いとしのマリリン−4

 

だんだん、陽が短くなってきている。
走り始めた時は、5時半なんて余裕で明るかったけど、今は6時近くならないと明るくならない。
そう、オレはあれからちゃんと毎日(…いや、皆勤じゃないけどね。サボる日もあります)、走っているのである。
教授がいない日もちゃんと走ったので、イルカが大袈裟に褒めてくれた。
何だよぅ。そんなにオレ、不真面目に見えるっての?
ま、それは置いておいて。
教授の言った通り、毎日ジョギングしていたら、だんだん走るのに慣れてきた。
ハイペースな時の教授にも、ちゃんとついていける。
それに、何だか体調がいい。
教授もイルカも口を揃えて、それは規則正しく早寝早起きしているからだ、と言う。
まー、そーかもしれません。
それに、メシが美味いです。
体重が少し増えたのでゲゲッと思ったんだけど、その割りに体脂肪は減っていたので、これはもしかしたら筋肉がついたのかもしれない。
そ、それからもしかしたら、身長も伸びたのかも? だったらいいなあ。
オレの年齢なら、まだ伸びてもおかしくないもんね。

生活リズムが出来たのか、最近のオレは携帯のアラームが鳴る前に目が覚める。
5時半。
イルカを起こさないようにそっと起きて、走る支度を始めた。
トイレ行って、顔洗って、マグカップ半分のお白湯を飲むと、眠りから覚めたばかりの身体がきちんと起きてくる感じがする。
玄関で靴の紐を結んでいると、イルカが起きてきた。
「おはよ。悪い、起こした?」
「おはよう。いや、トイレ行きたくなっただけ。お前、ちゃんと続いているのな。偉い偉い」
「うん、やっぱ、若いうちからの体力作りは大事かな、と」
だってさー、父さんに負けたくないし〜、という本音は一応隠してみる。
オレの父親は、完全インドア系な顔して、結構アウトドアな事もやるらしいのだ。ランニングなんかで親に負けるなんて、何か悔しいじゃん。
オレ、小さな子供じゃないんだから。背丈だって、そんなに変わらないんだから!
「そうだな。ま、頑張れ。朝メシ、作っておいてやる」
「サンキュー。イルカ! 愛してまっす!」
ちゅ、と投げキッス。
「はいはい。気をつけて行けよ」
エントランスホールに下りると、もう教授は先に来ていて簡単なストレッチをやっていた。
「おはよーございまーす」
「モーニン、カカシ君。なかなか続いてるねえ。感心、感心」
うへ、教授まで。
「それ、イルカにも今朝同じ事言われましたよー。酷いなあ、オレってそんなだらしなく見えますか」
「ん? いや、カカシ君は、朝に弱いって聞いてたから。素直にホメてるんだよ。頑張ってるなあって」
オレも軽くストレッチをしながら、苦笑を返す。
「………んじゃまあ、素直にありがとうございます、と言っておきます」
「ふふ、じゃあ行こうか」
「はい」
外に出ると、冷やりとした風が頬に当たった。
「わ、寒くなってきたねえ。ついこの間まで暑かったのにねー」
「何か、気温の変化が極端ですよね」
「まあ、日本はまだマシな方かもよ? ヨーロッパなんかは昔から一日の寒暖の差が大きいのが普通なんだから」
「あー…そういや、前にそんなこと聞いた覚えがあります」
たったった、とゆっくり目に走る。
ここまではまだ準備運動のうち。あそこの角を曲がって、緩い坂道に入る辺りから、だんだんスピードが上がるんだ。
坂を上りきった所から、公園までは凄いハイペース。
そして、公園内を一周して、また元来た道を戻るのがいつものコースだ。これで約一時間ほど。
もしも、もっとゆっくり走ってたら、二十分くらいは余計にかかるかもしれないな、というコースである。
