想いのたどりつく処 −12
七班が任務を終え、波の国から帰還した。 ちょうど、イルカが受付に入っている時に任務完了の報告をしに来た一行は、彼の顔を見 て複雑な表情を浮かべる。イルカとカカシの関係を知らないナルトも、他の班員とは別の 理由で元気が無かった。 イルカは普段と変わらない微笑を浮かべて、彼らを迎える。 「お帰りなさい、環先生。任務報告書の提出をお願いします」 「ああ。…こっちが預かってきた報酬だ。…報告書に関しては、はたけ上忍に確認してか ら記述しなければならない部分があって、完全ではないのだが。受理してもらえるか?」 「任務遂行内容の概要が記載されているなら、依頼内容との照合が出来ますので問題は無 いです。………詳しい報告書は、後日で結構ですよ」 イルカは報告書を確認し、目を上げた。 「ひとつ、質問があります。…依頼人は、襲撃してくるかもしれない相手が忍者の可能性 があることを認識なさっていて、その上でその事を伏せていらしたのでしょうか?」 「そう! あのジイさんヒデェんだっ………むぐっ」 ナルトの口を塞いだ環は、否定した。 「いや。…単に、追いはぎとか強盗とか。その類が怖かったらしい。忍者が襲ってきて、 タズナさんも驚いていた」 何か言いたそうにジタバタしているナルトと、それを涼しい顔で黙らせている環を交互に 見、イルカは苦笑を浮かべた。 「…そうですか。なら、仕方ないですね。………では、忍同士の戦いになると判明してか らも、任務を続行した理由を一応伺っておきましょう。相手が手配帳に載るような抜け忍 が複数だとわかっていたのでしょう? 明らかにまだ一年目の下忍には早い任務ですが」 「………上忍が二人いたので続行可能と判断した。はたけ上忍も同意してくれたのでな。 …最初の設定ランク外の任務になると承知の上だ。………手を引けば依頼人が殺されると わかっていて、見殺しには出来なかった。もしも、報酬と折り合わない事が問題になるの なら、その分は責任者である私の支給金から引いてくれ」 イルカは頷き、認印を捺した。 「わかりました。それに関しましては、火影様のご判断を仰ぎます。………七班は、里外 任務の規定に則り、医療棟で身体チェックを受けた後、三日間の休養になります。お疲れ 様でした」 黙って環の後ろに控えていたサクラが、おずおずと口を開く。 「…イルカ先生。…あの…カカシ先生の具合は………」 途端に、サスケとナルトの顔にも緊張が走った。 「はたけ上忍は、先日退院したようだよ。………今は、自宅療養中と聞いているが」 イルカが淡々と、あくまでも他人事のように言うのを聞いたサクラは、涙が出そうになっ た。 カカシの記憶喪失は、単なる疾病ではない。術によって奪われたのだから、記憶が自然に 戻る事などあり得ないのだ。 一番辛くてたまらない人が、その気持ちを押隠さねばならないのが自分の事の様に切ない。 「そう…ですか。………お怪我はもう、いいんですね。………良かった」 うん、とイルカは頷く。 「お前達もな。………任務に出たみんなが、ちゃんと生きて戻ってきてくれるのが一番嬉 しいよ、俺は。…初めての長期里外任務で、疲れただろう? サクラ、ナルト、サスケ。 …よく、やったな。今後に備えて、ちゃんと休めよ」 「………はい」 思わずこぼれかけた涙を、サクラはそっと指先でぬぐった。 イルカは今、カカシが生きて戻ってきただけでいい、と言ったのだ。 記憶を失くし、イルカのことを忘れても。 生きて還ってきてくれたのが、嬉しいと。 その時、ずっと黙っていたサスケが、珍しくイルカに話し掛けた。 「………先生。なんか、先生も顔色が良くないな。………大丈夫か?」 イルカは「そうかぁ?」と言いながら自分の頬をピタピタと叩いた。 「サスケに心配されるようじゃ、マズイよな。…ちょっと寝不足なだけだよ。大丈夫。… ありがとうな、サスケ」 ナルトは、そわそわと環の胴衣を引っ張った。 「せんせ。………オレ、カカシ先生のお見舞いに行っちゃダメかな…?」 環はナルトの頭を軽く撫でた。 「…お前の気持ちはわかるがな。………カカシ上忍は、お前の事も、あの任務の事も覚え てはいないんだ。………行っても、妙に思われるだけだぞ?」 