月夜のインシデント−3

 

「何っ考えてんだ! お前らはあぁっっ!!」
真夜中の火影邸にイルカの怒声が響き渡った。
子供達は床でしゅん、と正座している。
寝入りばなを電話で叩き起こされ、呼び出されたイルカの機嫌がいいわけがない。
呼び出された事情を聞いた彼は、驚くやら情けないやら。
盛大にため息をつきつつ、元生徒たちの頭を見下ろしていた。




「……木の葉の下忍だと? それがどうして里長の屋敷に忍び込む。…事と次第によって
は、今すぐ首を落とすぞ」
サスケの動きを完全に封じ、静かな殺気を漂わせたまま彼はサクラを睨み据えた。
生まれて初めて明確な殺意を向けられたサクラは、恐ろしさに歯の根が合わない。
(…ど、どうしよう…やっぱり火影様のお屋敷に潜り込むなんて…とんでもない事だった
んだ…)
だが、後悔しても遅い。
ナルトはもう殺されてしまったのだろうか。
サクラは震えながら、何とか声を絞り出す。
「ご…ごめんなさい…ごめんなさい……あ、あたしが悪いんです…サスケ君は悪くないの…
殺さないで…は、放してあげて…」
返って来た返事は、相変わらず素っ気無く、冷たかった。
「バカか、お前は。木の葉忍軍の頭領、里長火影の屋敷に忍び込んでおいて、ごめんなさ
いで済むと思うのか。…腕か脚の一本でも落とされなきゃ、わからんか?」
サクラはすうっと血が下がるのを感じた。
(…ダメ…あたしが…しっかりしなきゃ…いけないのに…あ……目が…)
ショックのあまり貧血を起こし、サクラはその場に昏倒した。
男はやれやれ、とため息をつく。
まだただ一人意識を保っているサスケを爪先でちょいと突付き、苦笑した。
「…おイタが過ぎたな。……ウチハの後継ぎ。…だろ? サスケ君?」
サスケは脱力して床に手をついた。
「……っくしょー……っ!!」
サスケにしてみれば、侵入を咎められた事より、ただ一人の男に簡単に自由を奪われ、膝
を屈する自分の無力さに歯噛みしていた。
男はサスケを放して自由にすると、くるっと背を向けた。
「そこの女の子を連れて、ついて来い」
行きがけにひょいと猫の子をつまむようにナルトの上着を掴むと、そのまま持ち上げて歩
き出す。
サスケは観念すると、サクラを抱き上げて男の後を追った。

警備の詰め所にでも連れて行かれるかと思っていたら、男はそのまま階段を上がり、3階
の一室をノックした。
「…おヨネさん。すみません、開けて下さい」
男は、今までの冷たさが微塵も感じられない柔らかな声で中の人に声をかけた。
「はい。…終わったのでございますか?」
中からは初老の女性とおぼしき声が返り、そっと扉が開かれる。
男はサスケを振り返る。
「…入って、その子をあそこの椅子に寝かせろ」
サスケがサクラを抱いて入ってきたのを見て、ヨネは驚きに目を丸くする。
「まあまあ、どうしたんです」
男は苦笑して、ぶら下げていたナルトもころんと床に転がした。
「…侵入者ですよ。すいませんが、何か飲む物でも…そこの女の子は、貧血を起こしたみ
たいです。オレ、脅かし過ぎたかもしれませんねえ…」
ヨネは「まあ」と片手を頬に当て、サクラの顔を覗き込んだ。すっと手首を取って脈拍を
確認し、頷いて立ち上がる。
「まあ。大事はないようでございますね。…わかりました。何か見繕って参りましょう。
…誰も呼ばなくてようございますか?」
「…うん、いいです。…あまり騒ぎを大きくしたくないから」
ヨネは頷き、機敏な動作でささっと部屋を後にした。
「さて、と…事情を聞かせてもらおうかな?」
男はにっと笑い、サスケを射るような眼で見た。
そしてサスケは明るい室内で初めて男の顔を間近で見、彼が隻眼である事に気づく。
女のように美しいその顔の、左の目蓋はぴたりと閉ざされ、その上を縦にすっぱりと傷痕
が走っている。
サスケの背中をぞくりとした何かが通り抜けた。
目の前に立つ者の圧倒的な強さを感じ取り、恐ろしさよりも震えるような嬉しさが湧き上
がる。
サスケは男の『気』に酔ったように、素直に頷いた。