ああ、走ってても汗のかき方が違ってきたなあ。
前はすぐ汗が出てきたのに、今は身体が温まって汗ばむのに十分近くかかる。
うー、真冬はどーしよ。
オレ、寒いのキライなんだよね。先ず、目が覚めるかどうか。
「せんせー」
「ん〜?」
「先生は、一年中こうして走ってるんですか〜?」
教授は「ん?」とオレに視線を投げてから、クッと笑う。
「カカシ君、もしかして冬は走りたくないな〜、とか思ってる?」
図星だ。
オレはしぶしぶ認めた。
「ちょっと……思いました。寒いの、嫌いなんです」
あははっと声を上げて教授が笑った。スピードアップしてんのに余裕だよな〜。
「サ、サクモさんと同じ事言って……親子だね〜」
「は? 父さんと??」
教授はなんかツボに入ったらしくて、クツクツ笑い続けている。
「サクモさんもね〜、寒いの嫌いなんだって。暑いのも嫌いらしいけど」
「それは……父さんに限らないのでは」
誰だってイヤだよね。寒いのも暑いのも。
「ん? 僕はね、暑いのはけっこー平気。好きな方。…寒いのも、身体動かせばいいだけじゃない。…でもサクモさんはね、冬の朝、走るのなんかイヤだってさ。空気が冷たいと、咽喉を痛めるからかもしれないけど」
あ、そっか。
そういう理由………確かに。父さんは、仕事で歌う事もまだあるらしいからなぁ。
「………オレは、単に寒いのがツライから嫌いです」
「正直で結構」
折り返し地点の公園までくると、犬の散歩をしている人の姿が急激に増える。
犬飼ってる人って、すげえなあ。
暑いも寒いも雨も関係なく毎朝散歩してるもんな。
あ、オレの秘かなご贔屓犬、ゴールデンレトリバーの豆太郎ちゃんがいる。前に名前教えてもらったんだ〜。飼い主は、四十前後の女の人。(人間の方の名前は知らない。豆ちゃんのママ、でいいらしい)
犬を見れば、どんな飼い主かは大体わかるよね。豆太郎ちゃんは、すっごく大事にされているんだと思う。毛艶、すげえもん。
「おはよーございまーす」
「おはよぉございます〜。今朝は冷えますね〜」
「寒くなってきましたよね〜。おす、豆太郎ちゃん」
犬にも挨拶すると、わふ、と返事が返ってきた。
この朝のジョギングを始めてから、こういう顔見知り犬は七頭前後になった。
ウチのマンション、犬猫はダメなんだよな〜。せいぜい、金魚、鳥、ハムスター程度までしか飼えない。
なので、わんこと束の間触れ合える、このジョギングは結構楽しいのだ。オレにとっては。
わんこ達との触れあいの為にも、やはり頑張って冬場も走るべきか。
くるんと公園を一周して、また道路に出た。
タッタッタ、と軽快なリズムで教授は走る。
殆ど息を乱さないその姿に、ああ、この人は本当に鍛えているんだなあ、と思う。オレなんかとは年季が違う。
「カカシ君」
「はい?」
「冬の間、走りたくなかったら無理しなくてもいいよ? 朝に走らなくてもいいし。時間のある時に、走りたくなったら走ればいい。…別に、マラソンの選手になろうってんじゃないんだから。…実は僕も、真冬は朝起きるの苦手だしね〜」
「そう、なんですか?」
「早朝の空気は、好きなんだけど。真冬のもね。ピンと張り詰めたような空気。気持ちが引き締まって、いいよね。………でもさ、それにも増して、温かいフトンは魅力的だ…!」
今度はオレがププッと笑った。
「せ、せんせ…それ、正直過ぎ………」
チラ、と教授は流し眼をくれる。
「え〜? カカシ君は違うの〜?」
「違いません〜〜あったかいおフトン、大好きです〜〜」
「だーよねー」
あはは、と笑いあう。
そして、オレの口からはポロリと、そう本当にポロリ、と。
