擬卵孵化−1

 

 

「ああ、ではそれは私が行って来ましょう。なに、すぐ終わらせて参りますよ」
「これ、お待ち。おぬし、そのような事を……ああ、行ってしもうた…」
里長が止めようとした時、もう青年の姿は見えなくなっていた。
毎日毎日、里長である老人と顔を突き合わせてのデスクワークに、さすがの『次代火影』
と目された青年も気が滅入っていたのであろう。
里長の称号である『火影』の名を継ぐのはまだまだ先の話だったが、現里長である三代目
は、「今から仕事を覚えておくに越した事は無い」と、若い四代目候補を傍に置き、何かと
仕事を手伝わせていたのだ。
そこへ、ある『任務』が舞い込み、人手不足を理由に次代火影自らそれを受け、三代目の
眼から見るに実に嬉々とした様子で外へ飛び出して行ってしまった。
「仕方の無い奴じゃの…まあ、落ち着いて見えてもまだ若い。ジジイの顔ばかり見ている
のにも厭きたか。……おい、あやつ独りで行ってしまったが、単独で片付く仕事なのだろ
うな?」
里に入った『依頼』を長の元に届けに来た中忍の男は、微妙に首を傾げながら頷いた。
「はあ…本来ならスリーマンセル一組程度で当たる任務に思えますが…四代目となるあの
御方ならお独りでも充分かもしれません。…最近、里の畑や家畜に害を為す山犬をどうに
かして欲しいという依頼ですから」
三代目はため息をついた。
「…独りで充分、というか…上忍の請ける任務ですらないな…それは」



