愛をください−1

 

普段は学校で子供に忍術の基礎を教えている、大人しい容貌の青年がその上忍の下につい
て任務に携わったのは、ほんの偶然。
言い方を変えれば『運命の悪戯』であった。
教師という立場から書物に触れる機会の多い彼は、同年代の中忍達よりも多くの知識と術
の心得があり――そして、幸か不幸か里の長のお気に入りで、格上の忍と接する機会が他
の中忍達よりも多かったのである。
長の私用を度々言い付かる彼は、その日も使いを頼まれて遠くの村に住む高名な医師から
薬をもらって来たところであった。

長は、にこにこと青年を労う。
「おお、イルカ。ご苦労じゃったのう」
「いいえ。たかが二里程でございますから。これが火影様のお求めになった薬でございま
す。火影様の症状を先方にお伝えしますと、ならばこの薬草も煎じて一緒に服用した方が
効果があるとの事でした。…では、私はこれで失礼致します。火影様、御身お大事に」
イルカが一礼して退出しようとするのを、火影は引き止める。
「これ。遠くまで使いをさせて褒美の一つも出さぬほどわしは吝嗇家ではないぞ」
火影の言葉に、イルカは顔を上げてくすぐったそうな笑みを見せる。
「お使いのご褒美に飴玉を欲しがる歳は過ぎました。長のお役に立てる事が私の喜びでご
ざいますから。お気遣い無用に願います」
火影は苦笑し、かつて幼かったイルカの手にご褒美と称して飴などの菓子を握らせてやっ
た事を思い出す。
「いっぱしの口を利くようになったのう。…今日はな、孫達も出掛けていておらんのじゃ。
どうも夕餉を一人で食すのは味気ない。だからな、相伴せいと言うておるのよ。どうせ、
屋台のうどんか何かで済ませてしまう気だったのではないか…?」
日頃から、独り身で、家族もいないイルカが面倒がって食事を疎かにする事をこの長は知
っていたのだ。
「…は。ありがとうございます」
イルカは再び頭を下げる。
「まったく、他人の健康ばかりではなく、たまには自分の身体も大事にしなさい」
「はい。…お恥ずかしい限りです」

