「エエエエエエエエ―――――――ッ! 何でサスケだけなんだってばよ?」
予想通りの反応だな、と思いながら環は腕を組んでナルトを見下ろした。
「だから、今言ったろうが。…サスケの眼は独特の瞳術が使える。でも、私はその瞳術の
指導をしてやれない。同じ術を使える上忍がいるから、指導を頼んだだけだ。これは火影
様も認めて下さっている決定事項なんだよ」
ナルトがちらりとサスケを見遣ると、サスケはまるで他人事のようにそっぽを向いている。
「スリーマンセルでの任務は続行。サスケは任務をこなしつつ修行をする。今日からその
上忍も任務や訓練に加わる予定なんだが―――」
環は懐中時計を取り出して、少し眉を顰めた。
「………遅いな。何しているんだ…」
 
 
 
Kaleidoscope−

 
 
「カカシさん、チドリは俺が託児所に連れて行きますから。貴女は行って下さい。環先生
をお待たせしてしまいますよ」
イルカの声に、カカシはバタバタと仕度しながら「でも〜」と声を上げる。
「チドリの仕度くらいしなきゃ…おしめは幾ついるでしょう。あ、着替えも要りますね。
それから最近お気に入りのタオルとー…」
ああ、どうして夕べのうちにやっとかないかな、こーゆー事を、とカカシはぼやきながら
走り回る。
チドリはきょとんとベビーベッドの中にお座りして、母親が走り回るのを目で追っていた。
イルカは苦笑して火の点検やら戸締りやら、出掛けのチェックをし始める。
彼にはわかっていた。
カカシはまだ、気が進まないのだ。
だから前の晩からチドリを他人に預ける仕度など出来なかった。
イルカは鞄に必要な書類が入っている事をもう一度確かめる。
『木ノ葉第三保育施設』
シンボルキャラクターが可愛らしいクマなので、通称こぐま園、と呼ばれている。
イルカの家とアカデミーのちょうど中間に位置していて、送り迎えには都合がよく、また
評判も悪くは無い。
園児達の六割以上が忍の子供で、忍服を着たままのイルカの見学にも快く応じてくれた。
「カカシさん…遅れますよ」
「はーいっ」
返事だけはいいカカシが家を出たのは、七班の集合時間を既に三十分以上過ぎてからであ
った。



「え〜と、そおゆうワケでえ、今日から皆さんと一緒にお仕事するはたけカカシでーす…
よろしく〜〜…」
ハハハ、と笑いながら頭をかいている上忍を、子供達(特にナルト)は胡乱な眼で見つめ
た。
「…カカシ。40分の遅刻だ。上官として示しがつかんから今後気をつけるように」
「………ゴメン…」
環に叱られ、カカシは肩を竦める。
きっと初めて子供を託児所に連れて行く為の仕度に手間取ったんだろう、と環には察しが
ついていたが、子供達の手前、こう言っておくしかない。
後でイルカにもっと早く女房を家から叩き出すように言っておこう、と環はため息をつく。
なーなー、とナルトが声を上げる。
「カカシ先生って呼んでもいいのかな?」
カカシは「ん?」と首を傾げ、環を見た。
「……いいんじゃないか? カカシ上忍はサスケの指導の為に来たけど、ナルトやサクラ
にもきっと何か教えてくれるはずだから。なぁ、カカシ」
カカシは苦笑して「そーね」と曖昧に頷いた。
「カカシはこの木ノ葉で一番、忍術の心得がある。千以上の技を使いこなす技師と呼ばれ
る上忍だ。頼りにしていいぞ」
「…ちょっと、環……」
慌てるカカシをよそに、子供達は期待に眼を輝かせる。
「スッゲーってば! カカシ先生、スゲエ忍者なんだなっ! オレオレ、うずまきナルト! 
ヨロシクっ!」
サクラもそうだ、自分達は初対面のはずなんだと思い出して、挨拶した。
「あたしは、春野サクラです。よろしくお願いします」
サクラの挨拶に、サスケも倣った。
「…うちはサスケ。…よろしく」
きちんと『演技』するサスケとサクラに、カカシは心の中で謝った。
(ごめんね…あんた達には余計な気を遣わせちゃうね……許せよ…)
環はパンパン、と手を打った。
「さあ、少し遅れたが任務に向かうぞ。今日は、薬草園の雑草取りだ」
ええ―――――――っというお馴染みのナルトのブーイングに、約一名のブーイングが重
なった。
はあ、と環は息をつく。
「………文句言わない、ナルト。――――カカシもだ」
はあい、と二人の返事がハモる。
思わず噴きだしてしまったサクラだった。


