この間は、彼を連れてきたのは自分だからと、教授がサクモさんを泊めてくれたんだけど。
今回はウチの用事で来ている上、一週間近くだ。
教授の部屋に厄介になるわけにもいかないと思って、ホテルを取るつもりでいたのだが。
(残念ながら、ウチには彼を泊めるスペースが無い。最上階のだだっ広い3LDKの教授のとこと違って、1LDKなんだもん)
当の教授が、サクモさんは自分の所に泊まるものだと決めつけていた。
「何でホテルなんか使うんです? 僕のトコに泊まればいいじゃないですか。せっかくゲストルームあるのに、使わなきゃもったいないですよ」
サクモさんも、戸惑っているようだ。
「いいのですか? でもご迷惑じゃ………」
「もちろん、いいのです。泊まってくれる人がいなかったら、何の為にベッド入れたかわからないじゃないですか。サクモさんなら、大歓迎。…それに、カカシ君にすぐ逢える方がいいでしょ?」
…そらァな。ここから一番近いシティホテルでも、車で二十分はかかる。その点、教授の部屋なら同じマンション内だ。五分もあれば移動出来るものな。
しかも、バイトの都合上、オレは教授の部屋の合鍵を持っているときた。
その魅力的な提案を、オレもサクモさんも断ることなんか出来ない。結局親子でぺこんと頭を下げ、「お願いします」と教授に宿泊を頼んだのだった。
教授はニッコリと微笑む。
「ん! お任せください。…なんてね。普段、カカシ君達にはお世話になっているから。たまには役に立たないとね!」
「いや、先生………それはこっちのセリフで………」
教授はキョトンとする。
「え? だって僕の引越しの時、キミ達には世話かけまくったし、しょっちゅうゴハンお呼ばれしちゃうし。……カカシ君なんて、仕事の助手以外にハウスキーパーまでしてくれているじゃない。僕がどんなに感謝しているか。ホントにすっごく助かっているんだよ。…だからね、こんな時くらい遠慮しないでウチを使って欲しいな」
あー………思い出した。この人の性格。
借りを作る事が(彼の主観の話だ。彼が『借り』だと思ってしまったら、こっちが何と言おうと『借り』になってしまうのだ)ストレスになるという。
彼に借りがあるのは、オレの方なんだが、実際。
隣のインテリ・ディンクス夫婦を花見に誘いに行くと、即座にノリノリな返事が来た。
「花見? いいねえ! もちろん行くとも! 弁当はイルカ君が作るんだろ? あの子は料理上手だから、楽しみだねえ。あ、いなり寿司と太巻きははずさないように言ってよ? あと、トリの唐揚げとポテトサラダも絶対だね。その代わり、飲み物の類はまかせろ。熱い茶から酒まで用意してやる」
「は…はい、わかりました。…よろしくお願いします」
―――いや、最初からウチが弁当係りになるってのは、わかっていたけどね。
「自来也先生は、大丈夫なんですか? 締め切りとか」
ツナデ様は妖艶に微笑む。
「満開の桜なんて、一生のうちに何度見られる? ヤボなこと言いなさんな。…ああいう粋な花は大好きなんだ、ウチの宿六」
………なるほど。仰る通りかもしれません。
「んで、何処でやるんだい?」
「あー…そうですね、千鳥ヶ淵とかいいかなー、と思ってたんですけど」
ツナデ様は首を捻った。
「千鳥ヶ淵? …確かに、あそこは桜の名所だけどね。…宴会は禁止だったと思うぞ? 毎年すごい花見客で混雑するから危険なんだろう」
「………え、そうなんですか………」
知らなかった………むう、残念。
「じゃあ、何処がいいですかね。何処か、ご存知ですか?」
「…靖国神社なら宴会OKだろうけどな。テキ屋も凄いぞ。…後は上野公園とか。…ええと、新宿御苑は確か、酒持ち込みがNGだった気が………」
酒が飲めなきゃ、花見じゃないよな。この御仁にとっては。
「…そういう、有名処じゃなきゃダメかい?」
「いいえ。…綺麗な桜が見られれば、それでいいんです。混んでいない方が、ゆっくり出来て嬉しいし」
せっかくの花見だ。酔っ払いの乱闘とか、醜いものはサクモさんに見せたくないものな。
ツナデ姫様は、ニッコリと頷いた。
「オーケイ。…んじゃ、場所は私が何とかしてやるよ。アンタ達は、弁当に専念おし。…あ、そうだ、人数は? 子供なんかも来るのかい」
そうだな。ナルトやサクラちゃんも誘ってやれば、喜ぶだろうけど。―――悪い、ナルト! サクラちゃん!
