CROSS-OVER U

 

チドリはイルカの家での留守番よりも、アカデミーについていく方を選んだ。
チドリがいるならともかく、チハヤを一人では置いておけない。イルカは二人を連れて出勤し、アカデミーでは生徒たちと一緒に授業を受けさせ、受付所シフトの時はツナデの部屋で預かってもらった。
ツナデが忙しい時は、アスマや紅が上忍待機所に連れて行って面倒を見てくれる時もある。
そして、カカシの方が先にあがれる時は子供達を連れて帰り、一緒に夕飯の支度をしながらイルカが帰るのを待つ。
そんな暮らしが一ヶ月も続くと、子供達はその状態にすっかり慣れてしまった。
彼らはイルカのことは『イルカ先生』と呼び、カカシのことは『おじさん』と呼ぶ。
周囲には自分の親戚の子だと言ってあるので、カカシもその呼び方を不公平だ、とは言えない。
子供達の寝顔を見ながら、カカシは呟いた。
「………子供ってのは、逞しいもんですねえ………」
「頭も心も柔軟で、大人よりも順応性がありますからね。…素直な子達ですし」
「ま、オレ達みたいに、国も社会制度も違う世界に飛ばされたわけではないですもんね。木ノ葉の里には違いないし。………それに、アナタがいる」
子供達が割合に冷静で、パニックを起こしたりしなかったのはイルカの存在に因るところが大きい。
頭では、自分達の父親とは別人なのだと承知していても、寸分違わぬ姿に、同じ声、同じ物言いに錯覚を起こすのは当然だ。
イルカが傍にいるだけで、子供達の精神状態は安定したのである。
イルカは、微苦笑を浮かべた。
「チハヤなんかは、時々俺を『おとうさん』って呼ぶんですよ。………くすぐったく思うと同時に、やっぱり不憫で………馴染んだように見えて、やっぱり親が恋しいんでしょう」
「………まだ、小さいですしね。泣いたりしないだけ、偉いですよ」
カカシは、チハヤの銀の髪を指先で梳く。
「もしもこのまま、『揺り返し』が来なくても―――こいつら、この世界でやっていけそうですけどねえ………」
「………チハヤは、貴方にソックリになりそうですね。…知ってましたか? あの子、ツムジの位置まで貴方と同じなんですよ」
うは、とカカシは苦笑する。
「…ってことは、やっぱオレとかかしちゃんがそれだけ同じ存在だってコトなのかー」
「チドリは、すごいですね。…あの子、アカデミーで元の世界での友達に会っても、知らん顔で初対面の演技をしているようです。…自分は、この世界では異分子だと、きちんと自覚しているんですよ」
「………そう、ですか」
「勉強の方はもう、アカデミーの年長クラスについていけています。…実技の方は…ヘタに目立つといけないので、あまりやらせていませんが。おそらくは、そっちももう卒業試験を受けられるくらいにはなっているかもしれないです」
「向こうの世界でも、まだアカデミーには行っているんでしたよね? あの子」
はい、とイルカは頷いた。
「あの子らの父親の方針らしいです。…俺も、子供をあまり早いうちから大人の世界に放りこむのはどうかと思っているので………あ、いや、貴方の時は、時代も世界情勢も違いますから! サクモさんや四代目を非難しているわけじゃないですよ?」
六歳で中忍になっていた恋人の保護者達に対する嫌味ともとれる発言をしてしまったイルカは、慌ててフォローした。
プハ、とカカシは笑う。
「わかってますよ。…でもね、父もそこらは随分悩んだし、一応の抵抗はしてくれたようなんですよ。…でも、当のオレがヤル気満々だったしねー。当時の人手不足は深刻でしたからねえ。ま、ご時勢だったってコトでカンベンしてください」
「勘弁だなんて………すみません、ホント」
「イルカ先生、気を回しすぎ。………オレはね、父や先生のいる世界に近づきたくて。………仲間に入れて欲しくて仕方なくて。…随分、背伸びしてたんです。でもね、やっぱり背伸びなんてするものじゃない」
結構痛い目にもあいましたから、という言葉をカカシは呑み込んだ。望んで飛び込んだ世界で受けた傷だ。
優しいイルカに同情してもらうのは、筋が違う。
「ま、子供の時は、子供にしか体験出来ない事があるでしょ? ソッチの方が大事だって、今のオレにはわかりますから。…この子達には、のびのびとした子供時代を送って欲しいです。………あっちのかかしちゃんも、そう思っているんじゃないかな」
フー、とカカシは息をついた。
「………かかしちゃんかー………うーん、あっちではどれくらい時間経っちゃったかな。…あまり心配させたくはないんだけど。………あの子、コッチにいる時もチドリを心配してすごく痩せちゃってたから………」
「そうでしたね………」
カカシ達の感覚では、あれは然程昔の出来事ではない。
だが、チドリの年齢から推してあちらでは五年以上の月日が経過していたことになる。同じ感覚で時間が流れていたら、この子達はあちらでは二年以上行方不明ということにならないか。
そう思うと、気が滅入ってくる。
同じ存在、とはいえ性別も年齢も違っていた彼女のことを、カカシは妹のように思っていたのだ。
彼女を悲しませたくはない。
「せめて、子供達はこっちで預かってますよ、と連絡出来たらねえ………」
「本当に………」
その方法さえあるのなら、どんな事でもしてやるのに。
カカシとイルカは、無邪気に眠っている子供達の寝顔を切ない思いで眺めた。

 


