Kaleidoscope−

 

上忍が二人もついていて何故ウチハの後継ぎがこんな事になっているのだ、と医療棟の忍
医は非難がましい眼をした。少年を失神させたのは当の上忍だと聞いて更に目を剥く。
だが、写輪眼の暴走を抑える為だとカカシが説明すると、やっと納得の表情になって頷い
た。一応少年の脈や呼吸の様子を確かめてからカカシに目を向ける。
「では、間に合ったんですね? こちらで専門医に診せる必要は無いですか」
カカシは微かに頷いてみせた。
「…大丈夫だ。…しばらくすれば自然に目を覚ますと思う」
写輪眼を持つカカシがそう言いきった事で、忍医は安心したように下がって行った。
カカシは大きく息を吐いて、寝台の傍らの椅子に腰を落とす。
「……カカシ」
彼女の後ろに立ったまま、環は声を掛けた。
「あのな。……私はイルカを…」
カカシは片手を挙げて彼の言葉を遮った。
「侮辱したわけじゃない。……でしょ? ……わかってるんだ。…わかってる…」
「だが、謝る。…すまない。迂闊な言葉でお前を不愉快にさせた」
環はそっとカカシの肩に手を置いた。思えば、こんな風に彼女に触れた事はなかった様に
思う。その肩の思いがけないほどの薄さ、細さに思わず彼は眉を寄せた。
カカシは昔から他人を近くに寄せつけず、接触を嫌った。それは単なる人嫌いだと仲間に
は思われていたし、変わり者だという事で皆もカカシを放っておいた。あそこでは、作戦
任務を確実に遂行する為に必要な『カカシ』という忍はそれ以上でもそれ以下でもなかっ
たから。もっとあからさまに言えば「さわらぬ神に祟りなし」と敬遠されていた存在だっ
たのだ。
接触させないはずだ、と環は納得する。
胴衣の厚い生地の上からでも、触れればわかる。男ではないとわかってしまう。
その細い肩が揺れて、彼女が微笑ったのが掌に伝わってきた。
「いや。…謝るのはこっち。…ごめん、環。…八つ当たりだったんだ」
「八つ当たり?」
はー、とカカシはため息をついた。
「……うん。……オレさあ、しばらく仕事から離れてたじゃない」
「ああ」
妊娠と出産の事だと、今の環にならわかる。
「だから、ちょっと身体鈍っちゃってね。…任務につく以上、きちんと今まで通り動けな
きゃ…そう思って、彼に少し相手をしてもらってたんだ。…リハビリに、つき合わせてい
たってわけ。…彼ね、思っていた以上に強くて……で、オレってバカだからさ、単純にそ
れが嬉しくて、ついついやり過ぎちゃって。一ヶ月もだよ。……結果、彼ボロボロ。……
バカでしょ。あの人にケガなんかして欲しくないのに、一番傷つけてたのはオレなんだ。
身体だけじゃない。……オレにぶっ飛ばされるたび、彼のプライドは傷ついていたはずな
のに。…そんな事にもオレは気づけないで…―――!」
一気に吐き出すと、カカシは両手で顔を覆った。
「他人から言われるまで気づきもしないで。……気づいたら居たたまれなくなった。自分
のバカさ加減がたまらない。…それで環にまで当たったんだから、本当にバカだ……ごめ
ん……」
環は立ったまま、片手でカカシの頭を自分の身体に引き寄せた。思わず抱き締めて慰めて
やりたくなるほど今のカカシはどこか頼りなげに見えたのだ。
「謝らなくていい。…確かに私は彼を軽んじるような事を言ったのだから。…自分が上忍
だという事に無意識に驕りを感じていたのかもしれないな…」
男の指が軽く慰めるように自分の髪の上を滑る感触に、カカシは驚いていた。
今まで自分の髪を撫でた男は山で育ててくれた老人と、四代目。そしてアスマ。だが彼ら
の指はあくまでも『保護者』のものだった。髪を梳いてくれる指に『異性』を感じたのは
イルカだけ。
―――この指は、どちらなのだろう。
環はカカシの保護者ではない。昔も今も、彼は同僚だ。
イルカやアスマ以外の男に上半身だけとはいえ身体を預けていた事に今更ながらに気づい
たカカシは慌てて身を起こし、彼から離れる。
