CROSS-OVER U

 

最近カカシは、チハヤの修行をみてやっていた。
四歳の時のチドリに出来て、今のチハヤに出来なかったことが気になったので訊いてみたら、なんと『壁登りの術』だったのだ。
壁登りは、水面歩行よりは易しいが、アカデミーの上級生でも一部の者しか出来ない術である。まだ四歳のチハヤに出来なくても、普通なら何ら問題は無い。
むしろ、四歳で既に(未熟ながらも)チャクラが練れているという点ではチハヤも十分早熟の部類なのだ。
だが、身近にもっと凄い兄がいる所為で、チハヤは自分がダメな子だと思い込んでいる。
これは不幸だ、とカカシは思った。
カカシ自身は、幼い頃から天才だと言われてきた。同じ年頃の子らと比較すると、一歩先の事が出来ていたのは事実だと思う。
幼いカカシが驕ることがなかったのは―――周囲にいた大人達が皆、揃いも揃ってバケモノのように強い忍者ばかりだったからだ。おかげでカカシは、どんなに褒められても、自分がとび抜けて優秀だとは思えなかった。
師であり、目標である彼らに少しでも近づく為には、カカシは常に努力せねばならなかった。慢心している暇は無かったのだ。
だが、彼らとの年齢の隔たりを考えれば、力の差も当然だと思えたので、チハヤのように卑屈になる事もなかった。
もしも、自分と殆ど歳の変わらない子供にいつも歴然とした差を見せつけられていたとしたら―――と、カカシは想像してみた。
(………結構、キツイかも………)
しかも、チハヤはそれが血の繋がった兄だから、余計に比較される。
(………………自信がつけば、いいのかねえ………)
それにはやはり、当人のやる気が大事だ。
カカシ自身が己を振り返ると―――やはり、四、五歳の時には壁登り程度は出来ていたような記憶がある。
既にチャクラを練れるなら、チハヤにも可能性があるということだ。あせらずに練習すれば、必ず出来るようになるはず。
そして、この子が自信を取り戻すには、ある人に褒められることが一番だ。
「………あのな、チハヤ」
「なぁに? おじさん」
「向こうに還った時、お母さんをびっくりさせてやらないか?」
「…どうやって?」
カカシが耳元でコショコショ、と囁いてやると、チハヤは眼をきらきらと輝かせた。
「本当? おじさん」
「お前が頑張るなら、な」
うんっとチハヤは大きく頷いた。
「頑張るから、教えてください!」
チドリには内緒、というのは難しいので、コッソリと物陰に呼んで協力を頼んだ。
この場合、協力とは『見て見ぬフリをすること』『手や口を出さないこと』だった。
チドリは快く了承したが、ふと心配そうな顔をした。
「でももしも、チハヤちゃんがおじさんやイルカ先生のいないところで独りで練習したりして………危ないって思った時は、僕が助けてもいいですか?」
こういうところが、『お兄ちゃん』なのだ。
カカシはチドリの頭を愛しげに撫でた。
「うん。…その時は、お前の判断で助けてやってくれ。頼んだぞ」
「はい!」
こうしてカカシは、可愛い『我が子』のために壁登りの術の修行を開始したのである。



今日は任務が入っていない。
カカシは朝からチハヤの修行を見てやる気だった。
アカデミーは休みではないので、イルカとチドリは学校に行く。その間、みっちりと次男坊を鍛えてやるつもりだったのだが―――
コツコツ、と窓を叩く音にカカシはゲンナリとする。
ツナデの使い鳥が、窓ガラス越しにカカシを見つめていた。
「………チハヤ。今日の特訓中止。お兄ちゃんと一緒に、アカデミー行ってなさい。………おじさんはお仕事です………」
 

