「ありました! 三枚目です」
イルカは、木の幹に巧妙に貼られていた札を見つけ、木の上から叫んだ。
別の木に登って捜していたカカシは、声のした方を振り返って「了解」と返事をする。
するすると木から降りると、イルカの登った木にカカシも登る。
「ご苦労様。…随分と手の込んだ場所に貼ったんですね。…最初の一枚がこんな場所だっ
たら、気づかないところでした」
カカシは、まだ貼られたままの札に手を伸ばす。
「あ。すいませんちょっと待って…」
やんわりと制して伸ばされたイルカの手に、カカシは慌てて手を引っ込める。
「水源に向かって貼られたこいつが、一番厄介なはずなんです。剥がした時に、何か反動
があるかもしれない。俺、一応周囲に結界を張りますから、気をつけて剥がして下さい」
カカシは少し肩を竦めてみせた。
「なるほど。…気づきませんでした。迂闊ですねえ、オレ」
イルカはカカシに場所を譲り、枝の方へ下がって印を結んだ。
「…どうぞ」
カカシは、指先に神経を集中し、違和感が無いか探りながらそっと札に触れた。
静かに息を吐き、そろそろと剥がしていく。
ぴり、と嫌な感触が指先に触れた。
「チィッ」
カカシは舌打ちをして咄嗟に札を元に戻し、イルカに向かって叫んだ。
「下がって!」
だが、イルカは逆にカカシの前に飛び込んできた。
カカシを背中へ庇い、両手で札を抑え込む。
イルカの手の下で札が震え、次の瞬間そこの空間が膨れ上がった。
イルカは歯を食いしばってそれを抑え込もうとする。
ドン、と鈍い音がして札が貼られていた幹がイルカとは逆の方向に破裂し、イルカはカカ
シを胸の中に抱き込むようにして枝から飛び降りた。
「……どうやら、無理に剥がすと爆発するように下に起爆符も仕掛けてあったみたいです
ね。…お怪我は?」
カカシはイルカの腕の中でぷるぷる、と首を振り、イルカの掌を見て目を見開いた。
「ケガしてんのは貴方の方じゃないですかっ! うわ、左手が滅茶苦茶…み、右手はっ?」
カカシは慌ててイルカから離れて、彼の右手を確認しようとする。
イルカの右手には、しっかりと札が握られていた。
「……根性ありますね…あの状態で、札剥がして来ますか、普通…」
「大事な証拠物件ですから。衝撃を後方に押しやったんで、木が爆発してしまいましたが
……貴方の指が無事で良かった」
カカシの顔に、かあっと血が上った。
「何バカ言ってんです! さっさと手を出しなさいっ」
カカシは小さなビンを背嚢から出し、中身をイルカの両手の掌に乱暴に振りかけた。
「ぐおぉっ……カカシさん、お手柔らかに…」
「消毒しているだけです。情けない声出すんじゃないですよ。男でしょう? だいたいね、
オレは『下がれ』と言ったんですよ。…命令違反して、逆にこっちに来る人がいますか」
イルカはすいません、と頭を下げる。
「危ない、と思ったら、勝手に体が動いてしまって。…カカシさんが怪我するのが嫌だっ
たんです」
カカシはむすっと不機嫌そうにイルカの手当てを続ける。
先に傷がひどい左手に包帯を巻き、右手は薬を綿布で押さえてテープで止める。
「怒ってらっしゃいますか? 里に戻ったら、命令違反で処罰なさって下さい」
カカシは眼をちらりとあげ、「バカ」と呟いた。
「…貴方、バカだってよく言われませんか?」
イルカは目を丸くし、苦笑した。
「…そうですねえ。…そうかも」
「バカですよ。……こういうバカばかりしてると、早死にしますよ」
カカシは、自分の手にはめていた鞣革の指無し手袋をはずすと、イルカの手にそっと通し
てやった。
「貴方の手には少し小さくてきつめだから、綿布押さえには丁度いいでしょう。…利き腕
