旅は道連れ世は情け

〜日光観光編〜

 

オレ達が泊まっているホテルに案内すると、紅姉ちゃんは「まあぁ」と声を上げた。
「ちょっと! ここに泊まっているの? まーナマイキ」
「………教授のご希望だよ。伝統のあるクラシックなホテルってことで、興味を持ったみたいで」
回転ドアをくぐって建物に入った姉ちゃんはふぅん、と相槌を打つ。
「面白いホテルみたいですものね。わかるわ。…ねえ、ロビーに化粧室あるでしょ? どこ? 汗かいたからお化粧直してきたいのだけど」
えっと………どこだろ。オレはロビーを見回した。
さっきもチェックインしてすぐ部屋に上がっちゃったから、ロビーのトイレなんて知らないよ。
「…たぶん、あると思うけど……ホテルの人に訊かないと」
オレがすぐに答えられないでいると、横から親切な声が。
「右側の奥ですよ、レディ」
「あら、ありがとう」
と、声の方を振り返った姉ちゃんの表情が固まった。
そこには、金髪の美形さんが愛想よくニコニコと微笑んでいたのだ。
………ゴメン、姉ちゃん。この人に会う前に、化粧直したかったんだよね………
「こちらの美しいレディが、イルカ君のお従姉さん?」
イルカは、苦笑を堪えながらハイ、と頷いた。
「母方の従姉で、夕日紅です。紅姉ちゃん、こちらがカカシの雇用主さんのファイアライト教授」
教授はとびっきりの笑顔で手を差し出した。
「ミナト・W・ファイアライトです。初めまして、紅さん」
紅姉ちゃんはさすがだった。
普通の女性なら、うろたえてしまうであろうこんな場面でも、堂々と胸を張ってしとやかに手を持ち上げる。
しゃら、と彼女の白い手首でブレスレットが音を立てた。
「初めまして。夕日紅と申します。従弟がお世話になっております」
教授は彼女の手を取り、指先にキスをする。たぶん、唇が触れるか触れないかの軽いものだろうけど。
「いえいえ。僕の方こそ、イルカ君には色々とお世話になっているんですよ」
「急にお邪魔してしまって、すみません。…まさか、こんな所でこの子達に会うなんて、思いもしなくて」
「本当に、奇遇ですね。…ここでお会いしたのも何かのご縁です。ぜひ、お食事をご一緒に。……貴方のような美しい方が同席してくださるのは大歓迎です」
「まあ、お上手。…ありがとうございます」
うおお、姉ちゃんお見事。何も知らない人が見たら、完璧しとやか美人だわ。
「あ…先生、父さんは?」
「サクモさん? ……は、まだ部屋だよ。夕食の時間まで後三十分くらいはあるし。………でも、もしかしたら眠ってしまっているかもしれないから、様子を見てくるよ」
「わかりました。お願いします」
ここは、鍵を持っている教授にお任せしよう。
教授は、姉ちゃんに会釈した。
「すみません、という事でちょっと失礼します。…後程、またレストランでお会いしましょう」
「あ…はい」
教授の背中を見送った姉ちゃんは、ほうっとため息をついた。
「………あーもー…いきなり出てくるんだもの〜。びっくりした。聞きしに勝る美形だわね。………やだわ、こんな化粧崩れした顔で」
オレは慌ててフォローする。
「だ、大丈夫だよ、姉ちゃん。別に、おかしくないよ? …口紅、綺麗についてるし、ファンデーションもヨレてないから」
そうそう、とイルカは頷いた。
「見合いじゃないんだから、気にする必要ないって」
姉ちゃんはキッとイルカを睨んだ。
「そういう問題じゃないのよ! …ったく、デリカシーの無い男ね!」
「姉ちゃんは、化粧しなくても美人なんだから、いいじゃないか」
姉ちゃんは唇を尖らせた。
「だから、そういう問題じゃないって言ってるのよ。………ああもう、いいわ。とにかく、お化粧直してくる」
姉ちゃんはチラッとオレらを眺めた。
「あんた達も、ご飯の前に着替えてらっしゃい。シャツが汗で濡れているじゃないの。そのままだと風邪をひくわ。ちゃんと汗を拭くのよ、二人とも」
こういう所が、『姉ちゃん』なんだよなあ。
「そうだな。着替えてこよう、カカシ」
「うん。…あ、姉ちゃん。七時に、二階のダイニングだからね。入り口で待っているから」
「わかったわ」
彼女はいそいそと化粧室に向かった。
オレと二人きりになったところでイルカはため息をつき、「すまん」と謝った。
「何? お前が謝ることないじゃん」
「………でも、彼女は俺の従姉だ。……食事が済んだら、俺が送っていくよ」
「それはいいけどさあ、マジ、どうしたんだろうねー……姉ちゃん」
本当に、何でこんな所に一人でいるんだろう。謎過ぎる。
「………さあ、な」
「もしかしたら………独りにしない方がいいんじゃない?」
「独りになりたくて、こんな所にいるのかもしれないぞ?」
あー、そういう事もあるか。
「でも、そうならオレらに声掛けてこなかったんじゃね?」
イルカはム、と眉根を寄せた。
「それもそうか。………いや…たぶん、彼氏とケンカしたとかそういう事だとは思うんだけどな。ちょっと、頭を冷やしに一人旅って、彼女のやりそうな事だから」
………そういう時に、ああいう美形の男(教授だ)とメシを食うって………何だか、ややこしい事にならないだろうか。ちと、不安。
まあ、教授と猿飛先生は男としてタイプが全然違うけど。
教授のスマートな紳士っぷりに、姉ちゃんが惑わされないことを祈るのみだな。


