ダリアの花とねこやなぎ−2
夕方には任務から無事に帰還出来たカカシは、保育所前での一件を聞いて笑った。 「やだなあ、紅がイルカ先生の奥さんと間違われちゃったワケ? ま、オレ一度もあそこ に行ってないからねえ…」 紅はフン、と鼻を鳴らした。 「まったくアンタの亭主ときたら! 言うに事欠いて『紅オバサン』よ? 失礼しちゃう」 「チドリから見りゃオバサンじゃん」 ぎろ、と紅はカカシを睨む。 「1歳の乳幼児にオバサンと言われても仕方ないけど、ちょっとしか歳の離れてない男に オバサン呼ばわりされる覚えは無いわ」 イルカは仕方なくあれから十数回目の謝罪をする。 「…すみません……俺が悪かったです…」 微妙な年頃の女性を年増扱いするような単語を口にした自分が迂闊だったのだ。分かって いた事だったのに。 「謝らなくていいですよ〜イルカ先生。すぐにチドリのお母さんじゃないって否定しなか った紅も悪いんだから」 「あらァ、だって。せっかく綺麗なお母様ですねって褒めてくれたのに、悪いじゃない」 ね〜えチドリちゃん、と紅は抱っこしていたチドリをあやす。 「…これだわ…」 カカシは肩を竦めた。 話題を変えるべく、イルカはまだ来ていない招待客について尋ねる。 「カカシさん、環先生は? 今日ご一緒だったでしょう」 「ああ、環。…彼は報告書作って、提出してから来ます。オレは一足先に解放してもらっ ちゃった」 「そうか、報告書提出がありましたね。夕飯に間に合うといいけれど」 カカシは前掛けスタイルの夫に、済まなそうな顔になる。 「イルカ先生……お料理の仕度とかお任せしちゃってゴメンなさい」 「いいえ、カカシさんは任務があったのですし…それに、ヨネさんが手伝って下さったの で俺はサラダ作っただけなんですよ」 「ええ〜でもぉ…」 イチャイチャモードに突入しそうになった夫婦に、紅はコホン、と咳払いをする。 「ハイハイ、そこまで。カカシ、着替えてらっしゃい。主婦がいつまでも台所を他人にや らせてどうするの、主婦が」 主婦という呼び方がこれほど似合わない女もいないだろうと紅は思ったが、敢えてそこを 強調する。 「あっ、いけない…ヨネさん手伝わなきゃ…」 紅に促されたカカシは、慌てて胴衣を脱ぎながら奥に走って行った。 「まー、アレだもんねえ…いきなりあのコが保育園に行ったって、『お母様』だなんて思っ てもらえないかもねえ…」 思わず同意を示しそうになったイルカは、慌てて口を抑えるのだった。 食卓の上に料理が並び、出前の寿司も届いた頃には招待客はほぼ揃い、最後に火影がお忍 びでやって来て、チドリの初めての『お誕生会』が始まった。 火影からは火の国の歴史をわかりやすく御伽噺仕立てにした絵本、ヨネからはこれからの 季節役立ちそうな綿入れの可愛らしい半纏、アスマからは尾頭付きの鯛、紅からは豪華な ケーキ、環からは子供の初歩訓練によく使われるボールが贈られた。 「おめでとう」 と口々に言われて、当のチドリはきょとんとしている。 代わって両親がお祝いに対して頭を下げた。 「ありがとうございます。おかげ様で、チドリも1歳の誕生日を迎えられました。日頃か ら皆さんには本当にお世話になりまして、心から感謝しております」 イルカの挨拶に、火影はうんうん、と頷いて微笑んだ。 「本当にな。良い子に育っておるようでわしも嬉しいぞ。これからも健康には充分注意し て頑張るのだぞ。チドリも、お前達もな」 「はい、火影様」 「じゃー、とにかくこれからの健やかな成長を祈って。乾杯!」 アスマの音頭で『乾杯』が行われる。 チドリの唇には、正月と同じように形だけ酒のグラスが当てられた。 「舐めちゃダメだよ、チドリ。お前にはりんごジュースね」 主役の食事は専ら母親であるカカシが面倒を見るので、イルカと招待客達は勝手に歓談し ながら食事をする事になる。 アスマと環は上忍の会話をし、火影は何気なくそれに耳を傾けながらもイルカと近頃のア カデミー内部の事について話し合った。 紅とヨネは女同士の話だ。それに時々カカシが混ざる。 「あ、そうだカカシさん。保育園からもチドリにお祝い頂いたんですよ。これ」 思い出したようにイルカが小さな包みをポケットから出してカカシに渡した。 