を包帯で巻いてしまうと、動かしにくいでしょうから」
「すみません。…でも、伸びちゃいますよ」
「…別に構いません」
手袋をはずしたカカシの手は、驚くほど白くて華奢だった。
イルカはそれを眼に収めていたが、それについては触れずにただ手当ての礼を言う。
カカシは首を振って、立ち上がった。
「…あと、一枚でしょう。…もう然程危険はなさそうですが、きちんと回収…しましょう。
これ、まとめて持っていても危なくないでしょうか」
「では、一枚ずつ封じておきましょう。別の空間に置いてある状態にすれば、呼応する術
が仕掛けてあっても反応出来ませんから」
イルカは印を結ぼうとして、眉を寄せた。
左手に巻かれた包帯が、細かい動きをさせてくれない。
「…オレがやります。すいませんね、包帯とか巻くの、上手くなくって。後でもう一回、
巻き直しますから」
「いえ…あ、じゃあ札封じお願いします」
カカシは複雑な印を手早く結びきり、一枚ずつ外界と遮断していく。
イルカはその指の動きをじっと見つめていた。
白く、細い指。
イルカの右手をきつく締めつける手袋が、元の持ち主の手の細さを訴える。
薄青く血管が透けて見える白い甲。
イルカの胸も、心なしか締めつけられた。
「本当に四枚目、あるんでしょうかあ〜…」
三枚目を回収してから三日目。
札の回収作業を始めてから、八日が経過していた。
「あるはずです。三枚、法則に則って貼られていたんですから。無ければおかしい」
イルカは額当てを外し、手拭いで顔を拭いた。
「手、どうです? 本当なら一度帰って、ちゃんと病院で手当てした方がいいと思うんで
すが…火傷もしているから痛いでしょう」
イルカは、カカシを安心させるように微笑んだ。
「貴方が毎日綿布を取り替えて下さるから、だいぶいいですよ。なあに、指が千切れたわ
けじゃなし。大丈夫です」
イルカの右手にはめられたカカシの手袋は、すっかり革が伸びてイルカの物の様になって
いた。
「あともう少しですから。今戻って、また出直すのは面倒ですよ」
「ま、そーですけどぉ〜…あーあ、オレ、美味しいラーメン食べたいなあ」
カカシは両腕を突っ張らせて伸びをした。
「ははは。いいですね。俺もラーメン、大好きですよ。戻ったら食べに行きましょうか。
美味い店、知ってますよ」
「本当? わー、楽しみだなあ」
「貴方の手袋、ダメにしちゃいましたからね。ご馳走します」
イルカは革が伸びた手袋を、申し訳無さそうに挙げて見せた。
「別に新しいものでも無かったから、いいのに…じゃあ、左もイルカ先生にあげますね。
ラーメン、美味しいの食べさせて下さいね」
「はい」
「おっし! じゃあ帰ってからのお楽しみも出来たし、気合入れて捜すかなっ」
カカシは気を取り直し、真面目に札を捜し始める。
それから小一時間もそうして捜し、カカシは再びため息をついた。
「…あのう、日が暮れてからだと食料調達が難しくなるから…オレ、川魚でも獲ってきま
すね…イルカ先生は、火を起こしておいて下さい」
『上司』の指示に、イルカは頷いた。
「はい。…お気をつけて、カカシさん」
気遣わしげなイルカの声を背中で聞きながら、カカシは沢に足を向けた。
流石に、一週間以上気の張る状態が続いていて、疲れていた。
イルカは真面目に仕事をこなすいい忍だし、期待以上に知識も深く、人に気を遣う優しい
男だった。
カカシは左にはめた手袋をはずし、沢の水をすくう。
「…でも、疲れる…な」
ずっとつけていた額当てもはずし、口布をずらして顔を洗った。
「…つ…ッ」
下腹がしくりと痛み、カカシは顔を顰める。
「ヤバ…もうそんな時期だっけ…」
これ以上札の捜索が長引くようなら、何か理由をつけて里にいったん戻ろう。
