Silent Night −6

 

おじさんはマンションを下から見上げ、ほーお、と感心したような声をあげた。
「なかなか、ナマイキなところに住んでいるじゃねえか」
う。
………そうなんだよなあ。ルームシェアしているとはいえ、学生が住むにしては立派なマンションなのよね、ウチ。………つか、イルカの部屋。
大学生なんて普通、いかにもアパートって感じのもっと安い部屋を借りるもんだと思う。
実際、他の部屋に入っているのは自来也先生達みたいなご夫婦とか。普通の子持ち所帯とか、そういう社会人が大多数だ。
教授が住んでいる最上階の部屋なんか、フツーの会社員ではちょっと二の足を踏むような家賃のはずだし。
そんな、言ってみれば『分不相応』な住まいを何故オレ―――いや、イルカが選んだかというと。生活における立地的な利便性、治安と環境の良さ。そして、マンション自体の設備の良さが気に入ったのだそうだ。(ちなみに、エントランスセキュリティは無い。ああいうのは面倒だったらしい)
それで、少々家賃が高くてもここに住むことにしたんだな。
結果的に、オレが転がり込んで同居するだけの空間があったのはラッキーだった。一方的にオレが、の話だが。
「スイマセン……元々はイルカが借りたところなのに、オレが転がり込んで狭くしちゃってんです」
おじさんは、きょろんと眼を見開いた。
「あん? そりゃ違うだろう。イルカのヤツはきっと最初から、カカシ君と同居するのを前提で部屋を探したんだと思うぞ。同じ大学に進むって決まった時から」
………え? そんな。
そんなん、初耳………だよ。
「え…い、いやでも………最初から一緒に住もうぜって話はしませんでしたよ………? 現にオレ、最初のうちは一人で他に部屋借りていたし」
だから、とおじさんは苦笑した。
「どっちに転んでもいいって部屋を借りていただろう? イルカは。カカシ君が一人で暮らしたいと言うならそれでいいし、もし何かあったら一緒に住める。そんな部屋じゃないか?」
ざあっと血の気が引き、またすぐにカァッと顔に血が昇る。
ううう、嘘。
イルカさんったら、オレが一人暮らしに挫折して、転がり込んでくるのを見越して部屋借りていたっていうの??
「……………うわあ………そ、そーだったのか…………」
「カカシ君が、こっちに同居するようになったキッカケは何だったんだ?」
オレはしぶしぶ白状した。
「………オレが最初に入居していたアパート、一人暮らしの学生とか、若い新婚さんとかが多かったんです。……オレの隣の部屋が、新婚さんで……その亭主って男がすっげえヤキモチ焼きだったんスよ。…んで、たまたまその若奥さんとオレが立ち話しているのを目撃した亭主が、奥さんが浮気してるって決めつけて、オレを間男呼ばわりして。…挨拶とか、世間話していただけなんですけどねー………奥さんがすっげ愛想よくニコニコしてたから、余計誤解されたっぽくって。………んで、もの凄い夫婦喧嘩に発展しまして。オレ、何だか身の危険を感じてイルカに相談したら、じゃあ来いよって言ってくれて………それからです」
おじさんはゲラゲラ笑った。
「そーりゃあ、災難だったなあ、カカシ君。…なまじカカシ君がハンサムでカッコイイ男の子だから、その若い奥さんはポォッとしちまったんだろうし。そら、亭主も穏やかじゃいられないかもなあ。でも、妙な事件に発展する前に逃げて正解だったんじゃねーか? ほれ、最近物騒な事件も多いし、な。………ま、俺はカカシ君があのバカと一緒に住んでくれている方が安心だから、その新婚夫婦に感謝だな」
「そー………なんですか?」
「おうさ。野郎も何故かミョーに女の子が寄ってくるみたいだからよ。カカシ君が一緒に住んでいたら、女の子連れ込んで…とか、女の方が押しかけてきて…とか、そういうケシカラン状態になりにくいだろうが」
「………かも、ですね………」
うわああ、すみません。
オレ、女の子じゃないけど、もう似たような状態になっちゃってます………ケシカラン状態です。
おじさんに申し訳なくて、オレは内心土下座した。
イルカ、うみの家の跡取り息子だもんなー………マズイよなあ、男とくっついちゃ。
