想いのたどりつく処 −5
木ノ葉の里の火影執務室。 三代目は、波の国から鷹が運んできた環の書簡を読み、顔を顰めた。 「………おい、誰ぞおるか! 上忍の夕日紅を呼べ! 大至急じゃ」 「はっ! ただ今!」 火影の命令に、扉の外で控えていた中忍が走り出していく。 はあっと三代目はため息をついた。 「………何故こんな時にイルカはおらんのじゃ………」 何故と言っても、チドリは預かるから里の外まで遣いに行ってくれ、とイルカに頼んだの は他ならぬ三代目自身だ。 「…お呼びですか、三代目」 即座に呼び出しに応じて現われた妖艶な美女に、三代目は重々しく頷いて見せた。 「………どうやらカカシが面倒な事になったようじゃ。すまんがの、紅。お前、あれを波 の国まで迎えに行っておくれ」 紅はキュッと唇をかんだ。 「どういう事です?」 三代目から、環の手紙の内容を聞かされた紅は、短く了承の言葉を言い置いてさっさと執 務室を辞した。 (………カカシ………私が行ってあげるから。………だから、頑張るのよ………) ◆ 霧隠れの忍者だと名乗った男に襲われたカカシは、気を失ったまま三日も目を覚まさない。 アカデミーを出たばかりのサクラには知識も経験も足りなかったし、異性である上、医療 忍者でもない環にもしてやれる事に限界があった。 今すぐカカシを里に連れ帰りたかったが、七班の任務が『橋が完成するまでの支援、護衛』 であり、まだ肝心の橋が完成していない以上、それは出来ない。一度引き受けた依頼は、 どんな形であれきっちりと全うする。でなければ木ノ葉の信用にかかわるのだ。 たとえ、今回のように依頼内容を誤魔化されて依頼料以上の仕事をさせられていたのだと しても。 カカシが目を覚まさないのは単なるチャクラ切れではないと環は判断し、最後の手段とし て里に応援を要請したのである。 三代目のこと、カカシの事情を知っている適任者を寄越してくれるはず。 その環の考え通り、カカシを迎えに来たのは彼女の親友である紅だった。 「………状況はわかった。昏睡は六日目ね。すぐにこのまま連れて帰るわ」 「君、ひとりでか?」 心配そうに問い掛けた環の頬を、紅は軽くペチンと叩いた。 「心配無用! なんて顔しているのよ。ちゃんと乗り物の手配も、看病の用意もしてある わ。カカシが眠ったままでも、ちゃんと私一人で連れて行けるから。…貴方は、このまま 任務を完遂して」 「………わかった。よろしく、頼む」 「く、紅先生………カカシ先生………大丈夫ですよね…?」 おずおずと顔を出したサクラの頭を、紅は撫でてやった。 「アンタも、よくカカシの面倒見てくれたわ。大丈夫よ、後は私に任せなさい」 「………はい」 サクラは弱々しく微笑んだ。 「よろしくお願いします、紅先生………」 眠ったままのカカシはタズナの家から環に運ばれ、紅が手配した舟に乗せられた。 離岸する舟を、依頼人であるタズナ一家、環、七班の子供達が見送る。皆、心配顔で舟が 見えなくなるまで紅に手を振っていた。 蝋のように白いカカシの顔には、生気が乏しい。環や子供達が心配するのも無理は無い、 と紅は思った。 (………確かに、単なるチャクラ切れじゃない………何か………手触りが違う。……目を 覚まさないのが、術に対抗した時の負荷が大きかったから、だけならいいのだけど………) 環の話によると、敵はカカシを殺す前に彼女の持つ能力を奪おうとしたらしい。 (カカシの能力を奪うですって? このコが長年掛けて会得してきた千の術とその技を? バカ言ってんじゃないわよ。たとえ奪えたところで、生半可な忍者に使いこなせるもので すか! ああ、ハラ立つ。………私が殺してやりたかったわ、その大バカ者) 紅はため息をついた。 その『大バカ者』は既にカカシが殺してしまっている。 問題は、そこだった。術を掛けた相手がまだ生きていれば、拷問でも何でもしてどんな術 を掛けたのか吐かせる事も出来たかもしれないのだが。 舟は滞りなく進み、一日掛けて火の国の桟橋に辿り着いた。ここからは陸路である。 七班が波の国に向かった時は、タズナの懐具合に合わせて徒歩であったが、紅は馬車を用 意していた。 中にはきちんと病人が休めるように寝台を設け、看護に必要な物もきちんと揃えてある。 御者は、紅が信用している中忍だった。この男は寡黙で察しがよく、必要以上の事を訊こ うとはしない。もちろん、忍としての腕も信頼できるレベルだ。 それでも紅は、カカシを運ぶのに彼の手を借りようとはしなかった。抱き上げれば、女性 である事がわかってしまう。彼女は、馬車に乗せる『病人』が写輪眼のカカシである事も 伏せていた。 頭から毛布でスッポリと覆ったカカシを抱いた紅が馬車に乗り込み、「いいわよ、出して」 と声を掛けると、御者の男は静かに馬車を走らせ始めた。 (本当なら、一晩くらいどこか落ち着いた宿で休んで、身体を綺麗にしてあげたりしたい のだけど………少しでも早く里に連れて行かなきゃいけないものね………) サクラは女の子だがやはりカカシに対して遠慮があるだろうし、環もカカシの清拭までは やる度胸は無かっただろう。 紅は外から見えないようにカーテンを引き、カカシの服を脱がせることにした。全身を清 め、あちらこちらに負っている傷の治療もしなければ。 そっとカカシの服に手を掛け、脱がせようとした時。 紅の手首は誰かに強い力でつかまれた。 その『誰か』がカカシである事を紅が悟るのと、彼女の咽喉元にクナイがつきつけられる のがほぼ同時であった。 その鋭い殺気に、紅はカカシが目を覚ましたことを喜ぶ暇も無い。 「私よ! 落ち着いて、よく見て!」 昏睡から覚めたばかりのカカシが混乱しているのだろうと思った紅は、努めて冷静に声を 掛ける。 カカシはじっと紅を見詰めたが、一向に殺気は消えず、その眼には何の変化も現われない。 やがて、カカシは低く掠れた声で一言問うた。 「………お前は、誰だ」 「な………っ」 紅は絶句した。 (やだ………私がわからないの? まさか、記憶が無い………?) 頭部を打ったとは聞いていない。 術の影響か、と紅は内心舌打ちをした。 クナイの扱い方、この殺気。 カカシは、自分が忍であることは忘れていない。下手をすれば、このまま殺される。 それでも彼女は慌てなかった。カカシの手を振り解こうとせず、咽喉元のクナイも敢えて 無視する。 「―――私は、木ノ葉の上忍、夕日紅」 やはり、カカシの表情は動かない。紅は静かに問い返した。 「………アンタは、自分の名前が言えて?」 「お前は、オレが誰だか知らないのか」 「いいえ、知っている。…でも、確認をしているのよ。アンタがちゃんと自分の事を覚え ているのか」 カカシは訝しげに眼を眇めた。 「………自分が誰だか、覚えていないわけがないだろ」 「じゃあ、名乗りなさいよ。…私はちゃんと名乗ったわ。それと、私は同胞よ。クナイを 下ろして」 紅に敵意が無いと判断したのか、カカシは素直にクナイの切っ先を下げる。 「………木ノ葉上忍、はたけカカシ。…これでいいか」 紅は一応頷いて見せた。 (記憶はある………? じゃあ何? 部分的な健忘だっていうの? 私のことだけ忘れた とか言ったら、はっ倒すわよ) 紅が眉を顰めていると、カカシがまた質問してきた。 「紅っていったな。………ここは馬車の中のようだが。どうしてオレはこんなモンに乗っ てるんだ。何処へ向かっている?」 「何処って…木ノ葉の里よ。………アンタは任務先で意識不明に陥ったの。一刻も早く里 で治療をする必要があると判断されたのよ。………だから私が迎えにきた。わかった?」 カカシは一瞬、虚空を見詰めるような眼をした。 ややあって、首を振る。 「それはご苦労だったな。………だが、せっかくだがオレは任地に戻る。大したケガじゃ ないし、まだ仕事が終わっていない」 「ダメよ。迎えに行けって火影様が命令なさったの。これは私の任務よ」 「………でも、オレがいないと作戦に狂いが生じるんだ。馬車を止めろ。戻る」 起き上がろうとしたカカシを、紅は押しとどめた。 「待ちなさい! アンタ、覚えていないの? もうアンタの力が要るような敵はいないの よ! 橋が完成するのを見届けたら、環も子供達も戻ってくるから。心配しなくていいの」 カカシはキョトンとした。 「………何言ってるんだ? お前」 「だから、波の国には戻らなくてもいいって言ってるのよ!」 「波の国だ? 橋がどうとか、子供達とか、ワケのわからない事を言うな」 「………………………………」 静かに走る馬車の中で。 紅はカカシと数秒見詰め合ってしまった。 「………じゃあアンタ、何処に戻る気なのよ」 「当然、北方国境の作戦区域だ。…お前だって、この作戦が重要なのは知ってるんじゃな いのか? 本当に上忍なら。…とにかく今は、動ける忍の数が足りない。この程度のケガ で里に戻るわけにはいかないんだよ!」 ―――これは。 これは、どう判断すべきか。 物凄く嫌な予感がする。 「………………もう一つとても大事なコト、訊きたいんだけど」 「何だよ」 カカシは苛立った様子で紅を睨みつける。 紅はひとつ、深呼吸した。 恐る恐る、口を開く。 「カカシ。………アンタ、幾つ?」 |
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記憶喪失ネタに(NARUTOでは)初挑戦! 実は、ここからが長いのです。この『波の国編』夫婦Ver。 (舞台が木ノ葉に戻っていますけど、『波の国編』です。^^;) もうしばらく、お付き合いくださいませ。 |