ガッカリ顔のチハヤをアカデミーに送り届け、カカシはその足でツナデのもとに向かった。
「確か、Sランク任務は免除して頂けるのではなかったのでしたっけ………? 話が違うのではありませんか、ツナデ様」
五代目火影の命令に逆らえるわけもなかったが、カカシは一応、抵抗を試みる。
「当分は、と言ったはずだぞ、カカシ。あの子らが来て、もう一ヶ月以上は経ったろうが。その、お前の言う『揺り返し』が来るまで任務は入れない、なんて私は言っておらんぞ。揺り返しが訪れるのが数年後ってこともあり得るんだろうが。………いつまでもお前を遊ばせておくわけにはいかないんだよ」
ほれ、と任務指令書を突き出す美女。
「お言葉ですが。オレはこの一ヶ月遊んでいたわけじゃないですよ。Aランクの任務だってこなしましたし! 結構マメマメしく働いていたじゃないですか」
「言葉のアヤだ。察しろ、アホウ。…お前のような上忍が、Sランク任務を受けずに比較的短期で済む楽な任務ばかりってのは、遊んでいるようなものなんだよ」
カカシはヨロリと傾いだ。
「………ひどい………ツナデ様………オレ、慣れない子育てで大変だってのに………」
「バカを言え。子供らの世話してんのは主にイルカじゃないのか? それに、敵はもう六歳と四歳だろう。いきなり一人で乳飲み子を抱えるハメになった、お前の父親よりマシだろうが」
「何でここでウチの親父を引き合いに出すんですか。言っておきますが、主にオレの面倒を見てくれていたのは、ミナト先生です」
その件に関しては、まったくその通りだった。
周囲の協力なくして、カカシが無事に育つことはなかっただろう。
まだ赤ん坊のカカシを背中におぶって、稲刈りを手伝っていたミナト少年の姿を思い出し、ツナデは思わず遠い目になった。
「………それは……そーかもしれない、けどねえ………」
「それにですね、赤ん坊は泣いているだけでしょ。人生のお悩み相談なんかしませんし」
「おませだね。もう、人生に悩んでいるのか。平均年齢五歳の幼児どもが」
「四歳の幼児だって、真剣に悩むんですよ。今日のオヤツはプリンかババロアか〜から、将来の職業選択についてまで、幅広く」
ツナデは手にした書類をヒラヒラと振る。
「なら、余計お前の出番はあるまい? ソイツはイルカの専門だ」
「………おっしゃる通りなんですけど。でもですね、オレだってあいつらが可愛いし、力になってやりたいじゃないですか。仮の親として」
ニヤリとツナデは笑った。
「人生の先輩として、立派に働いている姿を見せてやるのも親の務めだと思うぞ? いつまでもグズグズ言ってないでさっさとお行き!」
「………はい」
これ以上は逆らっても無駄だ。カカシは指令書を受け取った。
「そうそう、お前がSランク任務に就いているってことは、私がイルカに言っておいてやる。寄り道せずに行くんだよ。いいね?」
部下の行動などお見通しの命令に、カカシの肩はかくりと落ちた。
「………了解です」
執務室から出て行きざま、振り返らずにカカシは呟いた。
「ねえ、ツナデ様。………あの子達の世界ではね、かかしちゃんのお父さんは元気に生きているらしいんですよね。夕顔の死んだ恋人も。………こっちじゃもういない人達が、別の世界では結構生きているのかもしれませんねえ………」
ツナデは一瞬顔を強張らせ、カカシが閉めた扉を見据える。
彼女の脳裏には、今はいない愛しい者達の笑顔が甦っていた。
あまりにも早く逝ってしまった弟や、若くしてこの世を去った恋人が、もしかしたら別の世界では幸せに生きているのかもしれない、と一瞬想像したツナデは、切なげな微笑を浮かべ―――やがて、ため息をこぼした。
「………………だから、何だってんだい。……逢えない事に、変わりないだろ………バカ」


 

