いとしのマリリン−2

 

なんじゃあ、こりゃあああああ〜〜〜!!!
―――と、内心悲鳴をあげながらオレは走っていた。
いや、あげたくても悲鳴もあげられない状態だったんだけど。
今現在、朝の5時45分。
教授が5時半から走るよ、と言ったので、オレは頑張って5時起きし、言われた時間にエントランスホールに下りたのだ。(偉い? 偉いよね、オレ。いつもより2時間以上早起きだもんね!)
そこで待ち受けていた教授と、まず準備運動だと言うことで、軽く屈伸したり、柔軟体操をしてから走り出したんだが―――
最初は、ごく普通のジョギングだと思われるスピードだったんだよ。……たぶん、だけど。
だから、これならついて行けそうだとちょっと安心したのに。
甘かった。
3分ほど、そのスピードで走った後、「じゃ、そろそろ行こうか」と言うや、急に教授の走るスピードは倍になってしまったのだ。
ちょ…っ! 速い! 速いです、先生! 今までの軽〜い走りって、準備運動の続きだったんですか!
オレは必死で教授について行く。
一応、彼より十くらいは若いハズなんだから! 頑張れオレ。頑張るんだ!
でも、このペースで後30分も走るのは無理そうっす、先生。
とか思ってたら、なんと教授のスピードは更に上がってしまった。
ひいぃいいい! これってジョギングって言わないです!
すっげえハイペースのランニングですよね?(涙)
ぜーぜーと息を切らしながら追い縋るオレを、爽やかな笑顔で教授は振り返る。
「どーしたの? キツイ?」
「す…すいません、ちょ、ちょっと…………」
教授は、少しだけペースダウンしてくれた。
「カカシくーん、だらしないよぉ。サクモさん、このペースで走れるよ?」
「…………ぅえ?」
とーさんが? 父さんもこのスピードで走れんの??
音楽家って、アスリート並みの体力なきゃいけないんだろうか。
それはともかく、父さん、いつ教授のジョギング(つか、ランニング)にお付き合いしたのかな。やっぱ、こっちに滞在中?
「もうすぐ、公園だから。そこで休憩しよう。もーちょっと頑張って」
「う、は、はい………」
軽やかに走る教授の後を、オレは必死になってついていった。
ほどなく、教授が言った通り公園らしき緑が見えてくる。
はー、こんな所に公園があったのか。駅とは反対方向であんまり来ない所だから、知らなかったなあ。
結構大きめで綺麗な公園だ。
「ここ、地震とかの災害時の避難場所に指定されているところだったよね」
「は…? そ…そう…なんですか?」
息切れしながらようやっと返事をするオレ。
教授は「カカシ君、呑気だねえ」と笑いながら、背中に斜め掛けしていたボディバッグからスポーツ飲料のペットボトルを引っ張り出した。
「はい、水。一気に飲んじゃダメだよ。少しずつ、ゆっくりね。口の中で噛むように飲みなさい」
「は、い。ありがと…ございます……」
一応、タオルと小銭入れと携帯は持ってきたんだが。水までは気が回らなかったなあ。今度走る時は、オレも持ってこなきゃ。
(ちなみに、服装はただのTシャツに、高校の時のジャージだ)
オレは、教授に言われた通りにゆっくりと水を飲む。
一口飲んだだけでも、随分と楽になるものだ。
「ありがとうございました。落ち着きました」
バッグの大きさから、ペットボトルは一本だと判断したオレは、ほんの少しだけ飲んだ後、タオルの綺麗なところでボトルの口を拭って教授に返した。
教授も、一口飲んでまた水をボディバッグに戻す。
「ペース、きつかった?」
恥ずかしいが、正直きつかった。
「…えっとー…スミマセン。どうも、大学に入ってから運動不足で………時々、腹筋運動するくらいでして」
「ふむ。…キミ、イルカ君と同居してて良かったねえ。運動不足でもその体型って、若いのもあるけど、食生活がきちんとしているからだね。もしも、ファーストフードやカップ麺に頼る食事だったら、きっと不健康な感じになっちゃってたよ」
そ、そっか。
イルカは野菜や魚、肉類をバランスよく食卓に出してくれる。あのマメな男のおかげで、オレの健康は保たれているのか。こりゃ改めて感謝だな。
「そ…ですね。これからは、なるべく運動を心掛けます………」
教授はニッコリと笑った。
「僕は、大体この時間に走るから。良かったら、これからも一緒に走ろうよ」
………あ? 何?
ジョギングシューズなんて買ってくれちゃったりするから、今日から毎朝強制的にジョギングのお供をさせられるのかと思っていたら―――今朝の為だけに買ってくれたわけ? 少なくとも、昨日の時点では。
うわ、こういうトコ敵わないんだよねえ、この人。
………そうだな。いい機会だ。ジョギングなんかで父さんに負けるのも悔しい話だし。
この際、教授のお供をするとしようか!
オレ一人だと挫折しそうだしな。その方が、続きそうだ。
「は、はい! 出来る限り、お付き合いさせて頂きます」
んむ、と教授は頷いた。
「その意気だよ。まあ、キミ元々運動神経良さそうだし。走っているうちに慣れて、今のペースなんて余裕でこなせるようになるよ」
「だといいんですが………あ!」
オレは、公園に入ってきたデカイ犬に眼を奪われた。
