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戦うDaphne−2

 

「うちはサスケです」
廊下に立つ警護の忍に、名を告げる。
黙って戸の前を空ける忍に会釈して、サスケは戸を開けた。
「失礼します」
サスケは初めての火影からの正式な呼び出しに彼らしくもなく緊張していた。
「サスケか。…お入り」
火影の声に眼を上げると、逆光を背にした数人の人影が目に入った。
執務机に座した里長、自分の班の教官である環、元担任のイルカ。
そして、知らない忍がもう一人。
逆光で顔が良く見えなかったが、ほっそりとしたそのシルエットにどこか見覚えがある気
がする。その銀色の髪に眼を引かれた時、サスケの胸はどきんと跳ねた。
「サスケ」
火影の声に、慌ててサスケは姿勢を正す。
「はい」
「……環から報告があった。お前、写輪眼が発現したそうじゃの」
「…はい。…でも、少しだけ…です」
里長相手に虚勢を張るわけにもいかない。素直にサスケはそう答えた。
「ふむ。だが、一度発現した以上、使いこなせねばその力はお前のチャクラ、そして命を
も食い荒らす」
厳しいその声に、サスケは我知らず身震いした。
「…はい」
「それでじゃ。……環とも相談してな。……お前に特別な教官をつける事にした。お前の
眼は、それを知る者にしか理解出来ぬし、その能力は導けぬ」
火影はス、と手を伸ばして銀色の髪の忍に向けた。
「…この者。二つ名を『写輪眼のカカシ』という。…お前の教官を務めてくれる事になっ
た」
思わずサスケは息を呑んだ。
(写輪眼?! ―――まさか、自分以外のウチハの忍びが…? 聞いてない…)
カカシはしなやかな身のこなしで一歩前に出る。
「はたけカカシだ。……今火影様が仰った通り、お前の眼…瞳術の指導をする事になった」
カカシが動いた事で光線の加減が変わり、サスケにもその顔がはっきりと見えた。
その声、鋭い青い眼に記憶を揺さぶられ、サスケは声を上げる。
「…あんた……!」
カカシはゆったりと笑った。
「『初めまして』かな、サスケ? この姿ではね」
「あんたが…?」
額当てで左眼を隠し、口布で顔半分を覆い。
男物の忍服を着用していても。
この銀色の髪と青い眼は―――
いや、それよりも増して覚えのあるこの『気』。あの夜の、全身を震え上がらせた『気』。
忘れようも無い。
この人は、『芥子』だ。
サスケは驚愕しながらも『納得』している自分に気づいていた。
彼女の強さは半端じゃなかった。
彼女が写輪眼を持つ上忍だというのならあの強さも納得が行く。
にこ、とカカシは微笑った。
「そ。……正式書類じゃ苗字は変わっているけどねえ。…表向きオレは里の中じゃ…あ、
外でもか……『はたけカカシ』だから。…この意味、わかる? サスケ。…『はたけカカ
シ』は男なんだ。そう言う事になっている」
「どう…して……」
サスケが知っている彼女は。
女とは思えないほど強い忍だが、同時に優しい母親でもあった。
生まれたばかりの赤ん坊に笑いかける彼女は本当に嬉しそうで、幸せそうで―――
だがその幸せは、世間から隠れるようにして保っている脆いものなのだと今サスケは知る。
「どうして……!」
カカシの笑みが翳った。
「……まあそれには色々と経緯はあるんだけどね。…今現在オレが性別を偽る最大の理由
は、お前も持っているその『眼』だ。オレが写輪眼持ちだって事はどこの国の隠れ里でも
知っている。…特殊な瞳術を使える眼を持っているのが女だとわかったら……奴らが妙な
気を起こさないとも限らない。……オレは他所の里の、好きでも無い男の子供なんか孕ま
せられるのは御免だからな」
イルカの眉がきゅ、と不快気に寄せられた。
以前『妙な理由で狙われたらたまらない』と言った彼女の言葉が甦る。
