奇跡の海 −2

(注:大学生Verです)
 

教授がドイツ語で書いてくれた『十七回忌法要のご案内』を、オレは一応自分で書いた英文と共にサクモさんにメールで送った。
送った翌々日の晩、彼から返事が来る。
すぐに返事が来なかったのは、たぶんスケジュールの調整が出来るかどうか、他の人に確かめねばならなかったからだろう。
確実に日本に行けるかどうか、わかってから返事をするというのは彼らしい気がする。
返事は、『彼女の魂を供養するためのセレモニーなら、是非行きたい』というものだった。
実のところ、彼が来られる確率は半々だろうと思っていたオレは、思わず小さな声で「やった!」と喜んでしまった。
ああ、母さん―――ごめん。
貴女の供養をダシにしたみたいで申し訳ないけど、オレはまた彼に逢えるのがすっげー嬉しいんだ。
でも、母さんなら喜んでくれるよね?
オレが、彼―――サクモさんと逢うことを。
彼が自分の夫扱いで実家に来るって知ったら、恥ずかしがるかもしれないけど。
そうだ。
母さんの法要は、ちょうど桜が咲く頃だ。
日本の満開の桜を、彼にも見せてあげたい。
今度はどれくらい日本にいられるのだろう。もし、とんぼ返りしなくてもいい日程なら、教授も誘って皆で花見、なんてどうかな。
法要で来てくれる人を花見に連れてくって、ちょっと不謹慎かな…?
でも、伯母さんの話じゃ、母さんは桜が好きだったって言うし。んーと、供養の一環ってコトで。
万一サクモさんが不参加だったとしても、花見って言えば教授はたぶん来てくれるだろうし。
教授が来れなかったとしても、それならイルカと二人でしっぽり…いや、二人で花見をすればいいだけの話だ。
一応、計画だけは立てておこうっと。
なんか、わくわくしてきた。
―――マジごめん、母さん。




