月夜のインシデント−4

 

サクラは今日も上機嫌だ。
彼らは、火影屋敷に忍び込んだ『罰』として、一ヶ月の屋敷での勤労奉仕を言い渡された。
その間下忍として任務を請け負う事は許されず、他の下忍達がキャリアを積んで行く中、
任務をこなした回数では遅れをとる事になる。
彼らの担当上忍は火影直々のとりなしで、苦い顔をしながらもその『勤労奉仕』を受け入
れた。
彼にしてみたら、担当の下忍達が里長の屋敷に無断侵入した挙句、公に処断されては監督
不行き届きで自分の咎にもなってしまう。内々で済めばそれに越した事はないのだ。
「サクラちゃん、お掃除は男の子たちに任せて。…お台所を手伝って下さいな」
ヨネの呼び掛けに、サクラは「はーいっ」と元気良く応える。
「サクラちゃん、こき使われてんのに機嫌いいなあ…」
ナルトは箒で庭を掃きながら横目でちらりと走っていくサクラを見た。
殺されても文句の言えない事をしでかしたのだから、罰がこの程度で済んだ事は普通もっ
とありがたがらねばならないのであるが――― 一瞬のうちに気絶させられ、カカシの殺気
も恐ろしさも知らずにイルカに怒鳴られただけのナルトには、どうもアカデミー時代に
散々やらかした悪戯で怒られたのと意識的に大差がない。ことに、イルカにはしょっちゅ
う怒鳴られていたから、ある程度は叱られ慣れている。
任務にもつけずに、一ヶ月も火影屋敷で雑用をやらされるのはナルトにとって納得出来な
い『罰』だったのだ。
「ちっくしょ…なんだって一ヶ月もこんな事…なー、サスケだって面白くねーだろ?」
任務経験を重ねる事には熱心なサスケのこと、てっきり同意を示すと思って軽く訊ねたナ
ルトは、思い切りギロリとサスケに睨まれた。
「……くだんねー事ほざいてないで、真面目に掃除しろ、このドベ」
「な…っ…ちぇ、何だよサスケってばよ…」
ナルトはしぶしぶ箒を握り直す。
サスケには、これがどれだけ寛大な処置だったのかわかっていた。
彼らを正式に処罰して経歴に汚点をつける事を回避してくれたのは、芥子(カカシ)だ。
彼女は「屋敷に忍び込んだ度胸に免じて」と、今回の事を内々にしてくれるよう、火影と
イルカに頼んでくれたのだ。
あの夜、彼女のあの忍としての圧倒的な力量を肌で感じたサスケは、彼女の鋭い視線を、
殺気を思い出しただけでゾクゾクする。
恐ろしいのに、惹かれる。
そして、彼女がイルカの妻である事実を思い出して、沈み込んだ。
どうしても納得がいかない。
(―――何だってあんなスゴイ人があの中忍教師のヨメ…??)
ふとサスケは視線を感じて上を振り仰いだ。
と、3階の窓辺で芥子がこちらを見下ろし、微笑んでいる。
サスケと目が合うと、彼女はにっこり笑って手を振った。
サスケは自分がかあっと赤面したのを感じてうろたえる。慌てて視線を外すが、心臓は勝
手にドクドクと高鳴ってしまう。
「…………サスケ、あれはイルカせんせのお嫁さんだぞ…? だいぶ年上だし」
サスケの様子を見ていたナルトは、そっと余計な一言を囁いた。
「う…うるさいっ…お前に言われなくたってわかってるっ! そんなんじゃないっ!!」
赤くなって動揺しまくる珍しいサスケの様子に、ナルトは目を剥いた。
「…お前もサクラちゃんもおかしいってばよ…」


