奇跡の海 −4

(注:大学生Verです)
 

……アンコの頬が上気している。熟れたモモみたいだ。
オレと一緒に応接間に来て、ひと目サクモさんを見た瞬間から、こうだよ。
どうも、アンコはオレの父親と聞いて、外人のおっさんを想像していたらしいんだが。(実際、カテゴリーは外人のおっさん………なのだが。そこにストンとはまらないのが、サクモさんなんだよなぁ………)
たぶん、想像とは全然違っていたんだろう。
お転婆で勝気な彼女が、借りてきた猫みたいに大人しく、おどおどと彼に挨拶する様は見ものだった。娘の豹変ぶりに、おじさんが無言で眼を瞠っていたくらいだ。
今も、六人乗れるワゴン車で寺に向かう中、いつもならマシンガンみたいに一人でしゃべっているアンコが、ピタリと口を噤んでいる。
………コイツは人見知りするよーなタマじゃないから、照れているか緊張しているか、どっちかだな。
逆に、いつもは顔を合わせてもオレとはあまりしゃべらないアンコの弟―――つまり、オレの従兄弟であるカブトの方が、後部シートからオレに話し掛けて来た。
ちなみに、運転手はおじさんで、助手席に伯母さん。
真ん中のシートにオレとサクモさん。後ろのシートにアンコとカブトが座っている。
カブトはアンコよりも二つ下だ。
高校一年だが、もう父親の跡を継いで医者になると決めているらしい。
「カカシ兄さんは法学部だよね。…医学部は、場所が違うのだっけ?」
「ああ、医学部はデカイからね。他の学部は皆、都内にキャンパスがあるけど。医学部だけ都心から離れたところに在る。環境いいらしいよ。…何? K大受ける気?」
カブトは、チラリと父親を伺いながら、曖昧な返事をした。
「…選択肢の一つとして、視野に入れているだけさ。…わざわざ東京に行かなくても、医大はあるからね」
「まー、そうだね。…でも、K大の医学部ならちょっと知り合いがいるから、訊きたい事があるなら訊いておいてやるよ?」
カブトは気乗りしてない風を装いながら、生返事をする。(ホントは関心あるだろ。バレバレだっつの)
「ふぅん。………医学部に、友達いんの」
「友達……じゃないけど。…医学部の教授と知り合いなのよ」
ソコに喰いついたのは、カブトじゃなくて親父の方だった。
「医学部の教授? 誰だ?」
「え? …三忍野先生…」
「何ィッ? 三忍野?」
おじさんはガバッと振り返った。ナニゴトッ!
おじさんが振り返るのと同時に、伯母さんが血相変えて悲鳴をあげた。
「あなたッ前向いて前ッ!」
「あ、スマン」
おじさんは、すぐに前を向いてくれた。
………冗談じゃないよねー。ああ、心臓に悪い。
こんな所で事故ったりしたら、三面記事だ。コトによったらテレビのワイドショーネタだよ。
いくら、日常でも『まさか』と思うような事は起きるのだ―――なんつっても、よりにもよって、サクモさんが同乗している時に事故らないで欲しい。
「………えーと、おじさん。…三忍野先生と知り合いなんですか?」
そんな狭いのか、あの業界も。
「いや………K大の三忍野ツナデ教授といえば、医療の世界じゃ超有名人だからな。………伝説の天才外科医だ。知らない医者は、モグリだよ」
「……へえ。やっぱ、スゴかったんだあ、ツナデ様って」
カブトが、興味津々で訊いてくる。
「カカシ兄さん、そんな凄い先生とどういう知り合い?」
「…どういうって………実は、ウチの隣に住んでるんだよ。先生達が引っ越してきた時、成り行きで手伝って…まあ、それから隣人としてお付き合いをね」
おじさんは、チラッと奥さんを気にしつつも、「教授、えらい美人なんだってな」と笑った。
「そりゃもう、すっごい迫力ある美女ですよ。きょに…いや、スタイルも抜群で………」
あー、と突然アンコが声をあげる。
「カカシったら今、巨乳って言おうとしたでしょ! えっち! スケベ!」
「父さんの前で変な単語並べんな! 日本語学習中なんだから!」
サクモさんは、クスクス笑った。
………やべ。意味、わかっている笑いだ。巨乳はわからんでも、えっちとかスケベとかが『変な単語』だってコトくらいなら察しがつくよなぁ。………アンコめ、余計な事を。
「ハーン、わかった。カカシったら、サクモおじ様の前で猫かぶってんでしょお」
「…サクモおじ様って………」
アンコはキャッと頬を押さえる。
「え〜、だって、カカシのお父サマなら、アタシにとっては義理の叔父様同然でしょ? 千鳥おばさんと結婚してなくても。…なんて呼ぼうかなって、ずっと考えてたんだけど、やっぱサクモおじ様よね〜って」
………さっきからずっと黙り込んでたのは、ソレだったのか。
アンコはシートの間からこっちに乗り出してくる。
「サクモおじ様って呼んでもいいですよね〜?」
サクモさんは、アンコの方を振り返って微笑んだ。
「ハイ。…アンコさんの、好きなように呼んでくださって、いいです」
な〜にが『おじ様』? 甘ったれた声出しちゃって、まあ。他のおじさん連中を『おじ様』なんて呼んだこと、無いくせに。
車のミラーをちらっと見ると、伯母さんが呆れたような顔をしていた。
「…露骨だよ、姉さん」
「うるさい、黙れメガネ」
反射的に弟といつもの応酬をしてしまったアンコは、ホホホ、と笑って誤魔化す。………猫かぶってんのは、お前の方だっての。

 

