CROSS-OVER U
2
演習場の見回りは、中忍の重要な仕事のひとつである。 内勤・外勤問わず―――ということになってはいるが、イルカ達アカデミーの忍師にはその当番は頻繁に回ってきた。 任務で里にいない者のフォローを、いる者がするのは当然だからだ。 木ノ葉の演習場は、広々とした更地から、岩場、街並を模したもの、そして鬱蒼とした森まで多岐にわたっている。 今日のイルカの担当は、アカデミーの生徒も演習に使う小規模な森だった。 中忍試験に使われるような規模の森だと数人がかりでも見回りに一昼夜かかってしまうが、この程度なら一日あれば一人で夜までには見回れる。 異常はないか、不審者は侵入していないか。一通り見て回り、手元の地図に気づいた事項を書き込んでいく。 ほぼ見回りを終え、森の出口に向かおうとしたイルカは、小さな気配に気づいた。 動物ではない。子供だ。 どの演習場も、柵と金網で一般人が入らないようにしてあるが、時々破れた金網の隙間から子供が入り込むことがある。 かつてのイルカも、悪戯坊主の本領を発揮して何度か潜り込み、その都度散々怒られたものだった。 だから、子供の気持ちはわかる。 入るなと言われれば、余計入ってみたい。 金網の向こうはどんな世界なのか、冒険してみたい。 そういうものなのだ。 だが、演習場は子供の遊び場としては危険過ぎる。 ひょこひょこと動いている小さな人影を発見し、イルカは苦笑した。 (………仕方ねえなあ) 「こぉらっ! 何処から入り込んだ!」 二人の子供は、驚いてビクッと飛び上がったが、子供の取った行動にイルカもまた驚かされた。小さな方の子が、いきなり「おとーさぁん!」と抱きついてきたのだ。 父よばわりに面食らったイルカの反応に、大きい方の子供が警戒心をあらわにした。 「チハヤちゃん! その人から離れて! その人、お父さんじゃない!」 悪戯で、演習場に潜り込んだ子供の態度ではない。 イルカの足にしがみついている小さな子は、戸惑ったように振り返る。 「兄ちゃん、だっておとぅさんだよ?」 「お父さんじゃないよ。お父さんが、僕たちを何処の子だ、なんて言うわけないもの!」 兄弟か、とイルカは思わず微笑んだ。兄は五、六歳。弟は三、四歳程度に見える。 もう薄暗いので、自分を父親と見間違えたのだろう。 イルカは、まだズボンをつかんだままの子供の頭をそっと撫でた。 「……迷子かな? ここが、演習場の中だって分かってるか?」 黒髪の、大きい方の子供が眼を見開いた。 「………演習場の中…?」 「ああ、やっぱり知らないで入り込んじまったんだな。奥に迷い込まなくて良かった。…おじさんが送ってやるよ。名前は?」 子供は少し躊躇ったが、素直に名乗った。 「………チドリ。この子は弟のチハヤです」 「………チドリ?」 その名にドキン、とイルカの胸は大きく波打った。 チドリ。 それは、カカシの必殺技の名称であり―――イルカの知る、ある子供の名前だ。 ここには、いるはずのない―――……… イルカは、声が上擦りそうになるのを抑えながら、更に質問した。 「………お…父さんの、名前は?」 子供は、弟を自分の方に引き寄せながら、黒い瞳で真っ直ぐにイルカを見る。 そして、意を決するようにこくりと喉を鳴らしてから、ゆっくりと答えた。 「うみの、イルカ。アカデミーの先生です」 ::: 中忍にあるまじきことに、宿舎の自分の部屋に辿り着いた時、イルカはゼイゼイと息を切らしていた。 右腕には銀髪の子供。 左腕には黒髪の子供。 子供の父親の名前を聞いた途端、イルカは咄嗟に子供達を両腕に抱え、人攫いよろしく全速力で宿舎へ駆け戻ったのだ。 「ご…ごめんな、いきなり強引にこんなところに連れてきて。………あのな、俺はあやしい者じゃない。お前達に何かするつもりもないから、心配するな。………ただ、ちょっとな………確認したい、ことが………」 三和土に下ろされたチドリはチハヤをぎゅっと抱き寄せ、怯えた眼をイルカに向けた。 「………何………?」 「………お父さんは、うみのイルカなんだな………? じゃあ、お母さんは? お母さんの名前は………?」 チドリが答えるより早く、チハヤが無邪気な声をあげた。 「おかぁさんは、カカシさんだよ。おとぉさん、いつもカカシさんって呼んでいるもの」 (―――ああ、やっぱり………!) イルカはヘタリと玄関先にしゃがみ込み、頭を抱えた。 「………なんてこった………」 『イルカ』と『カカシ』の子供。 もちろん、この世界のイルカとカカシではない。 ここにいるのは、本来この世界にいるはずのない子供達だ。 御伽噺のような話だが、イルカとカカシは一度、大掛かりな術を解呪しようとして異世界に飛ばされたことがあった。 所謂、『平行世界』である。 飛ばされた先の世界には、木ノ葉の里も、イルカ達のような忍者もいなかった。 だが、イルカとカカシの存在に相当する人物は存在していたのだ。同じ姿。同じ名前。 環境や生き様は異なっていたが、彼らは同じ魂を持ってその世界で生きていた。 結局、異世界においては異分子であった忍者の彼らは、揺り返し現象で元の世界に戻る事が出来たわけなのだが―――その時の事件の影響なのか、別の世界のイルカとカカシが、やはりこの世界に迷い込んできてしまったことがあったのだ。 そのカカシはなんと、性別が違っていた。女性だったのである。彼女は正式にイルカと結婚していて、彼との間に子供を儲けていた。 子供の名は、チドリ。 イルカは、赤ん坊だったチドリの写真を見たことがあるだけであったが、それでも今目の前にいる子供は、あの写真の子が大きくなった姿だとわかる。 