今回は静かに大人の花見がしたいんだ!
「…ツナデ様と自来也先生を入れて、六人です。全員、大人ですよ」
「………というツナデ姫様のご要望なんだけど………」
彼女のリクエストを伝えると、イルカはわはは、と笑った。
「具体的なリクエストがあった方が、メニュー考える手間がはぶけていいよ。ムチャな料理は言われてないし、ウチのいなり寿司、気に入ってくれたって言うなら嬉しいし。ええと、後は太巻きだろ、お前はおにぎりだよな。…トリの唐揚げ、ポテトサラダ……ウィンナーと卵焼きはハズせないよな。…ローストビーフとかミートパイなんてあると豪勢だよなー」
イルカは、紙にメニューを書き出していく。おいおい、マジですか。すっげえ本格的だな。
「あ。…教授はともかく、サクモさんはサンドイッチとかあった方が良くないか?」
「ん? そうだなあ…法事の会食の時は、お刺身以外はちゃんと食べていたよ。パンがなくても大丈夫だとは思うけど。…お箸も器用に使うんで、ジジババ連中が感心していた」
へえ、とイルカも感心したような相槌を打つ。
「…そっか。…じゃ、余力があったらサンドイッチも作るってコトにしよう。…お前、あと何食いたい?」
「オレ? そーだなー…グリーンアスパラのベーコン巻きとか、蒟蒻とレンコンの煮物…って、そんなに作れんの? お前」
「まあ、前の日までに作っておける物も多いし。お前だって手伝ってくれるだろう?」
オレは、「おう」と握りこぶしで応える。
そうさ、買い出しだろーが、お手伝いだろーがなんでもやる。オレが言いだしっぺだし。
今回は自分が楽しむ…というより、サクモさんに喜んでもらいたいって気持ちが強い。皆には、それに付き合ってもらう形になっちゃうんだけど。
皆が楽しむことが出来れば成功だ。
皆が笑顔なら、きっとサクモさんも楽しい気分になれると思うんだよね。
そして、綺麗な桜を見て。
日本の花見を満喫してもらいたいんだ。
◆
時計の針は、午前十時を過ぎていた。
最上階の住人からは、まだ音沙汰が無い。
朝起きたら、教授かサクモさんのどちらかが連絡してくると思うんだが。
もしかしたら長旅の疲れが出て、まだ寝ているのかもしれないな。
そうだとしても、無理はない。
向こうから十時間以上飛行機に乗った後、成田からすぐに九州に飛び、緊張を強いられる場所で他宗教の行事に初めて出席し、次の日にまた飛行機で移動。
慣れない言葉を頑張って話そうとするだけでも疲れるだろうに、法事の間、好奇の視線に晒されるわ、気を遣うわで、疲労困憊だったろう。
まだ疲れていて、当然だ。
イルカも、壁の時計を見上げる。
「…上からは何も言ってこないか?」
「うん、まだ寝ているのかもしれない。……疲れていない方がおかしいもん、父さん。…先生にも、起こさなくていいから、ゆっくり寝かせておいてあげて欲しいって頼んでおいたし……あ、もしかしたら先生もまだ寝てんのかもね」
お休みの日は、午前中いっぱい惰眠をむさぼるのが大好きな人だし。
そうか、とイルカは呟いた。
「昼飯、どうする? 何か用意するなら、四人分だろ?」
「そーだねー…ちょい、様子見に行くかな………」
と、ケータイにメール着信。教授だ。