歳を重ね、かつての健啖ぶりにも衰えが出てきた火影の夕餉は豪勢とは言えなかったが、
それでもイルカにとっては久々に食事らしい食事であった。
白飯と汁物ときちんとしたおかずが三品以上。
漬物にいたっては五種類以上並んでいる。
「遠慮せんで、たんとお食べ。…ろくな物はないが、量はあるからな」
「ありがとうございます。美味しいです。とても」
食事が疎かになりがちだったのは、食べる事に興味が無かったのでも小食だからでもなく、
単に一人分を作るのが面倒だっただけのイルカは、本当に美味しそうにせっせと食べてい
る。
「ホント。美味しそうですね。いい時に来ちゃったなー。ね、火影様オレもお腹空いちゃ
ってるんですけど〜ご相伴していいですかー?」
突然の第三者の声に、イルカは驚いてむせそうになった。
火影は驚いた様子も無く、ちょいと指先で空いている椅子を指した。
「見ての通りのもので良ければな」
闖入者は嬉々として示された椅子に腰掛ける。
「ありがとうございます〜! さすが火影様」
「メシ時を狙って来よったクセに、よく言うのう」
イルカはそっと闖入者を窺った。
同じ木の葉の忍だ。
現れ方も物腰も、何より内側から感じられる気が、彼が上忍である事を示している。
「あは、だって、おヨネさんのご飯美味しいから」
ヨネは火影の孫のばあやであるが、厨房も取り仕切る有能な年配の女性であった。
そのヨネが新しい客の分の飯椀を盆に載せてくる。
「まあ、ありがとう存じます、カカシ様。…だんな様は滅多に美味しいなどと言っては下
さいませんからねえ…作り甲斐がないったら」
ごほん、と火影は咳払いをする。
「…言わぬでもわかっておると思っておったがの、ヨネ」
「やだな、火影様。女はきちんと言葉で言って欲しいものなんですよ。言わなくてもわか
るだろうなんて、男の勝手な思い込み。エゴ。…ねえおヨネさん?」
カカシの言に、そうですとも、とヨネは頷く。
「わかった、わかった。…ヨネの飯はいつでも美味い。今日の魚の煮付けは特に美味じゃ」
「ま。ようございました。今日の煮付けはちょっと自信がありましたんですよ。ああ、嬉
しい。だんな様はよくわかって下さる」
ヨネは嬉しそうに、少女のように盆で口元を覆って笑った。
「カカシ様。今、ふろふき大根お持ちしますね。いいお味噌を頂いたんですよ」
カカシも嬉しそうに手を胸の前で合わせた。
「わ〜い。ヨネさんありがとー」
そして、箸が止まっているイルカに、片目でにこりと微笑みかけた。
そのカカシという上忍は、左目を額当てで隠し、更には口布で顔の半分を覆っている為、
右目しか露出していなかったのだ。
「すいませんね、お食事中邪魔しちゃって。ご一緒させて下さいねー」
イルカは我に返り、慌ててぺこんとお辞儀した。
「い、いえ…あの…」
「カカシ。これはアカデミーの教師でイルカじゃ。今日はわしの私用で使いをさせたので
な。食事で労っておる。…イルカ、このいきなり飛び込んできてメシをたかっておるのは
カカシという。見てくれは怪しいが一応上忍じゃ」
火影は、食卓の主として、初対面の二人を引きあわせた。
イルカは姿勢を正して、カカシに一礼した。
「うみのイルカです」
対して、カカシは微笑んだまま首をちょこんと傾げて見せる。
「はたけカカシといいます。よろしくね、イルカ先生。……あ、そうだ…ねえ、先生なら
コレわかります?」
カカシは胴着の隠しから折りたたんだ紙を引き抜き、無造作に広げてイルカに渡した。
イルカは、手渡された紙片を見て眉を顰める。
「……これはまさか……」
カカシは、イルカの強張った顔つきに満足げに笑った。
「それを見てその顔をしたって事は、それの意味がわかるんですね?」
「……書物で読んだだけですが」
そのやり取りに、火影は黙ってイルカに向かって手を差し出した。
イルカは紙片を火影に渡す。
火影の顔も、苦々しげに歪められた。
「……また、厄介な物を…」
「見つけなかったらもっと厄介でしょうが? 火影様」
イルカは、この上忍の目的が夕食などではなく、この『厄介な物』についての報告だった
のだと悟っていた。
「確かにな。…これをどこで?」
カカシはちらりとイルカを見た。
「……言っちゃっていいんですね? 北西の水源の近く。…偶然ですよ、発見できたのは。
こんな時代がかったシロモノでも、条件が揃えば結構厄介なものですよね。如何致しまし
ょう、火影様」
火影は面倒そうに唸り、紙片を卓に置く。
「…どうもこうもないわい。放っておくわけにはいかんじゃろ。…カカシ…お前に処理を
任せる」
「承知」
そして、カカシはちらりとイルカに目を走らせる。
「…火影様。…この先生、お借りしてもいいでしょうか? どうやら対処法も心得ていら
っしゃるようだから、一緒に来てくれると心強いと思うんですが」
「ふむ…そうじゃな…イルカ。乗りかかった舟だと思うて、カカシにつきあってやれ」
イルカは背筋を伸ばして生真面目に頷いた。
「はっ! 了解です、火影様。…はたけ上忍、微力ながら御供させて頂きます」
「わ、良かった。オレのことはカカシでいいですよ?」
「…カカシ上忍、ですね?」
「カカシでいいって」
「……カカシ…さん」
う〜ん、とカカシは唸ったが、ま、いっかーと口の中で呟いた。
「はいはい、カカシ様。お大根ですよぉ。お好きでしょう」
大事な話は終わったと見たヨネが、奥から皿を持って現れる。
「うわ〜美味しそう。頂きます」
カカシは嬉しそうに手を合わせ、それから徐に口布を引き下げた。
その動作に目を引かれたイルカは、箸を取り落としそうになる。
(…お、女の子みたいに綺麗な唇だな、この人…)
慌ててイルカはカカシから眼を逸らし、飯を口に運んだ。
あっと言う間にイルカの茶碗から飯粒が消えるのを見たヨネが嬉しそうに声を掛ける。
「お代わりは? イルカちゃん」
ごふっとイルカはむせる。
「ヨ…ヨネ婆…じゃない、ヨネさん、その呼び方はもう…」
ヨネは腰に手を当てて笑う。
「まあ。泥んこに汚した服で私に泣きついてきたのはどこのどなたでしたかね。その服を
洗ってあげたのがつい昨日の事みたいに思えてね。…私にとってはいつまで経っても手の
かかる悪戯坊主。可愛いイルカちゃんなんですよ。ねえ、火影様」
「それくらいにしてやれ、ヨネ。イルカが困っておるわ。…これももう立派な中忍じゃ」
ヨネはつまらなさそうに盆を振った。
「それですよ。大きくなったら、このお屋敷にちっとも来なくなって…寂しいじゃないで
すか」
イルカはぺこんと頭を下げた。
「すみません。ご挨拶くらい、とは思うんですが…つい…」
ヨネは顔を綻ばせた。
「…いいんですよ。忙しいんですものね。でも、たまにはご飯を食べにいらっしゃいね。
今日はイルカちゃんもいるし、カカシ様もいらっしゃるし。私、嬉しいんですよ。何かデ
ザートでもお作りしましょうねえ……で、お代わりは?」
イルカは微笑んで茶碗を出した。
「お願いします」
カカシはにこにこと大根を頬張りながらそのやり取りを眺めている。
盆を持って奥に戻るヨネを見送り、カカシは向かいに座るイルカに笑いかけた。
「イルカ先生、小さい時からよくここに?」
「あ…あの、亡くなった父がこのお屋敷の警備を任じられていた忍でしたので。…それで
よしみが…小さい頃から、火影様にも、ヨネさんにも可愛がって頂きました。うちは母も
くノ一でしたから、母が任務で出掛けてしまった時など、よくヨネさんにご迷惑かけてい
たんですよ…」
火影はのんびりと茶を啜った。
「…孫どもが生まれてからはな…ヨネが忙しくなったんで、お前も遠慮してたんじゃろ
う? ヨネはそれがわかっておるから、お前を不憫がって、案じておったのさ。お前の両
親が亡くなってからは特にな。…まあ、たまにはヨネに顔を見せておあげ」
「あ、はい…火影様」

カカシはこの屋敷におけるイルカの人間関係を大雑把に把握し、一人頷いていた。

 

 



柚柑ヒロ様44444HITリクです。
このSSがきっかけで、夫婦シリーズが出来ました。

 

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