カカシはクナイを3、4本構えて川の流れを見つめた。
ひらりとその手首が翻り、クナイが水に吸い込まれ―――次の瞬間、クナイに突き刺され
た魚が跳ね上がる。
クナイに結びつけた糸をついっと引き、カカシは魚を引き上げた。
「んー…こんなもんかなあ。…あ、何か木の実も採っていこう」
跳ね回る魚を手際よく大人しくさせて、蔓で持ちやすいようにまとめるとカカシは立ち上
がった。
くらり、と軽い立ちくらみがする。
「……うー…やっぱ、調子悪くなってきたなあ…」
この分だと集中力も落ちる。
「…里に帰ろう。……イルカ先生に迷惑かけるし…」
カカシは魚を下げて、イルカが火を起こしている地点に戻り始めた。
木の間から微かに立ち上る煙が、暮れて紫色に変わり始めた空に吸い込まれていく。
その煙を眼で追っていたカカシの眼は、ある一点で止まった。
「…あれ…もしかして…」
手近な枝に魚を引っ掛け、カカシは木をよじ登り始める。
「やっぱり!」
カカシの顔にぱあっと喜色が浮かぶ。
「やった! これでイルカ先生に嘘つかずに帰れる!」
カカシの見上げる木の幹に、四枚目の札があった。
カカシは手を伸ばしかけ、三枚目の時に起爆符が仕掛けられていたのを思い出して、その
手を引っ込める。
「…イルカ…呼んだ方がいいかな…」
カカシはヒュウッと指笛を鳴らしてイルカに合図する。
数秒と待たず、イルカが梢を渡って姿を現した。
「お呼びになりましたか?」
カカシは無言で上方を指差す。
イルカはすぐに札を見つけ、カカシに笑いかけた。
「やりましたね、カカシさん」
イルカは木の肌に指をかけ、身体を持ち上げて札を確認する。
「…間違いなく、最後の一枚のようです。やれやれですね」
そして、札に手をかけてあっさりと剥がしてしまった。
「……三枚目の時はあんなに用心深かったのに、随分無頓着に剥がすんですね」
「あれが一番危ない細工がされていたんですよ。…これは補助符みたいです。でも、回収
出来て良かった」
イルカにはい、とお札を渡されたカカシは何となく腑に落ちない顔つきでそれを受け取っ
た。
取りあえずそれをたたみ、胴着のポケットにしまうと、カカシは木から降りようと下を見る。
「…!」
登る時は札しか目に入っていなかったので、自分がそんなに高い位置まで登っていたとあ
まり自覚していなかったカカシは一瞬目を眩ませた。
「カカシさんっ?!」
ぐらりと身体を揺らしたカカシの不自然な動きに、イルカは咄嗟に手を伸ばす。
カカシの手首を捉え、落下しかけたその身体を自分の方へ引き寄せる。
「あ」
どちらの足が滑ったのか。
二人は一緒に木から転落してしまった。
上忍と中忍が揃って木から落ちるなんてみっともない―――
カカシは他人事のようにぼうっとしていた。
結構な高さから落ちたのに、カカシの身体はどこも痛めていない。
イルカが自分の胸の中にカカシを抱き込んで、落下の衝撃を全て引き受けてくれたおかげ
だった。
「…イルカ先生…無事…ですか…」
背中から落ちたイルカは、流石に息が詰まったらしく無言で頷いた。
「もう……なんで…」
カカシはイルカの身体の上で身を起こす。
「この間も今も…! ……どうして貴方、オレなんかを庇うんですか。…オレが上司だか
らですか?」
イルカはカカシを見ず、星が瞬き始めた空に目を向けている。
「……さあ…男のサガでしょうかね……女性を守りたいと思ってしまうのは……」
カカシは身体を強張らせた。
「………気づいて…いたんですか…オレが…女…だって…」
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