想いのたどりつく処 −28

 


イルカは、蛟を森の奥に誘いこんだ。
木がイルカの盾となり、蛟の動きを制限する。
(蛟の弱点は何だった…? 思い出せん……というか、そもそもそんな事書いて無かったような気がする………)
イルカの読んだ書物には、通り一遍の情報しか記載されていなかった。
それも無理の無い話で、実際に蛟と口寄せ契約を結んだ忍の数は少なく、情報も少なかったからだ。
水を吐いたのだから水属性と考えられなくも無いが、『龍』の一種である以上、何の属性であってもおかしくない。
ただ、書物に書いてあった通り本当に毒を吐かれると厄介なので、なるべく風上の位置を取るように心掛けていた。
(………どんな生き物にも弱い部分はある………身体が硬質の鱗で覆われていようと、腹の方はどうだ? 四肢の付け根は? それに眼球、口腔………特に口腔は内臓に直結する………!)
攻撃のチャンスを窺いながらイルカがクナイを構え直した時、頭上がサッと翳った。
咄嗟にイルカが頭上を仰ぐと、数人に影分身したナルトとサスケが、大きな網を広げて降下して来るところだった。
(あいつら………!)
少しでもイルカ達の役に立とうと、力になろうとしたのだろう。
何処からか漁に使う網を探し出し、拝借してきたらしい。
「もっと左! 引っ張れナルト!」
「………っしゃあ!」
蛟も網に気づいて逃れようとするが、密生している木に阻まれて大きく移動出来ない。
「よーしィ! やったってばよっ」
蛟は網を外そうとしてもがくが、かえって四肢を網に絡め取られ、身動きが出来なくなっていく。
「いいぞ、ナルト、サスケ!」
ナルトがビシッと親指を立て、サスケもニッと笑う。
網が絡まっていくことに苛立った蛟の体色が変化していった。
目敏くそれに気づいたイルカは、サッと腕を振ってナルト達を後退させる。
(何だあれは………もしかして毒を―――?)
もしそうなら、賭けではあるが毒を吐く瞬間に開いた口の中を狙って攻撃する他ない、とイルカは身構えた。
その時、蛟の目の前にドン、と垂直に光の矢が落ちる。
蛟は怯み、開きかけた口をそのままに後退ろうと網の中でもがく。
「………お前の主は、既に敗北した」
静かな声と共に、カカシが姿を現わした。
眼に見えるほどの青白いチャクラが右手を覆い、チリチリと周囲に放電している。
「まだ戦うか? 蛟。…戦うというのであれば、容赦はしない。………オレの雷切をその身で防げるか、試してみるか?」
蛟が咽喉の奥で唸る。
ピタリとカカシの姿を見据え、やがて諦めたようにその眼を閉じると同時にドン、と白煙を立てて姿を消した。
ふ、とカカシが息を吐き、それと同時にその手からチャクラの光が消えていった。
気抜けがしたのか、ナルトがストンと尻餅をつく。
「何なんだったんだってばよ………」
サスケも思わず大きなため息をついた。
「………拍子抜けだな………」
ナルトは首を傾げた。
「アイツさ、ああやってボンッて消えて逃げられるのに、どうして最初からそうしなかったんだろう………? 一度消えて、また別の所に出てくればいいんじゃねえの?」
クナイをホルダーに戻しながら、イルカが説明する。
「基本的に、口寄せ動物は術者が呼ばなければ出て来ない………来られないものだからだよ。あれがもう一度この場に戻るには、さっきの男に口寄せされなければいけないんだ」
ふうん、と納得気に頷いたナルトは、くるんとカカシを振り返った。
「あのさ、カカシ先生」
「………何だ?」
「せんせーのその………ライキリ…っての? それでなら、さっきのアイツ倒せたのか?」
カカシは肩を小さく竦めて微笑った。
「たぶん、な。………あの程度の大きさの蛟ならば、鱗の層もたかが知れる。オレの雷切ならば、両断することは可能だったと思う。………ま、いらん殺生はしないに越したことはないさ。…アレは、忍に口寄せされただけのモノなんだから」
額当てを元に戻して写輪眼を隠したカカシは、サスケに視線を向ける。
「サスケ。さっきの男をサクラが一人で見張っている。ナルトと一緒に行ってやれ。厳重に拘束したし、三日は目が覚めないだろうけど、念の為、な。………未の方角、四百メートル程だ。………オレとイルカ先生も、後からすぐ行く」
サスケはほんの少し眼を見開いてカカシを見たが、素直に頷いた。
「わかった。………行くぞ、ナルト」
「あ………待てってばよ、サスケ!」
慌てて立ち上がったナルトが、サスケの後を追っていく。
駆けるサスケの口元には、切なそうな笑みが浮かんでいた。
気づいたのだ。
カカシの口調が、『大人』に戻っていたことに。
そしておそらく、今のあのカカシには、もっと大きな蛟との交戦経験があるのだろうという事も。さっきの蛟と最初に遭遇した時の彼女は、蛟に雷切が通用するかどうかも判断がつかなかったようなのに―――
(………記憶が、戻ったんだ………)
カカシの記憶が戻ったことは、彼女にとって、里にとって、喜ばしい事だ。
だが、サスケはそれを少し―――ほんの少しだが、残念に思ってしまった。
つかの間出逢った、『十四歳のカカシ』。
自分とそう歳の変わらなかったカカシは、もういない。彼女がサスケの方を向いてくれる可能性は、これで消えた。
自分の気持ちに気づいたサスケの笑みが、自嘲に歪む。
(………何をバカな事、考えていたんだろうな、オレは………)

