月夜のインシデント−1

 

「あ――ッ」
いきなり声を上げたサクラに、男子二人は何事かと振り返る。
サスケなどは、振り返った時には既にクナイを握り締めていた。
「どうしたサクラッ」
「サクラちゃんっ?」
サクラは決まり悪そうに赤くなって首を振った。
「ご、ごめん…何でもないの…ちょっと、忘れ物…っていうか…」
ナルトはちょこんと首を傾げる。
「…忘れ物なら取ってきたら? まだ集合まで時間あるってば」
「あ…ううん、そういう忘れ物じゃないの……」
サスケはクナイをホルダーにしまう。
「ならいきなり声なんか上げるな。任務中なら厳重注意でもきかないぞ」
サクラはますます赤くなった。
「ごめんなさい…」
素直に謝るサクラに、サスケも少し表情を和らげる。
「…で、何なんだ」
「いやホントに…大した事じゃ…ないんだけど……あの、イルカ先生さ…昨日結婚したじ
ゃない」
「うん」
「ああ」
サクラは二人の顔を見た。
「…あんた達…お嫁さんの名前、聞いた?」
「…………」
サスケとナルトはそれぞれ宙を睨んで記憶をたどる。
「…聞いてねえ…」
「オレも知らん」
サクラは「やっぱりー」とため息をついた。
「…考えてみれば、普通結婚のお披露目でやる新郎新婦の紹介ってのが無かったのよ…
イルカ先生の結婚式……何でか知らないけど、お嫁さんもあんなに綺麗なのに殆ど顔を見
せなかったし……結局、結婚式の前と後で、お嫁さんに関しての情報って…それほど変化
無いの」
ナルトはハイ、と手を揚げた。
「質問。…サクラちゃん、お嫁さんの顔、見たん? ホントにキレイだった?」
「うん。横顔だけど少し。…本当にすっごい綺麗な人だったわよ。…ナルト、見なかった
の?」
「うん…たぶんサスケとオレ、サクラちゃんとは逆の方から見たんじゃねえかと思う。…
頭っから布みたいなん被ってて、よく見えなかったのもあるけど…髪が目の上にかかって
て、顔…まるで隠しているみたいだった」
サクラは思い返す。
自分が見たのは、彼女の右側面。
左側は見えなかった。
「……お嫁さん…途中で具合悪くしたじゃない? あたし、お見舞いに行っていいか訊い
たんだけど…イルカ先生…断わったのよね…」
「…写真もなかったしな…」
子供達は顔を見合わせる。
「………もしかして…顔を見せたくない…わけでもあるんじゃないのか…?」
「名前も言えない…?」
「…アスマ上忍の親戚かなんかじゃないかって噂が飛んでいたけど」
サクラがグッと拳を握った。
「ああもう気になるッ…あんな、『普通』を絵に描いたみたいなアカデミー教師のイルカ先
生が…っ…何でそんなナゾな人と結婚するのよおおっ…」
サクラが漠然と思い描いていた元担任教師の夫婦像は。
にこにことお人好しな笑顔で立っている背の高い青年と、ごく普通の…可愛い優しい感じ
の小柄な女性が寄り添っている図であった。
だが、実際のイルカの結婚相手は。
女性にしてはすらりと背の高い、凛とした雰囲気を持つ美女だった。
しかも、謎だらけの。
「あんな美人が里にいたら、もっと噂になってていいのにね…あ、イルカ先生、食事のデ
ートくらいしてたって言ったわよね。普通、その時点で噂が飛び交うはずなのに…」
サクラほどイルカの結婚相手に興味を持っていなかった男の子達も、その謎の多さに興味
を持つ。
「そうだな…」
「妙よね…」
秘されている事には理由がある。
それがこの忍の里であれば、火影や上忍が絡んでいそうな『謎』には見て見ぬ振りをする。
―――のが、大人の忍の常識である。
だが彼らはまだ『好奇心』が先立ってしまう子供だ。
「せめて名前くらい知りたいわーっ」
サクラの叫びに、思わず同感してしまうナルトとサスケであった。