イルカにはその一言で意味がわかったが、サスケはまだ子供だ。だから、サスケにもわか
るようにはっきり言ったのだろう。
あの時もその言葉の指す残酷さに嫌悪感を抱いたが、今改めてその可能性を考えるとゾッ
とする。愛する者のそんな地獄は想像もしたくない。
サスケの顔が疑問符を浮かべる。
「だけど…あんたははたけ、と名乗っている。…写輪眼はウチハの一族にしか…あんた、
オレの一族なのか?」
「たぶん違うと思うけど」
さらっと返されたサスケは声を荒げた。
「たぶんって何だよっ」
「だって、わからないから…オレ、自分が誰の子供なのか知らないんだもの。ウチハの一
族の子供が攫われた記録なんか無い。だから、たぶん違うって言ったんだ」
それにコレ、もらいもんだしね、とカカシは心の中で付け加える。
サスケは押し黙った。
「―――オレはウチハじゃないから、自己流の使い方しか知らないが…それでもお前に教
えてやれる事はある。細かい事をぐちゃぐちゃ考えないで、お前は自分の眼を使いこなす
事だけに集中しろ。いいな?」
そこで初めて環が口を開く。
「私は引き続き7班の教官を続ける。…カカシ上忍が任務に同行する事もあるだろう。お
前のその瞳術をうまく指導する事が私に出来れば、こんな綱渡りをせずに済んだのだろう
と思うと、お前にも済まなく思う。…何故なら、これでお前も里の中ではごく一部の限ら
れた者しか知らなかった極秘事項を知り、且つ何事があっても口外しないという誓約をせ
ねばならないからだ。カカシ上忍が女性である事、イルカ先生の伴侶と同一人物だという
事。……お前が自分の口に自信が持てないなら、こちらはそれなりの処置をせねばならな
いのだ」
サスケは教官を見つめた。
「…処置…?」
それに答えたのは火影だった。
「……お前の心に枷をかけるのだよ、サスケ。…カカシの秘密を他者に告げそうになった
時、それを伺わせるような事を漏らしそうになった時。お前の心の臓に警告が走る。そう
いう術をかけるのだ」
サスケは唇を引き結んだ。
「……それを言ってもいい人…例えば、カカシ上忍本人とか、イルカ先生に対しても同じ
枷が働くのですか?」
火影は首を振る。
「わからんな。…それはお前の心の在り様による。…安全策としては、本人に対しても知
らぬ振りで接するのだな」
その火影の言葉でサスケは腹を括った。
火影ではなく、カカシの眼をひた、と見据える。
「オレは、言わない。…誰にも、言わない。…オレの所為であんたをそんな目に遭わせる
わけにはいかない。…絶対に。だから、枷は必要ない!」
真剣な眼をした少年に、カカシは「ま」と頬をおさえる。
「サスケってば男前」
サスケがさっと頬を赤らめ、ぷ、と環が小さく噴きだす。
「まあ、お前はおしゃべりじゃないからな。そこまで堅く誓った事自体がお前の枷となる
だろう。…火影様。サスケに心縛術は要りませんね…?」
火影も苦笑を浮かべつつ頷いた。
「そうじゃな。…環、おぬしがそう判断したのならいいじゃろう」
「では、残るはサクラですね。…ナルトは心縛術をかけても今ひとつ安心出来ないので初
めから知らせないと言う事で。サスケ、お前もそう承知していてくれ。サクラはさっきの
お前と同じようにすぐ気づくだろう。話さないわけにはいかないが、ナルトはカカシと芥
子を結びつける情報を持っていないから」
「……ああ。でも、サクラは…」
言い差してサスケは口を噤む。
サクラに『枷』をつけるかどうかは、火影や環が判断を下す事。
自分が意見を言うべきではない。
そのサスケの態度に、大人達は唇を綻ばせた。
この子は大丈夫。『忍』として必要なものをもう心得ている。
火影の目配せを受けてイルカが戸口に歩いて行き、外の忍と一言二言言葉を交わす。


