CROSS-OVER U

 

そら当たり前だな、とカカシはベンチの背もたれに身体を預け、天を仰いだ。
カカシやイルカがいくら頑張ったところで、本物の両親に敵うわけがない。
まだ四歳の子供が、母親を恋しく思うのは当然だった。
「ごめんなさい、なんて言う事は無い。お前がお母さんに会いたいのは当たり前だ。…そりゃ、お前達がいなくなったら寂しいかもしれないけど、オレはそれ以上に、お前達に幸せになってもらいたいんだ。元の世界に戻れれば、それに越したことはない」
すん、とチハヤは小さくハナをすすった。
「………あのね、おじちゃん。…兄ちゃんには言わないでね。………おれね、ホントはね、ずーっとこっちにいてもいいかなって、ちょっと思ってたの」
カカシは驚いてチハヤを見た。
「…何で。お母さんとこ、戻れた方がいいだろう」
「うん。…おかぁさんには、会いたい。………でも、ね………」
チハヤは唇を噛んだ。
「………おれね、おかぁさんに、似ているの」
それは、見ただけでわかる。他人から見れば、カカシの子にも見えるくらいよく似ているのだ。
「うん、そうだな。………それで?」
「………それでね、みんなね、おれがおかぁさんにソックリだから………やっぱり、スゴイ忍者になるって………なるはずだって、言うの」
カカシには否定出来なかった。
「………………うーん、…そうだな、言う…だろうなぁ」
「でもね、おれ………おれには、そんなサイノウがないの。………兄ちゃんはスゴイけど、おれは………みんなが言うほど、スゴイ忍者にはなれないと思うの」
「おいおい。そう決めつけるな。…お前まだ、四歳だろう。修行だって、始めたばっかりじゃないのか?」
チハヤはプルプル、と首を振った。
「おかぁさんは、おれのトシの時、もう下忍になれるほど力があったんだって。兄ちゃんも、そう。………兄ちゃんはよっつの時、もっと何でもうまくやれてたんだよ。…だっておれ、聞いちゃったもの。………おかぁさんが、『チドリがよっつの時はできたのに…この子にはまだムリなのか』って………小さな声で言ったの」
それで自信を喪失したのか。彼女も迂闊なことを言ってしまったものだ。
子供の成長具合には個人差があるものだ、ということくらい、彼女だって承知しているはずだ。
その呟きは、単にその事実確認が言葉になって出てしまっただけなのだろう。
チドリには出来たが、チハヤにはまだ出来ない。なら、どう指導していくべきか、と。
「あのなぁ、チハヤ。…人には個人差ってモンがあってだな。………わかるか? 個人差。何かが出来たり、覚えられたり、背が伸びたりな。そういうのは人それぞれ、違うものなんだ。だからな、チドリがよっつの時に出来たことが、今のお前にまだ出来なくても、全然おかしいことじゃない。小さな時は、特にそういう違いがあるものなんだよ」
チハヤの眉が、八の字になった。
「………おじちゃんも、おっきいおとぅさんと同じコト言う………」
「へえ? 大きいお父さんが、ね」
そうか、向こうのサクモが自分と同じ事を言ったのか、とカカシはそっと苦笑した。
「でね、おっきいおとぅさんはね、どうしても忍者にならなきゃいけないことはないよって。……おれが、本当に忍者はイヤだ、と思ったら、コウの国に来て………ちがうおべんきょうをして、したいことを見つければいいって。………おじちゃんも、そう思う?」
カカシはウーム、と唸った。
チハヤは、結構真剣に悩んでいるようだ。遠い国に住む祖父に相談してしまうくらい。
ここで迂闊な助言は出来ない。
「………そうだなあ。それもアリかな、とは思う。お前が、どうしても忍者になりたくないなら、ね」
チハヤの眉は、ますます八の字になる。
「…でもね、おれね………忍者がすっごくイヤ、じゃないの………」
つまり、この子は忍者にはなりたくないわけではないのだ。
だが、素直に忍者を目指すには、あまりにも周囲の期待が大きくて、それがプレッシャーになっているのだろう。
「………なるほど。…しかし、それでどうして、コッチの世界にずっといてもいい、なんて思ったんだ? 言っちゃナンだが、オレだって六歳で中忍になったし、今は上忍で結構強いよ? そのオレにお前は似ているんだぞ? オレの子だって思われちゃうくらい」
チハヤは首を傾げた。
「うーん? だって、おれ、おじちゃんのシンセキの子なんでしょ? ホントの子じゃ、ないもの。…だったら、みんな『強い忍者になって当然』って、言わないんじゃないかな」
「………そーねえ………」
この子の気持ちもわかる。
カカシ自身、希代の天才忍者・白い牙の子だというだけで―――いや、容姿が酷似していたが故に、余計にそう言われてきた。