サスケから、火影屋敷侵入の経緯と理由を聞いた男はまず呆れたように片目を見開き、
次いで笑い出した。
「あはは…そ、そんな事で…お、お前ら…ここに…?」
サスケはぶすっとむくれて、横を向いた。
「…オレは、火影様の屋敷がどの程度の警備なのか…侵入が可能なのか…試してみたか
っただけだ」
ふうん、と男は面白そうにサスケを見る。
「ま、いいセン行ったんじゃない? 屋内まで侵入したんだし。ちょいとツメが甘かったけど
ね」
そこへ、ヨネが盆を持って戻って来る。
「…大丈夫でございますか? ご無理をなさいませんように」
ヨネは、盆を置いて男を労わるように気遣わしげな目を向けた。
「大丈夫です。…すいませんが、電話を貸して下さい」
「あ、はい……そこの壁のが外線に使えます」
男は頷き、受話器を取る。そして慣れた様子で番号を回した。
しばらく呼び出した後、相手が出たらしく、彼は申し訳なさそうに話しだした。
「…もう寝てました? ごめんなさい…あの、こんな夜更けに悪いんですけど…こちらに
来て下さいませんか。……え? やだ、そんなんじゃないですよぉ…うん、ちょっと…ア
ナタに来て貰った方が良さそうなお客がね…来てるんです」
男は電話の相手に、簡単に事の経緯を説明する。
「……ええ、お屋敷です。……はい、すみません。待ってます」
男は電話を切り、ヨネに微笑みかける。
「度々お遣い立てしてすみません。…彼を呼びました。すぐに来ると思いますので、門番
に彼を通すように通達をお願いします」
「はい」
ヨネは心得た、とばかりに部屋を走り出ていった。

彼が誰を電話で呼び出したかはすぐにわかった。
凄まじい勢いで部屋に飛び込んで来たのは、サスケたちの元担任・イルカだった。
サスケ達を目にするなり、
「この、バカ者どもっ」
と一喝する。
銀髪の男は、にこにこしてイルカの肩を叩いた。
「夜中にご苦労様。…あんまり怒らないでやって下さいな。…もう既にオレがある程度は
お灸を据えました。脅かし過ぎて、女の子なんか失神しちゃったくらい」
イルカは長椅子に横たわるサクラをちらり、と見て彼女に大事がないのを確認すると、心
配そうな顔で彼の手を取る。
「…緊張は身体によくないです。…侵入者がこいつらだとわかるまでは、結構気を張り詰
めたでしょう…座って下さい」
「大丈夫ですってば。心配性なんだから、イルカ先生は」
サスケの目の前で、二人はごく自然に軽く唇を合わせた。
サスケは思わず目を真ん丸にした。頭の中が一瞬白くなりかける。
と、銀色の髪の『男』は、すうっと肩から力を抜いた。
途端、切り替えたように『気』が変わる。
「…え…?」
サスケは驚いて目をしばたたかせた。
イルカに寄り添うように立っていたのは、先程までの背中の芯から凍りつくような殺気を
放った男とはまるで別人の―――銀色の髪した綺麗な女性だった。
女は、柔らかく笑ってサスケを見る。
「……自己紹介が遅れたね。…うちはサスケ君? 初めまして…オレが、芥子。君達が会
いに来た…『イルカ先生のお嫁さん』、だよ」
イルカは薄っすらと赤くなって照れたように視線を逸らしていた。
サスケは、サクラと一緒に昏倒したくなる。
この。
恐ろしく強い忍――おそらくは、上忍の中でも最高レベルであろう男に見えた人が――…
イルカ先生のお嫁さん。
「お…んな…の人…?」
なるほど、改めて見れば隻眼という点を割り引いても、細い線の、綺麗な女性の顔だった。
「な…なんで…男に見えた…んだ?」
うふっと可愛らしくお嫁さんは笑う。もう、何処からどう見ても女性だった。
「さあねえ…まあ、まだあんまりお腹も大きくなってないんで妊婦らしい格好もしてない
からね。…あっ、でもね、イルカせんせっ! 胸少し大きくなったみたいなんですよ。ほ
ら、最近触ってないでしょ」
「カ…芥子さんっ…そんな、子供の前で…」
イルカは慌てて赤くなる。
ついでにサスケも真っ赤になった。そして、悔しさに唇を噛む。
おそらく彼女は上忍だろうが―――
(…オレは……っ…妊婦に…妊婦にあっさり負けたのか…っ…)
それはサスケにとって、手痛い黒星であった。

