眼を覚ましたカカシは、ガバッと起き上がった。
「うわ、今何時?」
そして、薄暗い室内をキョロキョロと見回す。
「………あれ? 父さん………?」
サクモが、突っ伏すように上半身をベッドに預け、眠っていた。
状況から、自分を心配してついてくれているうち、寝てしまったのだと推測できる。
「うわ………なんか、申し訳ないっつーか………」
夏だが室内は空調が効いている。何も掛けないで寝ていたら、風邪をひきそうだ。
カカシは手を伸ばし、そっとサクモの肩を揺すった。
「父さん、父さん………風邪、ひきますよー」
「ぅん………カカ、シ………?」
サクモはしぱしぱ、と瞬きをした。
「………私は………ああ、いけない。うたた寝してしまったみたいですね。…君は、大丈夫ですか?」
カカシは元気良く頷いた。
「はい、心配掛けてすみません。……もう、大丈夫です。ちょっと寝たら、スッキリしましたから」
サクモは眼を見開いた。
「…………………カカシ? カカシ、ですか………?」
カカシはキョトン首を傾げる。
「カカシですよ? オレがどうかしました? ………あれ、ここ、父さん達の部屋じゃないですか……? オレ、何でこっちのベッドで寝てたんでしょう」
「カカシ!」
勢いよくサクモに抱きつかれ、カカシは狼狽した。
「と、父さん? ごめんなさい、そんなに心配掛けちゃったんですか。…大丈夫ですよ、ちょっと寝不足で疲れがたまっていただけですから。すっごいグッスリ寝ちゃったみたいで、気分爽快。………あ、ちょっと腹減ってますけど」
サクモはよしよし、とカカシの頭を撫でた。
「………良かった………本当に」
「やだな、父さんってば大袈裟なんだから。心配し過ぎですよー」
カカシはベッドから下りて靴を履いた。ふと、自分の服装を見て首を傾げる
「あれ? 変だな……オレ、こんな格好で寝たっけか………?」
ベッドサイドで自分の携帯が光っているのに気づき、カカシは着信を確かめた。
「イルカからメール? ナニナニ………『結局、東京まで来てしまいました。教授の用はすぐ済むみたいだから、このまま待って、一緒に戻ります。先に夕飯食べていてください』……?? 何だ? 何のこと? それに何この丁寧な文章」
サクモは自分の携帯を確かめて、苦笑した。
「ミナト達、今日中に戻れるみたいですね。……先に食事にしましょうか。私も、昼食をとっていないので少々お腹がすきました。…ダイニングに行きますか? それとも、カレーパイ、食べます? 買ってきてあるのですよ」
すかさず、「カレーパイ、食べたいですっ!」と手を挙げたカカシは、訝しげな表情で首を傾げた。
「………あの。それで、オレが寝ている間に、何かあったんですか………?」
サクモは手を伸ばし、カカシの髪をくしゃ、と優しくかき混ぜた。
「顔を洗ってらっしゃい。食事しながら、教えてあげます。………フロントに言って、美味しいコーヒーを持ってきてもらいましょうね」
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カカシはもぞりと寝返りを打った。
「うー………今、何時だ………?」
「アッ! カカシさん、目が覚めましたか!」
物凄く馴染みのある声に、カカシの意識はハッキリと覚醒した。
「………イルカ先生?」
ホーッとイルカは大きく息をついた。
「良かった〜。診てくださったツナデ様は、術を喰らった痕跡も無いし、チャクラ切れで寝てるだけだ、と仰っていましたが。………三日も眠りっぱなしで、もう目が覚めないんじゃないかと心配しましたよ」
カカシは横になったまま、周囲を見回した。
「医療棟。…ってことは、また入院してたんですか、オレ」
