CROSS-OVER U
10
「チドリ〜、チハヤぁ? どこにいるの〜?」 帰宅したカカシは、子供達の姿を捜して歩いた。 「おみやげあるのになー。タイヤキ、冷めちゃうよ〜」 ははん、とカカシは口角をあげる。 「さては………」 自室の扉を開けると、思った通り。 床の上で、チドリとチハヤが抱き合うようにして眠っていた。 カカシは苦笑して、幼い息子達を起こす。 「ほら、ダメじゃないの。こんな所で寝たりして。風邪をひくでしょー? チドリったら、あんたまで」 肩を揺すられて、ハッとチハヤは眼を開けた。 眼の前には、懐かしい母の顔。 「…………おかぁさん………? あれ? おれ………」 チハヤは呆然とした。 陽が落ちて、暗くなった母の部屋。 自分のすぐ隣には、丸くなって眠っている兄の姿。 ぱちぱち、と瞬きをした途端、眼からポロッと涙がこぼれる。 「あれ………怖い夢でも見たの?」 母に優しく抱き寄せられて、チハヤは混乱した。 「………ゆ、め…………?」 ―――夢を、見ていた? あれも、これも、夢? ついさっきまで、チハヤは必死で壁登りの術に挑戦していたのだ。もう少しで、屋根まで上がれるところだったのに。 そう、もう少しで―――……… もう少し、もう少し。 身体が震えだすのを感じながら、チハヤは必死に壁を登っていた。 このまま頑張れば、屋根まで上がれる。 もう少し。 チャクラが弱くなってきているのが、自分でもわかったけれど。ここまで来て、引き返せない。 もう、少し。 耳の奥がキィン、と鳴り、頭の芯が冷たくなるような感覚に襲われたチハヤは、目の前が真っ暗になった。 (―――あ……落ちる………) ダメだった。 やっぱり、屋根までは上がれなかった。 自力で登った屋根から見る光景は、きっと素晴しいものになるはずだったのに。 宙に投げ出されながら、チハヤは無念をかみしめていた。カカシおじさんが教えてくれた受身も、この高さでは役に立たないだろう。 チハヤは、観念した。このまま、自分の身体は地面に叩きつけられるのだ。 意識が薄れていく中で、チハヤは泣きそうになりながら兄に謝った。 (………ごめんね………兄ちゃん………) 驚いたのは、カカシだった。 任務から帰還して報告を済ませ、帰り道でふと思いついてタイヤキを買い、それが温かいうちに、と急いで辿り着いた宿舎で見た光景は。 壁から剥がれ落ちるように宙に浮いた小さな身体が、まさに落下するところだったのだ。 (あンのバカ! オレのいない時には練習するなって言ったのに!) タイヤキを放り出し、素早く印を切って高速移動。落ちるチハヤを、壁の途中で受け止めようとした時。 チハヤの身体が、カカシの指先で空気に溶けるように消えてしまった。 「………え?」 壁に垂直に立ったまま、カカシはきょろきょろと周囲を見回す。 「………オレ、幻でも見た……? 誰かの幻術………?」 ぐるん、と身体を捻って後方を振り返ると―――窓から身を乗り出した姿勢で固まっているイルカと、目が合った。 「………イルカ先生。今、おチビが壁から落ちませんでした………?」 無言で頷いたイルカの表情で、カカシはすべてを察した。 「………チドリは?」 「貴方の、すぐ下の落ち葉の上にいました。…たった、今まで」 イルカは見ていた。 チハヤが落ちる、と思った瞬間、カカシの姿が出現したのでホッとしたのも束の間。 小さな身体は魔法のように消え去り、慌てて移した視線の先で、チドリの姿も消えてしまったのだ。 カカシは向きを変えると、壁伝いにイルカのいる所まで歩いて来て、ひょいと窓に腰掛ける。 「………あいつら、還っちゃったんですね」 「………………ええ」 カカシはグシャ、と髪を乱暴にかきむしった。 「………タイヤキ、買ってきたのになあ………チドリの好きな桜餡に、チハヤの好きなチョコクリームの………」 チョコ味のコーンフレークも、まだ半分残っている。 冷蔵庫には、今まで存在も知らなかった子供向けの食品。洗面所には、子供達の為の踏み台に、小さな歯ブラシとイチゴ味の歯磨き粉。 彼らが確かにいた証しだ。 「………変な…感じですね、イルカ先生」 ぼんやりと呟いたカカシに、イルカもぼんやりと応えた。 