イルカが子供達を風呂に入れている間に、カカシは当座要りようになりそうなものを揃えに行った。
カカシの家にはもちろん、イルカの家にも子供の着替えなど無かったからだ。
下着、パジャマ、Tシャツ。それから、忘れずに買ってきてくれとイルカに念を押された、子供用の小さな歯ブラシ。
(………二人とも男の子で良かったわ〜………小さい女の子の下着なんて買ってたら、何だかヘンタイみたいだもんな………)
それ以上に、本人の扱いに困るかもしれない。
子供達の母親であるかかしは、四、五歳の頃から四代目に育てられたと言っていた。
違う世界の四代目とはいえ、よくもまあ、独身の男がそんな幼女を育てる気になったものだ。
(………本当に、何があったんだろうねえ………鉱の国のお偉いさんの娘が、遠い木ノ葉の里で忍者に育てられたなんて。………機会があったら、かかしちゃんに聞いてみたいわ)
そこでカカシは、眉をひそめた。
子供達の話を聞いたかぎりでは、あの子達は二人だけで飛ばされてきてしまったようだ。
彼らの両親である、いるかとかかしが今回は来ていないとすれば―――子供達はあちらの世界で、行方不明状態ということになる。
子供達がいない事に気づいた彼女は、胸が潰れそうになるほど心配するだろう。何とか、早めに戻れればいいのだが―――出来れば、彼女が子供達の不在に気づく前に。
この神隠し現象の時は、時間の流れに差が生じる場合が多い。こちらで数日過ごしても、戻った時はものの五分と経過していないといったこともあり得る。
今回も、そのパターンである事を祈るのみだ。
だが、カカシの心にはもう一つの懸念があった。
今までは、異世界からの訪問者はその世界では異分子であるが故に、世界が正常な状態に戻ろうとして『揺り返し』現象が起き、元の世界に戻れる―――のだと、思っていた。
今この世界にいる子供達は、確かに異分子ではあるのだが、そもそもこちら側には彼らに相当する存在がいない。
(………きちんと、揺り返しは来るんだろうか………)
子供達には、必ず戻れるから心配するな、とは言ったが、それは幼い子供を不安にさせたくなかっただけだ。
彼らの両親がこちらに来ていた時ほど、カカシは自信を持って『戻れる』とは言えなかった。
(………クソ。ここまで『あり得ない』現象が起きるなら、いっそのこと時空を飛び越えて先生も来ればいいのに。したら、この三叉クナイの謎というか仕組みと理論をとっくりと説明させて、事態の解決を………)
イカンな、とカカシは首を振った。
こういう思考状態はよくない。
自分の手に余るからといって、想像の上でも『もしも』に頼ろうとするなんて。
「………考えても仕方ない。…しばらくは子持ち生活ってヤツを体験するかね………」
カカシは商品棚からイチゴ味の子供用歯磨き粉を手に取り、買い物カゴに放り込んだ。
一方、生来子供好き、世話好きのイルカは、早くも子持ち生活を楽しんでいた。
子供達は二人とも、面差しがカカシに似ていて可愛いし、特にチハヤの方はカカシがこの歳くらいの時はこうだったろう、といった感じの子供だったから、面倒を見るのが楽しくて仕方ない。
写真で見ただけの赤ん坊が、利発な子供に成長した姿をこの眼で見られたことも嬉しかった。
(ほんの、しばらくの間だけだろうけどな。…お父さん気分を味わわせてもらおう。……もう一人の俺。それから、かかしさん。…少しだけ、この子達を貸してください………)
子供達が消えたことに気づいた時、彼らが心配するであろうことは、イルカにも容易に想像がついたのだが。
だからと言って、イルカの意思や力でこの子達を戻してやることは出来ないのだ。
なら、自分の手元にいるうちは、彼らの代わりに精一杯面倒を見て、その身を護る。それしかイルカには出来ない。
チハヤの頭を洗ってやっていると、チドリの手がペタリとイルカの背に触れた。
「………おじさんの背中にも、お父さんと同じキズがある………」
「ああ、うん。………そうだな、同じ経験をしたんだよ。だから、キズも同じ所に出来たんだ」
