奇跡の海 −1
(注:大学生Verです)
家電が鳴った。 オレとイルカの友達、知り合いは皆大抵、ケータイの方にかけてくるのだが―――と、言う事は、相手はたぶん。 「はい、もしもし………あ、伯母さん」 やっぱな。 親戚か、テレアポくらいだろーとは思ったのさー。固定電話の方にかけてくるのは。 一通り、こっちの様子だの健康状態だのの心配をした後、千春伯母さんは用件を切り出した。 『…それでね、カカシ。あんた、忘れてないでしょうね。今年、あんたのお母さんの十七回忌だからね。ちゃんと、法要には帰ってくるのよ』 ―――あ、そうだった。 もう、母さんが亡くなってそんなになるんだな。 「あ、うん。わかってるって。…他ならぬ母さんの法要だもん。ちゃんと帰るよ、伯母さん」 『………それでね、カカシ。………あのね………』 何だ? 歯切れ悪いな、伯母さん。言い難いことか? 「…何?」 ゴホン、と伯母さんは軽く咳払いをする。 『………あんた、あの………あのお父さんには連絡つくの? …あのね、法事があるって…日本にはそういう風習があるんだってこと説明して、ご都合がつくようなら来てもらったらどうかしら、と思うんだけど。…だって、千鳥の法要なんだもの。………あの子にとっては、大事な恋人で…その…夫同然の人だし……あんたのお父さんだし。…その……こ、来られるなら、だけど』 伯母さんは口ごもりながらだが、思いがけない提案をしてくれた。 「え? いいの? お父さんも呼んで。………わかった、ありがとう伯母さん。連絡してみるよ。………仕事が詰まってなかったら、たぶん来てくれると思うから」 伯母さんは、そう? と何となくホッとしたような声を出した。 『………あれから、ちゃんと連絡取り合ってるのね。良かった。………ああ、そうだ。私、あの時は聞きそびれたけど、あの人って何をやってる人なの? 会社員?』 あー、そっか。そういう話までする雰囲気じゃなかったもんなあ。 でも会社員って………何だかあの人にはすっげえ似合わない感じ。まあ、社長とかならアリかなー、とは思うけど。イメージ的に…だけどね。 「…えっとね。彼は音楽やってるんだよ。…楽団の指揮したり、歌ったり、パイプオルガン弾いたり。……作曲とか、色々やってるみたい」 伯母さんは、二、三拍置いてから口を開いた。 『………よくわかんないけど…芸能人…じゃないのよね』 伯母さんのイメージするところの『芸能人』とは、がんがんテレビに出て顔を売っているタレントとか歌手とか…だよな。 そういうのとはちょっと違うと思う。たぶん、クラシック専門だろうし。 ああ、あの墓地での彼の歌声を伯母さんにも聞かせてやりたかったよ。すっげー良かったもんな。 「芸能人って言うより、芸術家? あ、音楽家。…そう、音楽家だよ」 『………音楽家って、要するに自由業…?』 「………かな。…あ、でも結構忙しいみたいなんだ。…だから法要には来られないかもしれないけど………でも、あの………」 電話の向こうで、伯母さんが笑う気配がした。 『………バカね。別にあの人が来られなくても、悪くなんて思わないわよ。遠いんだし。私だって、直に会って話して…彼がきちんとした人だってのは、わかっているから。そんな、あんたが庇う必要は無いの。………でもあんた、お父さんが好きなのね。…本当に良かったわ』 オレは、受話器をぎゅっと握りしめてしまった。 「うん。………伯母さん。………ありがとう」 電話を切ってから、オレは悩んでしまった。 連絡するのはいいけど、日本の仏事とか回忌について、どう説明をするか。 ダイニングのテーブルで紙に向かって唸っていると、イルカがひょいとオレの手元を覗き込む。 「………何を唸ってるのかと思えば………英作文?」 イルカさんは英文学科ってのもあって、オレより英語は得意だ。特に文章になると。 でも、あんまり頼るのもなあ………ただでさえ、普段の生活において甘えてるとこ、多いのに。メシ作ってもらってたり。 「んー、実はさ………」 さっきの伯母さんとの電話内容を、イルカに説明する。 「ああ、お前のお母さんの法要かあ。…それにサクモさんを呼んでもいいって、伯母さんは言ってくれたのか。………何だか、いい傾向じゃないか。伯母さん、彼を身内だと認めているって事だろう?」 「ん………それにね、たぶん…だけど。…伯母さんは、母さんが…自分の妹がすっごく可愛かったんだと思うんだよね。…でなきゃ、オレを引き取ったりしないと思うんだ。