「サクラちゃん、これ芥子様のお部屋に持って行って下さいね。それから、お庭の男の子
達も呼んで、休憩になさい。台所の隣に使用人用の休憩室がありますから、このお茶とお
菓子を皆で召し上がれ」
ヨネからカカシ用に用意したお茶の盆を受け取って、サクラは頷いた。
「はい。お茶の後の御用は? おヨネさん」
「そうですね、男の子達には鍋でも磨いてもらいましょうか…サクラちゃんは、私のお手
伝いをして下さいな。お洗濯物たたまなきゃ」
「はいっ」
サクラは、お茶を零さないように気をつけながら階段を上がった。
こんこん。
軽く戸を叩くと、すぐに芥子の声が返る。
「どうぞ」
「失礼します。お茶を持ってきました」
カカシは椅子に座ったまま、サクラを迎える。
「…ありがとう。…ふふ、このお屋敷にいると、まるでお金持ちの奥様にでもなったみた
いで変な感じ」
サクラも微笑み返した。
「イルカ先生のお家とは、大きさが違いますものね。あ、ごめんなさい。…でも、ウチも
そんな大きくないから、あたしもすごいなーって思ってたんです」
「ん…そーじゃなくて、こういう風に上げ膳据え膳って感じが」
「あ、そっかー…う〜ん、でも芥子さんは今、大事にしなきゃいけない時期だし…」
サクラは盆を卓に置き、トポポ、とお茶をいれた。
「でも、普通は妊婦でも家事くらいするじゃない? ……あれ? お茶、オレのだけ? サ
クラは一緒に飲まないの?」
「あ。あたしは…下のお台所の方で、サスケ君達と休憩にしていいって…おヨネさんに言
われていますから」
カカシは面白くない、といった顔で唇を少し尖らせた。
「……つまらない。一人でお茶飲むのなんか…ねえ、あんた達のお茶も持ってらっしゃい
よ。一緒に飲もう?」
「あ、じゃあ、男の子たちに訊いてみますっ」
「オレはサクラだけでもいいからね?」
サクラはポッと赤くなった。
「あの…とにかく、あいつらにも休憩の事…伝えないと…すぐ、戻りますっ」
サクラはぺこっと頭を下げて、駆け戻って行った。
女性にしては低めの芥子の声で、あんな事を言われると胸が勝手にドキドキしてしまう。
彼女がさらっと使う一人称の『オレ』という響きも、女性なのに何故か自然で粗野な印象
は受けなかった。
「ああんっダメよサクラ…ッ あたしにはサスケ君という人がっ…あんでも、芥子さんも
素敵ねー…っ強いしキレイだしっ」
サクラはきゃあきゃあと一人で赤くなりながら階段を降りて行った。

 

