CROSS-OVER U

 

イルカが今住む宿舎は、以前に住んでいた古いものと違って、ある程度の部屋数がある。
物置程度にしか使っていなかった一番小さな四畳半の部屋は、今やすっかり子供部屋だ。
少しずつ増えてきた衣類を納めておくための、可愛らしいタンス。
子供が読む本や、小さな玩具。
部屋は、子供達が元の世界に還るその日まで不自由なく生活出来るように、イルカやカカシが揃えてきたものや、紅やアスマ、ツナデからの差し入れであふれていた。
部屋を見回し、カカシは唸った。
「チドリが繰り返し読んでいる本とか、チハヤのお気に入りの青いシャツとかねー。…そーいうの、あの子達が向こうに戻る時に持たせてやれるといいんだけどねー」
界が異なっても、口寄せを応用した術式で物体を呼び寄せる事が出来るのは、過去の経験でわかっている。
かかしは、その呼び寄せ方を知っているはずだ。
チドリに、かかし宛ての手紙でも持たせておけば、後は彼女がやってくれるだろう。
しかし、持たせてやりたい物の数が多かった。
ヘタに大きく術式を張れば、部屋ごと飛ばされてしまう恐れがある。
呼び寄せの術を発動された時に運悪く術式の中にいたら、人間だって危ない。
やはり、せいぜいが五十センチ四方。大きくても一メートル以内にしておいた方が無難だ。
「………それに、服や本なんて出し入れ激しいものなー………術式の中にいつも戻しておけってのも………ああ、そっか。バカだね、オレ。簡単じゃないか」
タンスだ。子供用の小さなタンス。これに術式を施しておけばいい。
善は急げ。
いつ揺り返しが起きて、子供達が消えてしまうかわからないのだから。
カカシは、タンスの周囲に慎重に術式を施し、彼らの母親宛に手紙を書いた。
「何してるの? おじちゃん」
「あー、チハヤ。ちょっと、お兄ちゃんも呼んでおいで」
「? …うん」
チハヤは、台所にいた兄を呼びに行く。
二人揃ったところで、カカシは説明を始めた。
「あのな、前も言ったけど、お前達二人はいつ元の世界に引き戻されるか、わからない。お前達のお母さんと、お父さんの時もそうだったんだけど、さよならも言えないくらい急なお別れになってしまうかもしれないんだ」
子供達は、複雑な表情を浮かべた。
「チドリ」
「はい」
「これは、お前が持っていなさい。オレが書いた手紙だ。向こうに戻ったら、お母さんに見せるんだ。…いいね?」
カカシは、手紙を巾着袋に入れて、チドリの首から提げる。
「わかりました」
「それで、だな。…お前達が帰る時、タイミング良くオレかイルカ先生が居合わせて、おみやげを持たせてやれればいいが、それも出来ないかもしれないから。…お前達、向こうに持って帰りたいものがあったら、このタンスにしまっておきなさい。タンスには、口寄せの術式が施してある。向こうからでも、呼び寄せられるから。やり方は、お前達のお母さんが知っているはずだ」
チドリが首を傾げた。
「………じゃあ、口寄せの術式を使えば、おじさんを僕たちの世界に呼ぶ事も出来るんですか?」
「理論上は、可能だな。………だけど、それはやらない方がいい。並行世界ってのは本来、絶対に接触はしないものなんだ。これは、事故。………事故は、わざと起こすものじゃない。物を呼び寄せる術も、本当ならやらない方がいいのかもしれないけれどな。…無機物。つまり、生きていないものだから、そんな冒険も出来る。…失敗したら、どんな世界に飛ばされてしまうかわからないんだから」
「………わかりました。…界を超えて人間を口寄せするのは、危ないことなんですね」
カカシは、眼を細める。やはりこの子は六歳児にしては物分りがいい。
「その通りだ」
チハヤは、もじもじと服の裾をいじった。
「…ねえ。……もし、元の世界に戻ったら………もう、おじちゃんには会えないの………?」
カカシは、チハヤの髪を撫でた。
「うん。………たぶん、な」
