想いのたどりつく処 −19
堤防の補修作業が始まった。 下忍達の主な仕事は土嚢運びで、合間にあちらこちらの手伝いをする。杭を打ち込む間、 それを支えたり、綱を引っ張るのに手を貸したりと、結構忙しい。 中忍と上忍達は本職の土木作業員達の要請に従い、忍術でサポートした方が効率のいい場 所を担当して作業に当っていた。 そうして作業開始から二時間も経った頃。 自分の担当箇所の作業を終えたカカシは、他の場所も手伝おうかと堤防の上をぶらぶら歩 いていた。 土遁は、得意ではなかったが不得手という程でもない。こうして欲しい、という作業員の 要望にはちゃんと応えられた。 (………でも、本来の………記憶を失くす前のオレなら、もっと上手く出来たのかな……) 歩きながら、自分の手を見る。 外見が既に成人した大人であるのに、中味は、心はまだ、保護者を失ったばかりの少女の まま。 そのチグハグさが心地悪い。 目線が高くなっているので、自分よりも随分背の低いナルトが物凄く年下の子供に思えて しまい、つい頭など撫でてしまったが。 考えてみれば、ナルトと今の自分の年齢差は、たったの二歳。 子ども扱いしたのは悪かったかな、とカカシは肩を竦めた。 (…大人になったオレは…いつもああやってアイツの頭を撫でていたりしたのかな。…だ からアイツ、嫌がりもしないで………笑ったりしたんだろうか) カカシはふと、任務に出る、と言った時のイルカの顔を思い出した。 一瞬、物凄く心配そうな顔をした。 環の七班、下忍の子供達にくっついていくだけだと言ったら、途端にホッとしたようにそ の案じ顔を綻ばせて。 彼は、任務受付所に詰めている事もあるという。きっと、下忍達の任務内容を知っていた のだろう。 気をつけて行ってらっしゃい、と送り出してくれた。 環の言葉が甦る。 『もしもこの先、イルカと夫婦生活をする気には絶対になれないと判断したら、イルカの 家を出ろよ』 (ふうふ、せいかつ………) それが、単に同じ屋根の下で暮らしていくと言う意味ではないことくらい、カカシにだっ てわかる。 つまり、カカシが彼とベッドを共にする気には絶対になれないなら、このまま同居を続け るのはイルカが気の毒だと。そう、環は言ったのだ。 (………だって………そんな………オレ、覚えていないんだもの) 彼に抱かれて、彼の子を身籠って、そして産んだなんて。 (…オレ、まだ………) イルカのことは、嫌いではない。 でも、異性として好きだとも言えない。 夫婦だったのが事実だとしても、自分の日記に記されていたような感情を抱けという方が 無理である。 カカシはまだ、四代目が忘れられないのだ。 子供の頃から大切に育ててくれて、色々なことを教えてくれて、何があってもカカシを愛 してくれた、唯一無二の人。 彼は、彼女にとって一番身近な、大切な人である。 恋人や夫とポジション的には同格、それ以上と言ってもいいくらいの、大きな存在。 そんな彼を失った悲しみが、絶望感が少しも薄れていないのに。 出逢ったばかりの男と結婚生活が出来るかどうかなんて、すぐに答えが出せるわけがない。 それに、そういう意味合いではまだ、カカシは『男』が怖かった。 仮に、夫となるのが四代目だとしても性的な接触はたぶん、怖くて出来ないだろう。 四代目の抱擁が平気だったのは、性的な色を、欲を彼から感じなかったからだ。だから、 怖くなかった。 そして自分を抱いた―――つまり、肉体関係にあったはずのイルカの腕が怖くなかったの は、あの時の彼が、カカシにそういう目的で触れていなかったからではないかと思う。 イルカはただひたすら、カカシの身を案じ、何かから護ろうとするかのようにその腕の中 に彼女を包み込んでくれた。 あの腕は、決して不快ではなかったのだ。 もう少し、時間が欲しいとカカシは思った。 (………記憶を失ったのは、オレのミスだ。………その所為であの人や、チドリっていう 子供に辛い思いをさせるのは、申し訳ない…よな。………でも、どうしたらいいのか…… …わからないんだ………) このまま傍にいたら、もう一度彼に―――イルカに、恋が出来るだろうか。 あの日記に、臆面もなく書き綴っているみたいな恋を。 カカシはため息をついた。 