成田でオレの顔を見た途端、満面の笑みで彼はオレを抱きしめ、キスしてくれた。
(例によって、他人様の視線集めまくり)
「カカシ! 逢いたかったです!」
「オレもです、父さん」
―――と、英語で返してから気づいた。…サクモさん、日本語しゃべったよね? 今。
確か、彼は挨拶程度なら日本語も出来るはずだが、前の時はオレとの会話は全部英語だったのに。
サクモさんは、にこにことオレの顔を見ている。
「元気そうですね、良かった。…すみません、飛行機、少し遅れました。…待たせてしまったですか?」
「いいえ、大丈夫です。九州への便にもまだ時間ありますし。………あの、随分日本語上手くなりましたね」
「ありがとう。…でも、発音は上手くないです。漢字も、簡単なものしか読めません」
「いえ、十分スゴイです」
マジ驚いた。
元々、母さんの為に勉強していたこともあるとはいえ、驚くほどの進歩だ。きっと、真面目で努力家なんだな。
サクモさんが日本語を話してくれてるのに、オレが英語で応えているのも何かヘンか。
でも、外国語って自分の言いたいことは言えても、相手の返事は聞き取りきれないってことも多い。
「えっと…じゃあ、オレどっちで話した方がいいですか? 英語? 日本語?」
サクモさんは微笑んだまま、少し首を傾げる。
「勉強になるから、日本語でお願いします。…わからない時は、英語でそう言います」
「わかりました」
うおお。出来るだけわかりやすい、綺麗で正しい日本語しゃべらないとマズイな。
前の時は、込み入った事は教授がドイツ語で彼に説明してくれたけど、今回は彼とオレ二人きり。
上手くコミュニケーションが取れるか、少し不安だったのだが。これなら、何とかなるかもしれないな。
もちろん、オレだってあれから語学、頑張ってはいたんだよ。
先ずは英語を『旅行会話程度』から、『日常会話OK』なレベルに持っていこうって。
教授に頼んで、バイト中の会話は出来るだけ英語にしてもらったり(指導つき)、海外ドラマは吹き替えナシを見まくってヒアリングの訓練をしたり。
で、英語をもっとモノに出来たら、今度はドイツ語だと思ってたんだな。オレのドイツ語はまだ、三歳児にすら劣るレベルなんだ。会話に関しては。
第二外国語にドイツ語を選択していたことだけが、僅かな救いだ。基本的なことはわかるし、文章なら多少は読めるから。後は辞書と、文明の利器・翻訳機能付きゲーム機が頼りだ。(ドイツ語に関しては)
目標は、日・英・独三ヶ国語ペラペラ! …だな。
ああ、対人間限定ドリトル先生状態のファイアライト教授がマジ羨ましい。
どーなってんだろね、あの人の頭ン中。そのうち、犬猫とも会話しそうでコワイよな。
腕時計で時間を確かめていたら、オレの仕草に気づいたサクモさんが嬉しそうに微笑んだ。
「…時計、使ってくれてますですね。良かった」
ああっ! そうそう、コレの御礼!
「はい、すごく気に入っています。ありがとうございました。…でもあの…こんな、気を遣ってくださらなくてもいいんですよ。…オレ、かえって申し訳ないというか………」
サクモさんは僅かに首を振った。
「ごめんなさい。…キミが、困る…エンルオ? するいうこと、わかっていましたですけど。…キミに、似合うと思ったです。そうしたら、他の物では、ダメで」
「…父さん………」
「………嬉しかったです。バレンタインに、私を思い出してくれたって事。…だから、キミに伝えたかったんです。嬉しかったと。キミの存在は、私を幸福にしてくれています事を」
ああ、イルカの言った通りだったんだな。
彼にとっては、チョコレートがどうのって問題じゃなかったんだ。オレが、そのチョコを贈る相手として、彼の存在を思い出したこと。
それが、彼にとっては重要だったんだ。
「…オレもですよ、父さん。…貴方の存在は、オレを幸福にしてくれました」
また恥ずかしい親子・大告白大会になっているけど、構うもんか。
サクモさんは、嬉しそうにオレの肩を抱く。
エンルオ、じゃなくてエンリョ、だってのはまた今度だ。
九州に向かう飛行機の中で、オレはサクモさんに用意しておいた数珠を手渡した。
