グズグズしていて、また夕顔につかまったら面倒だ。
コーンフレークだけ買って、そそくさとカカシは引き上げた。
「オヤツは別のところで買おう、チハヤ。ババロアがなくても我慢しろよ?」
「………うん」
カカシに手を引かれ、大人しく歩いていたチハヤは、やがてピタ、と足を止めた。
「…どうした?」
「あのね………おじちゃん。………おれ、まちがえた?」
「まちがえたって?」
チハヤはカカシを不安そうに見上げる。
「………あのね、さっきのおばちゃん。………おれの知ってるあのおばちゃんは、くららちゃんのおかあさんなの。………こっちじゃ、ちがうの?」
チハヤは、気づいていたのだ。カカシの反応で、自分がまずいことを言ってしまったのだと。
「………………うん。こっちのあのおばちゃん…夕顔は、子供はいないはずなんだよ」
そう、とチハヤはしおれた。
「………ごめん…なさい」
カカシは、チハヤの指をきゅっと握った。
「気にしないでいい。…人違いだって言っておけばいいことさ。………でもチハヤ。お前達のことを知っているのは、ごく限られた人だけなんだ。オレとイルカ先生のほかは、ツナデ様と、紅と、アスマだけだと思っておけ。………これからも、お前が知っている顔に会うかもしれないけれど、初めて会う顔をしていろ。いいな?」
「………わかった」
カカシは時計を見た。
チドリが帰ってくる時間まで、まだ間がある。
イルカも、今日はアカデミーの会議があるので遅くなるはずだ。
「…チハヤ、寄り道して行こうか」
自分によく似た子供を連れて、公園に行く。
まさか、こんな日が来ようとは思いもしなかった。
昔、父に手を引かれて行った公園に、カカシはチハヤを連れて行った。
あれは幾つの時だっただろうか。今のチハヤとそう変わらない年齢だったような気がする。
だとすると、あの時の父の歳も、今の自分と同じくらいだったことになる。カカシは、くすぐったい気分になった。
「………ここは、知っているか?」
「うん。おれんとこにもあるよ。この公園。…おとぅさんや、おかぁさんや、にいちゃんと、来たことある。…あれ? でもブランコが無い」
チハヤは、じぃっと公園を眺めた。
「………………やっぱり、ぜんぶ同じじゃないんだね」
「…そうだな。…すっごくよく似ているけどな。………同じじゃ、ないんだよ」
おそらく、この子の世界の夕顔は、子供を生んでいるのだ。もしかすると、あちらの彼女は忍ですらないのかもしれない。
平行世界の相似状態から見て、向こうの夕顔の恋人もハヤテだろう、とカカシは思った。
そのハヤテが―――こちらの世界では殺されてしまった彼女の恋人が、あちらでは生きている、という可能性だってある。
カカシの父とは、まったく違う人生を歩んでいるらしい向こうのサクモが生きているのだ。
ありえない話ではなかった。
ハヤテが、あんなにも早く逝かなかったら。
この世界にも、『くらら』という子は生まれていたのかもしれない。
チハヤは寂しそうに項垂れた。
「………おれと、にいちゃん……コッチにはいないんだものね。………くららちゃんも、いないんだ………」
カカシはチハヤを誘い、展望台のベンチに腰掛けた。
「…くららちゃんって?」
「月光くららちゃん。…保育園でね、いっしょなの。すっごくキレイな黒い髪の女の子でね………でも、大人しくてあまりおしゃべりしないの。一人であそんでいる方が好きなんだって」
「月光かあ…やっぱ、ハヤテの子なんだな。…で、さっきのおばちゃんと同じ顔の女の人が、お母さんなのか」
「………うん。でね、ウチのおかぁさんのこと、センパイって呼ぶの。…さっきのおばちゃんも、おじちゃんをセンパイって呼んだから………だから、おれ………」
なるほど、とカカシは納得した。
チハヤなりに、『自分の世界と同じ関係の人みたいだ』と思ったので、つい口走ってしまったのだろう。
(………かかしちゃんが先輩ってことは………向こうの夕顔もやっぱ暗部か………)
イルカといい、ハヤテといい。度胸のある男達だ。
「あのな、チハヤ………」と、カカシが口を開いた時。
カカシ達の目の前に、突然夕顔が姿を現わした。
「………見つけた、先輩………」
「夕顔………」
彼女が追って来た事よりも、その顔色の悪さと思い詰めた表情にカカシは驚いた。
「どうした。真っ蒼だぞ」
夕顔はそれには答えず、チハヤの前に膝をついた。
そして真剣そのものの瞳でチハヤを覗き込む。
「………坊や。お名前は?」
「………………チ、チハヤ………」
「…そう、チハヤ君、ね」
夕顔はス、とカカシを仰ぎ見る。
「…先輩。…私………私、どうしてもチハヤ君に訊きたい事があるんです。よろしいでしょうか」
その真剣さに気圧され、カカシは頷いてしまった。
「ありがとうございます」
夕顔は、チハヤの両手を上からそっとおさえる。
「…あのね、チハヤ君。………さっきね、『くららちゃん』って言ったでしょう?」
チハヤはこくりと肯定した。
「…ごめんなさい。おれ、ま、まちがい………」
夕顔は、子供の謝罪など聞いていなかった。更に、質問を重ねる。
「チハヤ君の知っているくららちゃんは、何処にいるの………?」
えっと、とチハヤは困ってカカシを見た。
「オレも今、聞いていたところだったんだ。…ここじゃない、別の里の保育園で、一緒だったんだそうだ。…その子の母親が、偶然お前に似ていたらしい」
偶然…? と夕顔は呟いた。
