想いのたどりつく処 −17
カカシが下忍チーム第七班に『復帰』したのは、ゲテモノスープ事件から三日後のことで あった。 今のカカシにとって、下忍になりたての子供達の任務に同道するのは、程よいリハビリに なるかもしれないという三代目の判断だ。 子供達三人に会う前に、カカシは環と顔を合わせた。 カカシはじーっと環の顔を眺めている。 「………環…だよね?」 「ああ。………身体の方はもう、いいのか?」 「…うん。元々、大したケガじゃなかったから。………環さあ……随分デカくなったねー。 ………オレより小さかったのに………」 環は苦笑した。 「そうだな。…私は、二十歳前に急に伸びたんだ。これでも気にしてたんだぞ? 二つも 年下のヤツよりも背が低くて」 おまけに、その年下が上官だった。 十二年前なら、環は十六歳。カカシよりも二つ年上だったが、上忍昇格は十八歳だったの で、その当時はまだ中忍だったのだ。 「そっか。…でも、良かった。……環が…生きててくれて。……さっきさ、慰霊碑……… 寄ってきたんだ。…オレの知ってるヤツ……随分…いなくなってた」 そうか、と環は眼を伏せた。 忍の世界の十二年は長い。 カカシの周囲にいた人間は優秀な者が多かったが、故に危険な任務に投入される事も多い。 環が知るだけでも、半数以上が既に彼岸の人だった。 「………記憶を失くす前のオレなら、奴等がいつ…どういう風に逝ったのか………知って いたのだろうか」 カカシは、今生きて彼女の周りにいる人間達を忘れてしまった事より、彼らの死を覚えて いない方が申し訳ないと思っているように環には思えた。 「…いくらお前でも、全員の死に様を知っているわけなかろう。………私だって、そうだ。 …いつの間にか知人の姿が見えなくなってて………殉職したのだと知ったのは随分後だっ た、なんて事は珍しくない」 「………そうか。………そうだね………」 カカシは、いきなり話題を変えた。 「それより。…報告書、見せてもらったよ。………波の国の」 「見ても思い出せんのだろう?」 「うん。…でも、自分が何でこういう事になったのかって、少しでも知りたくて。……… 霧の鬼人、再不斬のことは噂を聞いたことあるけど。…オレ、ソイツと闘りあったんだな。 …で、結局逃げられた、と」 「逃げられた………というかな。実はお前、故意に見逃したらしい」 へえ、とカカシは意外そうな声を出した。 「何で見逃したか、オレ言ってた?」 環は首を振る。 「いや。…後で説明する、と言って、すぐに理由を話そうとはしなかったんだ。その後す ぐに、霧隠れの忍を名乗るヤツに襲われたから。…おかげで、事の真相を知っているのは、 再不斬だけになってしまった」 「………そりゃ悪かったねえ………」 カカシが倒れた後、ナルトから聞きだした話。 ガトーの骸。 消えた再不斬と連れの少年。 カカシが浴びていた大量の返り血。 それらを総合すれば、何が起こったのか環にも大体の推測は出来た。 カカシは、再不斬にガトーを殺させたのだ。 ガトーという元凶を排除しなければ波の国に平和が訪れる事はない。カカシは、自分が手 を下すわけにはいかないので、再不斬を利用してガトーを殺した―――のだと思う。 再不斬と連れの少年を見逃したのは、その代償であろう。 しかし、その推測を報告書に記載するわけにはいかなかった。推測は、あくまで推測に過 ぎなかったし、それが本当の事だとしても褒められた行いではないからだ。 「別に、それ自体は咎められるような事ではない。………七班が請け負った依頼は、橋が 完成するまで依頼主を護り通すことだ。再不斬を殺るのは、任務じゃないからな」 カカシは黙って肩を竦めた。 「それより、こっちに眼を通しておいてくれ。七班の下忍三人の経歴と資料だ」 「あ、うん………」 カカシはファイルを受け取り、気の無い顔で眺める。 