『おはよう。サクモさんはまだ眠っているようです。やはり、随分疲れていたようだから、今日は一日休んだ方がいいでしょう。僕は今からそっちに行きます。彼には置手紙をするから、大丈夫』
即座に返信。
『おはようございます。わかりました。お待ちしています』
パタ、とケータイを閉じる。
「父さん、やっぱダウンしてるみたい。先生だけ、今からこっち来るって」
「わかった」
イルカは、すぐにコーヒーを淹れる準備を始めた。
「………イルカ」
「うん?」
イルカの広い背中に、ピトッと懐く。
「…ごめんな。お前に面倒かけちゃって………」
イルカは振り向き、コツンと軽くオレの頭を叩いた。
「ばぁか。俺を仲間はずれにする気か? …いいんだよ。お前だって、俺の親父や祖母ちゃんの事、色々気に掛けてくれるじゃないか。…それに、俺はお前のお父さんが見つかったのが物凄く嬉しいんだ。自分の事みたいにな。………わかるか? だから、俺に出来ることなら、何でもしてやりたい。お前の為に」
イルカはそう言うと、顔を傾けて優しいキスをくれた。
うわあ、ジ〜ンと来た。涙でそう。
「………ありがと」
オレって幸せ者だな、とあらためて思う。
その気持ちに、オレは何を返せるんだろう。
コーヒーをすすりながら、教授は悪戯っ子みたいな微笑を浮かべた。
「サクモさんね、たぶんもうしばらくは眼を覚まさないよ。…僕、昨夜一服盛ったから」
オレは思わず椅子を蹴立てて立ち上がる。
「何ですかソレッ! 一服盛るって!」
「ああ、言い方悪かったねえ。…身体は疲れているのに、神経は昂ぶっているみたいだったから、ビタミン剤だと言って精神安定剤を飲ませただけだよ。…結構効くよ、あれ。疲れが抜けるまで熟睡出来る」
ガタ、とオレは椅子に腰を落とした。
「…何でビタミン剤だなんて言ったんです?」
「彼が、睡眠導入系の薬を嫌うから」
教授はニコニコしている。…罪悪感、ゼロね。
―――も、いいです。…一応、礼は言っておくか。サクモさんの為を思って、その薬を飲ませたんだろうから。
「……そうですか。…それは…どうも………」
「それで、お花見計画ってどーなったの? 僕すっごく楽しみなんだあ」
気を取り直して。そっと深呼吸。
「…場所はまだ未定…というか、ツナデ様にお任せしました。たぶん、決定次第連絡が来ると思います。日取りもその時ハッキリするはずです。そろそろ桜も満開になる頃ですから、二、三日以内だと思いますよ。…ウチが弁当とかの食い物担当で、飲み物はツナデ様がご用意くださる事になっています」
「…お弁当がカカシ君達で、飲み物が自来也先生達の担当? じゃあ、僕は何を用意すればいいのかな?」
オレとイルカは顔を見合わせた。
「いや………教授は別に、いいですよ」
「うん。先生は来てくれれば」
今度は教授が椅子を蹴立てて立ち上がった。
「そーは、いかないでしょうっっ! 今回のゲストは、サクモさんだけでしょ? 地元の人間がもてなす側になるのは、当然なんだから!」
「ええと………わかりましたから、座って、先生」
教授はストンと座り直す。
数拍の沈黙の後、教授は切りだした。
「………じゃあその、お弁当の食材だけど。それのスポンサーが僕ってことでいいかな。…料理は、イルカ君とカカシ君に任せるから」
ね? と迫力のある笑顔で言われ、オレ達はコクコクと頷くことしか出来なかった |