あの、とチドリが声をあげた。
「僕達がこっち来たばかりの時、写真、見せてくれたでしょう? ………あの…おじさんがお母さん達と撮った。…あれ、いいなあって思うんですけど。……あの、僕とチハヤちゃんも………」
カカシは、ポンと手を打った。
「そうだな! お前達とは写真撮ってなかったっけな。よし、撮ろう。イルカ先生と、オレと、お前達で記念写真だ!」
早速カカシは式を飛ばす。
カカシに呼び出されたアスマは、ブツクサと文句を言った。
「………お前なぁ、俺はお前専属のカメラマンか」
「いやいや、オレが知ってる中で、オマエが一番写真撮るのが上手いのよ。それだけ」
「………一番使い勝手がいい、の間違いだろ」
「えー? 使い勝手がいいヤツなら他にいるって。暗部の後輩とか」
アスマは肩を竦めた。
「ヒデエ先輩だな」
「だーからぁ、使い勝手とかそういうんじゃないのよ、アスマの腕を信頼しているワケ。わかる?」
「言ってろ」
文句を言いながらも、来てくれる。お人好しの親友に、カカシは感謝した。
「イルカがいねえな。…まだ帰ってないのか?」
「ん。もうすぐ帰ってくるよ。…先に、子供達を何枚か撮ってくれる?」
アスマは子供達を襖の前に立たせて、「笑え」と命じた。カメラを向けられて緊張したのか、子供達の笑顔がぎこちない。
「もー、アスマったら。子供脅してどうすんの」
「脅してねえ。笑えっつっただけだ」
そのやり取りに、子供達が思わず笑った。お母さんと、アスマおじさんのやり取りにソックリだったからだ。
アスマはそのシャッターチャンスを逃さず、自然な笑顔の子供達を数枚カメラに収める。
「よーし、いい笑顔だったぞ」
カカシは両腕で子供たちを抱いた。
「とーぜんよ。オレの可愛い子達だもの」
「………お前の子じゃねーだろ」
そう言いながら、アスマはシャッターを切る。
「いいの。ここにいる間は、ウチの子なんだから」
チドリとチハヤは、ヒシッとカカシに抱きついた。
母親と似た雰囲気を持つ、カカシという名の男。厳密には血の繋がりも何も無い。
聡いチドリは気づいていたのだ。
彼には本来、自分達の面倒をみる義理など無いのだということに。
だが、彼はチドリ達を『ウチの子だ』と言い、愛情を注いでくれる。
父親と同じ顔の、イルカ先生もだ。
チドリ達に向けられる笑顔はいつも優しくて、毎日の食事に気を遣い、美味しくて身体にいいものを食べさせてくれる。まるで、本当のお父さんだと錯覚してしまうくらい、自然に受け入れてくれて。
違う世界なんかに飛ばされてきてしまって、自分達はいったいどうなってしまうのだろうかと思っていたけれど。
この人達に会えて良かった、とチドリは思っていた。
本当の父や母とは比べるべくも無いが、この世界の『イルカとカカシ』も、チドリの中でかけがえのない、大切な人になった。
忘れない。
自分達の世界に還り、元通りの生活に戻ったとしても。
別の世界で、我が子同然に愛してくれた人達がいたということを、忘れたくない。
だからチドリは、写真が欲しかったのだ。
大人になっても、彼らを忘れないように。
イルカが帰宅して、四人一緒の写真を撮る。
その記念写真は、貴重な冒険の証明書だ。
「………どうした? チドリ。お腹でも痛いのか?」
そうイルカに心配顔で問われるまで、チドリは自分が涙をこぼしていることに気づかなかった。
「ううん。…何でも、ないんです………眼にゴミ、入っちゃった………」
「大丈夫か? 見せてみろ」
「大丈夫。もう、取れました」
突然、チドリを襲った寂しさ。
もうすぐ、この人達と別れなきゃならないだろう、という漠然とした予感。
何の根拠も無かったが。
自分達が還る日が近いことを、チドリは感じ取っていたのだ。

 



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