Kaleidoscope−

 

「元気ないな。…どうした?」
環に声を掛けられたカカシはぼんやりと視線を上げる。
「…ん? べっつに〜?」
本日の七班は一日中訓練の予定である。
子供達は、環の指示に従って走り込みをしたり、塀を昇ったりといった基礎体力作りに励
んでいた。彼らはまだ身体が出来ていないから、やみくもに高等な術ばかりを教えようと
しても身体がついていかない。まずは身体を鍛える事。何事もそれからというわけだ。
上忍二人は木陰でそれを見守っていた。
助走をつけたサスケが脚力だけで高い塀を飛び越して林の中に走り込んでいく様を眼で追
いながら、環は苦笑する。
「別にってツラか。……イルカに説教でも喰らったか?」
ぴくんとカカシの肩が揺れた。
「また例の妙な本でも読んでて、とうとう亭主にバレたのか? それとも台所を燃やした
か? まさか子供をうっかり落っことしたわけじゃなかろうな」
彼女のやりそうな失敗をつらつらと挙げてみせる男をカカシは睨んだ。
「……よーくわかったよ。環ってばオレの事そーゆー風に見てるわけだ」
「…違ったのか。じゃあ何だ?」
カカシは目を伏せる。
「だから、何でもないって……そーだ環、模擬戦でもしない? 上忍同士の組み手、子供
らに見せとくのも悪くないんじゃないかな」
環は一瞬イヤそうな顔をした。
「……提案は悪くないが…お前とやるのか…?」
「何そのイヤそーな顔」
「………お前は加減を知らんから…昔、訓練中に何人病院送りにしたのか覚えてないのか」
カカシは鼻先で笑った。
「ははあ、子供らの前でオレにのされて病院送りになるとカッコ悪いもんねえ?」
「そんな挑発にのるか。子供らがいなくたって御免だ」
「………もしかして、環ったらマジでオレのこと強いと思ってんの…? 自分より?」
カカシの当惑したような声に彼は微笑んだ。
「…思ってるよ」
「環…」
環は低く声を落とす。
「カカシ。…写輪眼のカカシとは、そういう存在なんだよ。……お前は強い。お前が女だ
とか、子供を産んだばかりだとかは……関係ないんだ。お前と平気で手合わせするのは、
ガイやアスマくらいだろう」
思わずカカシは言い返していた。
「そんな事無い! …イルカ先生はちゃんと相手をしてくれる…!」
カカシの反論に、環は冷静に返す。
「それは、イルカが中忍だからだ。…上忍、写輪眼のカカシに負けて失うプライドは無い
だろう。お前の方が強くて当たり前だから。それに、仮にも夫婦だ。…お前が自分を酷く
傷つけるような真似はしないだろうとわかっている。…だから仕合う事も出来―――」
言い終わる前に環は咄嗟に跳んでいた。
無言で繰り出されたカカシの拳が、環が寄り掛かっていた木の幹を抉る。
跳んだ環を追ってカカシも跳んでいた。
「やめろカカシ!」
カカシの眼に浮かんでいる冷たい怒りに、彼は自分が失言した事を悟った。
鋭いカカシの蹴りを、彼は自分も蹴りを放つ事で相殺する。
ドォン、と大気を揺るがす衝撃が辺りを震わせた。
「なっ…何…?」
サクラは驚いて立ち竦み、周囲を見回した。
彼女に続いて走っていたナルトも立ち止まってキョトキョトしている。
一人高い枝の上にいたサスケが、教官二人の様子に気づいてサクラ達の所に飛び降りてき
た。
「…何だかよくわからんが、先生達がやりあってる」
えーっ? とサクラは声を上げた。
「ウッソー! 環先生とカカシ先生がァ? いったい何で…」
「センセー達、ケンカしてんのかぁ?」
ナルトも意外そうな声を上げる。
「そんなん、知るか。…だが、一見の価値はあるな」
上忍同士がやりあっているところなど、なかなかお目に掛かれるものではない。
それも、片方が『写輪眼のカカシ』ならば余計に見ておく価値がある。サスケはさっさと
走り出した。
「あっ…でもまだ…」
教官に課せられた訓練も終わらないうちに、勝手に見に行ったりしてもいいのかとサクラ
は戸惑う。
「リンキオーヘンだってばよっ! サクラちゃん!」
ナルトはあっさりそう言い放つとサスケの後を追う。
「あんたに臨機応変なんて言われたかないわよっ!」
結局、サクラも男子達の後を追った。