 

子供達の後姿が視界から消えると、カカシはおもむろに口布を引き下げた。
サスケが気づいた事に、イルカが気づかぬわけがない。
「………カカシ、さん………」
声が、震える。
カカシは振り向くと、いきなりイルカの胸に飛び込んだ。そして、ひし、と彼にしがみつく。
「イルカ先生………ッ…無事で、良かった………」
ぽろぽろ、と涙をこぼすカカシの様子に、イルカは恐る恐る問いかける。
「………カカシさん………もしかして………記憶が………」
カカシは顔を上げ、涙をこぼしながらもにっこりと微笑んだ。
「………はい、イルカ先生。………ご心配、お掛けしました」
イルカは、震える腕でカカシを抱きしめた。
言いたい事が一度に頭の中にあふれ、何を言ったらいいのかわからなくて―――イルカは何度もカカシの名を呼んだ。
その度にカカシは小さな声で応える。
やがてイルカはカカシの頬を両手でそっと挟んだ。そしてようやく、今言うべき言葉を口にする。
「………お帰りなさい、カカシさん」
「…ただいま、です」
二人はそっと唇を重ねた。
久しぶりの口づけに、イルカの胸はいっぱいになった。
(………カカシさんが、俺を怖がらない。ちゃんと受け入れてくれる。………それが、こんなにも嬉しいことだったなんて………)
カカシがあのまま、記憶を取り戻せなくても―――イルカは、彼女がまた心を開いてくれるよう努力し、そして精神的に大人になるまで辛抱強く待つつもりだった。
だが、やはり嬉しい。
こうして、カカシを腕に抱ける事がイルカは嬉しかった。
「………あれですか? ………さっきの、光っていた玉………あれは、貴方の………」
コクンとカカシは頷く。
「…ええ………あの玉は、オレの記憶と力の結晶だったようで。…オレ、文字通り記憶をポロッと落っことしていたらしいです。………要するに、あの男の術は不完全だったんですよ。術者がオレから記憶ごと抜き出した力を吸収する前に、オレがソイツを殺してしまったから。………オレから抜かれた記憶と力は、あの玉みたいな形になってどっかに転がってしまっていたんでしょう。それをイナリ君が偶然拾って、保管してくれていたわけです。………さっきの男は、あの玉を見た時にそれに気づいて、奪い取ろうとした。…でも、他の人があの玉を自分の力にする為には、術式が必要だったみたいなんですけど」
カカシはクスッと笑った。
「あの玉、オレが触れた途端にはじけるように割れましてね、オレの中に飛び込んできてくれました。術式ナシで」
イルカは微笑んだ。
「元々の持ち主に戻るだけですから、いらなかったんですね、術式。………ああでも、本当に良かった………偶然とはいえ、イナリ君に感謝ですね」
カカシの顔からスッと笑みが消える。
「………ごめんなさい、イルカ先生」
イルカは首を傾げた。
「…何を謝るんです?」
「だってオレ………オレがドジ踏んだ所為で………イルカ先生に辛い思い…させて」
イルカはそっとカカシの髪を撫でた。
