月夜のインシデント−2

 

ガンガンガン。
「……?」
玄関の戸を叩く音に、イルカは不思議そうに首を巡らせた。
洗い物の手を止め、台所から玄関の方を伺う。
「…呼び鈴、壊れてたっけ…?」
イルカは首を傾げ、勝手口からそっと外へ出、玄関の方へ回る。
「何やってんだ? お前ら」
「あ! イルカ先生! 何だあ、いるんじゃない」
サクラにナルト。それに、仏頂面のサスケ。
「呼び鈴あるんだから、押せよ。…乱暴に戸を叩くから、誰かと思った」
「あ」とサクラは戸の脇を見る。
「ホントだ。すいません、先生。…ちょっと、暗かったんでわかんなかったの」
イルカは苦笑して腕組みした。
「で?」
本当は訊くまでも無くわかっていた。サクラ達は、『イルカ先生のお嫁さん』を見に来たに
決まっている。
「…あの、今日ね、任務で畑のお手伝いしたの。…でね、その…収穫した野菜ね…栄養あ
るから、イルカ先生達にも食べて欲しくて。…お見舞い、何にしたらいいのか迷っちゃった
んだけど…」
イルカはサクラが差し出した野菜カゴを見て微笑んだ。
「おう、美味そうだな。…わざわざ、ありがとう。お前ら、メシまだか? 上がって、食ってく
か? 大したモン、ないけどな」
子供達はぱっと顔を見合わせ、「やった!」とばかりに勢い込んで頷いた。
「はいっご馳走になりますッ!」

サクラ達は、畳敷きの居間に通される。
彼らが掃除に来た時は無かった大き目の卓が据えられていた。
イルカが一人で暮らしていた時に使っていた卓袱台は古くて小さな物だったので、物置に
片付けたのだ。
その卓を囲むように座ったサクラ達は、落ちつかなげに視線を彷徨わせた。
家の中にいるはずの、イルカの妻の姿が無かったからだ。
サスケは慎重に家の中の気配を探り、サクラに向かって黙って首を振る。
家の中にはいない、という意味だ。
「…あの…イルカ先生…?」
冷たい麦茶を持って来てくれたイルカに、サクラはおずおずと切り出す。
イルカは笑いを堪えたような顔でサクラと視線を合わせる。
「…何を訊きたいのかわかってるよ。…彼女はどこだ、と言いたいんだろ?」
サクラは素直にウン、と頷いた。
「せっかく見舞いに来てくれたのに悪いな。…彼女はまだこの家で暮らしていないんだ」
「「えええっ? 何でェ?」」
サクラとナルトがまたハモる。
「…火影様のお孫様方の婆やさんをしている人でな、俺が小さな頃から世話になっている
お婆さんがいる。…彼女も俺と同じで、もう両親がいないので…初めての妊娠で頼る人が
いない。そこで、そのお婆さんが色々と、赤ん坊を産んで育てる為の知恵を彼女に教えて
くれる事になったんだよ。…だから、彼女は今火影様の屋敷でお世話になっているんだ。
まあ、俺まで世話にはなれんから、通いの亭主だな、しばらくは」
子供達は僅かに落胆したように息を吐いた。
「あー、そうだったんだー…なーんだー」
サスケはフン、と低く笑った。
「…まるで、隠しているみたいだな」
イルカは穏やかに笑っている。
「そうだな。…大事な嫁さんと、子供だから。安定するまでは、煩い世間の好奇の目から
隠した方がいいよな」
子供達は少し恥ずかしそうに顔を伏せた。
自分達が好奇心からこの家を訪れたと言う自覚はある。
「…ははは、そんな顔をするな。…気持ちは分かる。…本当に、まるで隠しているみたい
だものな…人間、隠されれば知りたくなるものだ」
サクラは顔を上げた。
「…あの…名前…くらい訊いちゃダメ?」
「……いや…別に、そこまで隠しているわけじゃないが…あれ? 結婚式の時言わなかっ
たっけ? …ああ、もしかしたら言うの忘れたかなあ…俺、やっぱ結構アガってたしな」
イルカはハハハ、と笑ってとぼけた。
「彼女は芥子さん、と言うんだ」
あっさりと名前を聞き出せたサクラは勢いづく。
「…猿飛上忍の…知り合いの人だって、ホント?」
「うん。知り合いと言うか…遠縁の親戚なんだ…彼女は、アスマさんにとって、妹のよう
な存在だったらしい。…色々あってね、俺と知り合って…それでまあ…こういう事になっ
たんだ」
イルカは笑みを浮かべながらよどみなく答える。
「…ああ、お前ら腹減ったろ。今日はな、さっき言ってた婆ちゃんから差し入れで煮物と
かもらってるから。今、味噌汁作って卵でも焼いてやるよ」
「あっ! あたしも手伝うねっイルカ先生」
サクラは手を挙げて、イルカにくっついて台所に向かった。
後に残された男の子二人は、そっと囁きあう。
「…どー思うよ? サスケ」
「……やっぱお前でも変だと思うか?」
うん、とナルトは頷いた。
「…イルカ先生、いくらアガってたって、するはずだった紹介忘れたりすっかな?」
「あの時はやっぱり、故意に言わなかったんだと思う……今、さらっと答えちまう理由っ
て何だ…?」
ナルトとサスケは、それぞれ考え込む。
だが、目の前に料理が並べられるまで考えても、はっきりとした答えなど出るはずもなか
った。