一方のイルカは、出勤前に入園の手続きをしに『こぐま園』に立ち寄っていた。
大人しく父親の膝に抱かれているチドリを、園長は優しく見つめる。
「では、こちらの同意書も読んで、署名して下さい。…うるさくてごめんなさいね。でも、
決まりなんですよ」
イルカは愛想よく微笑む。
「わかりますよ。私も、仕事で受付事務などもしますから。細かい手続きは、こういう場
合あって当然だと理解しています」
園長はほっとしたように書類を確かめた。
「チドリちゃんはもうすぐ七ヶ月ですね。特に湿疹などのアレルギーもなし、健康ですね。
気をつけなければいけないクセなんかはあります?」
「いえ…今ちょっと夜泣きはしますけど…特には。…あの、私も子供は初めてなんで、普
通どうなのかっていうのがよくわからなくて…どうもオタオタしてしまいます」
「そうですね。初めてのお子さんでは、ご両親の方が神経質になるケースが多いんですよ。
そうすると、どうしても子供も神経質になります。まず、お父さんがドンと構えておしま
いなさい。…今日、お母さんはお仕事ですか? 出来ればお母さんともお話ししたかった
のですが…」
イルカは頷いた。
「はい。彼女が仕事に復帰せざるを得なかったんで、こちらにお世話になる事にしたんで
す。…そのうち…彼女がここに来る機会もあるかもしれませんが、私よりも彼女は忙しい
ので。普段の送り迎えは主に私がやる事になります。よろしくお願いします」
園長はイルカの物言いに僅かな違和感を感じて、すぐにその理由に気づいた。
こういう時、男親は自分の妻を『女房』とか、『あいつ』とか、『うちのヤツ』という気安
げな呼び方をよくする。だが、イルカは一貫して『彼女』としか言わなかった。
書類を見ると、妻である女性は彼よりひとつ年上である。
だが、それだけが理由とも思えない。彼が中忍である以上、彼女も忍とみて間違いない。
(…もしかして…記載されていないけど母親は上忍…? あり得るわね…では、あまり詳
しい事情は聞かないでおきましょう…)
里の事情をよくわかっている園長はひとり頷いた。
「そうですか。わかりました。お仕事でお迎えが遅くなる時は、電話連絡をお願いします
ね。緊急連絡先はアカデミーでよろしいのね?」
イルカは神妙な顔で頷く。
「はい、そうです」
この若い父親は教師なだけに礼儀正しく、忍の割りに優しそうで感じがいい。
年配の園長も、思わず微笑んでしまう。
「では、大事なお子様は確かにお預かり致します。いらっしゃい、チドリちゃん」
園長が手を差し出すと、いつもは人見知りしないチドリが嫌がってイルカにしがみついた。
「あらあら、お父さんがいいのね」
イルカは困って、息子の頭を撫でた。
「チドリ、いい子だな。お父さんがお迎えに来るまで、お前はここで待っていなきゃいけ
ないんだ。お母さんもいなくて寂しいだろうけどガマンしてくれ。…な?」
まだ六ヶ月の赤ん坊が、その言葉をすべてきちんと理解できたはずはない―――のだが、
チドリはじっと父親の顔を見つめてから手を離した。
園長が差し出す手に、大人しく抱っこされる。
「あら、素直な坊やだこと。…はい、じゃあお父さんにいってらっしゃい、ね」
イルカはもう一度息子の髪を撫でた。
「行ってきます。…では園長先生、息子をお願いします」
「はい、お任せください。いってらっしゃい、イルカ先生」
アカデミーに向かう父親を見送るチドリの大きな黒い瞳には、涙がたまっていた。
それでも泣き出さない赤ん坊を、園長は複雑な気持ちで抱く。
聞き分けの良い子供は、大人にとっては楽な子供だが、本人はとても我慢をしているのだ。
生まれて半年でもう『聞き分けの良い子供』になってしまったこの赤ん坊が、不憫だった。
「さあ、チドリちゃん。ここにはお友達がいっぱいいるのよ。お父さんがお迎えに来るま
で、遊びましょうね。寂しくないのよ」