あの日から、ため息をつくのが日課のようになってしまっている。 堤防の上をトボトボと歩くカカシの耳に、何やら騒がしい声が聞こえてきた。 「………?」 カカシは、騒ぎの方へ足を向けた。 見ると、立ち入り禁止のロープが張ってある所で、中忍の男が小さな子供二人に向かって 追い返すような仕草をしている。 「だから、ダメだって言ってるだろ! 今、ここは工事中で危ないんだ!」 「邪魔、しないから! お願い、中に入れてよぉ」 小さな男の子と女の子だった。男の子が七、八歳。女の子は、四歳前後に見える。 カカシは、知らぬフリをしようと思ったのだが、うっかりと女の子と眼が合ってしまった。 女の子は、縋りつくような眼でカカシを見る。 カカシは仕方なく、中忍に声をかけた。 「………騒がしいな。何をやっている?」 中忍はカカシの姿を認めると、慌てて姿勢を正した。 「こ、これは、はたけ上忍っ! いえ、この子供達が…ロープの中に入りたいとゴネてい まして。工事中で危険だからダメだと言っても、聞き分けないんですよ」 カカシは子供の前まで来ると、スッとしゃがんだ。 「………どうして、中に入りたい?」 女の子は、もじもじとスカートの裾をいじっていたが、小さな声で「落としたの…」と言 った。 「落とした?」 男の子が、カカシから庇うように女の子の頭を乱暴に引き寄せた。 「コイツ…妹が、落し物をしたんだよ。…昨日、この堤防で遊んだ時に落としたらしくて …それを、探したいだけなんだ。………工事の後じゃ、埋まっちゃって見つからないかも しれない…と思って」 カカシは、俯いてしまった女の子の頬に軽く指先を当て、顔を上げさせた。 「………大事なもの、なんだ?」 ウン、と女の子は頷く。 うまくしゃべれない妹に代わって、男の子がまた口を開く。 「…コイツと、一番仲の良かった友達が、里の外に引越しちゃったんだ。その子の父ちゃ んと母ちゃんが、ニンムで死んじゃったから…なんだって。里の外にいるおじさんちに行 っちゃったんだよ。………お別れする時に、その子にもらった宝物を…コイツ、いつも持 って歩いてたんだけど…」 女の子は小さな声で呟いた。 「………ポッケに、穴、あいてたの………」 女の子は、突然ヒクリとしゃくりあげた。涙がぽろっとこぼれて落ちる。 カカシは困ったように少し首を傾げた。 「ん〜、事情はわかったけど………どの辺で落としたか、見当はつく? 好きに探させて あげたいけど、本当に中は危ないんだよ」 小さな子供がちょろちょろしていたら、邪魔だし危険だ。 子供達は、その辺からその辺、と大まかに指さす。 「何してんだってばよ? カカシせんせ」 そこへ、ロープの束を肩に担いだナルトが、ひょいと顔を出した。 男の子は、「あーっ!」と叫んだ。 「子供、中に入ってるじゃんっ! ソイツは良くて、オレ達はダメなのかー?」 いきなり子供に指差されたナルトは、ムッと顔をしかめる。 「オレはガキじゃねえっ! 忍者だ! 仕事、してんの! お前らみたく、遊んでんじゃ ねーんだってばよ!」 と、言い終わらないうちにガンッとナルトは後頭部を叩かれた。 「何サボってんのよ、バカ! 道草喰ってんじゃないのッ」 「サ…サクラちゃん……でもコイツが………」 ん? とサクラは、子供達と、カカシの姿に気づく。 「…カカシさん? どうしたんですか?」 「いや…この子らがね………ここで落し物したんだってさ。大事なもの、なんだって。… 中に入って探したいって言うんだけど………」 サクラは、思わず表情を曇らせた。 大事なもの。 失くしてしまった、大事なもの。 今のカカシにとって、それは他人事ではないのだろう。 サクラもカカシの横にしゃがんで、女の子と目線を合わせた。 「何を、失くしたの………? 言ってくれれば、気をつけて下を見てみるわ。この中は危 ないから、お姉ちゃんとこの黄色い頭のお兄ちゃんが、代わりに探してあげる」 オレもかよ、とナルトは呟いたが『イヤだ』とは言わない。 女の子は、希望に縋るようにサクラを見る。 「…ホント?」 うん、とサクラは頷いた。 「………あのね、ビー玉なの………」 ビー玉ぁ? と呆れたような声を上げたのは、中忍の男だった。 大人にとっては、あまりにも他愛の無い玩具。