サクラの雄叫びから遡る事半日。結婚式のその夜の事である。
火影の屋敷内にカカシの為に用意された一室で二人は休んでいた。
カカシの忍犬を追う事を断念したイルカは、疲れた様子で寝台にひっくり返っている。
「…イルカ先生ったら、マジで追いかけたの…? すごいなあ…オレだって、四ツ足の獣
を追おうなんて思わないのに」
カカシは部屋の中の小さな冷蔵庫から冷えたお茶を出して、イルカの所まで持って来た。
「…ああ、すみません…いや…止められるものなら…と思っただけで…」
イルカは寝台の上で起き上がり、カカシからコップを受け取る。
カカシは寝台に腰掛けて、イルカにそっと寄り添う。
「………大丈夫ですよ。オレの忍犬達は、オレが命じない限り絶対に人を噛み殺したりし
ませんから。……オレが直に殴り込みに行くより、余程穏便に済むってものです。…だっ
てオレ……」
カカシはちら、とイルカを見上げた。
「…怒ってる?」
イルカは苦笑した。
「怒ってませんよ。……貴女の忍犬を信用しましょう。俺も、何であそこまで殴られて黙
ってなきゃいかんのだ、とは思いますから」
カカシはほっとしたように微笑んだ。
「良かった…新婚初日から夫婦喧嘩になっちゃったらどうしようって…ちょっと思ってた
んだ」
イルカはカカシを片腕で引き寄せた。
「…………昼間…『はたけ上忍』に、お祝いと別れの言葉を言われた時―――」
「…はい」
「…それが紅さんだとわかっていても、俺は辛くて…貴女に別れを告げられたみたいで、
本当に胸が痛んだ…痛かったんです。……愛していると…貴女が大事だと…思い知らされ
ました」
カカシは赤くなって、イルカの胸に顔を埋めてしがみついた。
「愛しています。アナタが俺の事を思ってして下さった事で、怒ったりしません。…少な
くとも、今回程度の事くらいでは」
くくくっとカカシは笑いを漏らす。
「断言しきらないとこがいいなあ…イルカ先生もずるいんだから」
「当たり前でしょ? 逃げる余地はいつでも残しておくものです。忍者なら」
「…オレからも逃げる?」
「……貴女からは…絶対に逃げません…」
「オレも。ずっと大好き…」
イルカはカカシを正面から見つめ、彼女が口寄せの為に傷つけた指に口付けてからそっと
唇を重ねる。
新婚の初夜。
普通なら甘いムードになったここで、実質的な夫婦の初契り―――と行く所だが、既に妊
娠しているカカシに無茶は出来ない。
イルカは新妻の髪を撫でて、微笑った。
「…火影様がああいう手を打つとは俺も思いませんでしたが…確かにあれで、この先しば
らくカカシさんの姿が里から消えても皆不思議には思いませんね」
昼間、紅がわざわざ『はたけカカシ』を演じ、里の外に長期間出ると衆目のある場所で宣
言をしたのは火影の指示だったらしい。
イルカは枕に寄りかかり、カカシを脚の間に抱き込んだ。
「確かに、『はたけカカシ』が堂々と男と結婚しちゃマズイですから…となると、ここで俺の
妻になった女性は別の人間と言う事になります」
「…はい。それは仕方ないです…アナタと結婚する上で、オレが里の為に譲歩しなければ
ならない部分でしょうから…」
イルカは、脇机の上から書類入れを取った。
「…機密性の高い正式書類では…貴女はきちんと俺と婚姻していますから、俺達の子供に
も問題は発生しません。ただ、表面上は別人を装うという事になるので…」
イルカは書類を一枚取り出した。
「…これが貴女の仮の身上書です。目を通しておいて下さい。…最初はヨネさんの遠縁、
と言う事にしておこうと言う話だったでしょう? でもアスマさんの今日のあれで、貴女
は彼の所縁の女性だと周囲に思われたようですから…この際それで行こう、となりました」
ふうん、とカカシはイルカが持っている紙を覗き込んだ。
「……オレは…アスマの親戚って事にしちゃうんですね? んー…芥子…だって。苦しい
偽名だなー…」
「はは、万が一、俺が人前で貴女の名前を呼んでしまっても、誤魔化せる名前って、それ
くらいしか思いつけなくて…実は今朝ギリギリまで悩んだんですよ。…まあ、普段は使い
ませんよ。…それは本当に周囲に対する仮の名です」
「カラシ。…カカシ。……まあ、確かに発音は似てますね…」
「それから俺、前に元生徒のガキどもに訊かれた時、貴女を忍だと答えましたから…もし
彼らが来ても、そこら辺は誤魔化さなくていいですよ」
カカシはイルカを見上げた。