…だから、妹の名誉を挽回するって言うかさ。主に彼女のダンナの親戚連中に、妹はふしだらな娘ではなかったんだってこと、言いたいんじゃないかな。………実際、あのオジサン連中はさ、酷ぇ憶測でお母さんをメチャクチャに言ってたもん。…ま、オレの父親が誰なのか、頑として言わなかった母さんが、いけないと言えばいけないんだけど」 外国で、ハメをはずして遊びまくった挙句に、父親が誰だかわからない子を胎に宿してしまったんだろう、とか。レイプされて泣き寝入りしただけじゃないかとか。まー、散々言いたい放題だったもんな。 その噂話を耳にしていたであろうイルカは、不愉快そうに眉を顰めた。 「ああ………たぶん、そういうのも、あるだろうな。…それには、実際にサクモさんを紹介するのが手っ取り早いし」 「でさ、呼ぶのはいいんだけど、こっちの風習というか習慣を、あの人にもわかりやすく説明するのに適切な表現がさあ………何だか難しくて」 イルカはオレの書いていた英作文にサッと眼を走らせる。 「……うーん、間違っちゃいない文章だと思うが………どれだけ正確にニュアンスが伝わるか、だな。…いっそ、教授に説明して、ドイツ語に翻訳してもらった方が確実じゃないか? 事が事だ。ちゃんと伝わった方がいい」 「やっぱ、そう思う? …あんまり、サク……父さんの事で先生に迷惑かけたくないと思ったんだけど……」 イルカにも、教授にもね。 イルカは、ポンポン、とオレの頭を撫でる。 「お馬鹿。…お前、今までの彼を見てて、わかんないか? あの人は、お前やサクモさんの為になることなら、喜んで手を貸してくれる人だよ。…それにあんな、息吸うみたいに何カ国語もペラペラしゃべる人にとっちゃ、それしき朝飯前だろう。迷惑のメの字にも思わないよ、たぶん。………いや、むしろ、そういうプライベートな相談なら、かえって喜びそうな気が………」 ああ、さすがイルカさん。…言われてみれば、そーかもしれない。 「………うん。大事なコトだしね。…先生に相談するわ。…晩メシ前に、行ってきていい?」 「ああ、良かったら夕飯に誘って、来てもらったらどうだ? 今日カレーだから、一人増えたって大丈夫だぞ」 イルカの作るカレーは美味い。教授はイルカの料理が好きだから、たぶん喜ぶだろう。 「増えるのが、彼でも?」 「…増えるのが、彼でも」 オレは思わず笑ってしまった。 教授は、細い身体に不似合いなほどよく食う。ああいうの、ヤセの大食いって言うんだろうな。 その彼を呼んでも大丈夫なほど、カレーもメシもたっぷりあるんだろう。 「じゃあ、今からちょっと仕事しに行って、そいでお誘いしてくるわ。OKだったら、メールする」 サラダやスープの準備もあるもんな。 「わかった。気をつけて行けよ。転ぶんじゃないぞ」 ………アンタ、オレの母ちゃんですか。 「同じマンションの中だっつの………」 イルカは真面目な顔でかぶりを振った。 「特にエレベーターな。…つい最近も、どっかで事故あったろ。ちゃんと、カゴが来ているか確認してから乗れよ。それから、妙なヤツと一緒に乗るな。乗ってきたら、お前が即降りろよ」 「う……そうだね。エレベーターは怖いかもなあ………」 実際、高校の頃、乗っていた駅ビルのエレベーターが途中で停止してしまった事がある。なんか中途半端なところでハコが停止していたらしく、救助に来てくれたエレベーター会社の人がドアを開けたら、オレの胸の高さくらいに床面があったんだよね。 彼らの手を借りて、ビルの方に出られたんだけど。這いずり出ている最中に急にエレベーターが動いたらどうしようとか、ちょっと怖い思いをした。 日常でも『まさか』と思うような事は起きるのだ。 イルカの言う通り、用心に越したことは無い。 「んじゃ、オレ何が起きてもいいように、出掛ける時はお前に別れのキスをしてから行くコトにする」 イルカは、ハァ、とため息をついた。 「バカ、縁起でもないこと言うな。………でも、無事に行って帰って来いっていう見送りのキスならしてやるぞ?」
イルカが言った通り、教授はオレの相談に快く乗ってくれた。 |
(2010/6/26) |
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カカシのお母さんの法要&みんなでお花見編。 カカシのイトコとして、アンコやカブト(!)が登場致します。 初出:『奇跡の海』(2009/5発行) |