旅は道連れ世は情け

〜日光観光編〜

 

新宿から日光まで特急スペーシアで二時間ちょい。
優雅なことに、オレ達はその二時間をスペーシアの個室で過ごした。
切符を手配したのはオレだったが、スペーシアにコンパートメントがあると知った教授がさっさと追加料金を払ってそこに席を変更してしまったのである。
オレとイルカだけだったら、絶対にしない行為だ。
だって二時間程度だろ? 学生には過ぎた贅沢だもの。
時間にゆとりがあるんだったら、特急を使ったかもあやしい。(いや、これはマジに結構時間喰うだろうけど。移動だけで疲れそうだし)
しかしこの、生まれて初めて体験した長距離列車の個室は、何とも快適なものだった。
空調は自分達で好きに調節出来るし。
椅子は大きめでふかふか。
それに防音が効いていてすっごく静かだ。つまり、うるさいガキの泣き声や、かしましい女のおしゃべりも聞こえなければ、おっさん達の酒盛りの臭いにも煩わされず。
自分達以外の大勢の人間と共に長距離を移動する時に発生する諸々のストレスからほぼ解放されるのである。
それが、教授の金持ち感覚から生じた贅沢ではなく、サクモさんを気遣ってのことだと気づいたのは、スペーシアのコンパートメント内で何となくホッとしたようにシートに腰を落ち着けている彼の姿を見た時だった。
考えてみれば、教授はお金持ちのボンボンでオレ達とは違う経済感覚をお持ちだが、ある程度の庶民的感覚も持っている人で、加えて見知らぬ他人と接することをストレスではなく自分のプラスに変換する事が出来るタフネス野郎である。
たった二時間程度の『赤の他人と一緒の乗車時間』を苦痛に思うほど、ヤワではあるまい。
だが、サクモさんはウィーンから十二時間以上飛行機に乗って日本に来て。
その後三日間、初対面の人と打ち合わせをしたり、会場の下見であちらこちら移動して、結構疲れているはずだ。
その彼に、教授は更なる苦痛を与えたくなかったのだろう。
オレは、実の親の体調をそこまで気遣うことが出来ず、個室なんてハナから考えていなかった己をちょっぴり恥じた。
JRから個室を使うと、グリーン扱いになって一室の料金が六千円くらいになるのだけど。(東武線内だけなら三千円程度。土日はもっと高くなるらしい)二時間の移動中、少しでもサクモさんが楽に過ごせるなら、そのくらい安いものだ。―――と、ここまではオレの感覚でも納得できる範囲の『贅沢』だったのだが。
やっぱり教授はオレらとは違う金銭感覚の持ち主だった、とわかったのは、ホテルについてからだった。
 



