仕事の合間のコーヒーブレイク。
つっても、教授はどちらかというと(アメリカさんのワリに)紅茶派なので、休憩の時の飲み物はコーヒーではなく紅茶の時が多い。
よって、正しくはティーブレイク。まあ、謂う所の『ちょっとお茶にしましょう』の時の事である。
輸入物専門店でオレが仕入れてきたジンジャービスケットをつまみつつ、思い出したように教授が口を開いた。
「そういや、あれさあ、よく出来ていたね」
「あれって何ですか?」
教授は、ご自分の耳をちょいと指差す。
「耳。ホラ、ハロウィンの時、カカシ君がトンガリ耳にしてたじゃない。特殊メイクで。あれさ、よく似合ってたよ」
あー、あれか。テンゾーに作ってもらった、付け耳。うん、確かにいい出来だった。
あれは見かけによらず、器用な男だ。いい特殊メイクアーチストになれると思う。
「昔、田舎の空手道場でちょっとだけ一緒だった奴なんですよ、耳作ってくれたの。特殊メイクの勉強中なんですって」
教授はトンガリ耳の製作者じゃなくて、空手道場の方にくいついてしまった。
「え? 空手? カカシ君、空手やってたの?」
いかん。教授の目がキラキラしている。ヤバイヤバイ。
この人、武道とか好きそうだもんなー。前に一瞬自来也先生相手に見せたアレ、絶対に軍隊格闘術とかいうヤツだと思うし。相手しろとか言われたらヤだわ。
「やってたって言うか〜、ちょこっと齧った程度です。すぐやめちゃったんで」
「どうして? ケガとか?」
「あはは、何か、性に合わなかっただけです。昇段もしませんでした。空手の話なら、イルカに聞いてください。あいつは、空手も剣道も黒帯ですよ。弓道やってたこともあるし」
教授は感心したように頷いた。
「あ〜、イルカ君、サムライって感じだもんねー。ハロウィンのコスチュームも似合ってたもんねえ」
よし、話がコスプレに戻ったぞ。
「先生のコスプレも本格的でカッコよかったっすよ。イギリス海軍」
「ん? そお? あれさ、服に見合う軍帽がなかなか見つからなくて苦労したんだよねー。………本当はねえ、ナチスの親衛隊のコスやろうかと思ったんだけど、お前それはやめとけ、と自来也先生に忠告されちゃって。…考えてみればやっぱヤバイな、と思ったんでやめました」
ナチスの親衛隊…って、アレか! うわ、教授ってば金髪碧眼長身美形で、ばっちし条件クリアですっげー(洒落にならんほど)似合いそうだけど。
「確かに、ナチスは色々ヤバイかもしれませんね。………ちょっと、見てみたかったですけど」
ハハハ、と教授は恥ずかしそうに笑った。
「他にはね、アニメネタもあったんだよ。仮装候補として」
「アニメキャラっすか? 前にフランスかどっかでやったって言う、ハウルですか?」
「いや、ハウルじゃ大人しいじゃない。アニメのフェスティバルならともかく、ハロウィン向きじゃないかもでしょ?」
「え〜? じゃあ、何だろ……」
「実はね、ハウル以外にも着てみろって言われてたコスチュームがあったんだよ。カカシ君なら知ってるでしょ? …えーと、ほら…ガンダムのシャア?」
思わず紅茶を噴きそうになった。わー…そりゃオタクちっくな………しかし。
「そりゃ、先生スタイルいいからすっげー似合いそうですけど……シャアって目許を隠しちゃうから、顔よく見えなくて勿体無いですよ」
「ん〜、それはいいんだけど。アニメネタはわかる人にしかわからないから、主催者の仮装としては如何なものか、思ってねえ。…まあ、結局無難な路線に落ち着いたんだよ」
「そうだったんですかー。いやあ、オレ達も、イルカの新撰組はすんなり決まったんですけど、オレの仮装がですね…イルカの奴、女装ネタばっかり振ってきやがったんですよー。クレオパトラだの、マリリン・モンローだの。ふざけてますよねー」
教授は一瞬想像したらしい。
クッションをパタパタ叩いて笑った。
「そ…っ……それもハロウィンっぽくって良かったかも……ッ……サクモさんがカカシ君のそんな写真見たらびっくりだね」
うわ、やめてくれ。
「女装写真なんか絶対に撮らせませんよ。つか、女装なんてしませんよ!」
「え〜、カカシ君、美人だから女装しても似合いそうだけどなー。マリリン・モンロー見たかったかも」
「………勘弁してくださいよ………」
教授はまだクスクス笑ってる。
そして紅茶を飲み干すと、ふと小さな声で呟いた。
「マリリン、か………」
教授の眼に、何かを懐かしむような色がチラリと浮かぶ。
それが気のせいではなかったのだとオレが知ったのは、それからだいぶ経ってからだった。
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教授は、そのスレンダーな体型からは想像もつかない程、よく食う。
傍目、がっついたりせず上品に召し上がるのでそうは見えないのだが、気づいた時は大量の料理をペロリと平らげているのである。(ケンタのファミリーパック2箱完食事件は、忘れようにもインパクトがデカくて忘れられない)
シャツを着替えているところを見たことがあるが、その身体は綺麗に引き締まっていて、腹にもそれなりに筋肉がついていた。ムキムキじゃない、ちょうどいい感じの割れ具合だ。