「……カカシ……先生」
「んー?」
背後に「ボー」という擬音を背負って木陰にしゃがみ込んでいる上忍に、サスケは躊躇い
ながら声を掛けた。
「…アンタ、こんなトコで何してんだ? オレの指導をしてくれるんじゃないのか」
カカシは細い眉を顰め、サスケを見上げた。
「……雑草取るのに写輪眼が必要か? ホラ、さっさと自分の仕事をしなさい」
しっし、とカカシは手を振ってサスケを持ち場に戻らせる。
サスケは渋々ながら仲間の元へ戻って、雑草を取り始めた。
「…具合でも悪いか? カカシ」
いつの間にか傍に来ていた環が、カカシを上から覗き込んだ。
「いや…うんまあ、ちょっとまだ本調子じゃないだけ。…大丈夫…だけどね。さすがにこ
んなにインターバルがあったのは…初めてだから……それにしてものどか…ってか、気が
抜けるねえ……Dランクってこんな任務ばっか?」
環は苦笑する。
「そうだよ、カカシ。…こんな仕事が主なんだ。下忍になりたての子供に回されるのはね」
ふうん、とカカシは気の無い返事を返す。
「……そう…環もご苦労さんだね…」
カカシは、Dランクの仕事など殆ど経験が無い。
火影の名を受け継ぐような師と寝食を共にして、彼の任務にもよく同行した。
カカシの知る任務とは、常に生き死にだ。
『天才忍者カカシ』という珠は、そういう苛酷な環境が育み、磨いて光らせた木ノ葉の宝
玉だった。
「……オレは…こんなヌルくていいのかなあって思うけど…まあそれってオレの感覚なん
だろーな……ちゃんと下積みするって…きっと、大事なんだろうね」
ぼんやりとそう呟くカカシを、環は意外そうな顔で見下ろした。
(……変わったな…コイツ。…以前ならば己の物差しだけでしか物事を見ようとしなかっ
た…だろうに。…ふむ、イルカが色々と教育し直しているらしいな)
「実地訓練はこういう段階からやるんだ。…世界は忍の常識だけで動いているわけではな
いってね。……普通に暮らしている人々の事を先ずよく知らねば……任務において正しい
判断は出来ないだろう? そして、任務に当たる時の心構え、忍としての常識も身につけ
させる。同時に戦闘能力、忍術レベルを高めていって―――そうして一人前になるんだ。
……普通はね」
環も、カカシが六歳で既に中忍としての資格を得、以来『普通』とは無縁の厳しい世界で
生きてきたのだと知っている。
『普通』の道を通らずに忍として完成してしまったカカシ。
そして、そんな彼女の眼には、十二、三にもなってまだ手取り足取り指導をされて、雑草
取りだの芋掘りだのという雑事しか任せてもらえない下忍の存在は腹立たしいを通り越し
て呆れるものではなかろうかと環は想像していた。
最近のアカデミーは、どんなに才能があっても十を過ぎない子供を卒業させる事はない。
日向だろうとウチハだろうと、まだ世間一般的に『子供』と見なされる年齢の下忍は対外
的にも不審を招き、ひいては里の信用を落とし―――そして、幼い子は忍としては早熟で
も精神的には未熟である場合が多く、能力がある故に道を踏み外しやすいのだと―――幾
例かを目の当たりにしてようやく里は悟ったのだろう。
カカシは、異例の昇進を経ても大きく道を踏み外す事の無かった稀有な『天才』だった。
「そーなんだ…ふふ…なるほどね…じゃあ、仕方ないか…な……」
「…カカシ……」
カカシは顔を上げてにこっと微笑む。