ナルトはぎゅうう、と下唇を噛んだ。まるで、泣き出すのを堪えているかのような顔で頭 を振る。 「それでもっ………オ、オレの所為なのに………」 イルカは驚いたようにナルトを見た。 「………ナルトの………?」 「オレが余計なコトしなきゃ、カカシ先生はあんなヤツの術…喰らわなかったんだ。…… オレなんて、まだ弱っちいクセに…でしゃばって……あ、しで…まといに…………」 ヒクッとナルトの咽喉が鳴った。 初めて遭遇した敵の忍。 自分はまだほんの駆け出しの下忍なのだと思い知らされる一方、自分とそう年齢も変わら ないのに上忍並みに強い少年が存在するという事実に刺激され。 自分にもやれる、やらなければ、という気持ちだけが先走ってしまった。 環はナルトの目線まで屈む。 「たとえ、そうだとしてもな。…カカシ上忍は、お前を護ろうとしたんだ。仲間、だから。 …お前を無事に里に還したかったんだよ。それは、彼の判断だ。………その所為で傷つい ても後悔などしないし、お前を恨んだりもしない人だよ。……更に厳しい事を言うなら、 こういう場合、敵の術に掛かったのも彼のミスということになる。…わかるか? 自分の 行動の結果は、全て自分の責任なんだ」 その環の言葉で、イルカにもおぼろげに事の顛末を推察する事が出来た。カカシはナルト を庇って、その結果、忍としての能力も十二年分の記憶も失うことになったのだと。 イルカの鳩尾が、鉛を飲み込んだかのように重くなる。 任務に向かうカカシに、子供達を助けてくれと言ってしまったのは、自分だ。 カカシはイルカとの約束通りナルトを助け、護った。 カカシのことだ。そんな約束をしていなくても子供達を護ろうとしただろうが、イルカと 約束した事が、更に彼女の行動を縛る結果になったのではあるまいか。 (―――俺の、所為じゃないか………っ………) イルカは膝の上で拳を握り締めた。爪が、掌に食い込む。 その時、静かに戸が開いて、老人が姿を見せた。 イルカと環は、反射的に目礼する。 「環の言う通りじゃな。………忍というものの現実が、任務における責任というものが、 少しはわかったかな? ナルト、そしてサスケにサクラ」 三代目の言葉に、子供達は一様に頷いた。 うむ、と三代目も重々しく頷いてみせる。 「…よろしい。…お前達には、良い経験となったことだろう。…ナルト。…カカシはまだ、 色々な人間と顔を合わせられる状態ではないのだ。面会は許可できない。我慢おし」 ナルトはしゅん、と項垂れた。 「………わかったってばよ………じいちゃん」 「さあ、報告が済んだのなら、お行き。―――環」 「はい」 「この子らの医療チェックが済んだら、わしの執務室へ。…聞いておきたいことがある」 「わかりました、三代目。…さ、みんな行くぞ」 環は子供達を促して、受付所から退出した。戸口で振り返ったサクラは、気遣わしげな眼 でイルカを見る。 イルカは、かろうじて片手を挙げ、心配するなと笑ってみせた。 「………イルカよ」 「はい」 「………お前も、無理をするでないぞ。…ここのところ、睡眠時間を削って保管庫にこも っておるじゃろう」 イルカは椅子から立ち上がり、三代目に頭を下げる。 「…特別資料室の閲覧を許可してくださって、ありがとうございます。…それに、おヨネ さんをお借りしてしまって………申し訳ございません」 「…いや、ヨネは赤子の世話なら慣れておるし、好きでやっておるようなものだからの。 …だから、チドリを預かるくらいは喜んで引き受けるが。…それよりもヨネは、お前を心 配しておるのだよ、イルカ」 イルカは頭を下げたまま、「申し訳ありません」と繰り返す。 ほぅ、と三代目はため息をついた。 「何も謝れと言うておるわけではないわ。………お前の気持ちはわかる。お前にしたら、 何もせずにはいられないだろうよ。だが、あれの記憶を取り戻すのはそう簡単な事ではな いぞ。長年、忍をやっておるわしでも、初めて見るケースじゃ。…術の根本を探り、解呪 の方法を解き明かすという定石は通用せぬかもしれん。…焦りは禁物じゃ」 だからの、と三代目は続けた。 「………根をつめるな。思いつめ過ぎるな。………お前を案じておるのは、ヨネだけでは ないのだから」 ここ数日で、イルカは少しやつれた。 