「へえ、可愛いですねえ。何かな〜チドリ、保育園の先生からだって」 チドリの目の前で、カカシは水色のリボンを解く。 袋の中からは、タオル地で作った小さなこぐまの縫いぐるみが出てきた。 「あは、クマさんだ。へー、手作りなんですね。あ、そっか。あそここぐま園ですもんね。 預かっている子のお誕生日にはこういう物くれるのか〜…サービスいいんだ」 ふにゃんと柔らかい手触りのクマに、チドリは喜んだ。 カカシが渡してやると、ひとしきり小さな掌で撫でたり叩いたりした後、クマの耳を噛ん でにこにこしている。 「…クマさん食べちゃダメだよ、チドリ。はい、アーン」 食べるならこっち、とカカシがスプーンでマッシュポテトを口に持っていくと、チドリは クマから口を離して素直にアーンをする。 その様子を見ていた紅が感心して呟いた。 「……ホンット、素直な子だこと……アンタの産んだ子にしちゃ上等ね〜…」 カカシは自分の口にから揚げを放り込んで指を舐め、さらっと返した。 「だってタネがいいから」 げふっとイルカがむせ、環がため息をつきながらその背中を撫でてやる。 「…人妻になろうが母親になろうが、カカシはカカシだなあ…頑張れよ、イルカ」 カカシと結婚してからこっち、事情を知る人からは必ず言われる言葉に、イルカは黙って 頷いた。 火影は黙ってヤレヤレという風に首を振っている。 カカシは紅に向き直って首を傾げた。 「…今のオレの発言ってなんかマズかった?」 トロの握り寿司を口に運びながら紅は乾いた笑みを浮かべる。 「…まーね…女の子の発言にしては慎みが無いというかアカラサマと言うか…」 「ハッキリ言ってやれ、紅。下品だとな」 容赦なくバサリとアスマに斬り捨てられ、カカシは泣きながら心の『人前で言っちゃいけ ない言葉メモ』に『タネ』の用法について記入した。 「ううう…お母さん、負けない…」 チドリはどこに出しても恥ずかしくない子に育てるのだ、とカカシは決心している。 それにはまず自分がちゃんとした『大人の女性』にならなければ。 母親があんなのだから、あの子はろくな男にならなかったのだ、などと後年言われたくは 無い。 一方、特殊な育ち方をした妻をどうフォローしたものか困ったイルカは、やはり話題の変 換を図る事にする。 「そうだカカシさん、チドリがおねむにならないうちに、ケーキ出しましょう。紅さんが 素敵なのを用意して下さったんですよ」 「そ、そうですね……じゃ、ちょっと紅、この子抱いてて」 「いいわよ。いらっしゃーい、チドリちゃん。タマゴ食べる? タマゴ」 夫の助け舟に乗り、カカシはケーキの支度をしに台所に立った。 「…やっぱ、ローソクに火をつけて吹き消すってのはやりたい…よね」 ケーキの上蓋を取ると、可愛らしくデコレーションされたケーキの上に『お誕生日おめで とう・チドリくん』とホワイトチョコレートで書かれているらしいチョコのプレートが乗 っている。 「おお、これだよ、これ。こういうのにもオレ、縁が無かったからな〜…ろうそくも可愛 いのがついてるじゃない。ピンクと白のシマシマで」 ここら辺かな、とカカシは可愛いろうそくをケーキの中央にそっと挿す。 取り分け皿とフォーク、ケーキナイフを用意して、カカシは席に戻った。 「イルカせんせ、火遁…」 「そんなちっこいローソク点けるのに火遁使うな、バカ」 アスマはカカシの言葉を遮って唸った。 「だってウチ、煙草吸わないからマッチもライターも無いし。…イルカせんせ、火遁の微 妙な加減が抜群に上手いから今までそれでやってきちゃったし」 眉間にシワを寄せたアスマはポケットからマッチを出した。 「…使え、イルカ」 「……すみません…お借りします…」 恥ずかしそうにイルカはアスマからマッチを借りた。 「カカシさん、火遁が万が一失敗したらケーキが台無しになるし…ね?」 「う〜ん、そっか…じゃあ、これからはマッチくらい用意しておきますか……」 招待客達は黙って顔を見合わせた。 この夫婦、どこもかしこも違うようで、変な所の感性が似ているのかもしれない。 もしかしたらこのカカシの無頓着さとイルカの大雑把さが夫婦円満の秘訣なのかも…と、 密かに皆心の中で呟く。 「じゃあ、つけるぞ〜チドリ」 ろうそくに火がつき、チドリが興味津々で身を乗り出す。