「…アレ? で、結局男の子たちは来なかったの?」
サクラは自分の分のお茶とお菓子だけを抱えて戻って来た。
「えーと、一緒に行こうって誘ったんですけど…何か、二人とも遠慮しちゃって…恥ずか
しいのかなあ…ほら、ナルトもサスケ君も、芥子さんにあっさりとやられちゃったでし
ょ?」
「それにオレが妊婦だから、かな? 男の子って、妙な事気にするから」
サクラは首を傾げたが、そうかもしれないな、と思いながら自分のお茶と、冷めてしまっ
たカカシのお茶をいれ直す。
おやつはカスタードのタルトと小さなチャーシュー饅。
どちらもヨネの手作りだ。
「ん、美味しいねー…お腹の赤ちゃんの分も栄養摂れって、なんか毎日せっせと食べさせ
られて。…太っちゃいそう」
目の前で笑ってお菓子を美味しそうに頬張っている人と、過日の自分を心底震え上がらせ
た恐ろしい忍が同じ人だなんて、サクラには信じ難かった。
「……芥子さんはすごくスマートですもん。少し食べた方がいいですよ」
膂力で男性に劣るカカシが、忍として厳しい戦闘に身を投じる時に体術において最大の武
器としたのが瞬発力と身の軽さ。
その為には、普段から身体を絞り、余分な重みを蓄えないようにしていた。
カカシは体質的に太る方ではなかったから、特にそれが苦痛と言うわけではなかったが、
粗食と少食に慣れた彼女の胃は小さくなってしまっていたのだ。
「うん。みんなそう言うね。…でも、一度にあんまり食べられなくて。…あのね、イルカ
先生ってすごくよく食べるんだよね。一緒にご飯食べてると、気持ちいいくらい」
「じゃあ、太らないように芥子さんが気をつけてあげなきゃ。…男の人って、結婚すると
幸せ太りってのする人多いんですって」
サクラもぱくんとタルトを齧る。
「あん、美味しい…幸せ〜…罰で働きに来ているのに、いいのかしらこんなんで…」
カカシは興味深そうに乗り出した。
「ねえ、何で男の人は結婚すると太るの?」
「…イルカ先生は一人暮らしだったでしょう? そう言う人がそうなりやすいって、聞き
ましたよ。…ほら、いい加減な食生活していた人が、いきなりお嫁さんにきちんとご飯作
ってもらうようになるでしょう? そうしたら、つい食べ過ぎちゃうんですって」
サクラの説明に、カカシは唸った。
「……う〜…なら、大丈夫かなあ…オレ、料理得意じゃないから…どっちかって言うと、
イルカ先生の方が上手いし…」
「えー? あ、でもそう言えば…イルカ先生お料理上手だったなあ。…いいじゃないです
か、どちらかが得意な事をすればいいんだって、うちの親も言ってますよ。うちも、お父
さん料理得意なんです」
カカシは「へえ」と笑った。
「なるほどねえ……ねえ、サクラ」
サクラはタルトの残りを口に押し込んで、ちょこんと首を傾げて次の彼女の言葉を待った。
「……オレね、お母さんって…知らないんだ。…孤児、だったから。…ねえ、サクラはお
母さん、好き?」
サクラはごくんっとタルトを飲み込んだ。
「…あ…は、はい」
「じゃあ…お母さんに、どんな事してもらった時…どんな事を言ってもらった時…嬉しか
った? お母さんに何をして欲しいと思う…?」
サクラは彼女の言葉を考え、慎重に答えを捜した。
『母親』を知らずに、『母』になろうとしている彼女。
きっと、不安なのだろう。
産んだ自分の子供に、どう接してあげればいいのかわからなくて不安なのだ。
「…私…私は…母が…私をちゃんと見ていてくれて…私の事、わかってくれて…認めてく
れるのが…嬉しい……何かをやり遂げた時、よくやったねって…頑張ったねって……誰が
褒めてくれなくても…お母さんに認めてもらえたら…次も頑張るって……頑張ろうって…
力が出るから。…後は、優しく笑いかけてくれたら…それだけで嬉しい」
カカシは少しきょとんとしたが、ふわっと笑った。
「そっか…それでいいの?」
それは自分が昔、四代目に育てられていた時に、もっと昔に山小屋の爺さんに育てられて
いた時に覚えのある感情だ。
優しく微笑みかけられ、頭を撫でられた時。
それまでどんなに厳しくされても、叱られても、それだけで胸の中が暖かくなった。
それは確かに『嬉しい』という感情だったと思う。
「あれでいいんだ…」
くすくす、とカカシは笑った。
確かに自分に『母親』はいなかったけど。
自分だって子供だったのだ。
子供だった時に嬉しかった事を、思い出せばいい。
カカシは手を伸ばし、サクラの頭をよしよし、と撫でた。
「あーりがとっ! 何だか、何とかなるかもって思えてきた。…考えてみればオレ、一人
じゃないし……」
サクラも嬉しそうに笑う。
「うんっ! 何たって、面倒見の良さでは定評のあるイルカ先生が旦那さんなんだもん
っ! 大丈夫ですよ、絶対にっ」
そして、少し顔を赤らめる。
「…あたし、イルカ先生が結婚相手の事を初めて話してくれた時…すっごくいいなあって
思ったんです…イルカ先生のお嫁さんになる人…いいなあって…だって、イルカ先生がす
っごくお嫁さんになる人を大事に想っているって、伝わってきたから」
遠慮がちに、サクラはカカシの手をそっと握る。
「…あたしも、イルカ先生みたいに言ってくれる人と…結婚出来たらいいなあって…そう、
思っています」
「…サクラはね、大丈夫。…いい子だもの。オレなんかよりよっぽど女の子らしいし」
サクラはかあっと真っ赤になった。
「だ、だ、だと嬉しいけど…」
カカシはその様子を微笑ましげに見つめる。
「…ねえ、サクラ。…ここのお勤めは一ヶ月だけど、良かったらその後も時々遊びに来て
ね? サクラ達の事は、屋敷に通すように門に頼んでおくから。……オレ、この子が生ま
れるまではここにいる事になってるんだ。生まれてからも、一通りちゃんと子供の世話が
出来るようになるまではここで特訓かな? …イルカ先生には悪いんだけど」
「あの…じゃあ、赤ちゃんの顔、見に来ていいんですか?」
カカシは微笑んだ。
「もちろん。抱っこしに来て。…あ、子守りの依頼をする事もあるかもね」
サクラは眼をキラキラさせて思い切り頷いた。
「わあ、そんなDランク任務なら喜んでっ……生まれるの、楽しみです。…芥子さん、お
体大事にして、頑張って産んで下さいねっ」
「ああっ…そうだあっ」
カカシが突然叫ぶ。
「サクラッ!!」
「は、はいっっ」
カカシはサクラの手を取って、真剣な表情になる。
「お願い…っあの、サスケとナルトだっけ。あの子達にも言っておいてっ…あの、あの…
あのね………イ、イルカ先生の…嫁がこんな乱暴でガサツな女だって事…皆には内緒にし
ておいてっ……イルカ先生に恥かかせちゃう……ああもー、オレだってねっ…ちゃんと人
前じゃ猫かぶって大人しくしていようって思ってたんだからねーっ…それをあんた達った
らあんな訪問の仕方するからーっ…」
カカシの迫力に押されて、サクラはコクコクと頷く。
「…だっ大丈夫です…と、特にサスケ君は芥子さんに敵わなかったのはすっごく悔しかっ
たろうから誰にも言わないだろうし…ナルトはしゃべったら絶交だって言えば言う事聞く
し。心配ご無用です!」
サクラはにこ、と微笑んだ。
「…芥子さんも、イルカ先生の事…とっても大事なんですね…」
「やだーっ当たり前じゃないっ! でなきゃけ、結婚なんて…」
カカシは真っ赤になってクッションに顔を埋めた。
(―――芥子さん…か、可愛い……)
やはりとてもあの夜、サクラを失神させた怖い人と同一人物とは思えなかった。