七時五分前に部屋から出ると、ちょうど向かい側の扉も開いた。
………やっぱ、ホテルの夕食ってちゃんとした格好すべきだったんだろうか。
教授はネクタイをしめてパリッとした格好に着替えていた。教授に続いてサクモさんも廊下に出て来たんだけど。こちらもきちんとした服に着替えていたんだよね。
オレとイルカは、ネクタイなんか持って来なかったから普通のシャツだものな。
ま、着替えてきただけでもヨシとして欲しい。
それより、サクモさんだ。
夕食前に休みたいだなんて、体調悪くはないんだろうか。
「あの……父さん、大丈夫ですか?」
サクモさんはにこっと微笑んだ。
「はい、大丈夫です。具合が悪いわけではないので、心配しないでください」
教授がわざとらしく身をかがめ、オレに耳打ちする。
「サクモさんったら、休むとか言っていたのに仕事してたんだよ」
「し、仕事?」
「そんな大袈裟な。…ちょっと、何箇所かに確認のメールをしていただけです。休暇中はなるべく仕事を忘れますよ」
そうそう、とサクモさんはイルカに微笑みかけた。
「イルカ君のお従姉さんが、こちらにいらしているのですって?」
イルカは恐縮したように首筋に手を当てた。
「そうなんです。さっき外で、偶然会ってしまって。……申し訳ありません、ご迷惑をお掛けします」
「とんでもない。とても綺麗なお嬢さんだとか。お会いするのが楽しみです」
まーそりゃー…男としては、どうせ同席するなら美人がいいわな? 教授とサクモさんは、実は姉ちゃんが男勝りの肉食系女子だってこと、知らないもんなー………
サクモさんと教授相手に、あの姉ちゃんがどこまで猫をかぶりおおせるのか、お手並み拝見だな。

 

