想いのたどりつく処 −1
いつもより早く起きられたカカシは珍しく集合場所に時間通りに着き、珍しがられながら サクラ達と共に受付所までやってきた。 「あ」 カカシは口布の中で小さく声を上げる。 カウンターの中で書類を仕分けしていたのは、今朝自分を送り出してくれたイルカだ。 (…今朝は受付所シフトだったんだ……) 何故、亭主の勤務予定くらいアタマに入れておかないかな〜オレも、とカカシは軽い自己 嫌悪に陥る。 (やっぱり奥さん失格かなー………オレってば) 「イルカせんせーっ! オハヨーだってばよーっ!」 ナルトが目敏くイルカを見つけ、カウンターに駆け寄る。 「おはよう、ナルト。…おはようございます、環先生、カカシ先生。おはよう、サスケ、 サクラ」 イルカは七班の一人一人に丁寧に挨拶し、環達も口々に挨拶を返す。カカシもぴょこんと 会釈を返した。 「今日は何かあるか? ウチにまわせるような依頼は」 環がカウンター越しに、任務依頼一覧表を覗く。 「…そうですねえ…芋畑の収穫に人手を欲しがっているのと、老中様のお屋敷でお子様方 に臨時の護衛を要請されているのがありますが…」 環が答えるより早く、ナルトが声を上げた。 「エエエ〜っ! それってば、よーするにイモ掘りにガキんちょのお守りだろー? この 間っからそんなんばっかじゃんか! オレってばもっとこー、スゲエ任務がやりてえんだ ってば!」 すかさずナルトの黄色い頭に左右から環とカカシのゲンコツが飛んだ。 「いてえっ! 二人で一緒に殴るコトねえじゃんっ」 「黙れ」 ぎろりとカカシに睨まれて、ナルトはびくっと身体を竦ませる。 ナルトのブーイングに反射的に一喝しそうになっていたイルカは、咳払いをして苦笑した。 「ナルト、お前たちはまだ下忍なりたての新米だ。誰でも最初はDランクの簡単な仕事を こなし、場数を踏んで繰り上がっていくんだ。…お前達がやってくれなきゃ、このDラン クに振り分けられた任務は誰がやるんだ?」 だって、とまだナルトは不満そうに口を尖らせている。 「……それって忍者じゃなくても出来る仕事ばっかりじゃんか。オレだって…もう忍者な んだから。……忍者じゃなきゃ出来ねえ任務もやれるってばよ…」 そう言いながらナルトはちらりとサスケとカカシを見た。 サスケは特別な能力を発現させ、異例な事に個人的に指導してくれる上忍をつけてもらっ て修行している。ナルトはその光景を見る度に落ち着かない気持ちになった。自分一人が 置いてきぼりをくっているような焦燥感に苛まされてしまうのだ。 そこへひょっこりと里長が顔を出す。 「…どんな任務でも気を抜かずに成し遂げるのが忍、なのだがのう……」 「火影のじーちゃん! でもさ! でもさあっ…」 ス、と火影は片手を上げてナルトを制した。 「……ナルトよ。お前の気持ちもわからんでもない。……だがな、いかなる依頼でも一度 里が引き受けた以上、失敗は許されんのじゃ。依頼人は相応の金を払うのだからな。…… お前は、報酬金を受け取るという事を軽く考え過ぎてはおらぬか? それに、任務の遂行 内容には、里の信用と面目もかかっておる。故にその依頼を完璧に遂行出来る能力ありと 判断された忍に任務を回す。…任務はな、お前の腕試しの場ではない。わかるか?」 ナルトはしぶしぶ頷く。 簡単な任務ばかりでつまらない、と言うナルトに内心共感していたサスケやサクラも、き まり悪そうにもじもじと足を動かした。 子供達の様子を眼に収め、火影はフッと笑みを漏らす。 「イルカ」 「はい」 火影は一枚の書類をイルカに手渡した。 「…この任務、七班にやってもらう事にした。手続きしておくれ」 「はい、火影様」 イルカは文面にサッと目を通し、Cランク任務用の書類ファイルを取り出した。 それを見た環とカカシは一瞬目を見交わす。 「…環上忍、護衛任務です。波の国に帰国する方に同道して下さい」 「護衛か」 護衛任務と言っても、護衛する対象人物によって任務としてのランクは違ってくる。 相手が大名や豪商などならば命を狙われる危険性も高く、また狙ってくる賊もそこらのチ ンピラの比ではない腕を持っている場合があるからだ。 今回の場合、依頼人は一介の職人。 普通ならば、金を払ってまで忍者に護衛を頼んでくるような種類の人間ではないが、人に はそれぞれ事情というものがある。道中、強盗や追いはぎに遭うのが怖いからと言われれ ば、納得するしかなかった。しかも、結構高齢とあればそういうタチの悪い連中にいいカ モとして狙われる可能性は高い。 しかも、ただ送り届けるだけでなく、職人が製作中の橋が完成するまでの支援護衛。期間 が長くなる可能性もあったのでランクはDではなく、Cに設定された。 依頼人、波の国の橋作り職人タズナという老人は環とカカシを見て安堵したような顔をし たが、更に三人の子供が護衛につくと聞いて眼を剥いた。 「何人も護衛を雇うカネなんかワシにはないぞ! それも子供が三人? 遠足にでも行く つもりかい!」 ふざけるな、とタズナは怒ってしまった。 「そっちの兄さん二人でいい。…本当なら一人でもいいんだが、まあ、二人の方が超安心 じゃからな」 そっちの兄さん二人、とは環とカカシを指していた。タズナには中忍も上忍もわからない。 普通、上忍を二人も護衛に雇おうと思ったらそれこそ目を剥くような報酬を要求される。 しかも、片方は『写輪眼のカカシ』。ただの職人などが雇える忍ではないのだが。 