『イルカ先生のお嫁さん』に関する最大の疑問が一応解消した今。
当のお嫁さんともお近づきになれたサクラはご機嫌である。
下忍の中でももう中忍並に実力のあるサスケが手も足も出なかった程の優秀なくノ一であ
る彼女が、何故イルカの子を身篭り結婚に至ったのか、何故その交際が結婚まで周囲にま
るで知られなかったのか、という素朴な疑問もあるにはあったが、『高位の忍や大人が容易
に語らない事をしつこく追求してはいけない』という事を身にしみて学習したサクラは、
疑問は疑問として心の抽斗にしまっておく、という芸当を身につけたのだ。

 

 

だがあの月夜に垣間見たカカシの『忍の顔』は、サクラと、そしてサスケの眼に焼きつき、
長い間彼らの胸を騒がせる事となる。

 

 



 

『はじめの一歩』フォロー編終了。
・・・ほのかにサス→カカ。(混・サク→カカ?笑)

フォロー編なのであまりイルカカいちゃいちゃして
ませんね。むう。
つまらんな。やはりイルカカはいちゃいちゃして
いなくてはっ!!
取りあえず、妊娠編はここまでです。
次ぎあるとしたら出産・子育て編。
(・・・まだ子供の名前が確定してないんで、決まっ
てからね〜・・・)

2002/8/29〜9/9(完結)

 

 

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