東武日光の駅についた後、ホテルまでは徒歩で二十分程度だというので、オレ達は散歩がてら歩くことにした。
観光地に着いて、ホテル直行じゃつまらないものな。
大きな荷物は、駅前で宿泊するホテルの送迎バスを目敏く見つけたイルカが運転手と交渉し、荷物だけ先にホテルに届けてもらえることになったので、身軽である。
イルカってば案外要領いいんだな。
教授はニッと笑った。
「さすがだねえ、イルカ君」
(ちなみに、教授の提案によりこの旅行中における共通言語は英語、ということになった。四人でいる時は原則英語を使うように、と。……望むところだ。やっぱ、実践するのが上達の近道だものな!)
イルカはポリポリと頭をかく。
「いや、駄目で元々ですから。………あのホテルのバスなら大丈夫かと思いましたし」
うん、と教授は頷く。
「ここは日本だからね。…イタリアやスペイン辺りであんな事したら、無事にホテルで荷物を受け取れる可能性は殆ど無いけど。カバンの中身が減るか、カバンそのものが無くなるか、だよ」
………そういや、教授とサクモさんの旅行鞄にはロックが掛かっていた気がするが。
オレもイルカも、カバンにカギなんかつけて無いや。着替えしか入ってないカバンとはいえ、そういう荷物を平気で赤の他人に預けちゃうオレらって………やっぱ、不用心かなあ。
「ホテルの名前そのものを信用したってのはわかる。有名なホテルだもの。…看板に傷がつくような真似は出来ないものねえ」
「そ、そうですね………」
うんまあ…それはチラッと考えた。有名なホテルの送迎バスだから、大丈夫だろうって。
教授はポン、とオレの肩を叩いた。
「じゃ、行こうか」
「はい」
えーっと、どっちに行けばいいんだ?
イルカが、辺りを見回して道路標識を指さした。
「中禅寺湖があっちって書いてありますから、ホテルはこの道なりに行ったところですね。途中、色々と店があるようだから、見物しながらゆっくり行きましょう」
オレらは、ホテルまでの緩やかな上り坂を歩きだした。
七月の日光は、思ったよりも暑い。(やっぱり避暑地とは言い難い)天気がいいので、ちょっと眩しかった。
すれ違う女性が日傘をさしているのを見て、オレも折り畳みの傘をさそうかと一瞬考える。
サクモさんも、眩しいと思ったのだろう。彼が掛けたサングラスは、オレのものよりも随分色の薄いものだった。
オレは色の濃いサングラスでなきゃダメなんだけど。
UVカットしてあって、紫外線透過率が低ければ大丈夫か、普通。
教授は………裸眼でスタスタ歩いている。あんな薄い色の眼なのに、平気なんだろうか。色々と頑丈な御仁だが、眼まで頑丈に出来ているのか。羨ましい。
「父さん、大丈夫ですか?」
にこ、とサクモさんは微笑む。
「大丈夫です。…ずっと座っていましたからね。少しは歩かないと」
今回の来日目的は仕事の打合せだから、日本に着いてからこっち、サクモさんはこちらの関係者が用意したホテルに滞在していた。
その間、オレとは電話でやり取りをしただけで。
昨夜になってようやくサクモさんはオレ達のマンションに来たのだが、時間が遅かったのですぐに教授の部屋に上がってしまった。つまり、昨夜も挨拶をしただけ。
サクモさんとゆっくり話せたのは、今日になってからだったのだ。
「………最近、日本のことを少しずつ勉強しているんです。今回も、ミナトに一緒にニッコウに行こう、と誘ってもらってから、どういう土地なのか調べました。…便利な時代です。キーワードを入れれば、パソコンが情報をくれますからね」
「あ、じゃあ東照宮とかのこと………」
「ええ。…あまり詳しく勉強している暇がなかったので、大まかにですが。日本国内を統一し、近代まで三百年間も世襲が続いた統治者トクガワ家の、第一代目のショウグンが祀られているところだとか」
「………それだけご存知なら、十分です」
昨今は歴史ブームとかで、その徳川家が天下を統一するまでの戦国時代にやたら注目が集まっている。確かに、日本の歴史の中では一番エキサイティングで面白い時代だ。
小説やドラマの格好の材料だよな。
オレは日本史ってイマイチ苦手だったんだけど、時代小説は確かに面白い。
レキジョとやらの気持ちも、わかるような気がする。
脚色されているにしろ、イマドキお目にかかれないカッコイイ武将がたくさん登場するものな。ま、動機が何にせよ、自国の歴史に関心を持つのはいいことだ。