「…来そうなんですか? 子供達」
「貴女の婚礼衣装を作る時、春野さんという方にお世話になったでしょう? …お腹を締
め付ける衣装はダメだと言う理由を話してしまったから、火影様やアスマさん達以外で唯
一、俺が結婚式を急いだ理由を知っていた人ですよ……俺の家の掃除に来てくれた子達の
うちの一人は、春野さんの娘さんです。…貴女に興味津々みたいだから…いつかは来ます
ね」
カカシはクスクス笑って、イルカの胸にもたれる。
「…オレに、じゃなくって…イルカ先生のお嫁さんに、でしょ…?」
「かもしれませんけどね。サクラは昼間、ちらっとでしょうけど貴女の顔を見たんですよ。
…綺麗なお嫁さんだって、眼をキラキラさせてました。もっと近くで会ってみたそうでし
たよ」
カカシは後頭部をぐりぐりとイルカの胸にこすりつけた。
いや、こすりつけたのではなく、イルカの胸に頭をつけたまま首を振ったのだ。
「カカシさん?」
「………もー…そりゃあ、花嫁には綺麗だって言うのが礼儀だって事くらいオレだって知
ってますけど〜〜…今日はみんなして綺麗綺麗言うんですもの。いい加減恥ずかしくなり
ますよ。綺麗のバーゲンセールですよね」
イルカは一瞬驚いたようにカカシを見下ろした。
そして、彼女が自分の容姿に関してはコンプレックスを持っていた事を思い出す。
「…カカシさん」
「…はい」
イルカはカカシの肩越しに、彼女の耳に軽くキスした。
「皆は、お世辞で貴女を綺麗だと言ったわけではないんですよ……本当に…綺麗な花嫁姿
でした。…貴女は俺の言葉もお世辞だと思ったんですか…?」
イルカの目の前で、カカシの白い耳朶がふわっと桃色になったかと思うと、みるみるうち
に赤く染まっていった。
「……イ…イルカ先生が…嘘なんか言わないって…アナタは、本当にそう思ってくれてるか
ら…オレにそう言ってくれるって…わかってますけど…でも…」
「俺の場合、主観が入り過ぎてるって? 痘痕もエクボの類じゃないかって…そう思って
ます?」
カカシはこっくんと頷いた。
「でっでも…っ…オレはそれでいいんです! あの、イルカ先生が…綺麗だって…言って
くれたらオレは…それだけで…」
「カカシさん」
イルカは苦笑して袖をまくり、アザが浮き出た腕を彼女の目の前に突き出した。
「…貴女が忍犬を放った原因をお忘れですか? 俺が何でこんなに同僚連中にぶっ叩かれ
たんだと思うんです。ただ単に結婚しただけなら、ここまで殴られはしません。あいつら
はマジで俺をやっかんだんですよ。…男ってのはバカな生き物なんです」
イルカの身体のアザは時間が経ってますます変色し、ひどい色になっていた。
カカシは複雑怪奇な表情になる。
「………オレ…怒ったらいいんでしょうか…喜んだらいいんでしょうか……正直、あまり
嬉しくないんですが…オレには……オレが綺麗かどうかって問題よりイルカ先生の怪我の
方が……」
「怪我なんか、大丈夫。…ほら、前に貴女と木から落ちたでしょう? あの時より痛くは
無いから、大した事ありません。なんか、見た目は派手ですけどね」
いきなりカカシはイルカの腕の中で反転し、彼の首にぎゅっと抱きついた。
「…カカシさん?」
「ごめ…ごめん…なさい…」
イルカはカカシの身体をやんわりと抱き返しながら髪を撫でる。
「何で貴女が謝るんです?」
「だってっ…! だって、イルカ先生…オレの所為で怪我ばっかり…してる…」
カカシの髪を撫でるイルカの指には、彼女を庇って火傷を負った痕がまだ残っていた。
「…俺が怪我をするのは、俺の未熟故です。貴女の所為ではありません」
「そんな…」
反論しかけたカカシの唇に、イルカは指を当てる。
そして、にこりと微笑んだ。
「…だから、もっと精進します。貴女と、この…この子を守っていけるように。貴女を心
配させるような怪我などしないように」
カカシの眼に、薄っすらと涙が滲んだ。
改めて思い知る。
こういう男だから。
自分はすべてをこの男に見せてもいいと、託したいと思ったのだ。

そして―――この男の子供ならば、命を懸けてでも生みたいと……



 

『はじめの一歩』フォロー編。
・・・イルカの前だと女の子だなあ・・・カカシ・・・
ホント、苦しい偽名だ・・・とワタシも思います、
芥子さん。(笑)

 

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