Silent Night −2

 

イルカはああ言ってくれたけど、オレにはまだアメリカでクリスマスを過ごすと言う決心はついていなかった。
行きたい気持ち半分、今回はやめといた方がいいんじゃないか? な気持ちが半分。
教授は、迷っているオレを急かすことはなく―――その代わりのように、仕事の合間にご自分の事についてポツポツと話してくれるようになった。
そういや、今まで教授のそういったプライベートな話はあまり聞いていない。
教授の実家は、ニューヨーク州郊外のウェストチェスターというところにあるらしい。
アメリカのお金持ちってのは、郊外の広い敷地にでっかい豪邸建てているって話だから、ファイアライトさんちもそういう感じなのだろう。
どんなスゲエ豪邸なのか、見てみたいって気持ちは正直あるけど。
一般庶民としての好奇心だ。だって、テレビでしか見たことないものな、そういうお屋敷。
オレは何気なく、そんな大きい家だと、子供の頃、夜怖かったりしませんでしたか? と訊いてしまった。
「んー、子供の頃はあの家にはいなかったから。僕の生まれた家ではないのでね。………父の家だというだけで、僕にはあんまり馴染みはないんだ」
「え…そうなんですか?」
カフェオレをゆったりとすすりながら、教授は微笑んだ。
「事ある毎に、呼びつけられてはいるけれど。生まれ育ったのは別の場所なんだよ。……要するに、僕は妾腹ってヤツでね。父がその当時の奥さんと離婚する前に生まれてしまったから」
オレは、ビックリして教授の顔を見てしまった。
生まれた時からまっすぐにお日様の光を浴びて、祝福されながら育ってきた生粋のお坊ちゃまなのだと思っていたから。………勝手に。
教授は淡々と話を続けた。
「ありがちな話でねえ。母も、元々はいいところのお嬢さんだったらしいんだけど、どーしても女優になりたいって、家出したんだって。で、女優を目指しながら色々頑張ったらしいんだけど、役者としては芽が出なくて。…いくら美人でも、演技力が無きゃねえ。加えて、力のある人に取り入ったり、ライバルを蹴落とすような逞しさも無くて………結局、お育ちのいい世間知らずのおっとりしたお嬢様だったから。…あ、タイプはちょっとサクモさんみたいな感じ?」
「と、父さんみたいなタイプの女の人………?」
うわ、よくわかる例を………(汗)
「サクモさんと母の違いは、才能の有無だね。母には才能が無かったけど、サクモさんは音楽の才能あるでしょう。性格的にはおっとりしているけど頭の中までおっとりしてないし、世間知らずというわけでも無いしね、君の父上は」
「…は、はあ………」
おいおい、自分の親、『才能無い』って言いきっちゃったぞ、この人。
教授はクスッと笑った。
「まあ、母にも自分には女優になる才能が無いってことがわかったんだろうね。……ある時出逢った男………つまり、ファイアライト家の三代目である父に恋をして、女優という夢よりも恋を選んだんだよ。そして、仕事人間だった父も何故か母に惹かれて、出来上がっちゃった、と。…この点、僕は父を責めないよ。普通は、奥さんがいるのに浮気しちゃダメだろ、と思うだろうけどね。この先妻さんがねえ……先に浮気してたしね」
「は?」
な、なんかドロドロした話っぽいぞ? …いいのか? こんなスキャンダルちっくな話聞いちゃって。
