旅は道連れ世は情け
〜日光観光編〜
7
紅姉ちゃんを駅まで送る為にフロントでタクシーを呼んでもらい、オレ達は車が来るのをみんなで待っていた。 「あ、タクシー来たよ」 紅姉ちゃんは、教授とサクモさんに丁寧に頭を下げる。 「今夜は、本当に楽しかったですわ。ありがとうございました」 本当に、どこの貴婦人だと感心するほどのおしとやかさだ。 「こちらこそ。とても楽しい夜でした。イルカ君のお従姉さんなら、またお会いする機会があるかもしれませんね。その時はまた、お食事でもご一緒しましょう」 「まあ。嬉しいですわ」 教授は終始微笑を絶やさず、姉ちゃんを淑女として扱ってくれた。 こういう扱いを受ければ、どんな女でもそれなりに淑女っぽい振る舞いが出来るようになるものなのかな。 ま、姉ちゃんに猫かぶりの才能があり、また自分がある程度男を振り返らせられる美女だという自信があるからこその『演技』なのかもしれないけど。 「姉ちゃん、ホテルまで送るよ」 彼女一人をポンと車に乗せて「じゃあオヤスミ」なんて言えるわけ、ないよな。何だかんだ言っても、やっぱりイルカは従姉が心配なんだ。 姉ちゃんは、車内に身体を滑り込ませながら、従弟の申し出をやんわりと断る。 「平気よ。向こうのホテル、駅に近いもの」 その時、スッと教授が動いて、タクシーの運転席の窓をコツコツと指で叩いた。 「はい、何でしょうか」 窓を開けて顔を覗かせた運転手に、教授は折りたたんだ紙幣を渡す。 「お釣りはいりません。このお嬢さんを、駅ではなく鬼怒川のホテルまで送り届けてください」 運転手は紙幣を受け取り、愛想よく頷く。 「はい、承知しました」 そのやりとりを後部座席から見ていた姉ちゃんは、慌てて声を上げた。 「ファイアライトさん! そこまでして頂かなくても…」 「本当なら、僕の車で送って差し上げたいところなのですが、ここではそれが出来ませんので。せめて、これくらいはさせてください」 姉ちゃんは、タクシーの中で恐縮したように頭を下げた。 「………すみません。ありがとうございます」 教授は、ニコッと微笑む。 「お気をつけて」 「姉ちゃん、奥に詰めて」と、イルカさん。 「ちょっと………」 姉ちゃんの抗議っぽい声なんか、無視。 イルカは、サッサとタクシーに乗り込んだ。 「ホテルに入るのを見届けなきゃ、送ったことにならない」 じゃ、オレも行こっと。オレは先生とサクモさんに手を振った。 「オレも一緒に姉ちゃん送ってきますねー。何か要るもんあったら、コンビニ寄って買ってきますけど」 教授はにこやかに手を振り返してくれた。 「はい、いってらっしゃーい。じゃ、コーラとポテトチップス頼むねー。あと、ミネラルウォーターも二本」 「了解です。父さんは?」 サクモさんは苦笑して首を振った。 「………今、ミナトが一緒に頼んでくれましたから」 あ、水二本って…一本はサクモさんのだったのか。 運転手さんに助手席のドアを開けてもらい、オレもタクシーに乗り込む。 「じゃ、運転手さんお願いします」 「はい」 運転手さんがアクセルを踏み、車が動き出す。 「ホテルはどちらでしょう」 運転手の問いに、姉ちゃんは観念したようにホテル名を告げ、ため息をついた。 「……………何だか、凄い人と付き合ってるわねえ………あんた達………」 教授は、実家のことはあまり言わない人なんだけど。 サクモさんの日本公演の話が出た流れで、彼の実家が日本でコンサートホールを作ろうとしている事に話が行っちゃって。教授が、ファイアライト財団の四代目になるのだということも彼女の知るところになってしまったのだ。 「あー…教授? うん、オレらはバリバリ庶民だからさー、時々ついていけない時もあるけど。…でも、お金に物言わせてってのは案外無い人だよ。気さくだし。さっきのリク聞いたでしょ? セレブのクセにコーラとかポテチ、大好きなんだから」 「でも、ファイアライト財団って私でも聞いたことあるわよ。そこの跡取りなんでしょ? 彼」 オレはにんまり笑って後部シートを振り返る。 「姉ちゃん、玉の輿狙う? 教授、今フリーみたいだよ」 「ばっか、無理よ。………そんな上流の世界なんて、水が合わないにも程があるわ」 ふーん………案外冷静なんだな。己を知っているというのか。 姉ちゃんはオレの方に身を乗り出した。 「それより、カカシちゃんのお父さんは? 今、奥さんいないんでしょ? 彼女もいないの?」 「………………聞いたこと無いよ。いない……と思うけど」 「ホント? 良かった!」 聞くのも怖いけど、何で『良かった』なんデスか、姉ちゃん……… 「………ねえ、カカシちゃん。お母さん欲しくない?」 ごふぉッとむせたのは、オレじゃなくてイルカだった。 「ちょ………ッ………まさか、姉ちゃん…………」 うふふ〜、と姉ちゃんは唇の端を上げる。 「財団総帥の妻なんてのは荷が重過ぎるけど。…楽団指揮者の妻っていうのは良くない? あんたのお父さん素敵だわ、カカシちゃん。上品で、優しそうで………」 オレは思わず額を押さえた。 「………ねーちゃん………外科医の妻になるんじゃなかったの………?」 姉ちゃんは途端に不機嫌そうな顔になって、フンッとシートにふんぞり返った。 「知らないって言ったでしょ! あんな身勝手なヒゲクマ野郎!」 「………やっぱ、ケンカしたんだね………先生と」 「ケンカじゃないわ。私が一方的に見限ったのよ」 見限ったって………何をやらかしたんだ? あの先生。 ………もしかして、浮気か? 「あのさ。聞いてもいいかな。………何かあったの?」 姉ちゃんは、無言で窓の方に顔を向けてしまった。訊くな、という事か。 オレはイルカと顔を見合わせた。 イルカは黙って肩を竦ませ、首を振る。 いずれにせよ、彼女がこんな所に一人で来ている理由が、猿飛先生にあるのは間違いない。 猿飛先生は、いい男だと思う。 美人で気風のいい紅姉ちゃんと、お似合いだと思ったのに。 やっぱ、遠距離恋愛って難しいんだろうか。 好きな相手にすぐに逢えないのは。 遠くで相手を想うだけの恋は、脆いのだろうか。 人と人の関係って、それほどまでに『距離』が関係してしまうのだろうか、と思った時。 オレはふいにサクモさんの顔を思い出した。 オレと離れているのに耐えられない、と言った彼の顔。 普段のオレ達は、姉ちゃん達以上に距離が離れている。 男女の関係と、親子関係を一緒には出来ないけれど。 逢いたいと思った時に、逢えない。 手を伸ばしてもそこに触れたい相手がいない、という点では同じなのだと思った。
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