「一昨日、夕メシ一緒に食おうと思って、貴方の部屋に伺ったんですよ。…そうしたら、ぐっすり寝込んでいらしたので、起きたら俺のとこにメシ食いにいらっしゃいって、書き置きして、そのまま引きあげたんです。…でも、翌日の昼になっても、貴方来ないし。心配になって見に行ったら、まだ寝ていらして。いい加減起きないと、次の任務に差し障ると思って起こしたんですが、これが起きない。いくら寝穢い貴方でも、ちょっと異常でした。それで、ここに運んだんです」
カカシは軽く頭を振る。
「そうでしたか………そりゃ、ご面倒をかけちゃってすみません。………つか、寝穢いってヒドイですね、アンタ」
ハハハ、とイルカは笑った。
「すみません。思ったよりもお元気そうに眼を覚ましたんで、気が緩みました。…気分はどうです? 頭痛や吐き気は無いですか?」
カカシはゆっくりと身体を起こし、自分で点滴を外した。
「………うん、大丈夫です。ああ、よく寝たなーって感じ」
「腹は? 減ってませんか?」
カカシはヒタ、と腹に手を当てた。
「………減りました。も、ぺっこぺこです」
イルカは安心したように微笑った。
「それは良かった。…今、お粥を頂いてきますので、待っててください」
「お粥なんですか〜…?」
イルカは教師の顔で腰に手を当て、めっ! とカカシを睨んだ。
「当然です! 二日以上、絶食したんですから。味噌汁ももらってきてあげますから、ガマンしなさい」
「わかりましたよぉ。………ああ、カレーパイ食いたかったなー」
病室を出て行きかけていたイルカが、振り返った。
「は? カレーパイ? 魚のパイですか?」
「カレイじゃなくて、カレーライスのカレー。美味そうだったのにな〜………食い損なってしまいました〜…ああ、残念………」
「……カカシさん、それってもしかして、夢の話ですか?」
そ、とカカシは微笑った。
「すんごく、面白い夢見てたんですよ〜……もうちょっと、見ていたかったなあ………」
四代目とサクモが、元気に生きている世界。
あれは、本当のことだったのだろうか。
自分の世界でこうして眼を覚ました今、あの出来事が本当にあったのだと証明するすべはない。
(………もう一人の、父さん。………それから、もう一人のミナト先生………)
若くして逝った木ノ葉の英雄達は、別の世界で元気そうに笑っていた。
彼らの人生が、幸福で穏やかなものでありますように、と祈らずにはいられない。
「………カカシさん?」
いつの間にか、イルカが傍に戻ってきていた。
そして、自分が涙をこぼしている事にカカシは気づく。
「ああ………すみません。………本当に、不思議な夢だったものですから。……現実離れした幸福が、まるで甘い毒みたいな夢………」
覚えているのは、温かな抱擁と、優しいキス。
自分の記憶にあった父と同じ、綺麗な笑顔。
―――この世界の『白い牙』と同じ魂を持った、儚げさと鮮烈さをあわせ持つ、不思議な人。
「………毒な夢なら、獏に食べてもらいますか?」
カカシは首を振った。
「いいえ。………忘れません。忘れたくない………」
イルカは幾分、首を傾げた。
「カレーのパイに囲まれる夢を、ですか?」
カカシは瞬間イルカの真面目な顔を見つめ―――次いで、爆笑した。
「……そっ…そう。………カレーパイの夢を、です」
イルカが呆れたようにため息をついた。
「そんなに食べたいのなら、作り方を探して、作ってあげますよ。そのパイ」
「うっわ〜、イルカ先生、優しい〜! 愛してます〜!」
ハイハイ、とイルカはカカシの鼻先を掠めるようなキスをした。
「俺も愛してますから。取りあえず、そこで大人しくしていてくださいね」
「はーい」
パタン、と病室の扉が閉まった。
ふう、とカカシは息をつく。
「………夢か………うん、夢で良いから、もう一回逢いたいなあ………」
カカシは小さくあくびをして、もう一度布団に潜る。
ベッドの端に置かれたカカシの腰嚢の中で、三叉のクナイが鈍く光っていた。
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