Silent Night −4
クリスマス・イブの二日前。 『僕の部屋は、遠慮なく使って構わないからね』というありがたい言葉を残し、教授はお郷に帰った。合鍵をもらっていて今更なのだが、彼はオレを信用してくれているんだな、と改めて思う。(ちょっとこちらが戸惑うほどに) 教授が留守なことは結構あるのだが、今日は彼のいない部屋がヤケにガランとした寂しいものに見えた。 ………本音を言うとね。 一緒に行けなくて残念だったな、という気持ちがないわけじゃない。 豪勢(だろう、たぶん)なクリスマスパーティ、見てみたかったし。 何より、サクモさんの演奏をナマで見てみたかった。前に彼から送ってもらったCD、DVDにパイプオルガンの演奏は入っていなかったので、余計に。 でもたぶん、ここで教授について行っても、オレは心から楽しめなかっただろう。 後悔する。絶対。 何で治りきっていないイルカを置いて、アメリカ来ちゃったのかなって、ウジウジと悩むのが眼に見えている。 だから今回は、行かないという選択がオレ的正解だと思うのよ。 せっかく誘ってくれた教授のご好意を断ったのも、心苦しいといえば心苦しいのだけど。 やっぱ、相棒を放ってはおけないものね。 イルカときたら、少し熱が下がってくるとすぐに起きて動き回ろうとするから、ベッドに押し込んでおくのも一苦労。 教授の部屋の観葉植物の世話をしてから自分の部屋に戻り、玄関のドアを開けると―――ちょうど目の前をイルカが横切った。もう! 眼を離すとすぐコレだ。 「おい、まだ寝ていろって! 完全に平熱ってわけじゃないんだから」 「………トイレだよ」 「トイレはいいけど、パジャマの上、何か羽織って来いよ」 ホントにもう。どうして自分の事となると、こう無頓着かな。 もしもオレが風邪をひいてて、パジャマの上に何も着ずに出てきたら、きっとガミガミと小言を言うんだろうに。 オレは、ソファの上に放り出されていたフリースの上着をイルカの肩に掛けた。 あ、この野郎、風邪っぴきのクセに裸足だし! 仕方ねえな、とオレは自分が履きかけていたスリッパをヤツの足先に押しやる。 「それから足! これ履いてけ!」 イルカはプッと噴出す。 「そこで笑う?」 「い、いや…サンキュ。………いつもと逆かな、と思って」 ………わかってるなら、やるんじゃねえ。 「いーから、さっさとトイレ行け。んでもって、即ベッドに戻るように」 「はいはい」 やっぱ、アメリカ行かなくて正解。 オレがいなかったらコイツ、治りきってない身体でガンガン無理してたに違いない。 トイレから出てきたイルカは、ベッドに戻らずキッチンに向かう。 「………おい」 オレは、冷蔵庫を物色しているイルカを睨んだ。 「何? ハラ、減ったのか」 「…うん。ちょっと何か食おうかなーと思って」 オレは思わずため息をついてしまった。 「そっか、少しは食欲出てきたか。それはいいけどな。………オレに言えよ。何か食いたいって」 イルカはキョトンとした顔でオレを見た。 「………そうなのか?」 「そーだよ。いー加減、怒るよ? ほら、あったかくしてアッチで座ってろって! で、何なら食えるんだ? お粥? おじや? 先生にもらったスープも、まだいっぱいあるぜ。うどんも買ってきてあるし。それ以外でもいいよ。何でも食べたいもの言えよ」 イルカは、どことなく居心地悪そうにダイニングの椅子に座った。 「………じゃあ……うどん、食いたいな。……簡単なのでいいから」 「オッケー」 実は、コンビニで鍋焼きうどん買ってきちゃったんだよね。水入れて、火にかけるだけの。 イルカさんだったら、まず買わないだろうなー………こういうの。多少、味には文句があるかもしれないけど、ガマンしてもらおう。 うどんを煮ている間、お茶を淹れてイルカの前に置いた。 