いとしのマリリン−3

 

今日はイルカもバイト(ちなみに、地元少年サッカーチームの指導員補助のバイトだそーだ。…バイト代、出てんのか? 本当に)で出掛けているので、オレは午前中から教授のところへ来ていた。
今日のお仕事は、彼が書いている手書きのレポートを、パソコンで清書すること。
教授もいい加減パソコンで書けばいいのに。メールが打てるんだから、キーボード入力が出来ないわけじゃなかろうにな。
だが、彼曰く、ただの連絡事項(つまりメール)と、論文は別物なあのだそうだ。
学術的な文章は、ペンで書かないとイカンらしい。
モニターと紙。キーボードと万年筆。この違いはでかいのだと。
脳で閃いた言葉が、次の言葉に連なり、更にインスピレーションをかきたてるには、自分の手で綴るのが一番だとかなんとか。
………まあ、何となく言わんとするところはわかるし、オレもこうして彼の文章を清書するのは英語の勉強になるからいいんだけれど。このバイトのおかげで、英語での入力スピードもアップしたしね。
一区切りついたところで十一時になったので、オレはいったん入力作業を中止した。
「せんせ、昼メシ何にします?」
教授は、ペンを止めて時計を見た。
「え〜何? 今リクエストを聞いてくれたってことは、カカシ君が作ってくれるの? ランチ」
「ええ。あ、イルカみたいな料理は期待しないでくださいよ? オレ、簡単なのしか作れませんから」
あはは、と教授は笑った。
「僕だってそうだよ。いや、料理はキミの方が上手いかな。アメリカのお弁当って知ってる? すごいよ。カンタン大雑把もいいところ。パンにピーナッツバター塗って、それでサンドイッチにして終わり。あと小さなリンゴが丸ごと。それが、紙袋にそのまま入ってる。そういうのが当たり前って事も多いの」
「………そういうの、スヌーピーのマンガとかで見ましたけど。マジでそれが普通なんですか? 先生もそういうのを?」
「そうだね。ホラ、僕の母はお嬢様育ちで、金持ち学校しか知らないから。ごく一般的な収入の家庭の子供がどういうお弁当を持たされるか、知らなかったんだよね。で、ハウスキーパーのおばさんに頼んで、他の子供達と同じようなお弁当を作ってもらったら―――そういうのだったんだ。おかげで、ミドルスクールのランチタイムに妙な焼き餅を焼かれずに済んだよ。むしろ、あ、アイツんちも結構ビンボーなんじゃん、可哀想、みたいな目で見てくれてねえ。助かったよ」
「え〜と? じゃあ、もっと贅沢なお弁当の子もいたって事ですか?」
「ん〜、まあ、そこは当然、個人差はあったよ。ピーナツバターやジャムのサンドイッチじゃなくて、ちゃんとハムやチーズなんかのサンドイッチを持って来る子もいた。チキンとか、ポテトとか豪勢に。…それと、年齢差もあるかな。大学じゃパスタ茹でて持ってくる人もいたし、ハンバーガーが常食の人もいたけど。大学まで行くと、構内のカフェで済ます人が多いんだけどね。僕はそういう所に入りにくくて。大学でも弁当派だったなぁ。たまに外出て、ホットドッグとかシシカバブとかも食べたけど」
あ、そっか。
教授はスキップしてるからな。
スヌーピーのマンガのような普通の小学校生活はほんの少ししか体験していないんだろうな。
子供が大学のカフェってそりゃ、入りにくかっただろう。
「そこへいくと、日本のお弁当は凄いね! 料亭のお弁当は既に芸術の域だし、イルカ君の手製弁当も凄かったよね」
「いや…先生、それも個人差はありますって。日本のお母さんすべてが料理上手の凝り性なワケないでしょ。中には面倒くさがりの豪快さんもいますって。弁当箱にご飯敷き詰めて、焼き鮭一切れドン、とのってるだけのとか。夕飯の残りもの詰め込んでおしまい、とか。色々いましたよ。特に、男子の弁当は質より量ですから。食パン一斤持って来る奴もいましたよ」
む、と教授は考え込んだ。
「じゃ、もしかしてイルカ君って特殊例?」
「もしかしなくても、この年頃の野郎としては特殊例だと思われます」
「そうか………じゃあ、カカシ君も僕もラッキーだったねえ」
しみじみ。
うん、オレも本当にそー思いますわ。
「でもアイツ、一人だと料理しないんですよ。自分が食うため、じゃなくて、誰かに食べさせる為にだと色々凝ったモン作るんです」
「そうか………なるほどね。わかる気もする」
「で、せんせ。どういう傾向のモン食いたいですか?」