自分でも全然予想していなかった言葉が零れ落ちた。
「先生、好きな人いるんですか?」
言ってしまった後、自分で「えええ〜!」とびっくりした。何でそんなコト訊いてんの、オレ。いきなり過ぎ。話に脈絡無さ過ぎ。
したらね。
「いるよ〜、たくさん!」
というサワヤカな答えが返ってきたのでした。
「君でしょ、イルカ君でしょ、自来也先生にツナデ様。サクモさんも大好きだし、もちろん家族も愛してるよ!」
あああ。
なんか、ある意味予想を裏切らないお返事。
クソ、こうなったら訊いてやる。
「…いや、せんせ…この間、女の人の名前、呟いてたから………彼女さんかと………」
教授は、キョトンとオレを見た後、高らかに笑った。
「もしかして、マリー?」
「………はあ」
「そっか〜、いきなり何か妙な質問するな〜、と思ったら! そっか、あれか」
教授はおかしそうに笑ってる。
「マリー。……マリリンっていうんだ。うーん、時々無性に会いたくなるんだよねえ。…彼女のあの、柔らかな毛に頬ずりしたくなるんだ〜」
………あ。
マリリンと聞いて、オレの脳裏に蘇るワンシーン。
ハロウィンの仮装ネタで、冗談を言ってた時の―――懐かしそうな、教授の横顔。
あの時この人は『マリリン、か』と呟いていた。
あれは、錯覚じゃなかったんだ。
やっぱり恋人………?
いや、待てオレ。
何となくだが、教授の言い回しがヘンだぞ?
「………せんせ? あの………」
オレの声に、教授は悪戯っ子みたいな眼を向けた。
「気になる〜?」
「………いえ! 言いたくないなら、いいです!」
ああ、オレのへそ曲がり。
「ハハハ。ごめんごめん。…勿体つけるようなコトじゃないんだけどね、カカシ君の顔、可愛くて……つい」
とか言いながら、まだ笑ってるよ。
「………カカシ君さ、あの公園行くの楽しみにしてるじゃない?」
「え? …あ、はあ」
何? いきなり話題飛ばさないでください。…って、これはしょっちゅうある事なんだけど。お互い、自来也先生言う所の『三段跳び会話野郎』なので。
でも今回は、単に飛んだわけじゃなかった。
「色んな犬が、たくさん見られるからでしょ?」
「………ええ」
教授は、ニヤリと笑う。
「僕もなんだよ」
ま…………まさか。
「せんせ………マリリンって………」
ニッコリと、教授は微笑む。この上なくサワヤカなイケメン笑顔で。
「ピンポーン! 彼女は彼女でも、ちょっと毛深い子持ちの熟女デス。実家にいる、ゴールデンレトリバー。…君のご贔屓の豆ちゃんにソックリなんだよ〜?」
―――そういうオチかーっ!!
「真面目に答えるとね。…僕は、今の所フリーだよ。恋人はね〜、いたら素敵だけどね。色々、面倒なんだよ……実家がたくさんお金持ってるのも、考えもの」
う〜ん、顔ヨシ頭ヨシスタイルヨシお金持ちって、優良物件過ぎてかえって特定の彼女が出来にくいものなのか?
「ま、そういうのはご縁だし。…僕は別に結婚したいとか、まだ思ってないし。ほら、サクモさんだって結婚はしてないじゃない」
同じ独身でも、父さんと先生じゃ全然意味合いが違うでしょ! ―――と、叫びたかったけれど。
この人相手にそういうコト言ってもムダっぽい。
何せ、自分の言っている事のおかしい部分なんて承知の上での発言なんだろーから。
何言っても論破されるわ。
「そうそう、カカシ君は彼女出来たらちゃんと報告しなさいね〜」だなんて。
言ってろ! …って感じですよ、先生。

 

 

 



END

 

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