「ほれ。うどん、もうすぐだから」 イルカは黙ってオレの顔をじーっと見た。 「な………何? 何だよ」 「…………お前。…アメリカ行くのやめたのか」 オレは出来るだけ軽い調子で「うん」と返事した。 「今回は、やめ。…行く気にならなかったんだ。……先生の乗った飛行機、もう飛んでんじゃないかな」 はあ、とイルカはため息をついた。 「………悪い。………俺の所為だな」 オレは、「違う」とは答えなかった。 確かに、そうかもしれない。イルカがインフルエンザに罹らなかったら、オレは教授について行ってしまったかもしれなかったから。 「少しタイミングが悪かっただけさ。気にするなよ。…元々、教授のその場の思いつき、みたいなお誘いだったわけだし。オレは、最初ッから俄然乗り気ってワケでもなかったんだ」 「………でも、サクモさんには逢いたかっただろ?」 「んー、それはね。まあ、ちょっとはそう思った。逢いたくなかったって言ったら、嘘になるけど。………でも、何かね。………今回は、お前を日本に残して、オレだけアメリカに遊びに行くっての、ヤだったんだ。…これを逃したらもう、サクモさんとは逢えないってわけじゃ、ないもの」 だから、とオレは笑って見せた。 「謝ったりするなよ。オレは、自分の気持ちがラクな方を選んだに過ぎないんだから」 ピピピ、というタイマーの電子音に呼ばれて、うどんの様子を見に行く。 おっし、出来たみたいだな。結構イイ匂いだ。 「おーまたせ。インスタントっぽくて悪いけど、うどんはナマだったから」 「ああ………うん、ありがとう………」 オレは、自分の分のお茶を淹れ、イルカの向かいに座った。 「先生がさ、今度ぜひイルカ君と一緒においでってさ。…夏休み、アメリカ行ってみるのも面白そうじゃね? オレさ、スミソニアン見てみたいんだよなー」 「………夜になっても、展示物は動かないぞ?」 ナイトミュージアム2かよ。 「わはは。動いたら面白いよねー。…じゃなくってだな。純粋なる知的好奇心ってヤツ!」 「わかってるよ。…そうだな、俺も興味ある。…マジに見ようと思ったら、1日や2日じゃとても足りないだろうけどな」 「あー…だーよねー。あそこ、博物館だけでも幾つあるんだっけ………行くなら、きちっと下調べをしてから行かないとだな」 教授は全部見ているのかなあ。………あの人の事だから、制覇していそうだよな。 「まあ、一度に全部は無理だな。見たいものにあわせて、行く博物館を絞って計画立てないと」 あれ? イルカってば結構ノリ気? 「………オレ、マジで計画立てちゃうよ?」 「うん。…俺もなんだかその気になってきた。………行こうぜ、夏休み」 それは、単なる夏休みの旅行計画というだけではなく。 今回アメリカに行きそびれたオレへの、埋め合わせでもあるのはわかっていたけれど。 イルカの気持ちが嬉しかったオレは、にこにこ笑って頷いた。 やっぱ、イルカと一緒に行くって考えた方が気持ちも浮き立つ。 「よーし! 来年の事を言うと鬼が笑うっていうけど、もう来年まで十日切ってるからOKってコトで! 来年の夏休みはナイトミュー……じゃなくて、スミソニアン・ツアーに決定!」 旅費の為、気合入れて貯金しよう、と決心した。―――その時である。 家電が鳴った。 オレとイルカは、思わず顔を見合わせる。 何で家電鳴ると、不吉な気がすんのかね。 「………はい」 『おーう、カカシ君か? 俺だ、俺』 ………こういう輩が多いから、『オレオレ詐欺』なんてモンが可能だったんだよな、きっと。 「………おじさぁん、やっぱ名乗ろうよ。…オレも名乗ってないけど」 受話器の向こうから、ガハハ、と笑う声がした。 『紅と同じ事言うなよ、カカシ君。…ま、電話受けた方が名乗らないのは正解だぞ。