立ち止まったサスケの横を走り抜けようとしたナルトは襟首をつかまれて引き戻された。
襟で咽喉を絞められたナルトはグェっとうめいてサスケを涙目で睨む。
「何すんだってばよ、サスケ!」
「これ以上近寄るな、ウスラトンカチ。…とばっちり喰うぞ」
まだ距離はあったが、上忍二人の移動速度は速くて目で追いきれない時もある。加えて先
刻の衝撃音を考えても、これ以上近くに寄れば巻き添えになる恐れがあった。
サクラが追いついてきて、目の前の光景に思わずポカンと口を開ける。
「わー…ホントにやってる先生達……わぁ、スッゴイ…」
彼らは環が戦っている所を見た事が無かった。故に、上忍というものがどういうレベルの
戦闘能力を持っているのか知らなかったのだ。
「スゲエ……」
ナルトもゴクンと唾を呑み込む。
サスケは瞬きも忘れたように上忍二人―――いや、正確にはカカシ一人の動きに見入って
いた。
(…女の動きじゃない……)
カカシの体術を見てサスケは密かに唸った。
日頃の立ち居振る舞いだけでもそう思う事はあったが、彼女が戦っている所を見て女だと
思う者などおるまい。長年、同じ里の仲間にも性別を偽っている事が露見しなかったのは
何故かと不思議に思っていたが、あの戦いぶりを見れば納得も出来る。
しかも今眼前で行われているのは上忍同士のじゃれあいに過ぎないだろう。もしも『任務』
なら。敵忍とならば、彼女の戦い方はあんなものではないはずだ。
「なあ、サクラちゃん。…あれってばさ、オレにはケンカっていうよりさー…何かカカシ
せんせーが一方的に怒ってるみてーに見えるんだけど…」
ぼそっと呟くナルトに、サクラは頷いた。
「アンタにしちゃ鋭いわ。……私にもそう見える」
サクラは目を凝らして環の口元を見ていた。口布をしているカカシの唇は読めないので、
せめて片方からでも情報を得ようと思ったのだ。
(…環先生が謝ってる…??)

「だから悪かった! 失言だったと…聞け! カカシ!」
「うるせえっ!」
ああ、この乙女とバイオレンスが同居している厄介な生き物を何とかしてくれ、と環は思
わず心の中で叫んだ。
彼はまだ心のどこかでカカシを自分と同類、男のように思っていたのだ。故にうっかり口
を滑らせてしまった。
『イルカにはお前に負けて失うプライドは無い』―――これはおそろしく客観的でミもフ
タも無い言い方だが、男ならそれで納得するだろう。普通に考えればそれが事実だと思え
るからだ。だがカカシの耳には愛しい夫を侮辱する言葉に聞こえてしまった。
理性的に反論するよりも怒りが先に立ち、拳となって炸裂したのだ。
「オレの事ならいいっ! 何を言おうと構わん! だけどあの人を悪く言うのだけは許さ
ないっ!!」
いや、悪く言ったわけじゃないんだが―――という環の弁解は無視された。
木ノ葉の仲間をも何人も病院送りにした写輪眼のカカシ渾身の一撃が彼を襲う。
一発きれいに決めさせてやれば彼女の気も収まるのかもしれないと頭ではわかっている環
だったが、それは勇気のいる行為だった。結果、下手をすればあの世行きだ。
(…私もまだ死にたくない…っ…)
それも、こんなバカげた事で。
怒りで全身毛が逆立っているようなカカシの拳や蹴りを今まで回避できた事の方が奇跡の
ようだが、環も必死である。
凶器以外の何者でもないカカシの脚を間一髪避けたところでふと彼女が一瞬ぴくんと固ま
った。
次の瞬間、カカシは環の眼前から消え失せる。