幸い、カカシには忍としての才があったし、写輪眼を使う事が出来た為、何とか周囲を失望させずにここまできたが。
それでもカカシは、己がまだ白い牙に遠く及ばない、ということを知っている。
自分は自分。父は父、と割り切ったつもりでいても、心のどこかでは焦燥感を覚えてしまう。大人のカカシですら、そうなのだ。
幼いチハヤに割り切れ、と言うのは酷だし、無理な話だと思う。
常に比較される優秀な兄がいるという点で、チハヤはサスケと同じプレッシャーをも受けていると言える。
その分、カカシよりもつらいはずだ。
「………オレの話をしようか。……オレの死んだ父さんもね、忍者だった。そりゃあもう、ものすごーく強い忍者でね。…それでもって、オレはその父さんにソックリなわけよ。見た目はね。………オレもさ、小さい頃からお前と同じこと、ずっと言われていたよ。…だからな、お前がそれを重荷に思うのは、わかる」
「………でも、おれ、天才じゃないもの。ダメダメなんだもん。……おじちゃんは、天才…なんでしょ? おれとは、ちがうもの」
「違わないさ」
チハヤは、ぷっと唇を尖らせた。カカシの言葉が素直に受け入れられないのだ。
「…オレの父さんは、自来也様達三忍よりも強かったって話なんだけど。…オレ、未だに自来也様達に勝てる気はしないもの。…どんなに頑張っても、父さんには追いつけないかもしれない。……そう思うと、すっごく自分が情けなくてな。…こういう気持ち、お前ならわかるんじゃないか?」
逆にそう訊かれたチハヤは、眼をパチクリさせた。
「う………うん。わかる、よ。………それで、おじちゃんは…どうしてるの?」
「オレか? オレはオレなりに頑張るしかないって、そう思って頑張っている」
こんな事を言った所で、四歳児のお悩み解決にはなるまい。チハヤだって、チハヤなりに頑張っているのだろうから。
兄と比較され、母と同じようになれという期待をかけられながら。
頑張っても、頑張っても、届かないかもしれないと思うから、つらいのだ。
「………お前の言う通り。…ここでは、お前に『強い忍者になって当たり前』なんて言う人はいないかもしれない。…でも、お前がなりたいって思う忍になる為には、やっぱりそれなりに頑張らなきゃなれないだろう? なら、同じことだと思わないか? 結局、ここでもあっちでも、努力はしなきゃダメなんだから」
「………………う〜ん? ………うん………かも」
「他人が何を言おうが、お前が気にすることは無いんだよ。………それとも、お前のお父さんとお母さんも、そう言うのか? 天才のお母さんに似ているんだから、同じ様に凄い忍になるはずだって」
ううん、とチハヤは首を振った。
「だろうな。………あのな、チハヤ。…オレには子供はいないけど、もしもお前が本当の息子だったとして。………お前の夢が、誰よりも強い忍になることだったら、励まして、オレに出来ることは協力してやるさ。………お前のお母さんだってな、チドリがお前の齢の時に出来たことが今のお前に出来なかったからといって、別にガッカリしたわけじゃないんだと思うぞ?」
チハヤは、小さな手の中で、紅茶の缶をくるくると回した。
「………そーかなあ………」
「そうさ。………親ってのは、子供にはつい期待してしまうものかもしれないけど。少なくとも、お前の両親は、お前達がすっごい忍者になることよりも、正しい心を持った人間になること。病気や怪我をしないで、大きくなること。笑顔で生きられることを願っているはずだ。…オレは、基本的にお前のお母さんと同じ人間だからな。ものの考え方は同じなの。そのオレが言うんだから、信じなさい」
チハヤは、縋るような眼でカカシを見た。
「………おれが………兄ちゃんみたいに出来なくても……おかぁさんみたいになれなくても………おかぁさんも、おとぅさんも、おれを嫌いにならない………?」
そこか、とカカシはやっと理解した。
チハヤは、自分が凄い忍者にはなれないかもしれない、ということよりも、なれなかった時に両親に失望され、嫌われることを恐れているのだ、と。
カカシは、チハヤの頭を撫でた。
「嫌いになんか、なるわけがない。…みんな、お前を愛している。お前がみんなを好きだ、と思う気持ちと同じ様に。たとえ、お前が忍者になりたくない、大きいお父さんのところに行く、と言ったとしても、それは変わらないよ」
だからな、とカカシは続けた。
「お前は、自分の意思でこの世界に来たわけじゃないけど。…帰れなくてもいいかも、なんて思うなよ。………会いたいんだろう? お母さんに」
うん、とチハヤは俯いた。
「………会いたい。……おかぁさんに、会いたい………」
堰を切ったように泣き出した子供をカカシは膝に抱き上げ、泣き止むまでずっとその背中を撫でてやっていた。