それにしても、のどかな街だ。
道なりにある店もぽつんぽつんと点在しているだけで、賑やかという程じゃない。
教授は、目に付いた店を片っ端から覗いている。
日光彫りの店とか、一筆書きの龍の店とか。
中でも日光彫りは気に入ったようで、お盆と引出を購入して、東京のマンションに配送してもらうように手配をしていた。旅の始めに荷物を増やさない、という分別はあるようだ。
サクモさんも興味深そうに見ていたが、自分は後にする、と言って何も買わなかった。他の店も見てみたいと思ったのだろう。
道端には、テントで鮎の塩焼きみたいなのを焼きながら売っているおじさんもいる。
教授がそれに興味を引かれている様子なのを見て、サクモさんが苦笑した。
「ミナト。あの魚を食べてしまったら、ランチが入りませんよ」
………サクモさんは、教授がハイパーブラックホールな胃袋の持ち主だってコト、知らないのだろうか。
でも、教授は「そうですね」なんてやけに素直に諦めてしまった。そういや教授ってば、サクモさんの言う事は割と素直に聞いてるよなー、今までも。やっぱり年長者の言う事には従うものだ、と思っているんだろうか。
そうこうしながら歩いていくうち、やたらと羊羹の店があるのに気づいた。ひょっとして名産品?
古びた店の前に車が停まり(駐車場などナイ)、ささっと羊羹を買ってささっと立ち去っていく。有名なんだな、きっと。これも教授が飛びつきそうだと思ったが、意外にも店内を外から眺めただけで、買おうとはしなかった。
「羊羹はいいんですか? 先生」
教授はウン、と頷いた。
「羊羹は帰りに買うつもり。自来也先生達へのおみやげに」
そういや、この日光旅行『皆で』って言っていたから、自来也先生ご夫妻も誘うのかと思ったけど、誘わなかったのかな。まあ、人数増えるとそれだけ日程の調整が面倒になるから、今回はサクモさんの都合だけを優先したのかもしれないが。
「あと、日光って言えば有名な食べ物は湯葉らしいね」
サクモさんは首を傾げた。
「ユバ?」
自分が説明すべきだと思ったのか、イルカが口を挟んだ。
「豆の加工品ですよ。原料は大豆です。豆腐はご存知ですよね? あれと作り方は似ているんですが、大豆を煮て豆乳というのを作り、凝固剤を入れて固めたのが豆腐。凝固剤を入れないで豆乳を加熱すると、表面に膜が出来るんですけど。それを掬い取ったものを湯葉っていうんです。見た目はちょっと食べ物に見えないかもしれませんけど、面白い食感ですよ。味そのものは淡白なので、色々と味付けして食べます」
「そうですか。豆の………日本人は本当に、豆が好きなんですね………」
サクモさんの何となく腰の退けた物言いに、イルカは苦笑した。
「……湯葉は、納豆みたいに匂いは無いですから、大丈夫ですよ」
サクモさんは、ホッとしたように微笑んだ。
「…そうですか。なら、食べられるかもしれません」
色々と日本食に挑戦しているサクモさんだが、納豆は口に入れる前に挫折していた。
わかる。わかるよ、お父さん。
オレも納豆苦手だもの。
イルカはともかく、ガイジンのくせして嬉々として納豆食ってる教授が変なんだよ。
―――外人と言えば、本当に日光は外国人に人気があるらしい。歩いていても、ちらほらと白人の姿を見かける。
これなら、オレらが特に目立つという事も無いだろう。
親切にもホテルが出してくれていた案内板を、教授が見つけた。
「あ、あそこだ。ホテル」
矢印に従って結構急な坂を上っていくと、眼前にクラシカルな建物が現れる。
都心の一流ホテルやヨーロッパ五つ星、みたいなキラキラした煌びやかさは無い。
が、時間の重みを背負って立っているような一種独特の雰囲気を持ったホテルだ。
ホテルに近づくと、ドアマンが恭しく頭を下げた。
「いらっしゃいませ。お泊りですか?」
おっと。さすが、ちゃんと英語だ。まあ、パッと見外人集団だものな、オレ達。
「ええ。先程駅の方で荷物をお預けした、ファイアライトです」
ドアマンはにっこり微笑んだ。
「はい、お預かりしております。…どうぞ」
古い、一人ずつしか通れない回転ドアを押して、オレ達はホテルに入った。
………何と言うか。和風………とも、なーんか違う…ような?? 面白いインテリアだな、このホテル。
和洋折衷なんだろうけど、何となく無国籍。
んでもって、思ったよりもこじんまりとしている。
ドアマンが、フロントに声を掛けてくれた。
「ファイアライト様、お着きです」
教授は、サッとフロントに歩み寄った。
「こんにちは。ファイアライトです。お世話になります」
あ、教授、日本語に切り替えた。
フロントの女性は、丁寧に頭を下げる。
「いらっしゃいませ。この度は、当ホテルをご利用頂き、ありがとうございます。四名様、二室ご用意させていただいております。……一昨日と昨日は、残念でございました。チェックアウトは、ご予定通りでよろしいでしょうか?」
………ん? 一昨日と昨日って? オレの聞き間違いか??
「ああ、また急な用が入らない限りは。…大丈夫、一昨日からの分も含めて、予約した部屋代はすべて払いますから」
「恐れ入ります」
教授は、宿泊カードにササッとペンを走らせる。
「ありがとうございます。お部屋にご案内させて頂くのは、三時からになるのですが」
教授はチラッと腕時計を見た。
「ああ、構わないですよ。昼食がまだなので、ここで頂くつもりだから。昼食の後、輪王寺でもぶらりと見てから戻ってきます」
「かしこまりました。お荷物は先にお部屋の方に運ばせて頂きますが………」
「ああ、どちらかの部屋にまとめてで結構です。まだ、部屋割りをしていないので」
フロントのおねーさんは、オレらの方を見てニッコリと営業用スマイルを浮かべた。
「承知致しました」

 

 



ホテルは有名な日光の某K谷ホテルがモデルです。(つか、そのまんまです)

 

NEXT

BACK