宗派を問わずに使える(と、仏具屋さんで教えてもらった)略式の一輪数珠だが、これで十分だろう。
オレが買いに行った店では、男性用の数珠は面白みのない黒っぽい物が多かった。
普通のオジサンならそれでいいんだろうけど。サクモさんには似合わないと思ってさ。翡翠ので、オレにも手の届く値段のがあったので、それにしたんだ。
本当は、淡いグリーンとかそういう綺麗な色の方が彼に似合うと思ったから、それを選ぼうとしたんだけどね。店員に止められてしまったのだ。それは女性用だから、やめた方がいい、と。
最初に、自分のじゃなくて、父親のだと言ったのがいけなかったな。
…ま、いいや。女性用をサクモさんに持たせて、いらん恥をかかせたらいけないし。
「これは、仏事の時に使うもので、数珠といいます。仏様に向かって合掌…あの、手を合わせて拝む時とか。そういう時に、手に掛ける物なんです」
「…ああ、見た事、あります。確か、僧侶サン持っていましたね」
サクモさんは、数珠袋から取り出した数珠を手に通す。
「綺麗ですね。………こう、ですか?」
「んっと、確かこう…だったかな………」
ウロ覚えの、数珠の掛け方を彼に教えていると、通路の向こう側から遠慮がちなご婦人の声が。
「………あの、失礼だけど。…ちょっと違うかしら」
年配のご婦人は席を立ち、オレ達の方に屈み込む。
「扱い慣れていらっしゃらないなら、こう…左手の方だけに掛けるだけでいいですから。親指の下に通す感じでね、こう………で、手を合わせて。そうそう、それでいいですよ」
オレは恐縮して、親切なご婦人にぺこっと頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いえいえ、なんかお節介なおばさんでごめんなさいね。…お葬式…ですか?」
「いいえ。…法事なんです」
ご婦人は、意外そうな顔でオレとサクモさんを見た。
「…わざわざ、外国からいらしたの? 法事に?」
ああ、そりゃオレ達はガイジンさんにしか見えないよなあ………オレが日本語しゃべってても。
「ええ。…大事な人の、法要なので」
「まあ、凄い。それでわざわざ、お数珠まで用意したなんて偉いわ」
「…父は、日本の法要は初めてですので。それで……」
え、と彼女は驚いた声を出した。
「お……父様?」
サクモさんは、ご婦人にニコ、と微笑んだ。彼女の頬がポッと赤らむ。
「まあまあまあ………私、ご兄弟かと………お若いお父様ですのねえ」
………そーいや、オレも彼のトシ知らないや。
オレがもう十九歳なんだから、若くてもたぶん四十前後だろうけど。…別にそんなもん、どーでもいい気もするし。
ああでも、傍目にはオレ達、兄弟にも見えるのか。
オレと彼女の会話には口を挟まなかったサクモさんも同じ事を思ったらしく、苦笑していた。
法要そのものは寺でやり、その後近くのホテルの和食レストランで会食することになっている。
母さんの法要だけでは、御手洗(伯母の嫁ぎ先だ)の親戚連中が動かないと踏んだのだろう。
伯母は、はたけの祖父の三十三回忌と一緒に法要をすると言って、今回の段取りをしたらしい。(その事は後から聞いた)
お寺直行でもいいけど、やっぱりアレだ。伯母さんの所に、最初に挨拶に行かないとマズイよな。
と、いうワケで、オレ達は伯母の家に向かった。
伯母は、にこやかにサクモさんを迎えてくれた。
「まあ、遠くからよくいらっしゃいましたね。お疲れでしょう………って、日本語わからないんだっけ? カカシ、あんた通訳して」
でも、オレが通訳する前に、サクモさんが丁寧に頭を下げた。
「お久し振りです、千春さん。…この度は、私にまでお声を掛けてくださって、ありがとうございました」
伯母は、「ま」と眼を丸くした。
「あらま、日本語お上手になって!」
サクモさんは恥ずかしそうに首を振る。
「いいえ、まだあまり…少しだけ、です。…カカシと話したくて……勉強、しているところです」
それにしては、さっきの挨拶は流暢だった。
…あ、さては伯母さんにする挨拶は、教授にでも聞いて練習したな?