慌ててそれ以上乗り出さないよ うに紅がそっと小さな身体を抑えた。 「やっぱりちょっと部屋の明かりは消しますか」 と、イルカが言った途端にパ、と部屋の照明が落ちる。 「ああ、すみません」 誰かが消してくれたのだと思ったイルカは薄闇に向かって礼を言ったが、室内には少々戸 惑った空気が流れた。 アスマが訝しげに口を開く。 「おい…今電気消したの…誰だ?」 彼には誰かがスイッチの方へ移動した気配がつかめなかったのだ。上忍のアスマが。 「…あたしじゃないわ……」 「私でもございませんよ? アスマ様」 誰も自分が消したのだと言わない。全員が否定する。 「ま、まさかうみの様が…」 ヨネの呟きにイルカが反応した。 「まさか…父ちゃん達があの世から?」 可愛い孫の初めての誕生日、あの世から両親がお祝いに来てしまったのかとイルカが一瞬 思った時、環がカーテンを引いて外を見た。 「…真っ暗だ。…この辺一帯、明かりが落ちている。…停電だ」 「なーんだぁ…一瞬コワイ話になっちゃったのかと思ったわぁ…タイミング良過ぎね」 紅はチドリを抱き締めてホッとしたように笑った。 この場にいる殆どの者が忍者。 闇の中でも結構眼は利くが、真っ暗な中で食事をするのは不便である。 ケーキに挿してある小さなろうそくではすぐに融けてしまうと判断したカカシは、玄関の 物入れから非常用のろうそくを何本か取って来た。これならばすぐに消える事はない。 イルカが素早く火をつけ、室内には多少明るさが戻る。 「とにかく、ケーキに蝋がタレちゃうから、チドリに吹き消してもらおう」 「ですね。はい、チドリ。こっちのろうそく、お口でフーして。フーって」 フー、とカカシがお手本を示すとチドリは母親の真似をしてフー、と小さな火に息を吹き かける。 二回目の「フー」で見事火は消えた。 「はーい、おめでとー」 パチパチ、と大人達が拍手するので、チドリは他のろうそくも「フー」しようとする。 「あ、こっちはいいの。ケーキのだけね、消すのは」 カカシが笑いながら息子を抱きとめた。 「それにしても、すぐ復旧しますかね……」 誰に尋ねるともなくイルカが呟く。 よっこいしょ、と火影が立ち上がった。 「わしは屋敷に戻るとしようかの。…もしかしたら、何ぞ報告があるかもしれん。ああ、 皆はここにいなさい。せっかくの誕生会じゃ。続けなさい」 「では、俺がお供を。そろそろ煙草も吸いたいんで」 護衛を申し出るアスマに、火影は頷いた。 「よかろう。ではな、イルカ、カカシ」 「お忙しい中、お越し下さってありがとうございました。どうぞ、お気をつけて」 イルカが頭を下げ、カカシがさっと小振りな箱を二つアスマに渡す。 「今日はありがとうございました、三代目。アスマもね。これ、お祝いだから」 有名な和菓子の店のらくがんだ。祝い事を象徴する植物や動物を模った小さな菓子は、こ ういう席のお返しにちょうどいい。 「ああ、すまんな…じゃ」 火影とアスマがいなくなると、途端に部屋が広く感じられる。特にアスマは大柄なので存 在感があるからだ。 残った者は、停電の原因を憶測しながらろうそくの灯りで食事を続けた。 だが、1時間経っても2時間経っても電気は復旧しない。 「…何か…あったかな…?」 さすがに気になりだした環とイルカは家の外に出る。 「俺、アカデミーの方へ様子見に行きます」 「私も行こう。里中の様子も気になる」 玄関に向かってイルカは叫んだ。 「環先生とアカデミーに行きます、芥子さん! チドリと家にいて下さい!」 「わかりましたぁ!」 妻の返事を背中で聞きながらイルカは環と駆け出す。 ぽつんと紅が呟いた。 「灯りが消えちゃうのって…何か、イヤね…」 残された女と子供は、不安げな面持ちで明かりの消えた暗い里を見つめていた。 |
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また幽霊ネタか? と一瞬思われた方もいらっしゃるのでは。(笑) 今回は違いまーす。現実的な停電でした。 割れ鍋にとじ蓋のO型夫婦。イルカ先生って、瑣末な事は気にしない 人・・・に見えるんですが? さて、お次はいよいよカカシちゃんのBDです。 |