その数分後、サクラがおずおずと出頭してきてやはり驚愕の表情を浮かべたのだった。








(ああ、可愛い……)
黒いつぶらな瞳がこちらを見上げて無邪気ににこにこと笑う。
ぷくぷくとした柔らかい手足。
抱っこした時に肩を濡らすヨダレさえ愛しい。
「ああ、ごめんねえ〜〜〜チドリ〜〜〜っ! オレだってずっと傍にいたいんだよおおお
〜〜〜っ」
涙ながらに我が子をきゅう、と抱き締めるカカシを、環が半ばあきれた顔で見ていた。
カカシが産んだ子供の顔が見たい、と言って環はイルカの家まで一緒にやって来たのであ
る。
「環先生、どうぞ」
留守番のヨネはイルカ達が帰宅したのと入れ替わりに火影邸に戻ってしまったから、客で
ある環に茶を入れたのはイルカだった。茶を差し出すイルカに、環は礼を言う。
「ああ、ありがとう。…しかし……本当に産んだんだな……」
まだ人見知りをしないチドリは、顔を覗き込んだ環に向かって愛らしい笑顔を振りまく。
「ナマの赤ん坊見るのは久し振りだなあ…妹が子供産んで以来だな。色が白くて可愛いな
…女の子か?」
カカシは首を振った。
「え? ううん、男の子。女の子に見える?」
「いや、まだこれくらいの赤ん坊じゃ、見ただけでは…でも優しい顔立ちをしているんで、
何となく。……いいかな、抱かせてもらっても?」
「いいよ」
環は結構子供好きのようだった。
カカシがチドリを差し出すと、慣れた手つきで抱き取る。
「お、結構重い。…なるほど、男の子だな。女の子だとこれくらいでももう少し軽いんだ
が」
「へえ、そうなんだー。環、詳しいね。でもまだ独身だったよね、確か」
「姪っ子甥っ子が結構いるからな。…私はあまり結婚する気はないんだ」
カカシは笑って、イルカを振り返った。
「環はいっつもこうなの。男前だからモテるクセに、面倒がって特定の女と付き合おうと
しないんですよ」
「真面目な方だから環先生は……報告書もいつも丁寧で整然としていて、お人柄がうかが
えます。…ナルト達も良い先生に指導してもらえて幸運だと思っています」
環は赤ん坊を器用に揺すりながら苦笑した。
「…それを言うなら、あの子達もしょっちゅう「イルカ先生はこう言った」だの「イルカ
先生が教えてくれた」だのと言っているよ。…あんたはいい教師のようだ」
いや、そんな…と恐縮するイルカとは反対にカカシは胸を張る。
「当然でしょー? オレの旦那様なんだから。すごい先生なの!」
環は真面目な顔で頷く。
「…そうだな。この暴れ馬みたいな奴を懐かせた挙句、孕ませただけでもすごいと思うぞ。
結婚して一生添い遂げようと決心するに至っては、見上げた度胸だと感心する。…滅多に
いないぞ、こんな男。逃げられないようにしろよ、カカシ」
アスマと同じく、過去のカカシをよく知る環は容赦が無い。
「…暴れ馬って何〜…環ぃ……」
ひっど〜い、とカカシはふくれた。
「ちゃんと言葉は選んだつもりだぞ? 結構ヌルい表現だろう。昔のお前ときたら、歩く
凶器みたいな奴だったもんなあ…それがこんな可愛い子供の母親になるなんて、世の中何
が起こるかわからないものだ…」
胸部の硬い巻物ホルダーが赤ん坊の顔に当たらないように気をつけて抱いている環に、カ
カシもそれ以上ムキになって反論しなかった。
「まあねー…環と一緒に仕事してた頃は、オレ一番荒れてた時期だもん……自分でも無茶
してたなって、よく死ななかったなって思うよ」
それは、カカシにとって唯一の『世界』だった四代目火影を失い、心に空洞を抱えていた
時期だ。
あの人のいない世界なんて意味は無い―――無かったのに、あの人は自分に『生きろ』と
言い残した。死ぬ事は許されなかった。
自棄になったカカシは八つ当たりのように敵を屠って。
カカシに物騒な二つ名が幾つもつき、尾ひれのついた噂が流れたのはこの頃だ。
「死ななくて良かったけどね。…おかげでイルカ先生に逢えたし、チドリも授かったし」
そう言いながらカカシは改めて『生きていて良かった』と思った。
あの時死んでいたら、この子は生まれなかったのだ。
一方イルカはイルカで、少々複雑な心境だった。
自分の知らないカカシの顔。
それがあるのは重々承知している。彼女の過去が凄惨なものだった事も察する事は出来た
ので。
彼女が可愛い『女』としての顔を見せるのは自分くらい―――特に、閨での顔など自分以
外誰も知るまい。
何故それだけで満足出来ないのか。
彼女のすべてを知りたいと思うのは欲張りだろうし、傲慢だろう。
だが、イルカの知らない彼女を知る男が目の前にいるのも事実なのだ。
自分はそんなに出来た亭主じゃないな、とイルカは自嘲した。

      



原作のサスケが波の国以降、カカシの写輪眼について追求しないのが
変だなあ、と。……あれだけ複雑な御家事情なんだから、もっと疑問を
持つのが普通だと思うのですが………

 

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