 

子供達が寝た後、カカシはイルカに昼間のことを報告した。
「………そうですか。我慢、していたのかもしれませんね。あんな小さな子が、ホームシックにならない方がおかしいです。…チドリの方も、気をつけてやらなきゃいけないですね。………あの子にはまた、チハヤとは違ったプレッシャーがあるでしょうから。…お兄ちゃんなんだからって、我慢していることもたくさんあるでしょうし、弟を護らなきゃいけないって、責任も感じているようですし。………まだ、六歳なのに」
「四歳も六歳も、まだ人生の出発点なのにねえ。………チハヤは人生四年目でもう、自分の才能に見切りをつけてるんですよ? それこそ、十年早いわーってカンジ。遅咲きの花だってあるんだよ、なんて四つの子にわかるわけないし」
はあ、とイルカはため息をついて肩を落とした。
「貴方やチハヤちゃんに、『将来は凄い忍者になるね』なーんてお気軽に言った輩を、俺は非難出来ません。……俺だって、どうかするとポロッとそういうこと、言っちまいそうですから。なーんも、深く考えず。……言われた方が、どんな思いでその言葉を聞くか、なんて想像もせずに。………反省です」
「いーやあ、言う方は悪気なんて無いって、今のオレはわかってますけどね。美人の母親の子に、キミも大きくなったら美人になるねーってのと同じ様なノリでしょ? それほど深い意味なんて無いんですよね。…意味があるとしても、頑張れよっていう軽い励まし程度かな。………ま、ガキのうちは何でも言葉通り受け取ってしまうから、重〜く受け止めちゃうんですけど」
イルカは生真面目に顔を顰めた。
「………無責任な励ましですよね。………教育者として、言ってはいかん事だと、肝に銘じておきます。…何げない一言がずっと尾を引いて、その子の人生さえ左右してしまうかもしれないって、わかっているのに………」
「先生が、そういうことをわかってくれているかどうかって、子供にとっては大きいですよ。やっぱり、アナタに教えを受けられる子達は幸運だ」
「や、そんな………俺は、想像してものを言う事しか出来ませんから。本当に共感出来たら、その子の心に響く言葉も出てくるでしょうけどねえ。……今日のことにしたって、チハヤは自分の苦しさをわかってくれる人が居て、救われたはずです」
カカシは薄っすらと自嘲の笑みを浮かべた。
「…いいえ。……オレ、昼間チハヤに色々言っちゃいましたけど。あの子の心をちゃんと理解出来ていたかどうか。………上手く励ましてやれたかどうかは、疑問です。………ああいうのは、きっとアナタの方が上手いんだろうなあ………相手の気持ちを汲んで、欲しい言葉を言ってやれる能力が、イルカ先生にはありますもの」
「いや、だから俺にはそんな力は………」
カカシは、ずいっとイルカの方に身を乗り出した。
「あるんですよ。………現にオレ、アナタに欲しい言葉をもらってるんですから。…今まで、たくさんね」
「………そう、なんですか?」
カカシはクスクス笑い、イルカにしな垂れかかる。
「そうなんですよ。………やだなあ、無自覚?」
「俺は、愚直な男ですから。………思った事しか口に出せませんし」
カカシを癒す、イルカの言葉の数々。
計算された言葉ではない、とこの男は言う。
「……尚更、嬉しいです」
キスをして、さあ久々に濃厚なスキンシップを………と、その気になったカカシの身体は、無情にも恋人の手で押し返された。
「ダメですよ。子供が起きてきたらどうするんです」
「………………………はい」
夫婦の営みを子供に目撃されるのもまずかろうが、男同士でのそれは、さらにまずかろう。
『オレは男だからイルカ先生とは結婚できないし、お前達を産めない』の本当の意味に、あの子達が気づくのは何年後だろうか。
カカシは乾いた笑いを浮かべた。

 



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