それから数日後。
暗い路地にサクラ達は佇み、ヒソヒソと顔を突き合わせていた。
「…なー、サクラちゃん…マジ?」
ナルトは、『止めた方がいいんじゃないか』という意味もこめて訊く。
サクラはキッと振り返った。
「いいのよ、アンタ達は来なくても。…あたしはちょっと意地になっちゃってるだけなんだ
からっ」
火影の屋敷の外塀を見上げ、サクラは指を噛む。
「…ちゃんと一回は、表から用件告げて訪問したのよ。…でもやっぱり会えなかったじゃ
ない。何だかんだ理由つけて、追い返して。ぜーったい、何かおかしいっ!」
「でもさあ、今日火影のじっちゃんも留守だって…だから、念の為一切の訪問客断わって
るって……また来てみればいいんじゃねえの? あ、ホラ、イルカ先生だって、ここには
よく来るって言ってたじゃん。一緒に連れて来てもらえば…」
サクラは半眼でナルトを睨む。
「何甘い事言ってんだか。それですんなり会えれば苦労はないわよ…だからいいのよ? 
別に付き合ってくれなくったって。警護の忍が怖いんでしょ?」
あたし一人で行くもの、とサクラは注意深く塀の周辺を探り始めた。
ハァ、とサスケはため息をつく。
彼は何も里長の屋敷に忍び込んでまでイルカの新妻の顔を見たいとは思っていなかったが、
警戒が厳重な屋敷に潜入すると言う事自体に誘惑を感じていた。
「……サクラ、そっちはダメだ。罠が仕掛けられている。…忍び込むならこっちからだ」
「さっすがサスケ君!」
「…しっかたねーなあ、オレも行ってやるってばよ、サクラちゃん!」
サスケだけにいい格好させてたまるか、とナルトも後を追う。
侵入が見つかれば、厳重処分を受ける。
それがわかっていなかった訳ではないのだが―――彼らは、敢えて危険を冒す気になって
しまったのだ。

サスケが探り当てた、外壁の中で唯一手薄になっていた箇所から彼らは屋敷に侵入した。
「……さて、ここからだな」
サクラ達も、火影の屋敷は初めてだ。
構造は知らなかったが、建物の大きさから大体の部屋割りは察しがつく。
「…おい」
サスケはサクラの腕を掴む。
「はっきりさせておくぞ。…目的は、イルカ先生の嫁さんの顔だな? それが確認出来れ
ば、いいんだな?」
サクラは一瞬躊躇ったが、うん、と頷いた。
「取り敢えずはそれでよしとするわ」
巡回の忍が通る順路をしばらく観察して見極め、庭には必ず仕掛けられている鳴子をサス
ケが看破し、三人は屋敷内への潜入を果たした。
サスケは任務さながらに神経を研ぎ澄ます。
「…屋根裏へ上がれれば…いや、屋根裏には対侵入者用の罠がある可能性が高いか…床
下も同様……ならば!」