イルカ自身は、一度交通事故で死にかけてから、そういう世間的なコトがどうでもよくなっちゃったみたいなんだけど。曰く、あそこで死んでたら子孫なんか残せるワケないんだから、それを思えば、躍起になって結婚して子供作らなくたっていいじゃないか、だそうだが。
オレは…今現在、イルカが傍にいてくれるこの状態が幸せで、ずっと一緒にいられたらいいなって…正直思ってしまうから。
母さんはよく、あの父さんが恋人だったのに自分から身を引く、なんて真似が出来たものだと思う。
オレには、とても出来ない。
どんなに自分勝手で我がままな想いだってわかっていても、イルカの方から別れを切り出されない限り、離れられないよ。
本当、すみません、おじさん。
エレベーターが、オレ達の部屋がある七階に着く。
駅についたところで電話しておいたから、イルカも起きて待っているだろう。
オレはポケットから鍵を出して玄関の扉を開けた。
「たーだいまぁ」
イルカは、パジャマを脱いで普段着に着替えていた。
「………おぅ。ありがとな、カカシ。親父迎えに行ってくれて。………んでもって、一応遠路よく来たな、と言っておくわ、親父」
「何だコラ、親に向かって何て言い草だ。…ったく、親以外には愛想いいクセに」
「親に愛想いい息子ってのも気味悪くないか? でも、一応の敬意は払ってるつもりだけどな」
あああ、何で会う早々………何かイルカ、機嫌悪くね? もしかして、まだ具合悪いんじゃ………
「もーお。イルカ、素直じゃないなー。おじさん、どうぞ上がってください。お疲れでしょう」
「お、ありがとう、カカシ君。ほれ、土産だ。それから、晩飯にしようと思って、駅で弁当買ったんだ。東京駅、色んな店があって美味そうな弁当もたくさんあってなぁ。迷っちまったよ」
と、おじさんはでかい紙袋を掲げて見せた。
「え? 晩飯、買ってきてくださったんですか?」
紙袋持ってるのには気づいていたけど、まさか弁当が入ってるとは思わなかったわ。
「ははは、いきなり来てメシ食わせろってのも気が引けるからな」
「やー、今日は鍋にでもしよっかなーって思ってたんですけど。…お気遣いすみません」
イルカ、食べられるかなあ。今朝まではあんまり食欲無かったっぽいけど。
「単に駅弁マニアなんだよ、親父は。…まあでも、その分眼は肥えているだろうから、期待させてもらおうかな」
「おう、期待していろ。ちぃっと奮発したからな。………で、お前、もう身体の方はいいのか。まだ、かったるそうなツラしてるぞ」
あ、さすが親。
息子さんの不調なんざ、お見通しだね。
「…………ん。熱はだいぶ下がったし。…ちょっとここんとこ、食ってないからエネルギー不足なだけ。…食欲も戻ってきたから、後は食って寝れば治る」
「そーか? お前、ガキの頃から頑丈だけどな。…自分の健康に関しては、過信はするなよ。変なところ、母ちゃんに似て意地っ張りで頑固だからな」
「………わかってるよ。つーか、ソレ親父もだろ。自分は病気しないとか思ってねえ? 俺、まだ治りきってないから。あんま近く来るなよ」
「バカ。同じ部屋の空気吸ってれば同じだっての。それにな、可愛い娘ならともかく、んなガタイのデカイ息子の近くなんざ、頼まれても寄るかい」
あー、もう、この親子は………こういう会話が、口喧嘩に発展していくんだよねー。
オレは黙って弁当とお土産をキッチンに運び、お茶を淹れようとして―――気づいた。
今朝までは無かった茶菓子がある。これ、近所の和菓子屋の一口饅頭じゃん。あまり甘くなくて、お茶請けにはうってつけの。おじさん、こういうの好きだったはず―――
………イルカの奴。
オレがおじさん迎えに出て、すぐに茶菓子買いに行きやがったな。
流しの横に、客用の湯呑もちゃんと用意してあるし。茶托つきで。
何だかんだ言ってて、これだよ。まったく。
久し振りに会う親父さんをもてなす気があるんだったら、憎まれ口利くなっての。
「親父、洗面所はあっち。手、洗うだろ? タオル、新しいの洗濯機の上に出してあるから」
「あ、おう。そうだな、洗ってくるか」
そんな会話が向こうから聞こえてきて、オレは一人で笑ってしまった。