「………そんな…こと、あるの………? 私と似た顔の女が、『くらら』という名の子を生んだというの………? 偶然………?」
「………夕顔………?」
夕顔はいきなりポロポロ、と涙をこぼした。
「そんなこと………あるわけない………くららは、私の………………」
自分の手を握ったまま泣いている夕顔に、チハヤはおろおろした。
「お、おばちゃん…どうしたの? 何で………」
カカシはチハヤの頭を撫で、小さな声で囁いた。
「チハヤ、ちょっと待ってろ。すぐ戻る」
カカシは公園内の自販機で、温かい飲み物を三つ買って戻ってきた。
夕顔は、まだそのままの姿勢で泣き続けている。
「落ち着け、夕顔」
カカシは夕顔の肩を抱き、さっきまで自分が座っていたベンチに彼女を座らせた。
「ほら」
プルトップを引き上げたミルクティの缶を、彼女の手に握らせてやる。
その温かさに、段々彼女は落ち着いてきたようだ。
自分のハンカチを取り出し、涙を拭う。
「………取り乱してすみません………先輩」
カカシは、チハヤにもプルトップを開けた甘いミルクティを渡してやり、自分は立ったままカフェオレに口をつける。
「……夕顔。…もしかしてお前、子供がいたのか………」
夕顔は首を振った。
「生まれる前に、流れてしまったんです。…でも私、あの子に名前をつけていた。………………私………さっき、チハヤ君が『くららちゃん』って言ったのを聞いて……何でその名を知っているの……って思ってしまって。…な、何で私の子がくららだって……知っているの…って。……私、バカみたいですね。………おかしなことを言って………ごめん、なさい………」
「………ハヤテの子か」
「…はい。………彼が亡くなった時は、まだお腹に子供がいるってわかってなかったんですけれど。………わかっていれば、もっと身体を大事にして………あの子が生まれてこられなかったのは、私の所為なんです」
夕顔の眼から、またポロリと涙がこぼれた。
チハヤは、心配そうに夕顔を見ている。
何か言いたそうに戦慄かせた唇を閉じ、カカシを見上げた。
チハヤが、何を言いたいのかはわかっている。カカシは、躊躇った末に口を開いた。
「………あのな、夕顔。…コイツ………チハヤは、オレの子なんだ」
唐突な言葉に、夕顔は思わず顔を上げた。
「………え?」
「正確には、オレの子では無いけれど。…でも、この子は、『はたけカカシ』の子なんだよ」
信じる信じないはお前次第だけど、と前置きをし、カカシは自分達が体験した神隠し事件のこと、性別の違う自分が他の世界から迷い込んできたこと、今ここにいるのは、その時の彼女の子なのだと、順を追って夕顔に話してやった。
「…荒唐無稽な話だろう? 笑っても構わないよ」
話を聞いて唖然としていた夕顔は、やがてゆっくりと首を振った。
「いいえ。………いいえ、信じます。だって、現にチハヤ君がここにいるのですし………」
夕顔は微笑み、先程とは違う涙を流した。
「………何だか少し、嬉しいです。……私の赤ちゃんは、別の世界で生まれていたんだって。………そう思う事が出来ますもの」
夕顔は、チハヤの小さな手をそっと両手で包んだ。
「さっきはごめんなさいね。驚かせてしまって。………あのね、チハヤ君が元の世界に戻ったら………その、くららちゃんと、仲良くしてあげてね?」
チハヤはウン、と勢いよく頷いた。
「くららちゃんね、すっごく可愛いよ。…おばちゃんに、ソックリだよ」
夕顔は無言で、しばらくの間チハヤを抱きしめていた。
夕顔が立ち去った後も、カカシとチハヤはぼんやりとベンチに座っていた。
「………おばちゃん、泣いてたね」
「ああ」
平行世界のことを、夕顔に教えるべきかどうか、カカシは迷った。
自分とイルカは、自分達には授かるはずの無い我が子が、別の世界に生まれていることを知って、嬉しかった。
だが彼女は女性だし、実際に一度は身籠ったのだ。
自分達と同じように思えるとは、限らない。
だが、カカシは思いきって話した。
彼女が自分の子を失った事実に変わりは無いが、『くらら』という子が無事に生まれた世界があるのだ、と教えてやりたかったのだ。
結果的に、それを知った彼女は、自分の子は別の世界で健やかに生きているのだ、と思うことで少しだけ慰められたように見えたが―――まかり間違えば、彼女をもっと傷つけることになったかもしれない。
チハヤはポツンと呟いた。
「………おれも、くららちゃんなんだね」
「…チハヤ」
チハヤは、すっかり冷めてしまった紅茶の缶を持ったまま、大人のようなため息を漏らした。
「本当は、ここにいちゃ、いけないんだ」
カカシは思わず、小さな銀の頭を抱き寄せた。
「いけなくはないよ。………オレは、オレとイルカ先生は、お前とチドリに会えてすごく嬉しかったんだから。だから、いけない、なんてことはない」
チハヤは、甘えるようにカカシに寄りかかる。
「……ねえ、おじちゃん。………おじちゃんは、おれと兄ちゃんがいなくなったら、さびしい?」
カカシは、正直に頷いた。
「………そうだな。…オレは、お前達が好きだからね。…寂しい、だろうね」
「………おれも。おれもね、おじちゃん好きだし。……こっちのおとぅさんも、好き。…………………でもね、ごめんなさい………」
チハヤは、ぎゅう、と缶を持つ手に力を込めた。
涙を、堪えるかのように。
「………おれ………おかぁさんに、会いたい………」 |