近所のオバちゃんがな、うっかり自分から名乗っちまってエライ目に遭ったって話だからなあ』 「えー? そーなんですか?」 ウチは単に、イルカとオレとで姓が二つある所為で、家電じゃ名乗らないんだが。 『つーのはともかくだ。…イルカはいるかい?』 「あ…いますけど、今、ちょっと………」 『何だ? 便所か?』 イルカは自分の親父さんからの電話だと察したんだろう。オレのすぐ後ろまで来ていた。 イルカは、ひょいとオレから受話器を取り上げる。 「電話代わったよ。…え? 便所じゃねえよ。…………何か用か? 来るの、明後日だろ。………あ? 声おかしい? うん…ちょっと、インフルエンザ………んー、大丈夫。昨日まで結構熱あったけどな。治ってきて………ああ? 何だと?」 イルカの眉間にムッと不機嫌そうなタテ皺が。 「なら、行かねーってなんだよ。…感染るって? わかった、じゃー来るな」 ガッチャン、と置きそうになった受話器を慌てて取り上げる。もー、短気なんだから! 「こら、来るなって何よ。…おじさん、カカシです」 『ああ、カカシ君。なんだ? ウチのバカ、インフルエンザだって? 迷惑掛けたろう。すまんね。君は大丈夫か?』 「オレは、今のところ。…迷惑なんかじゃなかったですよ。むしろ、普段イルカに世話焼いてもらってる恩を少しだけ返せたかなーって感じで。…おじさん、イルカはもう治ってきています。明後日ならもう床上げしてるだろうし。感染はしないと思いますよ」 おじさんは、何となく言いにくそうに「んー」と唸った。 『………ああ、いや実はな……どうせ東京行くなら、明日埼玉でやる会合にも行けやってコトになっちまって。急な事だったんで連絡が遅くなっちまったんだが、今もう、東京駅なんだわ』 おじさんは、内装士の仕事をしている。その組合の講習会だか勉強会だかが東京であるから、今回の上京になったと聞いてはいたが……ついでにご近所の会合にも顔を出すことになったわけかな? 「今、東京駅にいるんですか?」 イルカはオレから受話器を引ったくった。 「何だとこら! もう東京駅だ? 何でもっと早く言わないんだよ」 放っておくとまたぞろ喧嘩になりそうな気がしたので、オレはイルカの肩を叩いて受話器を取り戻す。何でイルカは親父さんと話していると喧嘩腰になりやすいんだろ? 「おじさん、もう東京駅にいらっしゃるなら、オレがお迎えに行きます。どっかでお茶でも飲んでいてください。ええと…三時半くらいまでには行けますから」 『いや、病人の面倒だけでも大変だろう、カカシ君。…俺まで迷惑掛けられんよ。大丈夫、俺もいい大人だ。自分のことは自分で何とか出来る』 ああ、そっか。イルカが病気だって聞いて、オレ一人に負担を掛けまいと気遣ってくれたんだな。 「せっかく、こちらにいらしたのに。…オレ、おじさんに会いたいですよ。マジ大丈夫ですから、ご遠慮なさらず。………なあ、イルカ?」 振り返ると、イルカは渋面でこっくりと頷いた。 「イルカも、頷いてますんで。じゃ、これから行きます。東京駅の地下街に銀の鈴ってところがありますよね。そこに三時半頃いらしてください」 『すまんね。じゃあ、頼む』 オレは電話を切った。 「………今夜は鍋かな。帰り、材料仕入れてくるから、お前はちゃんと寝てろよ?」 眉間に皺を寄せたままのイルカをベッドに追いたて、オレはマンションを飛び出した。
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イルカくんのお父さんも教師にしようかと思ってたんですけど。九州の教師が出張(?)で東京に来ることが果たしてあるだろうか? と。 ………わからないので、職人さんにしてしまいました。 内装士も各地に組合があるから、東京の講習会に来ることはないかもしれませんが、そこは話の都合ですだ。(笑) |