昨今耳にする、細マッチョとか言われるのはこういうタイプじゃなかろうか。顔だけじゃなく、身体でも女にモテるだろーなー、教授って。
何もせずにあの体型をキープしているのかと思いきや、やっぱり必要最低限のことはしているらしい、という事を、オレは最近になって知った。
オレはあくまでも、教授の『書斎における』アシスタントだ。
ハウスキーパー的な仕事は、契約のうちには入っていない。
だから、教授の留守に掃除や植木の水遣りをしたり、買い物をしたりしているのは、オレの勝手なお節介だ。お節介と言うより、気持ちの問題。
以前、脚を骨折した際に、オレは彼に入院治療代を出してもらっている。
それは彼の厚意(雇用主としての義務だと彼は宣った)だったが、当時のオレはまだロクにアシスタントの仕事をこなしてもいなかったので、そこまでしてもらうのは心苦しくて仕方なかったんだ。
なので、本来のバイトの仕事以外にもハウスキーパーの真似事を時々やって、オレ的にコツコツ借金を返しているつもりなのである。
掃除や買出し程度じゃ、なかなか返せてはいないけどね。おまけに、教授ときたら時々気前良くボーナスくださったりすっから尚更だ。
でもま、(プライバシーの侵害には気をつけつつ)出来る範囲で頑張るしかあるまい。
教授は、オレのそういった行為を特に止めたりはしないでいてくれる。
気を遣わなくてもいいんだよ、と言いながら、でも助かっている、と。
もしかしたら、オレの気持ちを察しているのかもしれない。
その日もオレは、教授に頼まれたパソコンへのテキスト入力を終えてから、部屋の掃除をしていた。
教授は、用事があると言って出掛けている。
彼は、自分が留守にしている時に、オレが部屋で仕事をするのを全く気にしていない。
気にしないどころか、自分がいない時は勝手に入っていろ、と合鍵まで渡されているのだ。
リビング、ダイニングと掃除機をかけて、オレは洗濯機の置いてあるバスルームに向かった。
基本、教授はご自分で洗濯をしているけど、たまに乾燥機に洗濯物が入りっぱなしになっている事がある。
それを見つけたら、オレは黙って乾燥機から洗濯物を取り出して、たたんでしまっておく事にしているのである。放っておくと、シワになるからだ。
こういう時、同性だと気兼ねが無くていい。もしも教授が女性だったら、怖くて洗濯物なんかにゃ触れない。下着とかあったら、マズイものな。
乾燥機の中をチェックすると、案の定洗濯物が見えた。
引っ張り出すと、タオルやシャツに混じって、これは間違いなくトレーニングウェアだ、とわかる上下が。
「………せんせ、何かやってんのかな………」
そういや、ウォークインクローゼットの棚の上に、普段教授がかぶりそうにないキャップが置いてあったような気がする。
もしかしたら、ジョギングとかやってんのかも。
リビングに持っていって、ソファの上で洗濯物をたたんでいると、教授が帰ってきた。
「ただいま〜、カカシ君」
「お帰りなさい、先生」
教授は、オレが洗濯物をたたんでいるのに気づいて、ちょっと恥ずかしそうな顔をした。
「あ、悪いね。また入れっぱなしになってた?」
「大丈夫ですよ。まだそんな、シワとかなってないですから」
そう言いつつ、オレはトレーニングウェアをちょいと指差す。
「先生。もしかして何かやってらっしゃるんですか?」
教授は、ウン、と素直に頷いた。
「やってるって程じゃないけど。朝、走っているだけだよ。あと、ストレッチとか腹筋とか。まあ、体が鈍らない程度に」
「へえ。凄いですね」
「だから、凄いと言ってもらえる程のトレーニングなんかやってないって。面倒だから、スポーツジムにも行ってないし」
「でも、オレなんか運動らしいこと何もやってないんで………」
イルカは、色々やってるけどね。剣道やめてからも、素振りは日課になっているらしくて続けているし。でもオレは基本、無精者だからなー。
教授は、オレのデコをちょいと指先で押した。
「それはいけないねえ。カカシ君も、何かやった方がいいよ〜? 今はね、若さで色々と何とかなっちゃっているだろうけど、筋力とか衰えてからじゃ遅いんだからね?」
よし! と教授はオレの肩を叩いた。
「明日の朝、僕と一緒にちょっと走ってみない?」
うえ?
いつもながら唐突な御方。
「は、走る? ジョギングですか?」
教授、何故か腕を組んで仁王立ち。
「そーだよ。ウォーキングは時間が掛かるからね! ほんの一時間弱走るだけだから、全然ハードじゃないけど。何もしないより、身体にはいいよ。あ、カカシ君、靴持ってる? ウェアはそんなにこだわらなくてもいいけど、靴は大事だよ」
ジョギング用の靴なんか持っていなかったオレは、正直にその旨を告げ―――「じゃあ、買いに行こう!」と、ソッコー教授に駅前のスポーツ用品店まで連れて行かれてしまった。
こういう時の教授は、こっちの言う事なんかには聞く耳を持たない。オレの遠慮や辞退は徒労に終わる。
そしてオレは、あれよあれよと言う間にジョギングシューズを買い与えられ、明日の朝、ジョギングのお供をすることになってしまった。
オレ朝弱いのにぃ………ううう。
これもバイトのうちだと思って、頑張るしかないか??
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