも二本」
「了解です。父さんは?」
サクモさんは苦笑して首を振った。
「………今、ミナトが一緒に頼んでくれましたから」
あ、水二本って…一本はサクモさんのだったのか。
運転手さんに助手席のドアを開けてもらい、オレもタクシーに乗り込む。
「じゃ、運転手さんお願いします」
「はい」
運転手さんがアクセルを踏み、車が動き出す。
「ホテルはどちらでしょう」
運転手の問いに、姉ちゃんは観念したようにホテル名を告げ、ため息をついた。
「……………何だか、凄い人と付き合ってるわねえ………あんた達………」
 教授は、実家のことはあまり言わない人なんだけど。
サクモさんの日本公演の話が出た流れで、彼の実家が日本でコンサートホールを作ろうとしている事に話が行っちゃって。教授が、ファイアライト財団の四代目になるのだということも彼女の知るところになってしまったのだ。
「あー…教授? うん、オレらはバリバリ庶民だからさー、時々ついていけない時もあるけど。…でも、お金に物言わせてってのは案外無い人だよ。気さくだし。さっきのリク聞いたでしょ? セレブのクセにコーラとかポテチ、大好きなんだから」
「でも、ファイアライト財団って私でも聞いたことあるわよ。そこの跡取りなんでしょ? 彼」
オレはにんまり笑って後部シートを振り返る。
「姉ちゃん、玉の輿狙う? 教授、今フリーみたいだよ」
「ばっか、無理よ。………そんな上流の世界なんて、水が合わないにも程があるわ」
ふーん………案外冷静なんだな。己を知っているというのか。
姉ちゃんはオレの方に身を乗り出した。
「それより、カカシちゃんのお父さんは? 今、奥さんいないんでしょ? 彼女もいないの?」
「………………聞いたこと無いよ。いない……と思うけど」
「ホント? 良かった!」
聞くのも怖いけど、何で『良かった』なんデスか、姉ちゃん………
「………ねえ、カカシちゃん。お母さん欲しくない?」
ごふぉッとむせたのは、オレじゃなくてイルカだった。
「ちょ………ッ………まさか、姉ちゃん…………」
うふふ〜、と姉ちゃんは唇の端を上げる。
「財団総帥の妻なんてのは荷が重過ぎるけど。…楽団指揮者の妻っていうのは良くない? あんたのお父さん素敵だわ、カカシちゃん。上品で、優しそうで………」
オレは思わず額を押さえた。
「………ねーちゃん………外科医の妻になるんじゃなかったの………?」
姉ちゃんは途端に不機嫌そうな顔になって、フンッとシートにふんぞり返った。
「知らないって言ったでしょ! あんな身勝手なヒゲクマ野郎!」
「………やっぱ、ケンカしたんだね………先生と」
「ケンカじゃないわ。私が一方的に見限ったのよ」
見限ったって………何をやらかしたんだ? あの先生。
………もしかして、浮気か?
「あのさ。聞いてもいいかな。………何かあったの?」
姉ちゃんは、無言で窓の方に顔を向けてしまった。訊くな、という事か。
オレはイルカと顔を見合わせた。
イルカは黙って肩を竦ませ、首を振る。
いずれにせよ、彼女がこんな所に一人で来ている理由が、猿飛先生にあるのは間違いない。
猿飛先生は、いい男だと思う。
美人で気風のいい紅姉ちゃんと、お似合いだと思ったのに。
やっぱ、遠距離恋愛って難しいんだろうか。
好きな相手にすぐに逢えないのは。
遠くで相手を想うだけの恋は、脆いのだろうか。
人と人の関係って、それほどまでに『距離』が関係してしまうのだろうか、と思った時。
オレはふいにサクモさんの顔を思い出した。
オレと離れているのに耐えられない、と言った彼の顔。
普段のオレ達は、姉ちゃん達以上に距離が離れている。
男女の関係と、親子関係を一緒には出来ないけれど。
逢いたいと思った時に、逢えない。
手を伸ばしてもそこに触れたい相手がいない、という点では同じなのだと思った。
 