いったい何が起きたのか。
サクラは呆然としてカカシを見ていた。
たった今まで向こうで環と激しい組み手をしていたカカシが目の前にいる。しかも、気を
失ったサスケを腕に抱えて。
「カ…カカシせんせ…い?」
カカシがここにいるのはともかく、何故サスケが倒れているのかサクラにはわからない。
置いてきぼりを喰って瞬間呆気に取られていた環が追いかけてくる。
「カカシ? どうしたんだ」
ふう、と大きくカカシが息をついた。
「…ヤバかった〜……」
カカシの腕の中で失神しているサスケに、環は事態を察した。
「まさか……」
「…見るのはいいけどね。…この子、夢中で見ているうちに『視』始めちゃったらしい。
一見クールっぽいけど、意外と興奮しやすいね。…気をつけなきゃ」
写輪眼か、と環はため息をついた。
カカシが慌てて止めたくらいだから、異常な状態で発現しかかっていたのだろう。
「オレ達が戦ってんの見ているうちに同調してのめっちゃったみたい。放っておいたら…
最悪、自分で自分に幻術をかけたような状態になる可能性があったから止めた。…無意識
でやっちゃうと戻って来させるのは大変だから」
「あの状態でよく気づいたな…」
「まあね…戦ってる最中の方がそういう気配に敏感になんのよ」
環はサスケの上着をめくって、鳩尾の周辺を調べた。
「…咄嗟にあの勢いでやった当て身にしてはきちんと加減が出来てるな」
「失礼だな。オレがこの子の肋骨でも折ったんじゃないかとか心配したな?」
「すまん。…人間成長する、か。…その通りだな」
不快げに眉間にしわを寄せるカカシに苦笑しながら、環は少年を彼女の腕から抱き取った。
「…念の為、医療棟に運ぶか。…サクラ、ナルト。今日はこれで解散だ。明日は9時に任
務受付所に集合。いいな?」
はぁい、と子供達は声を揃えて返事をする。
サクラはもっと詳しい事を聞きたそうな顔をしたが、唇を噛んで我慢していた。
上忍二人がついているのに自分がサスケについて余計な詮索をしたり、いったい何故彼ら
が闘っていたのかなど訊いてはいけないとわかっているのだ。余計なことは訊かない。
火影屋敷に忍び込んだ時の手痛い教訓である。
そんな教訓は知ったことではないナルトはなあ、とカカシの胴衣を引っ張った。
「結局さー、せんせー達何してたんだ? ケンカかあ?」
カカシと環は顔を見合わせる。
にっこりと笑って見せたのはカカシだった。
「やーだな。ンなわけナイって。ただのコミュニケーション」
自分が聞きたくても我慢していた事をあっさりと口にするナルトに、苛立たしさと同時に
羨ましさも感じながらサクラは明らかに誤魔化しているカカシを半眼で見た。
(…そんなんで誤魔化されるわけないじゃないよ、カカシ先生…案外とぼけたヒトよね…)
「そっかー、ケンカじゃなきゃいいんだってばよ!」
サクラはガクッとこけた。
(…この単純おバカには通じちゃうのかっ…てかナルト! そんなんで誤魔化されてんじ
ゃないわよぉっ…)
素直に笑うナルトの頭をカカシはぐりぐりと撫でた。
「そーだよな。ケンカはダメだもんなー。お前はいい子だなー、ナルト」
「だってばよ! だからカカシせんせ、あんまり環せんせーイジメちゃダメだぞ?」
「イ…ッ? イジメ?」
メンタルブロウ。
無邪気なナルトの一言がカカシの乙女心に突き刺さる。
(イジメてないっ! オレはイジメてなんかないのにぃ…ああ、オレのやる事はそういう
風にしか見えんのだろーか……オレ乱暴だから乱暴だから乱暴……ううう…イルカ先生ご
めんなさい…ランボーなオクサンでごめんなさいぃぃ〜……)
傷口に塩を塗られたカカシは、内心シクシク泣きながらヤケクソのようにナルトの黄色い
頭をかき回していた。

      

      
 



子供にはわからない大人の事情。
・・・というにはちょっと情けない上忍たちの突発バトル。
カカシが一方的に攻めてただけだけど。(笑)
うん、弱いものイジメはいけないんですよ。
でも強いからって何されても平気なワケじゃないのよね。

 

NEXT

BACK