「本当に辛かったのは、カカシさんの方でしょう。………あれ? カカシさん、記憶を失っていた間の事は覚えているんですか?」
カカシはバツが悪そうに俯く。
「………えーと………ハイ。……まあ……脳の方で記憶障害を起こしていたわけじゃないんで。………一応、波の国で記憶を抜かれる寸前までの事は覚えていますし、その後意識を失っていた間の事はともかく、紅がここまで迎えに来てくれた事も、その後の入院から、この国の落成式に招待されて来たってことも、ちゃんとわかっています。………たぶん、記憶の混乱は無いと………」
「それは良かった」
ううう、とカカシは唸った。
「………良かったかもしれませんが〜〜〜………ああ、でも何か、イルカ先生には色々とバレちゃった………」
「………は?」
「………………オレが、どーしようもない尖がったガキだったコトとか〜〜〜………ゴミみたいな料理しか作れなかったコトとか〜〜〜………色々」
ぷは、とイルカは噴出した。
カカシは拗ねたようにイルカを見上げた。
「………イルカ先生、笑った」
イルカは笑った顔のまま謝る。
「あ、すみません。………いや、俺は嬉しかったですけどね。その………昔の貴方の事を、少しだけどわかったような気がして」
カカシは緩慢に首を振った。
「………あのね、イルカ先生」
「…はい?」
「………ありがとう。………オレを見放さないでくれて。オレはあんなに酷くアナタを拒絶してしまったのに………」
イルカはカカシを引き寄せ、その耳に囁く。
「………言ったでしょう? 貴方が俺を忘れてしまっても、俺は貴方を愛していると。………確かに寂しくは思いましたが、それもあの状況を考えれば、仕方の無い事だとわかっていましたから。………だから、どうか気にしないでください」
カカシは首を振りながら、もう一度イルカにしがみついた。
(………イルカ先生、アナタ優し過ぎるよ。………でも、そう言う所が大好き………)



 

 

橋の爆破を計画していたならず者達に荷担し、カカシ達を襲った霧の忍については、里に連絡を取ってしかるべき処置を要請した結果、尋問部隊が来て彼を連れて行ってしまった。
おそらくはイビキ達の尋問―――拷問と呼ぶものかもしれないが―――を受けるであろう。
カカシ達はそのまま波の国に留まり、橋の落成式が無事に終わるのを見届けてから、帰路についたのであった。
もちろん、子供達にはカカシの記憶が戻った事は改めてきちんと知らせた。
カカシの記憶が戻った事に一番喜んだのはナルトだ。
どんなに『お前の所為ではない』と言われても拭いきれなかった罪悪感から、やっと解放されたのだろう。良かったってばよ、を何度も繰り返し、しまいにはイルカに抱きついて涙ぐむほどであった。
カカシやイルカ、サスケもそれぞれ複雑な思いを胸に抱いていたが、結局のところ「やっぱり波の国に来て良かったわ」としみじみ呟いたサクラの一言が、皆の気持ちを代弁していた。
 

 



 

 

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