「すみません、ホテルの入り口までつけますか? すぐそこなんですけど、道路渡って反対側になるので、ぐるっと回らないといけないんですが………」
「あ、ここで結構ですわ。止めてください」
「はい」
タクシーは歩道側に寄り、止まった。
後部座席のドアが開き、イルカと姉ちゃんが降りる。
オレもドアを開けて降りようとした時、運転手のおじさんに「あの」と声を掛けられた。
「お乗りになった時のお話では、またさっきのホテルにお戻りになるのでは? 私、ここで待っていましょうか」
んま。親切。
「いや、買い物もあるんで、結構です。コンビニとか寄ってる間、待っててもらうのも悪いですから」
それでは、と彼は紙幣を差し出した。
「これを。幾らお釣りがいらない、と言われましても頂き過ぎで………お言葉に甘えて端数は頂きますが、大きいのはお返しします」
うっわー………なんてマジメな運転手さん。
「いや、でも………」
「さっきはよく確かめないで受け取ってしまいましたけど、こんな距離で三万も頂けません。私の感覚では、チップにしても多過ぎなんです。どうか、あの方にお返ししてくださいませんか」
ラッキー、とばかりに自分の小遣いに出来ない性格なのね………このおじさん。
「わかりました。お預かりします」
タクシーから降りると、イルカと姉ちゃんが信号のところで待っていてくれた。
「どうしたの?」
「いや〜、運転手さんマジメな人でさ〜…こんなにチップ受け取れないって、お金返されちゃった」
姉ちゃんが腰に手を当て、呆れたような声を出した。
「バカねえ。それならあんた達、あのタクシー乗って帰れば良かったじゃない。……コンビニで買い物する間くらい、待っててくれるでしょーに」
まーね、とオレは苦笑した。
「いいんだよ。こっから駅、近いんだろ? 電車で戻るよ。…あ、青だ。渡ろう」
ちょうど信号が青に変わったので、ゾロゾロと渡る。
ホテルは割合新しくて、小奇麗な感じだ。ロビーには家族連れがいるのも見える。良かった、こういう所なら女性一人でも大丈夫だろう。
「……ここまで送ってくれてありがとう。教授さんと、カカシちゃんのお父さんによろしくね」
「うん。姉ちゃん、明日帰るんなら、気をつけてな」
「あんた達はまだ当分いるのね。ま、楽しんでらっしゃい」
そこで「オヤスミ」と手を振り合い、彼女は自分の部屋へ。オレ達は駅へ、で何事も無く―――と、いくはずだったのだが。
今夜の演目はもう一幕残っていたのだ。
「―――紅!」
と、夜の閑静な街に響く男の声。
姉ちゃんは、険しい顔で声の方向をにらむ。
「何しに来たのよっ! アスマ」
あー、やっぱなー…………そこにいたのは彼女の恋人、猿飛先生その人だった。
猿飛先生は、息せき切らして走ってくる。まっすぐ、紅姉ちゃんだけを見て。
オレやイルカの姿は眼に入ってもいないようだ。
「お、お前なっ………オレは、オレは…ッ…一日中お前を捜していたんだぞ!」
「捜してなんて、頼んでないわ」
「何度携帯に電話かけても出ないし」
ツン、と姉ちゃんはソッポを向く。
「出るわけがないじゃないの」
オレ達が呆気に取られて見守る中、せんせーとねーちゃんはホテルの真ん前で痴話喧嘩を始めてしまった。
………いや、痴話喧嘩っていうんだろーか………こういうのも。
「とにかく、私はあんたのヒゲ面なんて見たくも無いのよ。帰ってちょうだい」
姉ちゃんはくるりと身体を反転させ、ヒールのカカトを鳴らしながらホテルに入って行こうとする。
「待て、紅! あの話、本当なのか?」
「………帰って! その話はしたくない………ッ!」
「紅!」
「しつこいわね! 警察呼ぶわよ」
猿飛先生は、めげない。尚も恋人の後を追う。
「待てよ! お前、本当に―――」
姉ちゃんは、ハッとしてオレ達の方を見た。
「やめて、言わないで!」という姉ちゃんの叫び声に、猿飛先生の問い質す声が重なる。
イルカの表情が、サッと変わったのがわかった。
猿飛先生は、こう言ったのだ。
―――「妊娠しているのか?」………と。
 

 



 

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