「父と先妻さんは、恋愛結婚じゃなかったわけ。先妻さんも可哀想だと思うよ。ファイアライト家に資金を融通してもらうことが目的の親に、強引に父と結婚させられたみたいだから。恋人、いたらしいのにね。…父の方はあんまり恋愛体質じゃない男だったもので、じい様達に『お前もそろそろ身を固めるべきだ』って言われて『そういうものか』ってね。最初に来た縁談をOKしちゃったんだって。嫁なんて誰でも同じだと思っていたらしいよ」
うわあ。………何となく、想像がついた。
自来也先生の小説を読んでいると、時々そういう男が登場するのだ。
そんな風に『誰でも良かった』的で結婚した男は、妻の愛し方がわからず―――結局、仕事優先で妻はほったらかしになるのがパターン。
そして愛のない結婚生活に嫌気がさした女は、浮気に走るのだな。
いや、その人は元々の恋人と会っていただけかもしれないけれど。(そうだとすると、気の毒だな)
「…父はね、母と出逢ってようやく恋をするってのがどういう事かわかったんだって。…母も、父には奥さんがいるってわかっても別れられなかったって言うんだから、仕方のない人なんだけどねー。………結局、父と先妻さんの離婚が成立するのに随分時間が掛かっちゃって、母が正式に父と結婚したのは、僕がだいぶ大きくなってからだったな。…もちろん、それまでも母と僕の生活は父が面倒見てくれていたんだけど。…………普通に学校行っても周りと合わない僕の為に、家庭教師をたくさん呼んでくれたのも、父」
あ、そっか。…確か教授はスキップで、十四、五歳って若さで大学出ちゃってたんだっけ。
そういう子供が、同い年の子供とうまく学校生活―――出来るわけがないか。
「じゃあ、自来也先生はその時の………」
教授はニッコリ笑った。
「そう。自来也先生に会えたのは、父のおかげだからね。そこは感謝している」
教授のお父さんか。
どういう人なんだろう。
………そういや、教授は部屋に家族の写真を飾っていない。
ほら、よく向こうのドラマとかで見るじゃないか。サイドボードや、机の上に家族の写真を置いてあるの。
唯一それっぽいのって、何故かトイレに飾ってある犬の写真。
子供の頃に飼っていた愛犬なのだそうだ。すっごく賢そうな顔のジャーマンシェパードで、実際とても賢かったらしい。警察犬や、軍用犬なんかでよくいる犬種だものな。
オレも環境さえ許されるならそういうでっかい犬を飼ってみた………いや、犬の話はいいのだ。
ああ、とオレは少し理解した。
前に彼が『子供には親の事を知る権利がある』と言った理由。
教授自身が、正式に婚姻していない両親の間に生まれ、社会的に不安定な立場で育ったからだったんだ。
だから、自ら駆け回って、オレとサクモさんの親子関係を立証し、対面させてくれた。
幸い、教授のお父さんは不倫で出来た子供をきちんと認知し、後にはその母親と結婚して責任をとったわけなのだが。
もしも、教授のお母さんがオレの母親と同じ様に自ら身を引いて失踪し、一人で教授を生んでいたら。
彼も、父親の顔を知らずに大人になっていたかもしれなかったんだ。
―――オレと、同じ様に。
彼が、オレに対して親身になってくれる理由は、そこら辺にあるのかもしれないな。
もちろん、教授が善人で根っから親切な性格だってのも大きいだろうけど。
オレは少しだけ、この変わり者の天才美形教授のことがわかったような気がした。