朝御飯にコーンフレークが食べたい、と言ったのはチハヤだった。
やはり遠慮があるのか、子供達は今まであまりそういった要求や希望を言わなかったのだが。これも慣れてきた証拠かもしれないな、と少し嬉しく思いながらカカシはチハヤを連れて買い物に出掛けた。
チドリは、アカデミーで出来た友達に誘われて、図書処での読書会に参加している。
今のチドリと同じ年齢で中忍になっていたカカシは、『六歳』という年齢を侮ってはいなかった。
この子なら、自分の置かれている立場と状況をきちんとわきまえた振る舞いが出来るはずだ、と信じてカカシは一人で行かせたのだ。
一方のチハヤは、まだ眼が離せなかった。大人には想像もつかない思考回路と理屈で動いてしまう恐れがある。
イルカとカカシは、どちらかが必ずこの子についていよう、と取り決めたのであった。
「………コーンフレークって、いっぱい種類あるぞ。どれにする?」
カカシは、ヒョイとチハヤを抱き上げて棚を見せてやった。
「んっとぉ、おれはねぇ、チョコ味のが好き。…兄ちゃんはね、お砂糖もチョコもついてないのが好き」
「ん? プレーンってやつでいいのかな?」
カカシはカゴにチョコ味とプレーンのコーンフレークの箱を入れた。
「二つとも買っていいの?」
「だって、お前はチョコがいいんだろ? チドリがプレーンが好きなら両方あった方がいいじゃないか。………さーて、今日のオヤツ何にしようかねえ。…昨日はドーナツだったっけ。今日はプリンにでもするか?」
「おれね、ババロアも好き」
「ババロアねえ………スーパーで売ってるっけね。………ケーキ屋行かなきゃダメかな」
取りあえず、そういう物を置いていそうな売り場の方へ行こうと方向転換したカカシは、誰かにぶつかりそうになった。
「…っと、失礼」
「いいえ。…あら、カカシ先輩! 珍しい所…で………」
暗部の後輩、夕顔だった。
夕顔は、カカシが片腕で抱いたままのチハヤを見て、固まっている。
「おーや、夕顔じゃない。久し振り………どしたの? そんな顔して」
夕顔は金縛りが解けたかのようにハッと息を一つ呑み、矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。
「カッ……カカシ先輩いつの間にお子さんなんか…っ! 誰に産ませ…いえ、どなたと結婚したんですか! お子さん幾つですか、お名前はっ」
カカシは彼女の目の前でパタパタ、と手を振った。
「………あー、ちょっと落ち着け、夕顔。…これはオレの子じゃないから。親戚の子、預かってるの」
夕顔は疑わしげに眉根を寄せる。
「………………………センパイ、ご親戚なんていらっしゃったんですか………?」
「いたら変?」
「変とは申しませんが………。まあ、それにしても先輩ソックリですわね。何処からどう見ても、先輩のお子さんにしか見えませんわ」
カカシはしれっととぼけた。
「だから、親戚だもの。似ててもおかしくないでしょ」
「………失礼ですが。どういったご親戚なんですか?」
普通なら、そういう個人的な事柄など詮索してきたりしないはずの夕顔が、珍しく食い下がってくる。
よほどアヤシイんだろうなあ、と内心苦笑しながら、カカシはスッと眼を細めて夕顔を一瞥した。
途端、その眼に夕顔は怯む。
「………オレとは別の世界で生きている、妹の子だよ」
「え………?」
カカシはパッと笑顔を作って、夕顔の肩を軽く叩いた。
「ま、ちょっくら事情があんのよ。…余計な詮索はナシにしてくれると助かるんだけど」
「………も、申し訳ありません………! 立ち入ったことを………」
「そんな謝らなくってもいいよ。そーだ、夕顔。この店、ババロア置いてるかなあ」
「ババロア…ですか?」
「そ。…コイツが食べたいらしくって」
キョトンと夕顔の顔を見ていたチハヤが、いきなり彼女を指差した。
「おじちゃん。このおばちゃん、くららちゃんのおかーさんだよね?」
「………く、くららちゃん?」
カカシは慌てて、チハヤの口をふさいだ。
「ゴメン、夕顔。コイツ、誰かと勘違いしているみたいだ。そ、それじゃあ、またな!」
これ以上チハヤが迂闊なことを口走らないうちに、とその場を離れたカカシは気づかなかったが。
そこに立ち竦んでいる夕顔の美しい顔は、真っ蒼になっていた。
抑えようとしても、身体が震えてきて止まらない。
「………………何故………何故、あの子が……その名前を……………」
この世に生まれてくることが出来なかった、赤ん坊。
死んでしまった恋人の、忘れ形見だったのに。
産声をあげるどころか、人の姿すら取れないうちに父親の元へ旅立ってしまった。
その子につけようと思っていた、名前。
夕顔は、妊娠していたことすら、誰にも告げていなかった。
くノ一が流産することなど、珍しくはない。体調が急変した時に居合わせた医療忍者が処置をしてくれたが、事情も何も訊かれなかった。
それが、暗黙の了解だからだ。
子供の亡骸さえ彼女の手には残らなかったが、夕顔も何も言わなかった。
黙ってそっと一人で供養していたのだ。
子供の無邪気な声が、頭の中でぐるぐる回っている。
『くららちゃんの、おかーさんだよね』
(………そうよ………私は………くららの……………)
夕顔は、カカシの去った方を茫然と眺め―――そしてフラフラと歩きだした。

 



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