見れば公園内には、他にもチラホラと犬の散歩をしている人がいる。そっかー、朝夕はお犬様のお散歩タイムだよねー。
「……かっわいいなー…」
思わず呟いたオレの視線を辿ったらしい教授が、意味深な微笑を浮かべる。
「へえ? カカシ君ってば彼女みたいなコが好み?」
―――へ?
よくよく見たならば。
オレが眼を奪われたデカイわんこを連れているのは、明るい栗色のセミロングの髪の、二十代前半と思しき女性だった。
朝っぱらから気合の入ったメイクばっちり、ウェアも犬の散歩なのか本人のウォーキングなのかわからないほどビシッと決めている。形から入るタイプだな、ありゃ。
うーん、可愛いって言えば可愛いかな〜? カオも。
でも、オレの関心は彼女ではなく、そのお連れのわんこにある。現に、オレは教授に言われるまで犬しか見ていなかった。
「あのサモエド、メスなんですか?」
オレのわざとはずした答えに、教授は苦笑した。
「そうだね。…たぶん、ね」
「オレ、あのくらいのサイズの犬って好きなんですよ。小型犬も可愛いけど、やっぱり中型か大型がいいですねえ」
「ああ、それは同感。僕も大きい犬、好きなんだよね」
と、件の女性はこちらに向かって足早にやってくるや、通り過ぎざまにペコリと会釈をした。
「おはようございます」
教授はにっこりと微笑み、「おはようございます」と返す。
女性は頬を赤らめ、もの言いたげな眼で教授を見たが、オレに気づくと慌ててもう一度会釈して離れていってしまった。ああ、そんなに急いで行かなくても………サモエド、もっと近くで見たかったのに。んでもって、許されるなら触りたかったのに。
「先生、お知り合いだったんですか? 彼女」
「ん? いや、この公園で時々顔を合わせるくらいだけど…挨拶以外、会話らしい会話も無いしね。カカシ君。早朝のお散歩中に公園で出会った人と挨拶を交わすくらい、当たり前の事だよ? それが見ず知らずの人でもね」
「はあ…そういうもんですか」
あれだな。山登りの時に、すれ違う人と挨拶するのと同じか。
すると違う方向から、ゴールデンレトリバーを連れた女の人が(わざわざ?)こっちの近くまでやってきて、また通り過ぎざまに教授とオレに挨拶してくれた。
もちろん、オレらもにこやかに挨拶を返す。
「…今のコもいいねえ」
「ええ、そうですね。可愛がってんでしょうねー。すっごい毛艶良かったし」
「うん、いい毛並みだったね。色合いもいい感じで」
オレは、さっきの教授のセリフを返してみた。
「ああいうコ、お好みですか?」
教授は優しい眼で笑う。
「うん。好みだな」
「この公園、犬の散歩しに来ている人、多いですね。あ、あれはラブだ。それからポメラニアンに、ビーグル……うーん、いいなあ」
そうだね、と言いながら教授は足の屈伸をした。
「さ、行くよ。ここで犬のウォッチングをしているのも楽しいけど。僕、そろそろお腹減ってきたし。ちゃっちゃと走らないと、朝ゴハン食べるのがどんどん遅くなっちゃうからね。ひとっ走りした後の朝ゴハンは美味しいよ!」
「あ、はい!」
そうか。このハイペースは、『早くメシを食いたい』っつー気持ちから来ているものでもあるんだな。(なんつー教授らしい………)
確かに、このペースで走れば、同じ距離でも短時間で走れる。そして早くメシにもありつける。教授みたいに忙しい人は、時間を有効に使いたいだろうしな。
でもでも、やっぱりこのペースはオレには厳しいなあ………ううう。
「ホラホラ、頑張って!」
「は、はいっ」
もう、ヤケクソ。
必死でオレは教授の背中だけを見て走る。
ああ、こんなに走ったの、久し振りだわ。
そうして、何処が『全然ハードじゃない』んだよ? な朝飯前のジョギングは終了したのだった。
しかし、教授が言った通り。
走り終えて、シャワーを浴びてスッキリした後の、イルカの作ってくれた朝飯は格別に美味かった。
いつもよりもたくさん食っちゃったよ。
この調子で食事量が増えたら、オレ太らないかしらん。ちと、不安。
まあ、その分走れば、大丈夫か。
「で、明日も朝から走るのか?」
笑いを含んだ声で訊くイルカに、オレは真面目に頷いた。
「うん。一応ね、頑張るつもりだよ。靴、教授に買ってもらっちゃったから、半分バイトみたいなもんだし。朝走ると、散歩中の犬にもいっぱい会えるしね」
「何だ、お前犬目当てか?」
イルカは、オレの前にコトンとコーヒーを置いてくれた。いい匂いだ。
「さんきゅ。…犬ウォッチングはついでだよ。いいじゃん、一石二鳥で。…あ、お前も一緒に走れば?」
イルカは笑って首を振り、自分もマグカップを口に運ぶ。
「走ってもいいけどな。俺が一緒に行くと、朝メシの支度が遅れるぞ? それに、俺はバイトでも走り回るし、運動は足りているからいいんだ」
「そっか」
イルカも、色々やっているからなぁ。
イルカは、手を伸ばしてオレの前髪をかきまぜた。
「ま、頑張れ。朝のジョギングは悪いことじゃない」
「へい。朝起きられる限り、頑張る所存デス」
そこが一番の問題だな、とイルカは笑った。
言ってろ。

 

 



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