独りで山に入った青年は、ふむ、と空を見上げて身体を伸ばした。
「…山犬ね…まあ、彼らにも彼らの言い分も暮らしもあろうな……」
おびき出して一掃するのは簡単だったが、出来るならそれはやりたくないと彼は考えてい
た。
山犬に脅える里人は、後顧の憂いを完全に絶って欲しいと願っているだろうが、人間の都
合で彼らを殺すのはどうにも寝覚めが悪い。
「共存共栄。…は無理だとしても、お互い譲歩は出来ようよ」
彼は苦笑によく似た表情を浮かべ、更に山奥を目指す。
この山は里の中心部からはかなり遠く離れ、麓に人家も少ない。
山自体が『霊峰』とされており、国を護る結界が施されているが故に、他国からの侵入も
事実上不可能。拠って、忍の巡回ルートに一応含まれてはいるが、あまり人の立ち入らな
い山であった。
人が入らない山と言う事は、『道』も出来ない。
『獣道』があるにはあるが、道が無ければ木の枝伝いにでも移動してしまうのが忍だ。
その程度の事はアカデミーの生徒にも容易く出来る。
青年は久々に童心に返り、枝伝いに跳ぶ感覚を楽しんだ。
と、青年は前方の枝に何か動物らしきモノがしがみついているのを発見して足を止める。
人の姿を見慣れぬ野生動物を怯えさせたら可哀想だ。
だが、彼の眉が訝しげに寄せられた。
「さて…も、珍しい…白いサル…か?」
瞬きをしてよくよく目を凝らす。彼の青い瞳が驚きに見開かれた。
「…サルじゃない…! 人の子…?」
青年がそう認識した途端、白いサルもどきは身を翻した。
「あ…、こら、お待ち!」
青年はあの『サルもどき』を放っておいてはいけない、と直感し、後を追いかける。
「待ちなさい! 私はお前に害を為す者ではない!」
ああ、こんな言い方ではあの逃げるサルもどきの足は止められまいな、と青年は唇を噛ん
だ。
どう見ても、相手は3、4歳程度の子供だ。
青年はう〜むと唸り、言葉を選ぶ。
「ええと! おにいさんは里の忍者なのだが! キミをイジメにきたのではないから! 
止まってもらえまいか!」
その呼びかけには一応効果があったらしい。
サルもどき―――もとい幼い子供は、木の幹に身体の大半を隠しながらも取りあえず止ま
り、恐る恐るこちらを覗いている。
瑠璃色の大きな目には、戸惑いと不審、そして何よりも警戒心が溢れていた。
青年は子供を驚かさないようにゆっくりと近づく。
「…ひとりなのか? どうしてこんな山の中にいる…?」
子供はひたっと青年を見つめたまま眼を逸らさない。
ただ無言で青年を『観察』しているようであった。
「!」
ある距離まで近づいた青年は、本能的に飛び退いた。
カカカッと乾いた音がたった今まで彼の足があった枝を穿つ。
(―――手裏剣…!)
一瞬の間の後、彼は自分が話し掛けていた子供に『攻撃』されたのだと悟る。
次代火影は、そのただ一度の攻撃で相手の力量をほぼ正確に把握した。
(ナメて掛かれば怪我をするのはこっちだな……あの幼さで、大した手練ではないか…!)
青年の形のいい唇が楽しげに笑みを形作る。
「山犬ならぬ、人馴れせぬ子猿か。面白い」
このおよそ人の通わぬ山奥に、忍の技量を身につけた幼い子供。
どんな事情が在るものか。
「―――逃すものか」
捕獲する。絶対に。
青年は枝を蹴って、戦闘態勢に入った。
伊達に上忍を名乗ってはいない。『小猿』を捕らえるのは時間の問題に思えた。
だが、地の利は相手にある。
特に難しい地形ではないが、あの子供は毎日この山を駆けているらしく、なかなか捉える
事が出来ない。
「…子供相手と侮っているつもりは無いが…本気にならねば逃げられてしまうな…」
忍術だけは使うまいと思っていた青年だったが、これ以上追い回したらかえって子供を傷
つけるかもしれないと印を結んだ。
そのチャクラに、子供は敏感に気付いたようであった。
青年は瞠目する。
子供は、瞬時に『逃げ』の態勢から『攻撃』に転じ、小さな指で『印』を形作っていた。
(―――まずいッ!)
青年は単に捕縛の為の術を仕掛けるつもりであったが、子供の指が結んでいるあの印は…
「やめなさいっ! こんな木が密集している所で火遁を使ってはいけない! 山を火事に
する気か!」
普通、あんな小さな子供に『火遁』は不可能な術なのであるが――常識から言って、まだ
チャクラの何たるかも理解出来ない年齢だ――子供は単に『形だけ』の印の真似をしたわ
けではないと青年には分かった。恐ろしい事に、幼さ故に状況判断は出来ないくせに、あ
の子供は下忍、下手をすれば中忍並の破壊力を持つ術を発動させる事が出来るのだ、と。
子供は青年の声に一瞬動きを止めた。
『山を火事にする』という一言に反応したのだ。
その一瞬の『迷い』を、青年は見逃さなかった。
子供が我に帰った時、その小さな身体は青年の腕の中に捕らえられていた。
「やっと捕まえた。…鬼ごっこは終わりだ、おチビさん」
子供はいきなり叫び声を上げた。
「ぎゃ―――――――――ッ」
そして、闇雲に手足をバタつかせ、逃れようとする。
完全に恐慌状態に陥っていた。
青年に手裏剣を投げつけた手際も、相手の動きを読んで攻撃に転じる戦闘センスもどこか
へ消えて、ただの無力な子供のように無茶苦茶に暴れている。
「落ち着きなさい! 大丈夫! 取って喰いやしないから!」
殴られ蹴られ引っ掻かれ。
それでも青年は子供を放さなかった。
片腕で子供の折れそうに細い胴を抱え、もう片方の手で子供のぼさぼさな灰色の髪を撫で
てやる。
(本当にに人馴れせぬサルのようだ……しかし、私の言った言葉は理解しているみたいだ
し、服もボロだが、これは人の手で織られた布だ…それに何よりこの子の技は…)
しばらく彼の腕の中で暴れていた子供は、やがて疲れたのか諦めたのか大人しくなった。
青年は、優しく子供の頭を撫でながら静かに言葉を紡いだ。
「…私は、この木ノ葉の里を護る忍の者。…この山へは、里人を困らせる山犬と話をする
為に来た。…だがこの山は、普通人間が入る場所ではないのだよ。だから、何故キミがこ
こにいるのか…私はそれを知らねばならない。事情を話してもらえるだろうか」
こんな話し方で、幼い子供に意図が伝わるだろうかと思いながらも、彼にはこの子供を完
全に『子供扱い』する気になれなかった。
おそらく、この子は見た目よりもずっと『大人』で、賢い。
子供はボソリと掠れた声を出した。
「…アケビ」
「ん?」
青年が子供の顔を後ろから覗き込むと、子供は瑠璃色の眼に涙をいっぱいためていた。
「ジィちゃんに……アケビ持ってく…」
「ジィちゃん?」
やはり、保護者がいたのか、と青年は一応安心すると共に言いようの無い嫌な予感を覚え
る。
こんな人の通わぬ山奥で、幼い子供に『忍』の技を教える者。
どう考えても尋常ではない。
「ジィちゃんは、どこにいる? キミにアケビを採ってくるようにと、頼んだのか?」
子供はウウン、と首を振る。
「…ジィちゃん、起きない。…動かない。……揺すっても、起きない。……きっと、オレ
がアケビ持ってったら、起きるよ…」
「起きない? どれくらい?」
「…お日様、四回沈んで昇った。…でも、起きない」
「ジィちゃんの他に、誰かいないのかい?」
子供はまた首を振った。
「ジィちゃんと、オレだけ」
青年にはもうわかってしまった。
その『ジィちゃん』は眠ってしまったのだ。―――おそらくは永遠に。
「…ジィちゃんは寝ているのだね。よし、私も一緒にアケビを採って、起こしに行ってあ
げよう」
「……どうして?」
「ここで私がキミに逢ったのも何かの縁であろうよ。……もしかしたら、キミのジィちゃ
んが逢わせてくれたのかも、な…」
この山奥で、『独り』になった幼子を、誰かの手に委ねる為に。
青年はゆっくりと腕を解き、子供の小さな手を握った。
「…キミの家に、連れてってくれないか。ジィちゃんに、会いたい」
子供はようやく、コクンと頷いた。

 



ちびちびカカシちゃんと養い親四代目様出逢い話。
掲載誌『Precios Kiss』が完売して結構経ったのでそろそろUP・・・と思ったら、保存してあったファイルが修正加筆前のでっ・・・あああっ・・・
印刷したファイル、消しちまったんか青菜っ!!!
・・・というわけで、本を見ながら修正加筆しております。大ばかちん。

銀色小猿、金色大猿に出会うの巻・・・(笑)

 

NEXT

BACK