「………ふしぎ」
「うん。…不思議だな」
「………………お父さんソックリなのに、お父さんじゃないなんて、本当にふしぎ」
チハヤが口を尖らせた。
「おかぁさんが男の人って方が、ふしぎだよぅ」
イルカは思わず、声をあげて笑ってしまった。
カラカラ、と風呂場の戸が開く。
「何ですか〜? 楽しそうですねー。はい、歯ブラシと歯磨き粉。風呂のついでに磨いちゃいなさい」
「あ、どうも。………カカシ先生も一緒に入りますか? 風呂」
カカシはハハハ、と笑った。
「いや、オレとかかしちゃんは違い過ぎますから。ま、イロイロとね。…子供達にはショックかもしれないんで、今日の所はやめておきます」
「………ですね」
「ゆっくり入っていてください。…オレは、布団の用意でもしておきます」
「すみません、お願いします」
イルカは、カカシから受け取った歯ブラシを子供達に見せた。
「どっちにする?」
歯ブラシは、水色と黄色だった。どちらにも白い小さな水玉模様が入っていて、柄の部分にはワンポイントで可愛らしい絵がついていた。水色の方は犬。黄色の方はカエルだ。
こんな可愛らしい歯ブラシをカカシが選んで買ってきたのかと思うと、何だか微笑ましい。
「僕、どっちでもいいです。…チハヤちゃん、好きな方使ったらいいよ」
「いいの? …じゃあ、おれカエルさんがいい」
弟に好きな方を選ばせてやるあたり、お兄ちゃんだなあ、とイルカは感心した。
偉いぞ、と無言で頭を撫でてやると、チドリはくすぐったそうに笑った。
子供達が寝入った後、イルカとカカシは頭をつき合わせ、小声で話し合った。
「………とにかく、しばらくはオレ達で面倒見るしかないですよね」
「ツナデ様への報告はどうします? カカシ先生」
「んー、した方がいい…んでしょうねえ。事情がわかっていれば、色々と融通してくれるかもしれませんし」
イルカは不安そうに眉を顰めた。
「わかって…頂けるでしょうか。…つまり、あの子達が別世界から来た子達だと。…ヘタをすれば………」
カカシは肩を竦める。
「オレの隠し子と疑われる可能性もあり、ですねえ。ツナデ様は、前にかかしちゃん達が来た時のことはご存知ないから。………しかし、オレも貴方も仕事があります。あの子らを、ずっとこの部屋に閉じ込めてもおけないでしょう?」
「やはり、理解して協力してくれる人間は必要ですね………目は離せないし」
「アスマや紅はたぶん、力を貸してくれるでしょう。…信じる、信じないはツナデ様のご判断に任せるとして、一応報告はしておきましょーか。黙ってたらバレた時、何で報告しなかったって、カミナリ落ちそうですもん」
「………ですねえ」
クス、とカカシは小さく笑いを零した。
「イルカ先生、実は少し楽しいでしょ」
「え?」
「だって、あの子らと風呂入っているアナタ、嬉しそうでしたよ」
イルカは苦笑を浮かべつつ、認めた。
「ええ。………そうですね。楽しい…と言えば楽しいです。………あちらの世界では、彼らが心配しているかも…と思うと心苦しいというか…後ろめたいのですが」
「ま、ね………オレも、歯ブラシやら、ちっこい下着やら買っている時、不思議な気分になりましたもん。どこかワクワクしているんです。…あの子達は困った状態だってのにね」
イルカは、卓の上のカカシの手に、自分の手を重ねた。
「こう思いませんか? ………ほんの少し。…ほんの少しの間だけ、俺達にも親気分を体験させてやろうっていう、神様のプレゼントかもしれないって」
「…イルカ先生、あまり情を移さない方がいいです。………後でキツイですよ?」
「………わかっています。でも、だからと言ってあの子らと距離を置くなんてこと、出来ませんよ」
でしょうねえ、とカカシはため息をついた。
「アンタと向こうのいるか先生は、見分けつかないくらいソックリだから、子供らもすぐ懐くだろうし。……距離を置くのは無理ですね」