「………ああ、悪い…つい……」
彼女が慌てて自分から離れた理由に気づいた環は謝った。いくら同僚でも、人妻を抱き寄
せて髪を撫でてしまったのはまずかったと遅まきながら気づいて誤魔化す。
「お前の髪が昔家にいた猫に似てたんで、つい撫でてしまった。…すまん」
「ねこぉ?」
カカシは肩越しに男を振り仰いで右目を丸く見開いた。
「…ああ、銀灰色の…ちょっと毛足の長い猫……」
「ひっどいなあ…もー…」
何だ、環にとってこの髪は女のものではなく、人間ですらなかったのかとカカシは笑い出
した。少しどぎまぎしてしまった自分がバカみたいである。
笑い出したカカシにホッとしながら、環は話を戻した。
「…それでさっきの話だが、カカシ。…私は、彼はお前が言ったような傷つき方はしてい
ないと思うぞ」
「…環?」
「…彼にプライドが無いとかそう言う話じゃなくてだ。……一ヶ月も付き合ってくれてい
るのだろう? 嫌なら何だかんだと理由をつけて断るはずだろうが。それともお前、無理
強いしているのか?」
カカシは思い切り首を横に振った。
「そんな! そんな事しないよオレ。…でも、イルカ先生優しいんだもの…オレの為に必
要だと思っちゃったら…イヤな事でもつきあってくれるって人だから…」
そうか、と環は息を吐いた。
「じゃあ甘えていればいいじゃないか」
「は?」
「……イルカはお前に必要だと判断した上でそのリハビリの相手を務めてくれているんだ
ろう。ならば、素直にその気持ちに甘えればいいだろうが。お前が妙に気遣って今更遠慮
するような真似をしたら、それこそ彼は傷つくぞ。…自分は、女房の組み手の相手にすら
ならないのか、と。…少なくても私が彼ならそう思ってしまう」
「……………あ…」
そんな風に考えた事は無かった。
怪我をしているイルカになおも相手をさせ続けている自分の無神経さを眼前につきつけら
れた事ばかりに気を取られていた。肝心のイルカの気持ちを本当に考えていたと言えるだ
ろうか。
「……そういうのもあるかー……難しいねえ」
「別に難しくはないだろう。普段のイルカの態度を思い出してみろ。…リハビリを始める
前と今と。何か変わった様子があったか?」
言われてカカシはしばし考え込む。
彼の優しい笑顔は結婚する前から変わらないし、カカシを気遣って労わってくれる言葉が
減ったわけでもない。ベッドでだって―――とそこまで思い出してカカシは頬を染めた。
「―――…そ、そう言えば…特に……変わらないか…な…?」
「なら問題は無いと思うが? イルカ本人にもう勘弁してくれと言われてから悩め。他の
誰かに何か言われたくらいで揺らぐなんてお前らしくもない」
「…うん……」
確かに環の言う通りなのかもしれない、とカカシは思った。まだイルカ自身に何か言われ
たわけでもないのに。
カカシはクスッと笑いを洩らした。
「……ありがと、環。ちょっと気が楽になったよ。……写輪眼のカカシなんて言われたっ
てこの程度だ。お前も、オレの事過大評価してるってわかったろ」
環も笑って、先刻彼女がナルトにしたようにその髪をかきまぜた。
「なんの。忍としてのお前には相変わらず脅威すら感じるよ。……ま、こんなに人間味が
あると言うか、可愛い一面も持っているとわかって安心したが」
だけど、と環はクギを刺すのも忘れなかった。
「お前、口より先に手が出るのは考え物だ。……ついうっかり亭主の顎を粉砕しないよう
に気をつけるんだな」
あうう、とうめいたカカシは椅子に沈み込む。
イルカの心を傷つけているかもしれないという問題は些か解決に向かったような気はした
が、肝心の『乱暴な奥さん』という問題が残っていた。
「まあイルカは中忍だし頑丈そうだから大丈夫かもしれんが。……さて、ここは任せても
いいかな? カカシ。サスケの目が覚めるまで傍にいてやってくれるか。私は明日の任務
を確認しに行くから」
「ん。わかった。…ちゃんとこの子には話をするから」
「頼む」