オレ達がダイニングの入り口に着いた時、ちょうど紅姉ちゃんが階段を上がってきた。
バッグに入れていたのだろうか、紗みたいに透き通った軽やかなショールを肩に掛けている。
あれだけで、随分とあらたまった印象になるものだ。髪も結い直してアップにしているし。うわ、随分とまたリキの入った化粧だな。
ケバく見えないギリギリのラインのメイクだ。
「これは紅さん、お美しい」
教授の褒め言葉に、姉ちゃんはニッコリと微笑んだ。
「お招き、ありがとうございます。お言葉に甘えて、お邪魔させて頂きます」
あ、そうだ。サクモさんにはオレが紹介しなきゃな。
「父さん、彼女がイルカの従姉で夕日紅さんだよ」
「初めまして。カカシの父のサクモ=アインフェルトと申します。どうぞよろしく、紅さん」
サクモさんは、微笑を浮かべて優雅に会釈した。教授と違って、初対面の女性の手を取ったりはしないんだな。
「はっ…初めまして………夕日、紅です」
え? ………ちょっとマテ。
ウルトラ美形の教授相手にもうろたえなかった姉ちゃんが、赤くなっているぞ?
オレ、姉ちゃんが教授相手に浮気心を起こすんじゃないかと思って心配してたんだけど…………父さんの方かよ!
姉ちゃんってもしかして、年上好み? おじさん好き? ああっ…そういや、猿飛先生って年齢よりも老けて見えるおっさんタイプだった。
よーするに、落ち着いて見える男が好きなのか?
アンコといい、紅姉ちゃんといい、オレの周囲の女はメンクイが多いなあ。女ってみんなそう?
………いや、男だって美人や可愛い子には弱いんだから、彼女らに何も言えないけどね。
レストランのボーイさんが、スッとこちらに近づいて一礼した。
「ファイアライト様。…こちらへ、どうぞ」
ボーイさんに案内され、オレ達はダイニングの奥の席に案内された。
このメインダイニングは、昼間のラウンジと違ってクラシックで上品な内装だ。
洋風のものを一生懸命に取り入れ、かつそれらを借り物ではなく自分達の文化として昇華させた百年前の空気が何となく感じられる空間である。
食前酒はよく冷えたロゼのスパークリングワイン。
それにサラダ、スープと続くディナーコースだ。
ここのレストランの自慢料理は虹鱒のソテーらしい。
オレ達は日本語と英語を交えて、ここの料理を褒めたり、日光の感想を言ったりして食事を楽しんだ。
ま、あれだ。
何だかんだ言っても、(美形がいるとはいえ)男ばかりのテーブルにグラマー美女が一人加わるというのは、やっぱそれだけで華やかになるもんだね。
教授が気を遣って、如才なく彼女をもてなしたというのもあるけど。
オレはちょいと紅姉ちゃんを見直したわ。
はしゃぎ過ぎる事もなく、さりとて妙に大人しく遠慮する事もなく。
彼女は、その晩餐のゲストとして堂々と振舞っている。やれば出来るもんだね。
普段は鉄火な姐さんである紅サンが猫かぶってお上品にしているので、オレとイルカは時々噴出しそうになるのを堪えねばならなかったが。
「紅さんも、日光は初めてだったのですか。いつまでご滞在の予定ですか?」
「仕事がありますので、明日はもう帰りますわ。………あ、失礼」
姉ちゃんはバッグからそっと携帯を取り出した。マナーモードにしてあったんだろう。
メールなのか、電話の着信なのか。
姉ちゃんは画面を確認し、一瞬眉を顰めてからサッサと携帯を閉じてバッグにしまった。
「………よろしいのですか?」
教授の問いに、姉ちゃんは笑って首を振った。
「ええ、いいんです。食事中に失礼致しました」
「姉ちゃん、宿どこなんだ?」
と、これはイルカ。
「鬼怒川のホテルよ」
「あれ、なら夕食つきだったんじゃ?」
「いいえ、温泉旅館じゃないから。………殆ど、ビジネスホテルみたいなところ。会社で出張の時なんかにいつも利用しているホテルの系列よ。………ちょっとね、思いつきで来ちゃったから、予約とかしてなくて。………夕食は駅の近くなんかで簡単に済ませようと思っていたの。…こうして皆さんと素敵なお夕食を頂けるなんて思ってもいなかったわ」
そう言って、姉ちゃんは曖昧に微笑んだ。
 

 



 

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