まず、気絶させられていたナルトが目覚まし、次いでサクラが目を開けた。
二人は、ヨネに冷たいミルクと小さな甘い焼き菓子ををもらい、気を落ち着かせる。
ミルクのコップがカラになったところで、イルカが三人に正座を命じた。
そして、思い切り怒鳴りつける。
「何っ考えてんだ! お前らはあぁっっ!!」
サクラとナルトはカメの子のように首を竦ませた。
大体、アカデミーでもイルカ先生は怒らせると怖いので有名だ。
「…何で、門に取次ぎを頼まなかった。…屋敷に無断侵入するなんて、問答無用で殺され
ても文句は言えんぞ?」
「だって…」
と、サクラはオドオドと顔を上げる。
「い、一度はそうしたの…でも、門前払いで…」
イルカはカカシを見た。
「ご存知でしたか?」
カカシは首を振る。
「…今日は火影様がお留守ですから…訪問者は一切取り次がないように通達されていた
のでしょう。…ま、イルカ先生は例外ですがね」
イルカはため息をついて、子供達を見下ろす。
「…お前ら、里長の屋敷で一度訪問を断わられた程度で、短慮なコトするなよ。…また来
てみればいい事だろう」
サクラは項垂れた。
「…何だか、今まで断わられてばっかだったから…マトモな事しても、ずっと会えないよ
うな気がしたの…でも、ごめんなさい…バカな事、したって…反省してます…」
サクラはサスケとナルトにも頭を下げた。
「ごめんね、二人とも…あたしの我儘につきあわせちゃって…」
そして彼女はイルカを見上げた。
「先生、罰はあたしが受けます。サスケ君達は、巻き込まれただけ。…あたしが悪いんで
す」
イルカが何か言おうとしたのをカカシが手を上げて止めた。
そして、サクラの側まで来て屈み込む。
「…春野、サクラさん?」
サクラはやっとカカシを正面から間近で見る。
結婚式の時と違ってまるで化粧気のない顔だったが、それでも彼女は綺麗だった。
ただ、痛々しい傷痕と閉じられたままの左眼に、サクラは彼女が顔を伏せ続け、隠してい
た理由を悟る。
「…あ……」
かあっと頭が羞恥でいっぱいになった。
サクラも、多感な年頃に差し掛かった少女だ。
こんなに綺麗な女の人が、眼を潰すような大きな傷を顔に負って、平気でいられたはずが
ない。いくら忍でも人に見られたくはないはずだ。
自分は、人が隠しておきたいと思っている部分を、自分の好奇心を満足させる為だけにこ
じ開けて覗き見するような真似をしたのだ。
サクラはわあっと泣き出した。
「ごめんなさいっ…ごめんなさい…っ…あ、あたし…何てこと…」
ぼろぼろ泣きながら謝るサクラの髪を、カカシは優しく撫でた。
「…泣かないで。…悪かったって、もうわかってるんでしょ? 泣かなくていいから。…
あのね、ご両親に伝えてくれる? 綺麗な花嫁衣装を作って下さって、ありがとうって。
…あの日、みんなが綺麗だって言ってくれたの。…嬉しかった」
サクラは涙でぐちゃぐちゃになった顔でカカシを見上げる。
片方残された、青い目が優しく微笑っていた。
「…さっきは、ごめんね。…怖がらせて」
サクラはぶんぶんっと首を振り、がばっとカカシの胸にしがみついた。
怖かった。
本当に怖い人だと思った。
けれど。
(この人が…イルカ先生のお嫁さん…イルカ先生が選んだ人……なんだ…)

自分を優しく抱きとめてくれた手に、サクラは涙を零しながら微笑んだ。



 

カカシさんが顔をあまり見せないようにしていた理由は、
サクラが考えたのと少し違いますが…
(カカシは傷じゃなくて、顔そのものをあまりたくさんの
人に晒したくなかったんですね。少なくとも現時点では)

でも、やはり人が秘めている事を覗こう、暴こうと言うのは
あまり行儀のいいことじゃないですから…サクラが恥じ入
ったのは当たり前。
例外は犯罪を隠している場合ですね。(笑)
悪代官と越後屋(仮)の悪巧みとかはガンガン暴くよろし。

 

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