それが、何故この世界に―――イルカは、真っ白になりかけた頭を振った。 ここで、自分がパニックを起こしている場合ではない。 この小さな子達に、平行世界だのスリップ現象だのの説明をして、わかってもらえるだろうか。 第一、今回この世界に来てしまったのはこの子達だけなのだろうか。 もしかしたら、親の方もまた来ているのかもしれない。 「そうか。…かかしさんの……息子達なのか」 イルカは、三和土の天井の灯かりをつけた。 明るい所で見れば、幼い子供達は二人ともカカシによく似ていた。特に、銀髪のチハヤの方は、カカシに生き写しだ。 「お母さんに、よく似ているな、二人とも」 イルカを警戒していたチドリの緊張が、ほんの僅かだが緩んだ。 「…………お母さんを…知っているの? おじさん、誰…? どうして、お父さんとソックリなの………?」 イルカが、この事態をどう幼い子供に説明しようかと思案しかけた時。 勢いよく玄関の戸が開いた。 「イールカせんせっ! ただ今戻りましたーっ! ………って、あれ?」 「カカシ先生? 帰還は明日のご予定では………」 カカシの目の前には、子供二人を庇うように中腰で抱きかかえ、こちらを見上げているイルカがいた。 子供達も、呆然とカカシを見上げている。 カカシは取りあえず、戸を閉めた。 「…ええっと…早めに片付いたので、一日早く戻れたんですが。それよりですね。………これはナニごとです? イルカ先生」 「いやその…迷子を保護……したと言いますか………」 カカシはチハヤの顔をひょいと覗き込んだ。 「………うっわー…なんか、他人とは思えないツラ構え」 「……でしょうねえ。その子、かかしさんの子ですから」 くわっとカカシは右眼を見開いた。 「とか言って、コレを置いてった女がいたとかっ?」 「え? 身に覚えでもあるんですか? カカシ先生」 カカシは一瞬眼を泳がせた。 「………えーと。………ああ、いや………無いです。たぶん………」 イルカと恋人関係になってからは、女性と火遊びなどしていない。 それ以前のこととなると、カカシも一応健康な成人男子なので、それなりにガス抜きはしていたが。相手を孕ませるようなヘマはしていない―――はずだ。 クス、とイルカは笑った。 「冗談ですよ。……貴方の子だなんて俺、言ってないでしょう? かかしさんの子だ、と言ったのです。銀髪の方がチハヤ君。…この子は、チドリ君です」 「………チドリ?! ………まさか………」 イルカは、重々しく頷いた。 「ええ。『彼女』の、お子さん達です」 カカシはすぐさま、事の次第を呑み込んだ。 「…………また……例の現象が起きたってことですか」 「おそらくは。…この子達は、第六演習場内で見回り中だった俺が見つけて、保護しました。二人だけで、歩いていたんです」 カカシは、おもむろに額当てをはずし、口布を下げた。 「チビども。…オレは、はたけカカシだ。…だけど、お前らの母親じゃない。…わかるな?」 チハヤはプルプル、と首を振る。 「わかんない」 「どこらへんがわからない」 「おじさん、おかぁさんに似ているけど、男の人だからおかぁさんじゃない、はわかるの。でも、何で、はたけカカシなの? 何で、おかぁさんの真似っこしてんの?」 それまで、黙って固まっていたチドリが、震える手を伸ばして弟を抱き寄せた。 「………お、おじさん達は何…? ………何で、イ、イルカ先生、とか………」 カカシ先生、と呼び合っているのだ? という問いは最後まで言葉にならなかった。今のこの状況が『異様』なものだと気づき始めていたチドリは、身体を小刻みに震わせている。 カカシはチドリを見下ろし、フッと眼を和ませた。 「チドリか。…大きくなったなぁ。幾つになった?」 チドリは驚きに眼を瞠った。 「僕を………知ってるんですか………?」 「赤ん坊の頃の写真を、見ただけだけどね。…お前のお父さんと、お母さんのことはよく知っているよ。………お父さんは、うみのイルカ。ここにいるイルカ先生と瓜二つ。…だろう?」 「………はい」 「もう一度訊く。お前は幾つになった? チドリ」 「…六歳です」 チドリの声はまだ震えていたが、訊かれたことにはハッキリと答えている。 六歳か、とカカシは口の中で呟いた。 「………やはり時間の流れが違うのか………それとも、この子達はこの世界に来た彼らの子ではないのか……」 イルカも、「あ」と声を漏らす。 「そ、そうか………この子達が、必ずしも彼らの子供とは限らないのか………」 平行世界は、無数に存在する。 他にも、カカシの性別が異なる世界があってもおかしくない。 「…ま、オレの勘だと、この子らはかかしちゃんの子だと思いますけどね。…一度『道』が出来ると繋がりやすくなるみたいだし。………それに」 カカシは、子供達の頭を優しく撫でた。 「この子らが、どこかの世界のオレ達の子、という事実に変わりは無い。…なら、オレ達の子も同然。……違いますか? イルカ先生」 「………そう、でした。………どの世界で生まれた子でも、関係ないですね」 イルカは、子供達の目線まで屈んだ。 「何が何だかわからなくて怖いかもしれないけど、心配するな。…必ず、家には帰れるからな。…でも、今すぐは無理かもしれないんだ。………とにかく、何か食おう。お腹、減ったろう? それから、チドリ君は指にケガをしているね。ちゃんと、手当てしような」 ケガの手当てをしてくれて、ご飯を食べさせてくれる人が、悪い人のはずがない。 父親にソックリの優しい声に、子供達は黙ってコクンと頷いた。 |
◆
◆
◆