「いいですよ。あの子達が元の世界に戻るってことが、一番いいってのはわかりきっていることです。いなくなっちゃったら寂しいでしょうけど、それはそれです。…チハヤ君が生まれたってことまでわかって、俺は嬉しいですし。覚悟してますよ。………それよりも」
イルカの眼が、ビシッと据わったものになった。
「前にも言いましたが、ミョーな気遣い、気回しは無用で不要ですからね! …あの子達は可愛い。だから『やっぱり子供がいたら』とか、つい思っちゃうかもしれません。………でもね、思うだけです。…俺は貴方の方が大事ですから。それだけは、誓って言えます」
「………………ハイ。わかりました」
神妙なカカシの返答に、イルカは眼を眇めた。
「それだけですか?」
「………ええっと………あ! オレも! オレも、あの子達が本当にオレの子供だったらなー、とか思っちゃうかもしれませんが! 思うだけです。………イルカ先生と別れなきゃ得られないモノなんて、欲しくないです」
「同感です」
イルカは、ちゅ、とカカシの唇にキスした。
「……あの子達が還るその日まで。俺達で護ってあげましょう」
それが、明日のことなのか。
それとも、もっとずっと先のことなのかは、わからないけれど。
「………そうですね」
カカシは、イルカの唇にキスを返した。
+++
ほーお、とツナデは頬杖をついて子供たちを眺めた。
「お前達、影分身プラス変化の術で、この私をからかうつもりじゃないだろうね?」
カカシはムッと顔を顰めた。
そっちなのか。隠し子を疑われた方がマシな気がする。
「………なんでオレ達が、そんな命懸けの冗談をやらなきゃならんのです」
「そうか。四月馬鹿にはだいぶ間があるものな。………それじゃあ、その子達は本当に別の世界から来ちまったのかい。………難儀な話だね」
びくびくした様子でこちらを見ている子供達に、ツナデはにっこりと微笑んでやった。
「ええと、チドリに…チハヤ、だっけね。事情はわかった。お前達の本当の両親のいる世界に戻れるまで、そこのカカシとイルカを親だと思って頼ればいい。…カカシ。この子らに免じて、当分はSランクの任務は入れないでおいてやる。しっかりと面倒見ておやり。………イルカもな。残業はなるべく減らせ。私からもアカデミーに話は通しておいてやる」
「ありがとうございます、ツナデ様。……でも、アカデミーにまでこの子達のことは………」
ツナデは指先を振った。
「ああ、何もバカ正直に異世界から来たお客だと言わなくてもいいだろう。…そうだねえ…二人ともカカシの方に似ているね。カカシの親戚の子を預かったことにしておけばいい。…事実、似たようなものだろ」
「わかりました。よし、じゃあ二人とも。…ツナデ様が仰ったことはわかったな? 当分、お前らはオレの親戚の子だ。別の世界から来た、なんて他の人には言うなよ」
子供達はコックリと頷いた。
「それで、カカシ。…この子らを元の世界に戻してやるのに、何かしてやらなくてもいいのかい? その………現象の究明とか、何がしかの条件を揃えてやる、とか」
「そうですねえ………そうやって、戻れるものならしてやりたいですが。…過去数回の神隠し現象って、いずれも原因はバラバラ。法則性が見当たらないんです。ただ、オレ達が『揺り返し』って呼んでいる、この世界を本来あるべき姿に戻そうと働く現象が起きるのを待つしかありません。………人知を超えている現象なだけに、ヘタに手出し出来ないんですよ」
「………そうか………」
ツナデはフ、と息を吐いた。
「なるようにしかならん、と言う事か。………チドリ、チハヤ」
「はい」
「はい」
「………おっかさんが恋しくなる時もあるだろうが、頑張るんだよ。…なぁに、人間、一等大事なのは、生きているってことさ。生きていさえすれば、道も色々と開けるってもんだ。大抵の問題は、解決することが出来る。…わかったね?」
子供達は、繋いでいた手を互いにぎゅっと握りしめた。
「わかりました、ツナデ様」
「わぁりました!」
ツナデは、眼を細めた。
「よし。…いい子達だ」 |