「ま、時代が違うってヤツ? オレがガキの頃は、まだあっちこっち火種が燻っててキナ
臭いどころじゃなかったからね。…使えりゃおしめを背負ってる洟タレだって使っただろ
うよ。………サスケはウチハの血を引く大事な血継限界能力者。能力は目覚めましたけど
扱いきれなくて力に潰されてしまいました、じゃハナシにならんもんねえ…」
仕方ない、というのはその事か、と環は眼を眇めた。
ぬるま湯のような任務しか与えられず、大事に守られて育てられている世代のサスケでは
仕方ない。いきなり恐ろしくチャクラを削り取られる写輪眼は荷が重かろう、とカカシも
わかってくれたようだ。
「とにかく、お前にはかえってストレスたまるような任務が続くだろうが、耐えてくれ。
あの子の事を把握しなきゃ、お前だって指導のしようがないだろう?」
「まあねえ……こーゆー任務って初めてだからさあ…退屈だけど新鮮かも〜…」
カカシはゴソゴソと腰嚢から本を取り出す。
「?」
カカシが読み始めた本のタイトルを屈み込んで確認した環の額に青筋が浮かんだ。
「何読んでるんだお前はっ!」
一児の母が読むシロモノか! と環は心の中で叫び、カカシの手からやたら軽薄な色使い
の表紙の本を引き抜いた。
「あ、返せよ環…最近読んでなかったんだからぁ…」
そりゃ読めんだろうよ、亭主の前で十八禁エロホモ本なんかはなあ、と環はカカシを睨む。
「…没収」
「えええ〜? 環ったら横暴〜それ結構面白いのにぃ」
「…没収。…今後、子供らのいる所でこういういかがわしい本を読んだら…」
「読んだら?」
環はうんと声を低くしてカカシの耳に囁いてやった。
「……イルカにある事無い事チクる」
「たたたっ環ってばそういうヤツだったのぉぉぉ〜〜っ!」
カカシの絶叫が古い薬草園に響き渡り、雑草取りに余念がなかった子供達は何事かと首を
伸ばす。
「私の今の使命は、子供らを健全に教育指導する事だからな」
「でもぉ…忍なんだから、視野は広く、不健全な事も知識として知っておくべきだと思う
なっ…世の中なんて綺麗な事ばっかじゃないんだからさあ…」
一応正論ではある。
「そうだな。……しかし、それと勤務時間中にエロ本読む事とは別だ」
「……石頭……」
「じゃあ、これはイルカに渡しておいてやろう。亭主から返してもらえ」
カカシは完全に萎れて白旗をあげた。
「……ごめんなさいもうしません真面目に仕事しますだからカンベンして下さい……」
環は苦笑した。
「わかった。じゃあイルカには黙っていてやる。ほら、自分でさっさと処分しろ」
「もったいないなー…もー…」
ぶつぶつ言いながらもカカシはイルカに渡されるよりはマシだと、しぶしぶ火遁で本を燃
やした。
(…ホントーにコイツにとって、イルカは別格の男なんだな……私や他の奴に何を言われ
ても平気なくせに……イルカにだけは幻滅されたり悪く思われたくないのか)
それは環にとって、意外で面白い発見だった。
男だって惚れた女には自分のいい所を見せたい。格好悪いとは思われたく無いものだ。
カカシが惚れた男相手に同じ行動を取っているのかと思うと、何ともいじらしい気がした。
(案外可愛い所もあるじゃないか…あの写輪眼のカカシが)

 



 

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