探し物がガラクタ同様の物だと知って、男 は気抜けがしてしまったのだろう。 カカシは、男をチラリと見上げた。 「今、この子が言っただろう? 大事な友達にもらった宝物だって。………アンタだって、 ガキの頃はそういう宝物があったんじゃないのか?」 ウッと男が声を詰まらせた。赤面しながら、頭をかく。 「そりゃあ………そんな事もありましたが。…でも、はたけ上忍。…モノが、小さ過ぎま すよ。ここら一帯、もう既に結構掘り返してしまっているし………」 男の言う事も、尤もだった。 途端に、女の子はしゅん、と項垂れる。 男の子が、なだめるように妹の肩を抱いた。 「………泣くなよ。………ポケットに穴が開いてたことに気づかなかった、お前も悪かっ たんだ。………な?」 子供を可哀想に思ったのだろう。中忍の男も、腰を屈めて女の子の頭を撫でる。 「あのな、おじちゃんも、お仕事しながら下を探して見てみるから。おじちゃんの仲間に も、気をつけてもらうように言うし。………でも、見つからないかもしれないから、その 時は諦めてくれないかな…? 代わりに、好きなビー玉、おじちゃんが買ってやっから。 ………な?」 彼にすれば、精一杯の慰めだった。 だが、女の子はぷるぷる、と首を振る。 サクラとナルトは、思わず顔を見合わせた。 「………新しい物を買ってもらっても………ダメなのよね、きっと。………決して同じじ ゃ、ない………代わりには、ならない………」 そう言いながら、サクラはハッと思い出した。 ポケットを、パンパンッと上から叩く。 硬い、小さな物の感触。 急いでポケットをまさぐり、さっき拾ったビー玉を取り出した。 「忘れてたっ! これ、さっき坂のところで拾ったのよ。これ、違う? アンタのじゃ、 ない?」 サクラの手のひらで、可愛らしいビー玉がキラキラと光っていた。 女の子の眼も、キラキラと光る。 「うんっ! これっ! これだー! ホラ、中に小さなチョウチョがいるの! 色んな色 に、光るんだよっ! さっちゃんの一番大事な宝物、あたしにくれたの!」 女の子は夢中になって叫び、サクラにぎゅうっと抱きついた。 「ありがと、お姉ちゃん! ありがと! 拾ってくれて、ありがと!」 「ハイ、もう落としちゃダメよ」 サクラは、ビー玉を女の子に渡してやった。 男の子も、嬉しそうに笑う。 「良かったなー、タミ。…お姉ちゃん、ありがと」 それから、男の子はカカシと中忍の男にもペコンと頭を下げた。 「おじちゃん達も、ありがと」 「………い、いや………見つかって、良かったな………」 中忍の男は頭をかき、カカシは黙って男の子の頭をポンポンポン、と撫でた。 子供達が手を振り振り帰っていくのを見送りながら、カカシはボソッと呟く。 「………生まれて初めて、おじちゃんって言われた………」 十四歳の女の子には無縁の呼ばれ方である。 サクラは気の毒そうにカカシを見遣った。 カカシは腰を伸ばし、ついでに手を突き上げて伸びをする。 「さて、仕事、仕事。……サクラ達も、持ち場に戻りな」 はーい、とサクラとナルトは素直にカカシの指示に従った。 「………なあなあ、サクラちゃん」 ナルトの呼びかけに、サクラは振り返る。 「何よ」 「………サクラちゃんも、ああいうの好きなのか? ビー玉とか」 拾ったビー玉を、捨てずにポケットに入れていたサクラは肩を竦めてみせた。 「んー、そうね。…別にビー玉遊びがしたいわけじゃないけど、キラキラしてて、綺麗だ ったから………つい、ね。…うん、好きかもね。ああいう綺麗なもの。ちょっと、懐かし かったし」 ふうん、とナルトは納得したようなしないような声で相槌を打った。 「やっぱ、女の子はキラキラしたのがいいんだなー」 「ま、そうね。本物の宝石なら、もっと嬉しいかもね」 ほーせきぃ? と唇を歪めるナルトの顔を見て、サクラは軽やかな笑い声を立てた。 「ほら、行こ。サスケ君にまたイイとこ全部取られちゃうわよ?」 途端にナルトは慌てる。 「いっけねー! 早くロープ持ってかねえと!」 また、サスケにグズだのドベだのと言われてしまう。 ロープを担ぎなおし、ナルトは堤防を駆け上がっていった。
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