結局、仲いいんだよな、この親子。
イルカに教えてもらった通りにお茶を淹れ。饅頭を皿に移して、リビングに運ぶ。
ん、やっぱアメリカ行かなくて、良かったかも。
治りきっていないイルカを、おじさんの迎えに行かせずに済んだし。
オレもおじさんに会いたかったしな。
………あ、今夜どうしようかなあ。
やっぱ、オレが教授んとこに寝かせてもらって、オレのベッドをおじさんに使ってもらおうか。シーツと布団カバー取り替えたら、何とかなるだろう。
枕…は、うみの家の枕って、蕎麦殻なんだよな。
オレはあのジャリジャリって音が好きじゃないんで、羽根枕使ってるけど。
…ま、いいか。駅のベンチでも寝た豪快さんが、枕くらいで文句は言わないだろう。
そういえば、サクモさんが前に来た時は、教授の部屋に泊まったんだった。
ゲストルームのベッド、サクモさんが使ったんだよな。そのベッドをオレも使わせてもらっちゃおう。
………………サクモさん、今頃何をしているんだろう。もう、ニューヨークなのかな。
それとも、まだドイツにいるんだろうか。
次はいつ、会えるんだろう。
おじさんとイルカの、毒舌一歩手前のコミュニケーションを聞きながら、オレはボーっとそんなことを考えていた。
と、その時。
ピンポーン、とチャイムが鳴る。
出てみると、宅配便だった。
ドカンとでかい箱。
宛先は、オレ。
送り主は………サクモさんだ。うわあ、噂をすればって言うけど………オレ、考えてただけなのに。
まさか、と思いながら開けると、そこにはラッピングされた箱がみっちりぎっしり。
一番上にあった手紙を恐る恐る開ける。英語で書かれていたのにホッとしながら読むと、やっぱりクリスマスプレゼントだった。
お届けの期日指定が出来なかったんだな、たぶん。それで早めに着いちゃったんだろう。
オレの誕生日の時に、歳の数だけのプレゼントを送って寄越した彼は、クリスマスプレゼントも同じ様に歳の数だけ送ってきてくれたみたいだ。
ここまでしてくれなくても…って、ついオレは思っちゃうけど。だって何だか悪くって。
でも、彼にしてみれば、これでも足りないくらいらしいから………(手紙の文面からそれがにじみ出ていた)その気持ちは、涙が出るほど嬉しい。
そして、サクモさんはイルカにもプレゼントを同梱してくれていて―――これは、素直にとっても嬉しかった。
「………イルカ〜。これ、父さんからイルカにクリスマスプレゼントだって」
少し大きめの包みを、ほいっとイルカに渡す。
「え? サクモさんが? 俺にも?」
「うん」
おじさんは、眼を丸くした。
「おいおい。…イルカまで、カカシ君のお父さんに、気を遣ってもらっちまったってのかい」
「や………気を遣うっていうか………たぶん、父の感覚だと、当たり前なんじゃないかな、と思います。クリスマスって、そういうものみたいですから。…あの、おじさんが気になさることは無いですから………ね? それこそ、オレは小さい頃からおじさんにお年玉もらったりしてるんですから」
「………いや、それとこれとは………それにしても、凄いコトをするお父さんだな」
おじさんは感心が半分、あきれたのが半分というように、大きな箱いっぱいのプレゼントを眺めた。
イルカは苦笑を浮かべる。
「親父。サクモさんには、俺から御礼するから、親父は別に気を回さないでいいからな。………あのな。…サクモさん、この前のカカシの誕生日ン時も、こういうの送ってきたんだ。………きっと、息子を育ててやれなかった、毎年誕生日を祝ってやれなかったって………すっごく残念で、悔しくて………カカシに対して、罪悪感を持っているんじゃないかな。………それで、そういう気持ちがこんな形になるんだよ」
「………そうか。カカシ君が生まれてから、今までの分なのか………これは」
おじさんは、感じ入ったように唸った。
「………………俺が同情すんのは、違うんだろうけど………何だか、切ない話だねえ。………でも、良かった」
「………おじさん?」
おじさんは、目許を和ませて微笑んだ。
「………カカシ君のお父さんが、こういう………何つうかな、………子供を愛せる人で、良かった」

 



NEXT

BACK