「そうなんですか。まあ…じゃあ、わからない時は、ご遠慮なくそう仰ってくださいね? 田舎の年寄りの言葉は、日本人でも聞き取れませんから、気になさらないで。……もう少ししたら、お寺まで車で移動しますから。ひとまず、お茶でも召し上がって休んでいてください」
おおお。マジ、伯母さんの態度ったら物凄い軟化。
初対面でサクモさんを睨みつけていた時に比べたら、雲泥の差。感動すら覚えちゃうね。
「伯母さん、おじさんは?」
「洋間にいるわよ。…じゃあ、お茶、そっちに持っていくわ」
「ありがとう。…あ、お茶オレが持っていくよ」
オレまで、お客さんヅラ出来ないもんな。
「そう? わかったわ。用意しておくから取りにいらっしゃい」
「うん、お願いします」
コンコン、と応接間の扉をノック。
部屋の中からはすぐに返事があった。
「おーう」
オレは扉を開け、ペコンと頭を下げた。
「…お久し振りです、おじさん」
「お、カカシか。久し振りだな。大学の勉強で忙しいのもわかるけどな、休みにはもっと顔を出しなさい。……千春が、寂しがっとる」
初耳だぜ、そんなん。…まあ、帰らないでいると文句言われたけど。
「おじさん、千春伯母さんから話は聞いてると思うけど………オレの、父です。…父さん、千春伯母さんの夫で、オレの義理の伯父です」
サクモさんは、おじさんにも丁寧に挨拶をした。
「はじめまして。…サクモ=アインフェルトと申します」
おじさんは、座っていた椅子から立ち上がった。
「はじめまして、御手洗です。……本当だ。カカシは、貴方にそっくりですな。これなら納得だ。…まあ、どうぞお座りになって……えっと、日本語でいいんですか? 私は筆記ならドイツ語、多少わかりますが」
そうだった。おじさんは医師なので、ドイツ語をかじっている。
サクモさんは困ったように首を傾げた。
「スミマセン。…日本語、まだ少ししか話せません。…ドイツ語、ヒッキ…?」
「筆記って、紙に書くことだよ、父さん」
おじさんは、最初から想定していたらしい。ペンと、レポート用紙を用意していた。
なるほど、とサクモさんの表情が安心した様に緩んだ。
と、一度座った椅子から立ち上がり、再び頭を下げる。
「…ミタライさん。…あらためて、御礼申し上げます。カカシを、育ててくださって、ありがとうございました」
いやいや、とおじさんは首を振った。
「千鳥さんは、千春の妹だ。…なら、私にとっても妹です。その、妹の子供ですからね、カカシは」
おじさんは、身振りでまた椅子にかける様にサクモさんを促す。
おじさんの態度を見る限り、少しの間二人にしておいても大丈夫だろう。
オレは、台所にお茶を取りに行った。
廊下に出たところで、オレはいきなり誰かに袖をつかまれる。
「カカシ! ひっさしぶりぃ!」
「………あれ、アンコかよ。珍しいなぁ。…何? 法事出るのお前も」
アンコは二つ年下のイトコだ。御手洗家の長女。
私立高校の女子寮に入っていて、普段は部活だ何だとあまり家に寄り付かないんだが、コイツも。
「え〜? だって、アンタのおかーさんと、はたけのおじーちゃんの法事じゃないよ。アタシが顔出して何がおかしいのさぁ」
それよりぃ、とアンコはオレの背後を覗くように首を伸ばす。
「ね、ね、カカシさ、お父さん見つかったんだってね! 良かったじゃん〜! でさでさ、一緒に来てるんでしょー? そのお父さん! で、金髪の教授ってヒトも、また来てんの?」
うお。好奇心全開。素直なヤツ。
さては、この間の顛末を伯母さんから聞いたな?
「…教授は来てないよ。…父さんなら、洋間でおじさんと話している。今からお茶持って行くから、挨拶したいんなら、一緒にくれば?」
アンコは唇を尖らせた。
「なーんだぁ。通訳で一緒に来たっていう金髪の教授が、すっごいハンサムだったってママが言ってたから、楽しみにしてたのになー………」
ホント、素直なヤツだね。………つか、伯母さん、メンクイだったんかな。………そら、教授は滅多にいない美形だが。ハリウッドにだって、あれだけの男はそういるまい。………ツラだけなら。
「あ、でもカカシのおとーさんにも興味あるっ! アンタに似てるんだってねえ」
「オレに、じゃないよ。…オレが、あの人に似ているの。…うん、髪とか、眼の色殆ど同じだよ。…顔立ちも、似ているかな」
だから見つかったんだけどな。オレが彼によく似ていなかったら、教授も気づかなかったはずだ。
「背は? ごっつい感じの人?」
「背は高いよ。んで、ほっそりしてる。ごつくもムサくもねえよ」
アンコは、エサを前にした猫みたいに眼をキラキラさせた。
「アタシ、お茶持ってくの手伝ってあげる! ほらほら、何してんのよ。早く行こ! カカシ」
………お前に邪魔されてたんだよ、とは言えない。
悲しい居候根性が染み付いているオレだった。
|