「…で、サクモさん来られるって?」
「うん。取りあえずOKみたいよ。…まだ、詳しい日程とかわかんないけど」
ガリガリガリ、とイルカはコーヒー豆を挽いている。いい匂いだ。
「そっか。…その頃はこっちも春休みだし、今度は少しゆっくり出来るといいな」
「そーなんだよね。………ねえイルカ。その頃って、東京じゃ桜咲く頃だよね。………皆でお花見なんてどーかなー…ってさ、思ってたんだけど」
オレは教授に貰ったロールケーキ(何でかあの人はよくお菓子を貰うらしい。そのおこぼれがウチにもしょっちゅう来る)を切りながら、ちらっとイルカを見上げた。
イルカが難色を示したら、この話はナシだな、と思ってたから。
イルカは、パッと笑ってくれた。
「ああ、そりゃいい。教授もお誘いするんだろう? 何なら、自来也先生達もお誘いすれば賑やかでいいんじゃないか?」
あ、そっか。…オレ、自来也先生のこと忘れていた。
「…そーね。自来也先生とツナデ様にも、サクモさん紹介したいしね」
イルカは苦笑する。
「………おい。お前まで『サクモさん』はないだろ」
「あー………つい、ね。あの人の顔見ないと、『父さん』って出てこないのよ」
父親だとはわかっていても、育ててもらったわけじゃない。一緒に暮らしたことも無い。
今まで二十年近く、その存在すら知らなくて。
たった一度、逢っただけの人。
それから何度か電話で話したし、メールでのやりとりも結構している。
でも、スッと自然に『父さん』と呼べるほど、彼の存在に馴染んではいないのだろう。オレ自身が。
イルカは黙ってオレの傍に来ると、ポンポン、とオレの頭を撫でた。
「………ま、そりゃそーかもな。……でも、大丈夫だよ。彼の顔を見れば、ちゃんと『お父さん』って呼べるんだろう? その第一関門を突破出来ないで悩む人も、いるらしいから」
うん。
オレは、彼と初対面の時、割とすぐに『お父さん』と呼ぶ事が出来た。
彼を何と呼んだらいいのか一瞬戸惑ったオレに、教授が『お父さん、でしょう? 他に何と呼ぶの』と背中を押してくれたおかげもある。
けど、一番の理由は、彼が―――サクモさんが、オレという息子の存在を認め、喜んでくれているというのがわかったからだ。
オレの存在を知った途端、すぐに日本まで会いに来てくれた彼。
母さんを―――姿を消した恋人を、もっと懸命に捜せば良かったと。捜して捜して、追いかければ良かったと。
その時諦めてしまった事を、物凄く後悔していた。
そしてそんな恋人を忘れられずに、他の恋も結婚も出来なかった一途な人だ。
彼は、今からでもオレの父親になろうと、色々心を砕いてくれている。
そんな人を、どうして受け入れずにいられる?
「ん、そうだね。………イルカとさ、おじさんみたいな感じの親子には、もしかしたらずっとなれないかもしれないけど。…少なくても、オレは彼を恨んでいないし、逢えた事を心から喜んでいる。…ちゃんと、お父さんだって、思ってるよ」
イルカは微妙な顔でそっぽを向いた。
「いや………俺んちみたいにはならなくていいよ。…喧嘩したら結構マジな殴り合いになる、バイオレンスな親子だぞ」
オレは思わず笑ってしまった。
オレがサクモさんと殴り合いって……想像出来ないよ。
喧嘩も想像出来ないな。先ず、怒って怒鳴る彼が想像出来ない。
仮に喧嘩したとしても、彼に泣かれでもしたら、即オレ謝っちゃいそうだ。(痴話喧嘩だよ、それじゃ………)
「でも、加減は心得てるだろう? イルカもおじさんも空手の有段者じゃん。喧嘩っていうより、試合みたいになってるし。…いいじゃない、普段は仲いいんだから」
「まあな。………別に、仲悪くはないけどな………」
「だろ? ならOKだって。…あ、ほらコーヒー出来てるんじゃね? お茶しよ、お茶」
淹れたてのコーヒーと、買ったらたぶん高いんじゃねーか? なマンゴーのロールケーキでお茶をする。うん、優雅だね。
「なあ、カカシ」
「ん?」
「………お前、サクモさんに何かお返ししたいって言ってたよな?」
あー、そうそう。
気まぐれにバレンタインチョコを贈ったら、ホワイトデーにこっちが慌てるようなお返しを贈ってきたんだよ、おとーさんってば。
オレは、彼が贈ってくれた腕時計を手で押さえた。
「うん。…だって、何だかチョコ一箱でこんなん貰っちゃって悪いって言うか………」
「それでさ、俺も忘れてたんだけど。………普通、仏事にはお数珠を持っていくだろ?」
―――あ。
「………そっか。…きっと彼、お数珠なんか持ってないよね」
「俺のを貸してもいいと思ったんだけど、ああいうのって、自分のがあった方が良くないか?」
オレは思わずイルカの肩をパンッと叩いてしまった。
「イルカ、ナイス助言! あの人のお数珠、オレが用意しておけばいいのか!」
………ああいうのもピンキリで、高いのはバカみたいに高いんだろうけど。
教授んトコのバイトで最近結構実入りがいいから、そこそこのモンなら用意できるハズだ。
「サンキュ、イルカ」
大袈裟に抱きつき、どさくさにまぎれてキス。
「よせ、真昼間から」
「ほーう?」
そーゆーコトを、どの口が言うかね。
サカッた時は、真昼間でもヒトを押し倒すくせに。
「………今その気になったら、マズイだろーが」
「あ、そゆコトですか………」
―――そりゃマズイよな。
オレは、そそくさと離れた。
イルカとえっちすんのは大好きだけど。オレ、これからバイトあるんだもん。
教授ってば、結構ハナもカンもいいからなー。
彼には、オレとイルカの仲をバラしたくはない。
オレはまだいいとして。
教職志望のイルカは、ゲイだなんて噂が立ったらマズイものな。
以前に比べたら、多少はそういうモンに対する風当たりは弱くなった気がするけど。でも、世間一般的にはまだまだ認められてはいない。
好奇と色眼鏡で見られること必至だ。
教授は―――彼ならおそらく、秘密にしてくれと頼めば、絶対によそでしゃべったりしないと思う。
でも、よく言うだろう?
秘密っていうのは、誰か一人にでも知られたら、秘密じゃなくなるんだって。
………だから。
まだ、知られる訳にはいかないんだ。
教授にも。
もちろん、サクモさんにも。
親には、いずれカミングアウトしなきゃいけないことかもしれないけどね。
言わずに済むなら、言いたくはない。
お互いの心の平和の為に。
 


 

(2010/6/28)

 



 

NEXT