 

教授の部屋から自分の部屋に戻るのには五分とかからない。
バイト先が近いってのはやっぱ便利だね。メシの時間ギリまで仕事していられて。
しかも、マンション内を移動するだけだから、寒く無いし。
「ただいまぁ」
「お帰り。…あのな、カカシ。今日の晩飯、鍋なんだけど…うどんでいいかな。………メシ炊くの、忘れちまって」
「ぜーんぜん構わないよー。うどん、好きだし」
用意周到なイルカさんが、珍しいな。
………つーか、もしかしてコイツ、……身体の調子でも悪いんじゃねえ?
「………なあ、お前ってば声、変だぞ。風邪ひいてるんじゃないか? …ちょっと熱はかってみろよ」
デコに触ろうとしたオレの手からイルカは逃げ、首を振った。
「………大丈夫だ。熱なんか無い」
嘘つくな。大丈夫なら逃げないだろうが。
「はかってから言えよ」
オレは体温計を取ってきて、強引にイルカの耳に突っ込んだ。
………ピピッと音がする。早いね、この体温計は。
「………37.9度」
「………微熱だな。大したこと無い」
「待て。37度台でも、限りなく38度に近くないか? 熱があるっていうんだよ、そういうの!」
「俺は平熱が高いから、平気だ」
もしもオレに37.9度の熱があったら、強引にベッドに突っ込むくせに。
自分のことだと『平気だ』って言うんだよな、このヤロー。
「いーからもう、座ってろって。オレが後やるから。…んでもって、食ったら薬飲んで寝ること! 今夜は風呂は禁止ね」
「えぇ〜?」
ああもう、このお風呂大好き人間が!
「え〜、じゃねえのよ。熱がある時は風呂禁止。当たり前でしょうが」
「いや、ひとっ風呂浴びて、汗かいたらこんな微熱なんか下がるから」
座っていろとヒトが言ってるのに、イルカはいつも通りにガタガタと動き回る。
「悪化する可能性の方が高いだろうが! たまにはオレの言うことも聞けよ。大人しくしてろって! ツナデ様呼ぶぞ!」
イルカは途端に大人しくなった。ツナデ様効果抜群。
「………あの人は外科医だろーが………」
「医者には変わりないじゃん」
獣医呼ぶよりはマシだろ?
んー、巷ではインフルエンザも流行っているしな。
明日になっても良くなってなかったら、冗談抜きで病院だ。
「カカシ」
「ん?」
「ウチ、風邪薬買ってあったか…?」
イルカもオレも、割と頑丈だからなー。そういうモノの買い置きは無いか。(体温計があっただけでも、上出来だろう)
「無かったと思うわ。近くのドラッグストア、まだやってるだろうから行ってくる。オレもちょっと要るもんあるし」
「悪いな。…行くなら、ついでに栄養剤も頼むわ。風邪薬と栄養剤飲んで寝れば、治るだろうから」
「わーった。…あ、メシの支度、オレがやるからな! お前じっとしてろよ!」
ついでに、リンゴジュースとか、スポーツドリンクも買ってこよう。風邪の時は、水分補給も大事だモンな! それから冷えピタも。
エントランスから外に出ると、刺すような冷たい風が吹いていた。
「………う〜わ、さむ………」
下からマンションを見上げる。
カーテンを透かしてほんわりと灯りが見えた。オレ達の部屋はあそこだな。
そして、最上階の教授の部屋。
ブラインドと遮光カーテンの所為で、灯りは殆ど漏れていない。
オレはふいに、女優になりたかったという教授のお母さんの話を思い出した。
教授があれだけ美形なんだ。きっと、とても綺麗なひとなのだろうな。
そして、とても素直な人なのだろう。
恋をした相手に妻がいても、自分の想いを捨てず。
おそらくは、日陰者覚悟で子供を―――教授を、産んだ。
ある意味、強い人なんだと思う。
それに引きかえ、オレの母親は。
自分の存在が、恋人の為にならないのだと思い込んでしまい、自ら身を引いてしまった。
そもそも彼女は、ピアノで身を立てたかったのだろうか。
………留学までしていたくらいだもの。きっと、そうだったんだろうな。
でも結局、彼女はピアノへの夢とサクモさんとの恋と、その両方を諦めてしまった。
少なくとも、恋の方は諦める必要なんか何処にも無かったのに。サクモさんは、彼女と結婚するつもりでいたのだから。
たぶん、彼女が最優先したのは、胎に宿った新しい命。
サクモさんの子供を産むことだったのだろう。………諦めた恋の、形見として。
サクモさんと、母と、オレ。
親子三人で過ごせたかもしれない幻の日々を想い、オレは思わずため息をついた。
だけどイルカが言った通り、そうなっていたらオレはおそらくイルカと今のような関係にはなっていなかっただろう。
いや、出逢えていたかすらも怪しい。
「………人生ってのは………思う通りにはいかないもんだーねぇ………」
何処からか、気の早いクリスマスソングが聞こえてくる。
遠くに見えるドラッグストアの灯りを見ながら、オレは白い息を吐いた。
 

 



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