教授のリクエストは、なんとお好み焼きだった。
前に父さんが来ていた時にお好み焼きパーティをやったんだが。
教授は気に入ったようで、時々食べたがるのだ。
あれを作るには、粉とキャベツが必要だ。
そして、教授の家にはそれが無かったので、オレは買い出しに出掛けた。
ついでに、他のものも色々と補充しよう。
教授はしばらく日本から離れる予定も、どこかにフィールドワークに出掛ける予定も無い、と言っていたから、多めに買い込んでもOKだろう。
もっとも、もしもご自分が急に日本を留守にするようなことがあったら、冷蔵庫の食材は傷む前にオレとイルカで食ってしまうように、と言い渡されているのだけど。
「ん〜、お好み焼き何にするかな。やっぱ豚玉か? 教授、広島焼き好きだよな。ヤキソバも買おう。あと、牛乳と豆乳と…卵。チーズにヨーグルト。パンはライ麦っと」
教授んちの冷蔵庫を満たす買い物は気持ちいいんだよな〜…予算の心配とか、全然しなくてもいいから。
これいいな、と思ったものを躊躇い無く買い物カートに放り込める楽しさよ。
あ、新作のカップ麺。こういうのも彼は好きだから、買っといてあげようっと。
果物は何にするかな…葡萄、美味そうだな。梨も今が旬かな。
おっと、買い過ぎは禁物。
重過ぎて、帰り道泣くのはオレだ。
それに急がないと、昼飯に間に合わない。


玄関で「ただ今戻りました」と一応奥に向かって告げ、オレは買い物袋をキッチンに運んだ。
教授は書斎で書き物に没頭しているだろうから、余計なジャマはしない。
さて、お好み焼き、作りますか!
これは、とにかく材料を刻んで、粉を水とダシで溶いて、混ぜて焼くだけだから、料理の腕なんてあまり関係ない。
教授のトコにはホットプレートは無いから、フライパンで焼く。
あ、ひっくり返すのはちょっとコツ要るけどね。
フライ返しを上手く使う自信が無かったら、鍋のフタとかに水平移動させて、フライパンを上から被せてひっくり返せばいいのである。
ちょうどいい大きさのフライパンが一つしかないから、先に焼いたのは食べる時にまた電子レンジで温めればいい。
「よっし、出来た!」
後はお好み焼きソースをかけて、お好みで鰹節、青海苔、マヨネーズだ。
飲み物は、冷たい麦茶。
お好み焼きの時は、これが一番だとオレは思ってる。
さて、教授を呼びに行こう。
廊下から、そっと書斎を伺うと―――おや、教授はペンを置いて、何やら眺めている。
何だ? ああ、あれフォトフレームだ。
誰の写真を見ているんだろう。
懐かしそうな、ちょっと切なげな顔。
教授の唇が、微かに動く。
小さな声で、呟かれたのは―――女性の名前。

『マリー』
確かに、そう聞こえた。

あ、何だ………やっぱ、恋人いたんだ、教授。
そーだよねー………あんだけ美形で、頭良くて、んでもってお金持ちで。女の人が放っておくワケがないもんねー。
あ、それともお家が決めた婚約者ってセンもあるかな? あり得るよね、何たって、アメリカ有数の財団の跡取りなんだから。
でも何で、彼女の話がまったく出てこないんだろう。
教授は、結構自分の実家の話はしてくれているのに。
もしかして、あのクリスマスの時、ご招待に応じていたら、彼女を紹介してくれたのかな。
いやいや、待て、オレ!
あの教授が、彼女の存在をおくびにも出さないってことは………ひょっとすると、もう別れているって可能性もあるぞ!
普通にサヨナラ、ならまだしも、もしも父さん達みたいに死別なんてしてたら………
迂闊に踏み込んでいい話題じゃなくなる。
………更に落ち着け、オレ。
彼が女性の名前を口にしたからって、彼女だと決め付けるのは早計だ。
聞いた事は無いが、お姉さんとか妹さんがいるのかもしれないじゃないか。
教授は、クン、と鼻をうごめかせて顔を上げ、扉から覗き込んでいるオレに気づいた。
そして、デスクの抽斗にフォトフレームをしまうと、ニコッと微笑む。
「いい匂いがする。出来たの?」
「ええ。今、焼けたところです。ダイニングへどうぞ」
「ありがとー。ああ、お腹すいた〜」
教授は、いそいそとダイニングにやってくる。
「食べている間に、二枚目焼きますから。ゆっくりと召し上がってください」
「はいはい。おお、久し振りのお好み焼き。美味しそう」
教授はきちんと手を合わせて「いただきます」をしてから食べ始める。
「ん〜、お好みソースの味って時々無性に食べたくなるんだよね〜、美味しいよ、カカシ君」
「そうですねー、わかります。先生、大阪は行ったこと、あるんですか? こういう粉モノは、関西が本場だって話ですよ。たこ焼きとか、名物なんですって」
「ん? 大阪…は、まだ。京都はね、一度だけちょっと行ったことあるけど。でもあれは行ったうちに入らないかな〜。京都の大学に行っただけでね、用事済ませてトンボ帰り。観光名所とか何も見てないんだ」
「そうですかー。それは残念でしたね」
「ふふ、京都見物もいいね! そのうち、行こうか。みんなで。…出来たら、またサクモさんが来ている時がいいね」
「ああ、いいですねー。京都は秋がいいみたいですけどね。紅葉で綺麗なんですって」
そんな話をしつつ、オレ達はそれぞれ、お好み焼きを二枚たいらげた。
………ちょっと、オレは食い過ぎかも。
オレの胃袋は、教授のみたくブラックホールに直結してないもんね。
やっぱ、走らなきゃダメだ。
そしてオレは、彼に向かって「マリーって誰ですか」と訊く勇気を、やはり持ち合わせなかった。


 

 



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