カカシが任務で里外に出て三日目。
ツナデの言う通り、子供達の世話をしているのは、主にイルカだったが。
それでも、カカシのサポートがあると無いとでは随分と差があるものだと―――彼がいなくなってはじめてイルカは実感していた。
例えば、イルカが夕食を作っている間に、カカシが子供達を風呂に入れてくれれば時間の節約になるし、子供達を早く寝かせてやれる。
アカデミーの仕事で手が離せない時も、カカシがフォローしてくれていた。
我が子同様に可愛いが、彼らはあくまでも預かりものである。
本当の親の手に返すその日まで、ケガなどさせるわけにはいかない。
予測不能な行動を取る幼児に対応するには、上忍の察知能力と俊敏さは実に頼りになるものであったのだ。
テストの採点をしているイルカの横で、チハヤが呟いた。
「………おじちゃん、まだ帰ってこないのかなぁ」
イルカは赤ペンでマル、バツ、とつけながら首を捻る。
「うーん、そうだな。今夜か…明日には帰って来る予定なんだけどな」
「チハヤちゃん、イルカ先生の邪魔しちゃダメだよ。ほら、あっちの部屋で遊ぼう」
イルカは答案用紙から顔を上げて、チハヤの髪をクシャッとかきまぜる。
「ごめんな。邪魔じゃないけど、兄ちゃんと遊んでいな。………これ終わったら、皆で銭湯にでも行かないか? おっきいお風呂に入って、いちご牛乳を飲もう」
わーい、とチハヤは喜んだ。
大きいお風呂も、いちご牛乳も大好きだ。向こうの世界にいる時、お父さんはよく銭湯に連れて行ってくれた。こちらでもイルカが同じ様に連れて行ってくれたので、チドリとチハヤはとても嬉しかったのだ。
自分達が傍にいない方が、イルカの仕事がはかどるであろうことはわかる。
チハヤは大人しく、イルカの傍を離れた。
「先生、お外で遊んでもいい?」
「いいけど、宿舎の庭からは出るなよ。この部屋の窓から見えない所には行かないこと。いいな?」
はーい、と子供達はいいお返事をして外に出て行った。
この宿舎には、子供が遊ぶのにちょうどいい広さの庭があるのだ。
桜や木蓮、銀杏などの木も植えられている。ちょうど銀杏の葉が黄色く色づいて落ち葉が庭を彩り始めていた。
「チハヤちゃん、何して遊ぼうか」
兄の問い掛けにチハヤは首を振った。
「にいちゃん、おれ、遊ばない。修行するんだ」
そうして、ヒミツを打ち明けるように声をひそめる。
「………あのね、おれ、カベ、少し登れるようになったんだよ」
チドリは初めて聞いた、といった顔で驚いてみせた。
「本当? すごいじゃない、チハヤちゃん!」
えへへ、とチハヤは嬉しそうに笑った。
「おじちゃんが、教えてくれたの。…それでね、おじちゃんが帰ってくるまでに、もっと高いところまで登れるようになりたいんだ。…それ見たら、おじちゃんきっと喜んでくれるよね?」
「………そうだね。でも、ムリしちゃダメだよ? 壁登りは、バランス崩して落ちると危ないから。…あの、一階の窓よりも高く登れる、と思っても登らないで」
チドリにはまだ、一緒に登って弟をサポートしてやれるだけの力は無い。自分の身体だけなら支えられるが、弟の体重までカバーするのは無理だ。
だが、一階の窓の高さ程度なら、万が一チハヤが落ちても受け止めてやれる。そうチドリは判断したのだが。
チハヤはムッと顔を顰めた。
「もっと、高く登れるもん! 兄ちゃんは、どこまで登れる? きっと、あの屋根まで登れるよね。………おれだって、出来るもん!」
「だめ、チハヤちゃん!」
チハヤは、兄の制止を聞いていなかった。
カカシおじさんが褒めてくれるところまで登れるようになったら。
きっと、お母さんだって褒めてくれる。
自分にだって、出来るんだ。
チドリの手を避けるように後ろに下がり、助走をつけて一気に壁を登り始めた。
「チハヤちゃん!」
チドリの叫び声を耳にしたイルカは、慌てて窓を開けた。
「どうしたっ」
「イルカ先生、チハヤちゃんが………」
イルカが見ると、庭を挟んで向かい側の宿舎の壁を、小さな子供がよろよろと登っている。
四階建ての宿舎の、もう半ばまで達していた。
「………な………っ………」
ヘタに声を掛けたら、かえって危ない。チハヤは今、全力で足裏にチャクラを集めている真っ最中だ。集中力が途切れたら、終わりである。
イルカは、チハヤを驚かせないようにそっと窓から出ようとした。
その時。
チハヤの身体が、ふわっと宙に浮いた。
チドリの絶叫が響き渡る。
「チハヤちゃんッ…!」

 



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