うとうとと寝椅子でまどろんでいたカカシは、ぱちっと目を開けた。
彼女の、忍としての感覚に触れてくるものがある。
カカシはそっと身体を起こした。
まだ寝巻きには着替えていなかったカカシは、足音も立てずに廊下に出る。
隣の部屋の扉を静かに叩いた。
すぐにヨネが顔を覗かせる。
「…カカシ様?」
カカシは唇に指を当てた。
「……静かに。…どうやら、お客です…ヨネさんはこの部屋から出ないように」
「カカシ様…」
カカシは忍の顔になって、ニッと笑う。
「…どこのバカか知らんが…このオレがいるのに好きにさせるか。この屋敷に無断で足を
踏み入れた事、たっぷり後悔させてやる…」


天空で雲が流れ、月の光を遮った。
暗闇の中、影がススっと移動する。
サスケは無言で合図した。
サクラが頷き、足音を忍ばせて階段を上がる。
何と彼らは堂々と屋敷の中を探索していた。
ヘタに屋根裏や床下に潜入して罠に掛かるよりは、と普段人が行き来する屋内に入り込ん
だのだ。
家人はもう普通なら就寝している時刻。
火影の屋敷内も、明かりが灯っている部屋は限られていた。
おそらく、客人であるイルカの妻は2階か3階の客用寝室にいるはず。
そう当たりをつけたサスケとサクラは、そっと階段を上がっていた。
2階から3階に上がる階段の途中には踊り場があって、張り出しの物見台に出られる大き
な掃き出し窓があった。
サスケは物見台にも人の気配が無い事を確認する。
(2階には人の気配がなかったんだから…やはり3階か)
そう判断したサスケは後に続く仲間を確認しようとしてぎょっとする。
サクラはすぐ後ろにいたが、ナルトがいない。
慌ててサクラの耳元に小さく「ナルトは?」と囁いた。
サクラもそこで初めてナルトの姿が消えている事に気づいてうろたえる。
「やだあのバカ…ッ…はぐれたのかしら…」
これはまずい、とサスケとサクラが内心焦ったその時。

「こいつを捜しているのか?」

低く柔らかな男の声が闇の中から聞こえた。
今まで何も気配がなかったはずの踊り場に人影がある事にサスケは気づく。
人影の足元にはナルトらしき人物も転がっている。
「どうした。動けないか」
声と同時に、氷のように冷たい殺気をぶつけられてサスケは怯んだ。
が、彼も伊達に名門ウチハ一族の末裔を名乗っているわけではない。
咄嗟にサクラを物陰に突き飛ばしてその場から飛び退いた。
サスケのいた位置に、正確にクナイが突き立つ。
「ふうん…まだガキだってのに…やるね」
サスケは焦った。
敵地に任務で潜入したわけではない。
ここで、屋敷の者に反撃して―――万が一殺したりでもしたら、とんでもない事になる。
だが、侵入者として殺られるわけにもいかなかった。
この一瞬のサスケの逡巡。
それを見逃してくれるほど、目の前の男は甘くはなかった。
サスケの視界が一回転し、彼は嫌と言うほど激しく床に叩きつけられる。
痛みに息も出来ない。
反射的に身を起こそうとしたが、身体が動かなかった。
(しまった…術か…いや、身体のツボを抑えられている…?)
ゾッとした。
相手の格が、まるで違う。
「そこの、女。…残るはお前一人だ。…抵抗すればこいつを殺す」
その冷たい声に、この男は躊躇いもなくサスケを殺すと悟り、震え上がったサクラはガ
クガクと震えながら足を一歩踏み出した。
「…こ、殺さないで…っ…お願い…あ、あたし達…木の葉の…下忍です…」
また風で雲が流れ、月の光が窓越しに差し込んだ。
サクラは窓を背に佇む人影を見て、息を呑む。

月の光の中、銀色の髪の男が冷ややかに彼女を見下ろしていた。

 



 

カカシさん、とっても楽しそうですね。
(いや、楽しいのは書いている私か・・・^^)
サクラちゃん、絶体絶命。にゃん。

 

NEXT

BACK