「…随分とまあ………個性的なメンツだねえ………環もエライ連中預かってるねー」 その『エライ連中』にはお前も含まれているんだがな、と環は思った。むしろ、一番厄介 なのはカカシかもしれない。 「その連中をスリーマンセルにしたのは私じゃないぞ。…アカデミーでそいつらの担当忍 師だった、イルカだ」 カカシは、イルカの名に反応して眼を上げた。 「………ふぅん? そお………なら、何か考えがあったんだね」 環は軽く眼を瞠った。 どうやらカカシは、イルカの事をそれなりに評価しているらしい。以前のカカシならば、 イルカにベタ惚れしているのだから当然だが、今のカカシは彼のことをまだよく知らない はずだ。 「………そういや、お前………今、イルカの所にいるんだって?」 「あ、うん。………紅サンと、アスマがね。その方がいいって………」 他人にそう言われただけで、素直に従うカカシではないだろう。 「イルカのことは、聞いたのか」 カカシは微かに頷いた。 「………オレとの関係? ………ま、ね………聞いたよ。でなきゃ、よく知らない中忍の 家になんか泊まるわけないじゃないか」 「いやだから、今のお前にとって、イルカはよく知らない男だろう? よく一緒に暮らす 気になったな」 「え? ………うん、そうだよね。…でも、何だかあんまり危機感とか感じなくて。あの 人、優しいから申し訳ないような気はするんだけどね。…オレ、いてもいいのかなって… ……そう思うことはある」 環はイルカに同情した。アスマ達も酷い事をする。 カカシにとって、他人と暮らせているというのは、いい傾向なんだろうとは思うが。 まだ若いイルカにとっては、手を出せない恋女房に鼻先をウロウロされるのは、ナマ殺し のようなものだろう。 カカシは、ふいに思い出し笑いをする。 「あの人ねえ、スゴイんだよ。…もしかして料理の天才なんじゃないかなー………オレ、 野菜スープ作ろうとして失敗しちゃったんだけど、彼ったらオレでももう諦めるしかない かと思ったスープ、何とか飲めるように作り直してくれたんだ」 それは確かにスゴイ、と環は感心した。 カカシの作ったスープは野戦の際に見ているが、とても食べられたものではなかった。 しかも、その時のスープはカカシ本人が「今日のは大丈夫」と言ったものである。それで も誰も(カカシ以外)食べられなかったのだ。 そのカカシが「諦めるしかない」と思った失敗スープを、あの中忍はどうやって食べ物に 戻したのであろう。魔法を使ったとしか思えない。 何となく、妙なところでイルカはカカシの信頼と尊敬を勝ち取っていっているような気が する。男と女として、それでいいのかはナゾであるが。 「………そうか。………まあ…でも、余計なことを言うようだが、もしもこの先、イルカ と夫婦生活をする気には絶対になれないと判断したら、イルカの家を出ろよ」 「………環?」 訝しげに眉を顰めるカカシに、環はため息をついた。 「…聞いているんじゃなかったのか。………お前は、あの男の子供を産んでいるんだぞ。 ………十四にもなって、それがどういう意味かわからないわけがあるまい」 カカシは一瞬黙り込み、視線を逸らした。 「………わかっている。………でも彼、ガキに手を出す趣味は無いってさ」 その言葉を鵜呑みにしているのか。それとも、故意にそういう事に関して現実を直視する のを避けているのか。 たぶん後者だと思いつつも、環には「そうか」としか言えなかった。 「………話は聞いているかと思うが、はたけ上忍は今、少々厄介な状態になっている。お 前達とは初対面同然だから、各々自己紹介! サクラからだ」 教官の指示に、ハイ、とサクラは一歩前に出た。 「春野サクラです。…よろしくお願いします」 ナルトがおずおずとサクラの隣に並んだ。 「うずまき、ナルト。………よろしくだってばよ」 カカシは珍しい動物を見るようにナルトを一瞥した。 ス、とサスケが出る。 「うちはサスケ。よろしく」 カカシは三人を順に眺めてからぶっきらぼうに「はたけカカシだ。