寺に着くと、もう他の親戚連中は来ていて、本堂の前でたむろっていた。はたけの祖父ちゃんの法事もやるからか、結構人数いるな。
こういう法事とかでしか顔を合わせないから、誰がどういう関係の人なのか、オレはイマイチ全員の名前・続柄を把握していないんだが。
車から降りると、一斉に皆の視線が集中した。
もちろん、サクモさんに、だ。
サクモさんは、その視線に対して、優雅に一礼する。
さすがに舞台に立っているだけあって、そういう身のこなしが物凄く洗練されていてスマートだ。
オジサン・オバサン連中は、どぎまぎした顔でギクシャクとした会釈を返してきた。
寺の中にある休憩室で、法要が始まるまでは皆で茶を飲んだり茶菓子をつまんだりして談笑―――というのがいつものパターンなんだけど。
今回はなーんとなく、空気が違うな。やっぱ、いつもとは違う人がいる所為だろうか。
ヒソヒソヒソ、とジジイとオッサン連中が囁きあう声がする。
「…ホントにあの外人の兄ちゃんが、千鳥の……?」
「ああ、カカシの父親なんだと。それにしちゃ若いな」
「よくもまあ、今頃わかったモンじゃな」
「千春が呼んだらしいぞ」
「それで、わざわざ来たってのか? 外国から」
ばーちゃん、オバサン連中はもう少し好意的……つうか、週刊誌ゴシップのノリ。
「千春ちゃんに聞いたわよ。…なんかね、恋愛小説みたいな話よね。千鳥ちゃんも可哀想に、悲恋よね」
「カカシに似ているって話ホントだね。…いい男だわ」
「本当。…えっらいハンサムな外人さんだねえ」
「カカシも、今更だけどお父さん見つかって良かったんじゃない? もう母親をアバズレ呼ばわりされないで済むワケだし」
「そうね。ドコの誰かもわからない男の子供だと思うと、やっぱちょっと……だったしね。あ、カカシが悪いわけじゃないけど」
サクモさんには、日本語わからないだろうと思っているんだろうなー。………結構言いたい放題。
英語で「あの人達の言う事は気にしないでください」と囁くと、サクモさんは少し悲しそうな顔で頷いた。
恋人が、故郷で独りつらい思いをしていた事が、何となく察せられてしまったのだろう。
膝の上で、オレよりも白い拳がぎゅっと握り込まれている。
そういう空気を読まない(読む気も無い)女、アンコがお盆を手に賑やかにやってくる。
「サクモおじ様〜! 日本茶、大丈夫ですかあ? お嫌いでしたら、コーヒーか紅茶、もらってきますよー」
サクモさんは顔を上げ、笑ってみせた。
「ありがとう、アンコさん。日本茶、好きです」
親戚連中は一斉にぎょっとした顔をした。
ハイ、アンタ達の話、大方理解してますよ、オレの父さんは。細かいニュアンスはわからなくてもね。
「はい、カカシもついでにどーぞ」
「サンキュ…って、オレはついでかよ」
アンコはお盆を小脇に抱え、指を振る。
「あーたり前でしょー。それよりカカシ、そのグラサン外しなよ。黒スーツだから、ヤクザみたいだよ。…あと、十分くらいで始まるってさ、お経」
「わかってるよ」
法要の最中はサングラスなんかしてられないしな。…でも、どーせならヤクザじゃなくてSSとか言えっつの。
「そうそ、せーっかくサクモおじ様によく似た顔してんだから、隠すなよ、もったいない」
アンコはきゃらきゃらっと笑った。
「前はさー、何でカカシがモテんのかイマイチわかんなかったけど、サクモおじ様にお会いして納得したのよね。アンタ、美形だったんだねー」
………リアクションに困ること、言う女だ。
「…ホメてんの? ソレ」
「美形のお父様に似て、良かったわねーって言ってんの」
アンコはペロッと舌を出し、サクモさんに向かってニカッと笑いかける。
サクモさんもつられたようにふわっと微笑んだ。
賑やかなアンコのおかげで、場の空気も和んだようだ。
―――前言撤回。
空気読まない女とか思って悪かったな、アンコ。
お前、ワザと賑やかにお茶持って来たんだな。これ以上、サクモさんに連中の話聞かせたくなくて。
「アンコ」
「ん?」
「…お茶、ありがとうな」
オレの礼が、お茶そのものに対してじゃないことは、彼女にもわかったようだ。
「どーいたしまして。………カカシの為ってだけじゃ、ないもん」


足の悪いジジババも多いので、このお寺は最近、本堂に椅子を並べてくれる。
正座に慣れていないであろうサクモさんにはもちろん、椅子生活の現代っ子であるオレや、アンコ達にも助かる配慮だ。(アンコは昔、正座で痺れた足で無理に立とうとして転び、足を骨折した経験がある)
皆のやり方を見ていたのだろう。サクモさんの焼香は、初めてとは思えないきちんとした綺麗な所作で、ジジババ共を感心させたようだ。
「…ちゃんと、お数珠も持ってるじゃないの。外人さんなのに」
「お焼香も、ウチの孫よりもきちっとしとったよ。大したもんだね」
………そっかー、こういう事で年寄りの心証って左右されるのね。
お数珠の事をアドバイスしてくれたイルカさんに、改めて感謝。
それから、飛行機の中でお数珠の扱い方を教えてくれた、どっかのオバちゃんにも感謝だな。
「…それに、別嬪さんだしな」
「うん、眼福だぁな」
………おい、今のはオッサンの声だったぞ。
はたけと御手洗のウチは、メンクイしかおらんのか。
 


 

(2010/7/05)

 



 

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