サスケの言う通り、顔色が悪い。眼の下には薄っすらとクマがあり、声にいつもの張りが 無かった。 本人は平気そうに振る舞っているが、明らかに疲労が蓄積している。 「…ご心配をお掛けしてすみません。…業務には差し障らぬよう、注意致します」 いっその事一発殴って昏倒させ、医療棟に放り込んで強制的に眠らせようかと一瞬思った 三代目だが、それは最終手段にしておこうと思い直す。 「わかっておらんのぅ………ま、よいわ。今夜は夕飯を用意しているから、絶対に来るよ うに言えとヨネに頼まれておる。…忘れんで食べに来るのだぞ。でないと、わしがヨネに 怒られるでな」 「はい。…ありがとうございます」 イルカは再度頭を下げ、ぎこちなく微笑った。 その笑みに、老人の胸はつきりと痛む。 今のイルカの笑みには覚えがあった。 まだ少年の頃、両親を失った寂しさを紛らわせる為に、周囲に心配を掛けぬように、無理 をして笑っていたイルカ。 その時の笑みにそっくりだ。 (………わしはまた………お前の心を救うことは出来んのか………) 自らの力不足を嘆き、歯痒く思うのは何もナルトやイルカだけではない。教授と呼ばれる 頭脳を持ち、火影にまで上りつめた男もまた、同じ思いで己の手を見るのだった。 「どうも、ご馳走になりました」 夕食を済ませたイルカは、泊まって行くようにとのヨネの勧めをやんわりと断り、火影屋 敷を後にした。 久々にチドリを抱きしめて、その柔らかい重みと可愛らしい笑顔に癒され、疲れも吹き飛 んだような気がする。 「………あの子の為にも………何とかしなきゃ………」 三代目に言われるまでも無く、カカシの奪われた能力と記憶を取り戻すのは難しいと承知 している。だが、最初から諦めるのだけは嫌だった。 だから、似たような例が過去無かったか古い文献を調べ、入手し得る限りの他国の術に関 しても研究しているのである。 一朝一夕に為せる事とはイルカも思っていない。ただ、悠長に構える気には到底なれない のだ。 (でも、みんなに心配掛けるようじゃダメだな。…今夜はウチでゆっくり寝よう………あ あ、そうだ…熱い風呂にも入りたい。寝る前に栄養剤でも飲んで………) 家の生垣までたどり着いたイルカは、咄嗟に身構えた。 (誰かいる…?) 誰も居ないはずの我が家に、ほんの僅かだが人の気配がする。 (でも、家の中………じゃないな。…庭…か?) 用心しながら庭に回る。 すると、沈丁花の前のベンチに、誰かが腰掛けていた。暗くて、よく見えない。 イルカは静かに誰何した。 「そこにいらっしゃるのは、どなたです?」 「………あれ…気配殺していたのに、よくわかったねえ………」 イルカの心臓がドキンと跳ねた。 それは、愛しい人の声。 逢いたいと、ずっと想い続けていた唯一人の人。 「………………カカシさん…………」 カカシはベンチから立ち上がる。 「…紅にね、ここ教えてもらったんだ。…オレ、鍵…持ってるみたいなんだけど…やっぱ、 知らない家に勝手に入れないから、ここで待ってたの。………帰り、遅いんだね。仕事?」 イルカはすぐに言葉が出なかった。 「……………………何故………?」 何故、ここにいるのか。 イルカの短い問いに、カカシは言いにくそうにモジモジと足先を動かす。 「……何故って…えっと………色々考えてね、やっぱりオレが悪かったなあって………思 ったから。………あんたに一言、謝ろうかなって………」 「謝る?」 カカシは小さく頷いた。 「あ…だって、オレ、なんか酷い事言っちゃって………あんたに」 あの、演習場で手合わせした時のことだとイルカは気づいた。アスマに怒られたあれを、 カカシはずっと気にしていたのか。 「………あれですか? 謝らなくてもいいですよ。………貴方にしたら、納得し難いこと だろうと…それはわかる気がしますから。………それより、お待たせしてしまってすみま せんでした。よろしければ中でお茶でも如何ですか? ずっとこんな所にいて、身体が冷 えたでしょう」 にっこりと微笑むイルカを、カカシはキョトンとした顔で眺めた。 |
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