…よろしく」と返し、 サスケに顔を向けた。 「………あのさ、悪いけどオレもまだコイツ」 と、カカシは額当ての上から自分の左眼を指す。 「使いこなしたとは言えない状態だから、指導役ってのはナシね」 サスケはひとつ頷き、口を開いた。 「………わかった。なら、一緒に修行すればいい。………一人で眼を育てるよりも、効率 がいいだろうからな」 「でもたぶん、お前の方が使いこなすの早いんじゃない?」 ウチハの血がお前を助けてくれるだろうし、とカカシは胸の中で呟いた。 カカシは、移植よる拒絶反応こそ最小限でくい止めたが、最初は開きっぱなしの写輪眼に 振り回された。違和感に苛まされ、慣れるまで相当の時間がかかったのだ。 ウチハなら、必要な時だけ『開け』ばいい。閉じる事の出来ないカカシよりも、身体にか かる負担も少ないはず。 「もしそうなったら、オレがあんたに使い方を教えりゃいいだけだろう?」 カカシは意外そうにサスケを見下ろした。 「………お前、案外親切なんだな」 ぶふ、と吹きだしたのはナルトだった。 サスケはジロリとナルトを睨む。 「………笑ってんじゃねえよ、ドベ」 パンパン、と環は手を打った。 「…さあもう、いいな? 今日の任務を説明するぞ。今日は、午後から十班と合同任務。 雨季に備えて、堤防の補強作業の手伝いだ。………コラそこ、露骨にイヤそうな顔するん じゃない」 だってさー、と声をそろえたのはカカシとナルトだった。 「それ、忍者の仕事?」 「そうそう、カカシ先生の言う通りだってばよ」 「先生って何。オレ、先生じゃないよ」 「いいじゃん。そう呼んでたんだからよ。いきなり別の呼び方なんか出来ねーってば」 はーっと長いため息をつく環を、サクラは気の毒そうに見た。 「………カカシ。今は隠れ里間に表立った抗争も無いのだと聞いているだろう? 忍界大 戦の最中じゃあるまいし、下忍のチームにまで高ランクの任務を回すほど人手不足でもな い。この間の波の国は例外だ。あれだって、本来はCランクだったんだからな」 うっかり見かけに騙されそうだが、このカカシは十二年前のまだ『丸くなっていない頃』 のカカシなのだ。 そうか、と環は気づいた。 アスマ達が、このカカシをイルカに預けた理由。 長い間、眼に見えない傷を抱えたまま生きていたカカシ。誰にも、彼女の傷を癒すことは 出来なかった。 だが、イルカと出逢って付き合い始めたカカシは、眼に見えて変化したのだ。 彼には、頑なな彼女の心を開かせる何かがあったのだと思わざるを得ない。 精神的に未熟な今のカカシが、同じ様にイルカに心を開くかどうかは疑問だが、彼と共に いることが、『今の自分』に慣れて心の安定を得る助けになる可能性は高い。 男女の恋愛と言う重要な要素抜きでも、彼ならば何とかしてくれるだろうと思ったのか。 (………確かに、イルカにはカカシを惚れさせるほどの何かがあったんだろうが………今 のカカシに、それが通用するかどうかはわからんと思うのは私だけなんだろうか…? や はり、イルカが気の毒に思えてならん………) 環は軽く頭を振って、当面の問題に向き直った。 「…ナルトも。この間、火影様に言われた事をもう忘れたのか? 報酬の発生する任務と 言うものを甘くみるなと。…もしも、お前が手抜きの仕事をした所為で雨季に堤防が決壊 したらどうなるか、少しは想像してみろ。…他里の忍者と戦うことだけが、里を護るとい うことではないんだぞ。…そうだよな? カカシ」 カカシは不承不承頷く。 「ま…ね」 「土遁の実地訓練にもなるんだから、一石二鳥と考えればいい。ちょうどいいリハビリに なると火影様が仰ったのは、そういう意味もあると思うぞ」 それを聞いたカカシは、黙って微かに肩を竦めた。 自分には訓練など必要ない、とは言えなかったからだ。 |
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