よいしょ、とカカシは背もたれを胸に抱え込むような姿勢で椅子に跨った。
窓から微風が吹き込んできて少年の黒い前髪をなぶる。こうしてみると年相応に幼い寝顔
だった。
「……お前も大変なモンを受け継いじゃったねえ……」
カカシは手を伸ばし、指先で乱れたサスケの前髪をちょいちょい、と直してやる。
その指で自身の額当てをなぞり、ため息をついた。
「確かに…使いこなせりゃ便利な道具だよ。…でも、諸刃の剣だって言ったでしょうが…」
カカシの呟きに応えるかのようにサスケがぽっかりと目を開けた。
「…あ、気がついた。…気分どう? 吐き気とかしない?」
「……カカシ…先生…? あれ? …オレ…」
半分寝惚けたように視線を動かすサスケの手をカカシは軽くおさえる。
「ここは医療棟。お前はオレが当て身で気絶させた。…悪かったな。お前の意識を奪うの
が一番手っ取り早かったから」
サスケは目を見開いた。
「…何故……」
「お前が無意識に写輪眼を使い始めたからだ。意識的に自分でコントロール出来ていたと
自信を持って言えるか? サスケ。その眼は単に相手を見切り、その術や動きを会得する
だけのものじゃない。……強力な幻を生み出すんだ」
「まぼろし…幻術?」
そう、とカカシは頷く。
「瞳術使いの『眼』を持つ者の生み出す幻は、そいつを持たない忍が使う術の比ではない
効力を持つ。……特にお前はウチハ直系の血継限界能力者だ。幻術にかけた相手の精神す
ら砕く事も可能。…そんな力を、制御する方法も知らずに自分で自分に向けてしまったら
どうなると思う?」
サスケは絶句した。そのサスケの表情で彼が自分の言いたい事を理解したと判断したカカ
シは言葉を続ける。
「………わかったようだな。お前はさっき、それをやりかけてたんだ。…だから、止めた」
サスケはゆっくりと身体を起こした。
「……そ…んな……オレは……」
「…瞳術に大切なのはチャクラだけじゃないんだ。それを制御し得る精神力。……どんな
時でも我を忘れてはいけない。でないと、己の力に己が呑み込まれて―――ニ度と戻って
は来られない」
カカシはふと目許を和ませて少年の肩を優しく叩いた。
「ま、あんな所で環とやりあってたオレも悪かったな。…でも気をつけろよ。お前は幻術
自体に慣れていないから。かけた事もかけられた事もないだろ」
「…ああ」
サスケは渋々頷いた。まだ下忍になって日が浅い。大した任務経験も無いサスケにそんな
機会があろうはずもなかった。
カカシは額当ての上から自分の左眼をおさえる。
「……オレもこの眼を完全には使いこなせてはいないと―――思う。負担が大き過ぎて、
オレでさえセーブして使わないとヤバイんだ。もっと能力があるのはわかっていても、こ
れ以上使えば自分が持たないと本能みたいにわかる一線がある。そこを越えた事は無い」
ふいにサスケが口を挟んだ。
「オレは越えられるのか? アンタが越えられない一線を」
「……たぶんお前はその先に行ける。少なくてもその可能性はあるよ。…お前は正統な継
承者だ。お前の身体の中に流れるウチハの血が、お前を助ける」
カカシは躊躇いながらその先の言葉を口にした。
「…オレは…生まれながらにこの眼を持っていたわけじゃないんだ。…今はまだ詳しい事
は言えないけれど。……だからそんなオレが、お前を指導する事自体が無理なのかもしれ
ないが―――」
「……オレが知る限り……」
サスケは顔を上げて真剣な目でカカシを見た。
「オレが知る限り、『写輪眼の』という呼ばれ方をしているのはアンタだけだ。…同族は今
絶えているから、オレの一族の中にアンタ以上の遣い手がいたかどうかなど知らんが。…
今この里にその眼を持つのはオレとアンタだけなんだろう? で、オレはアンタが言う通
りにガキで未熟者だ。…なら、アンタに教えてもらうしかないじゃないか」
「…そりゃそうだけど。……いつも今日みたいに助けてもらえるとは思うなよ?」
フン、とサスケは鼻を鳴らした。
「そのうち、オレの方がアンタを助けられるようになってみせる。……言ったろ? オレ
は強くなるって。……里一番の瞳術使いになる。……そうしたら…アンタが背負っている
ものも少しは軽くなるだろう……」
少年の黒い眼がカカシを射抜くように力を増す。カカシは思わず身を引いた。
(―――この子は……)
子供だ子供だと思っていたら、ふいにこんな『男』の眼をする。
サスケの言葉の意味。
今現在木ノ葉最強の瞳術使いのカカシには、里における戦力として多大な期待がかけられ
ており、上忍としての責任がある。その重さを言っているのだ。
以前はその重さを然程苦には思っていなかったが、子供が生まれた今、それは彼女にとっ
て些か辛いものになっている。それを察した少年の言葉。
それがどういう気持ちからきているのか、カカシにはわからなかった。いや、わかっては
いけないと思っていたのかもしれない。
少年はいつまでも少年ではないから。後もう数年もすれば、背丈も腕力も追い越されるだ
ろう。
カカシはちょいと指でサスケの額を弾いた。
「……ナマ言ってんじゃなーいよ。…でもま、期待しないで待ってるからガンバリたまえ。
あ、そーだ。明日は9時に受付所集合だってさ。遅れるんじゃないよ」
サスケは弾かれた額を押さえながらムッと口を尖らせた。
「それはこっちのセリフだ。遅刻魔上忍」
部屋から出て行こうとしていたカカシがピタ、と足を止めて振り返る。
「……まず、目上の人間に対する口の利き方から教えてあげよーかねえ……」
ポキ、と指を鳴らしたカカシの右目がにっこりと笑った。

―――これは躾です、イルカ先生。暴力じゃないですから。

      

      

      
 



カカシさんの写輪眼について。
これを書いた当時、まだカカシ外伝は発表されておりませんでしたのでボカしましたが。
たぶん、移植の経緯は原作さまと同じ…になると思います。オビトはカカシの性別を知っていたと言う設定で。


んでもってサスケ、まだ諦めていない模様。
そのうちイルカ先生をこっそり謀殺しそうで怖い・・・(<冗談)
さて、後はダンナさんとちゃんと話しましょうね、カカシちゃん。

 

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