環は苦笑を隠して、真面目な顔で老人に向き直った。 「タズナさん。…貴方を護衛するのはこの子達なんですよ。私はこの子達の教官で、あく までも指導とサポートが任務です。貴方の依頼にお応えするにしては人数が多いのは認め ますが、それはこちらの都合ですので。報酬は最初に契約したCランク設定で結構です」 タズナは訝しげに眉間の皺を深くした。 「…つまりアレかい。ワシは子供らの実地研修に利用されるってェわけか?」 火影は苦笑した。 「ま、そう仰らず。……子供と言ってもれっきとした下忍ですじゃ。そこらのチンピラく らいでしたら簡単に倒す力は持っておりますので、ご心配なく。のう、ナルト」 ナルトは勢い込んで腕を振り上げた。 「もっちろん! オレってば忍者だもんよ!」 タズナはますます不審気な顔になったが、しぶしぶ同意した。 「…仕方ない。ちゃんと大人がついて来るわけだし、余計なカネがかからんならヨシとす るかい」 イルカは書類をタズナに示し、署名を求めた。 「では、この条件で契約なさると承諾のサインをお願いします。報酬は後払い。ご依頼を 完遂した時点で、こちらの環上忍にお支払い下さい」 イルカはちらりと目を上げて、環の横で他人のフリをしているカカシを見た。 (…波の国なら行って帰って…橋が後どれくらいで出来るのかはわからんが、最低一ヶ月 はかかる…かな? その間、カカシさんは休める……良かった) この時点で、イルカはまさかカカシまでが一緒に波の国に行ってしまうとは、思ってもい なかったのである。 「え…っ…あの波の国のじいさん護衛…って、カカシさんも行っちゃうんですか?」 「んー、何か、当然のようにオレも頭数に入れられていました。………あのジイさん一人 を護衛するのに、上忍二人に下忍が三人ですって。しかもですね、料金は下忍三人分。 すっごい破格値任務ですよねー………普通なら。…オレと環は、教官としてのお手当てし か出ないんですよぉ」 カカシは膝の上で子供をあやしながら、ため息をついた。やはり気が乗らないらしい。 報酬云々の問題ではない。 長期間、家を空ける事。子供と離れ離れになる事を憂えているのだ。 イルカも表情を曇らせる。 わけもなく嫌な感じがするのは何故だろう。 「………俺は、こんな長期ならカカシさんは外してもらえると………その間、貴女はゆっ くり休めると思っていました」 「ねー。………でも、サスケがね〜…まだ、上手くコントロール出来ないんですよ、眼。 あの子、何あせってんだか………」 ふぅ、と息をつく彼女を見て、イルカは苦笑を浮かべた。 「………つまり、危なっかしくてあの子を放っておけないんですね? 貴女が」 んー、とカカシは小さく唸る。 「…………なの、かなあ………」 似ているんですよね、とカカシは呟いた。 「………昔のオレに。………四代目に追いつきたくて、ただがむしゃらに力が欲しくて。 ………早く一人前になりたくて、足元も見ずにあせって突っ走ってた頃の………オレに」 カカシは手でそっと左眼を押さえた。 「………一段一段、ゆっくり足を踏みしめて登ればいいのに、二、三段飛ばしで階段駆け 上がろうとしているみたい。………躓いて転んだら、大怪我するのに」 カカシの、左眼だけの写輪眼。 イルカはまだ、カカシが眼を失った理由を詳しくは知らない。そして、その写輪眼が元々 は誰のものであったのかも。写輪眼がウチハ一族にしか現われない異能である以上、彼女 が誰から移植手術を受けたのかは、調べればわかる事であろう。だが、イルカは敢えて知 ろうとはしなかった。 それはおそらく、カカシの『大きな傷』だ。 彼女が自分から話すまで、聞くまいとイルカは決めていた。 「………サスケの事は、俺も元担任として心配は心配です。………あの子は出来がいい分、 ささいな失敗も笑い飛ばせずに引きずってしまう事がある。…オレが言うのもおかしい話 ですが、あの子を助けてやってください」 「はい。………それに、ナルトやサクラも、でしょ?」 「………すみません、その通りです」 思わずカカシは笑ってしまった。 「何謝っているの? 変な先生」 「いや………もう、あいつらはアカデミーの生徒では無いのに、つい心配になって口を出 したくなってしまうのは悪いクセだな、と自分でも思うんですよ。…卒業させたのは、俺 なのに」 杞憂だ。 波の国は確かに遠いが、カカシに何かあるわけがない。 心配性な自分が照れくさくて、イルカは鼻梁の傷跡を指先で擦った。 「オレはねー、そんなイルカ先生が好き。ねー、チドリもそういう優しいお父さんが好き だよね〜」 カカシは笑顔で膝の息子を抱きしめ、母親に抱きしめられたチドリも嬉しそうにキャッキ ャと笑う。 幸せだな、とイルカは思った。 恋した綺麗な人が妻になってくれて、可愛い子供まで授かった。 それは、孤独だった子供時代から今までの心の空白を埋めて尚余りあるくらいの幸福だ。 ―――この幸せな時間が、ずっと続きますように。 そう祈らずにはいられないイルカだった。 だが、天の神様はそのイルカの祈りを聞いていなかったらしい。 イルカの嫌な予感は、的中した。 親子三人一緒に暮らすというささやかな幸せは、思わぬ形で奪われることになってしまっ たのだ。 |
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『波の国編・夫婦イルカカVer』でございます。 |