「………………ええ」 あの子供達は、自分の世界に。やっと、父と母の元に戻れたのだ。彼らはこれからも、元気ですくすくと成長していくだろう。 だが、カカシ達がその姿を見ることはもう、おそらく無い。 「………あの子らの両親が、揺り返しで還ってしまった時も寂しかったですけどねえ。………どうしたのかな、オレ。………まるで、あいつらが先に逝っちまったみたいに………胸が、痛いんですよ………」 ハハ、とカカシは笑った。 「あんまり情を移すと後でキツイですよ、なんてアナタに言っておきながらね。…ザマァ、無いな…オレも……」 「カカシ、先生………」 二人して同時にため息をついたところに、宿舎の門前から声が掛かる。 「おい、カカシ。写真、現像出来たぞ」 門の所に、写真が入っているらしい紙袋を持ったアスマが立っているのを見たカカシは、我に返ったように叫んだ。 「アスマそれ、早く貸せっ!」 カカシは窓から飛び降りて、アスマの手からひったくるように紙袋を奪うと、中味を確かめた。 「よしっ! アスマ偉いっ! ちゃんと二枚ずつ焼いて、分けてあるなっ!」 そう言いざま、カカシはまたイルカの部屋の窓まで壁を駆け上がった。 そして、サンダルのまま子供部屋に駆け込み、タンスの引き出しを開けて、チドリ達の分の写真を放り込んだ。 カカシが引き出しを閉めると同時に、術が発動する。 慌ててカカシは術式から身を引いた。 「間一髪…………」 「………危なかったですねえ。………ああ、黄昏てないで、あの子達のもの、もっとタンスに移しておいてやれば良かったな………」 イルカは、畳の上に残されていた、チハヤの小さな靴下を手に取った。 カカシに置き去りにされたアスマが、きちんと階段を上がって玄関から入ってくる。 「おい、何だったんだ………?」 訝しげな顔のアスマに、サンダルを脱ぎながらカカシは頭を下げた。 「あー、アスマ、悪い。………写真、ありがとうな。…おかげで、間に合ったわ」 「…間に合った?」 「………あいつらね、ついさっき、還っちまったんだよ………」 アスマは、そうか、と呟くと、まだ温かいタイヤキが入っている袋をカカシの頭に載せた。 「これ、お前のだろう。拾ってきてやったぞ」 カカシは、その温もりにほんわりと微笑った。 「じゃ、野郎三人でお茶にしますか」 ::: 今でもあれは、夢だったんじゃないかな、とチハヤは思う事がある。 父にソックリの男と、母によく似た雰囲気の男と、兄とで過ごした、一ヵ月半あまりの異世界での生活。 気がついたら、まるで何も無かったかのように、母の部屋に戻っていた。 こちらでは、あれからたったの数時間しか経っていなかったのだ。 だが、チドリもチハヤも、母には覚えが無い服を着ていたこと。 チハヤが眼を覚ましてすぐに気がついたチドリが、彼からの手紙を持っていたこと。 そして、手紙を読んだ母が、泣きそうな顔で庭に描いた召喚の呪陣の中に、小さなタンスが出現したこと。 何より、そのタンスの引き出しから出てきた写真が、あれは現実のことだったのだと教えてくれた。 母は、その写真を食い入るように見つめ、「お兄さん」と呟いた後、チドリとチハヤを抱きしめた。 「………あんた達も、会ったんだね……彼に。…随分、よくしてもらったんだ。………オレはまた、彼に何も伝えられない………いっぱい、いっぱい、御礼言いたいのに………」 アカデミーから帰った父も、庭に鎮座している見慣れないタンスに驚いた後、母から手紙を見せられて唸った。 そうしてやはり、泣きそうな顔で息子達を「お帰り」と両手で抱きしめたのだ。 チハヤは、あれからも時々そっと母の部屋に入り込み、異国の窓を眺めて過ごす。 この世界が嫌なわけではない。 ただもう一度、母によく似た彼に―――『おじちゃん』に逢いたい、と思うのだ。 逢って、御礼が言いたい。 チハヤは、ちゃんと覚えていたのである。 あの刹那。 壁登りに失敗して落ちた自分を、おじちゃんが助けに来てくれていたことを。
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END